久々の戦車模型です。
しかも、昨年6月に買ってから今まで全く手つかずでした。
流石に1年もほったらかしと言うのはまずいと思い、急遽制作しました。
メーカーはポーランドのIBGです。
コロナ禍のせいでかなり入手困難な中だったので、買えるときに買っておいたのです。
戦車模型自体久しぶりですが、今回はノモンハン事件から大東亜戦争終結まで非常に不利を通り越して無謀とでも言えるほどの中で悪戦苦闘して我が国を守ってくれた軽戦車、
九五式軽戦車 ハ号
です。正直、ノモンハン事件から対米開戦前までは十分強い戦車でした。
全備重量7.4t、全長4.3m、全幅2.07mと非常に小さな車体で、主砲は37mm戦車砲と、1935年当時としては世界基準のもので、副武装の6.5mm機銃も、対歩兵用として考えるなら十分なもので、歩兵支援としてなら十分な戦闘力を誇りました。また、ハ号が最も重視されたのが機動力で、最高速度40km/hは1935年当時としては十分高速であり、火力ではなくトラックに追随できることが求められたのです。そして帝国陸軍としては最も生産台数の多い戦車です。
ただ、砲弾は榴弾または、名ばかりの徹甲弾であり、装甲貫通力がほぼ皆無の九四式徹甲弾と、対戦車戦闘には不向きなものでした。後にM4中戦車クラスの装甲なら撃ち抜ける一式徹甲弾を装備するようになりましたが、もうその頃ともなると大東亜戦争も佳境を迎え、世界の主力戦車は軒並み75mm戦車砲が当たり前だったのですでに時代遅れとなってしまいました。
1930年代から1940年代の戦車の進化と言うのは、1年でクルマで言うところのハコスカGT-RがいきなりR32GT-Rにモデルチェンジしたようなものであるほど目覚ましいもので、対米戦での戦果だけが評価基準で雑魚戦車呼ばわりされるハ号ですが、そもそも1935年設計の戦車を1941年に持ち越している軍の上層部が無能過ぎただけなのです。もうその当時で言うなら、どノーマルのハコスカGTで、R35GT-Rに直線勝負を挑むようなものだったのです。
ハ号が輝いたのはノモンハン事件で、少数の
チハと共にスペック上ではハ号より明らかに上であるBT戦車やT26相手に戦術的勝利を得ています。そして火事場泥棒で攻めてきたクソ連相手の奮戦で、被害は大きかったものの、クソ連の本土上陸を阻止した功労者だったのです。アメリカ戦車には弱かったけど、クソ連戦車相手には戦術上では負けなかったのです。
現存する中で、オリジナルの状態を保ってるものは英国で復元されたもので、戦前タイに輸出されたものがエンジン換装されて今でも走れるようです。
現存車が元気よく走ってる動画を見つけてきました。
うーん、全然強そうには見えないが、可愛い。
トテトテトテ・・・・っていうエンジン音も可愛いですね。
何故兵器としてこの形にした?
しかもかなりきれいな状態です。
あと、この事実を知って親日国であるタイ王国が好きになりました。
さて、模型の方ですが、まぁ1日で出来ました。
前
車体色は迷彩ではなく、大日本帝国陸軍標準色のカーキを選択。
後ろ
この愛らしい後ろ姿よ
左
右
可愛くて鼻血が出そうですね。
可愛さ最強は、チハたんとハ号の2枚看板だと思ってます。八九式も捨てがたいですがね。と言うか、可愛さ最強上位は間違いなく日本戦車が独占でしょ。
こんなに可愛いのに、クソ連の侵略を蹴散らし、やられてもやられても、負けるとわかってても祖国のために立ち向かっていったのです。
そう思うと、エモいですよ。
私に言わせれば、T-34もティーガーもシャーマンも、スペックだけです。本当に最強なのはチハたんやハ号だと思ってます。だってそうでしょ、明らかに弱い相手や旧式をやっつけたところで、本当に強いと言えますか。後出しじゃんけんして勝つのは当たり前でしょうが。
この子たちがボコボコにやられながらも祖国を守ってくれたから、今の私たちがいます。もしこの子たちがいなかったら、今でも世界は覇権主義が蔓延り、アジア、アフリカ、南アメリカは欧米の植民地、日本は滅ぼされていたかも知れず、私たちは生まれてなかったかもしれません。そういう意味じゃ、中国も韓国も反日なんて論外、我らが皇国に千年感謝しても足りないはずですよ。
ハ号は巷で言われる雑魚戦車でも駄作でもなく、銃後の祖国のみんなを守るためにやられてもやられても戦い続けた、我らが英雄なのです!感謝こそすれ、この子をバカにしたり、否定する人は日本人を名乗る資格がありません。
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Posted at
2022/05/02 01:27:54