平成が終わる。
僕が生きてきて2回目の改元だ。
昭和天皇がなくなったときの記憶なんてテレビが全部ハイジャックされて
なんだか毎日天皇の話しかやらなくなってたなぁとかそんなくらいだった。
当時うちにはビデオデッキなんてなかったからなにやってたんだろ?
そして、今回もまた4/30日と5/1日はきっとテレビ東京以外、
テレビが改元のお話でハイジャックだ。
天皇が生きているうちに改元できるのはいいことだと思う、
あ、平成天皇のインテグラどうなるんだ!?
そんくらいしか思わない車バカにいつのまにか育ってしまった平成の31年
今日は僕が免許を取った平成に乗ってきた車を振り返って、
改元の令和になるこの平成最後のシメとしたいと思う。
まずはお家の車の話をしよう。
僕は昭和58年生まれだ。
物心ついたときにはおばあちゃんのちのお下がりのシビックがおいてあった。
基本的におばあちゃんが助産師をしていてお金があったらしく、
うちのファミリーカーはおばあちゃんのお下がりをもらっていた。
まあこれは昭和の話。
平成になったかならないかで晴海の東京モーターショーで親が吟味した、
トヨタのコロナが新車で入れ替えられた。
初の新車、オーディオの下の方にエアコンの風で冷やすクーラーBOXが
付いていたり、お正月に柴又の帝釈天にお参りに毎年行ってた時は
東北道に乗ると必ずキンコンキンコンうるさかった。
それこそ昭和末期から平成初期までは5ナンバー4ドアセダンなんてのは
フィットやヴィッツみたいにそこらじゅうのファミリーが乗っていたもんだ。
クラウンやBMWやベンツなんて今みたいに庶民が簡単にはもってなかった。
そう、団塊の世代は所得も大して変わらなかったから今みたいに
多様性の稼ぎ方があった時代じゃなかったんだね、だからみんなこれで
満足だった、これで遠出しても全然楽しかったんだ。
いつしか平成もこなれてきた1999年、10年以上乗ったコロナもそろそろヤレて
AE86の再来?とも言われたトヨタアルテッツァが新車で到着した。
時代は移り変わる、それでもやっぱり団塊の世代にはセダンだったんだ。
丁度いいサイズ、ちょうどいいエンジン、ちょうどいいパッケージングに
ちょっとスポーティになった形と色も相まってなんだか駐車場に馴染んだ。
正直、免許をとってからこの車がなくなる直前まで乗ったことがなかった。
親父がガンになって見舞いに行くんで何回か乗ることになったが、
とっても快適だった。
まぁ3Sのエンジンがどんくさかったけど、悪いクルマじゃなかった。
これくらいまでがよき昭和のセダンをひきずって設計されたマシンだったんじゃないだろうか。
2010年も過ぎると海外勢の新しいコンセプトの車が台頭したり、
多様性のマシンが増えすぎてこの種のクルマが少なくなった。
もう平成も中盤を過ぎ、時代も変わっていく・・・
そして、親がこれが最後の新車として購入したのがこのトヨタプリウス。
本来はアクアで緑色があればアクアを選んだらしいが、当時はいい色がなく、
結局総合的にプリウスになった。
正直ほんとにどうでもいいくらい僕には興味がなかった。
なんだか時代だなぁとしか思えない。
それゆえ一回も運転していない。
ファミリーカーの変貌は趣味とクルマの多様性から変化する。
激動の時代の昭和にはあまりいろいろな車種が登場せず、
この平成で本当にたくさんのタイプが出現した。
しかし昭和のファミリーにはやっぱりセダンなのだと、
令和のファミリーはどうなるのだろうか。
さて、ファミリーカーのお話はこのくらいにして、
ここからは僕の平成のクルマをこの3倍くらいの活字でご紹介したいと思う
ここまでが前書きだ。
平成14年に免許をとって最初に用意されたのはR33スカイラインのGT-Sで
ATのクルマだった。
兄貴が用意してくれたんだけど、なんだか免許を取ってる間になくなっていた。
それで免許を取って初めて所有したのがこのDB8?インテグラの4ドアSiRだった。
5ナンバー4人乗りの4ドアでそこそこイジってあってとってもいい個体だった。
この当時はこの手のちょうどいいMT国産マシンが市場に溢れていた。
とにかくちょうどよくかっこよく、今思うとほんとに素晴らしいマシンだ。
しかし免許取り立ての僕には強化クラッチが入っていたこのクルマが至極怖かった
そう、坂道発進だ。
坂道で一度後退してしまったトラウマからこのクルマが苦手になった。
今ならなんともなく乗りこなし、最高にちょうどいいスポーツカーだろうに
なんとももったいない。
TYPE-Rこそ名機と言われるDC2型だがSiRのこのマシンも上までまわって
至極楽しいクルマだったはずだ。
未熟とはもったいない、今だからこのクルマの良さがわかる。
日本に今必要なスポーツカーのサイズなんじゃないだろうか。
SUV全盛時代にそんなことを言っても女の子も目を丸くするような話だ。
インテグラの運転がへたくそでクルマに恐怖を感じてしまった僕は
大学の通学途中にいつも見かけた青いAZ-1がかっこいいと話した。
当時解体屋に務めていた兄貴にAZ-1にしてくれと話した後に現れたのが
この真っ赤なビートだった。
初めてみたときはなんだこれ?という反応であまり乗り気ではなかった。
でも、運転してみるととにかくMTの操作が簡単で楽しく、
すぐに兄貴に「すげぇビートたのしいよ!」と電話したことを覚えている。
そして、ビートに乗り換えてから1年後くらいにうちに来たのがCR-Xデルソルだった。
兄貴が転職した先の仕事の同僚の妹さんが廃車にするからどう?と持ち掛けられた
らしく、1万円でいいよとのことで、大学生の僕はなんと2台持ちになった。
走行距離は4万キロちょいのCR-Xデルソルの最終年型。
さらにマニュアルトップという有名な電動ではない機構、そしてATだった。
グレードはVGiというSOHCの1.6リッターエンジン。
これは後期型になり、なぜか1.5リッターだったはずのエンジンを1.6にした
モデルで廉価版にありがちなSOHCドンガメエンジン、とにかく遅かった。
しかし、これを手にしてから僕のクルマに対する価値観が変わってしまった。
当時こそ中古で安く出ていたレア車のデルソル、市場からは嫌われていたが
この後期型の最終型はデルソル全体の1%しか売れていなくさらにMTトップ、
このクルマに乗ったおかげで人生が人と違うクルマを選ぶというおかしな方向に
舵をとられてしまったのである。
途中、2台持ちではビートを乗らなくなってしまうとビートを手放し、
社会人になってからはデルソル1台になった。
たくさんの出会いや楽しみを知り、そして意外と広くて快適で
とにかくデルソルは楽しく乗った。
若かったこともあり改造もたくさんした。
自分でクルマをイジることを覚えたのもこのクルマだった。
海を渡り四国という地で僕を育ててくれたのもこのクルマであった。
平成の珍車という部類に入ってしまうCR-Xデルソルだったが、
S2000の開発ベースにも使われ、今のS660のリアウィンドウにも採用
されている電動リアウィンドウなど、斬新な機構もあって本当にいいクルマだった。
デルソルには本当に感謝だ、人生を作ってくれたクルマ、出会えてよかった。
そして、一番長く6年半付き合ったインテグラTYPE-S。
デルソルを出張明けに後ろをぶつけてしまった僕は買い替えを決意。
愛媛から東京へ買いに行き、即決。
MTのインテグラを買った。
ボディサイズは3ナンバーになり、その大きさにビビって運転したものだった。
自分のものにするには時間がかかったが、とにかく運転はしやすかった。
後期型の足回りはとてもしなやかでホンダのクルマに慣れている人にとっては
ベストなセッティング、TYPE-Rのようにエンジンが使いきれないこともなく、
それでいて大容量のラゲッジルームに4名定員のスポーツクーペ。
これはこの時代にベストなクルマなのだと思った。
ちょっとでかいけどしデザインが若干ぼてっとはしてはいるが・・・
愛媛でたくさんの仲間も作ってくれた。
とにかくいろいろな街へ出かけたマシンだった。
オールマイティに使える最後のスポーツクーペだったのかもしれない。
今のシビックはデカすぎる、タイヤのサイズとか幅とか。
でもシビックハッチバックはいいと思う。
たくさんの思い出を作ってくれたマシンは11万キロを超えていた。
仕事をなくした僕には手を持て余す存在にもなっていた。
でも、手ばなす後悔はなかった。
それが人生の転機というものだ。
それからしばらくクルマを所有しない期間があった。
兄貴がどこからか安く引き揚げてきたビートを仕事用に乗ることになった。
そう、今の2代目ビートがこの玉だ。
元々廃車される予定であったものをそれこそ40~50万かけて仕上げたクルマだ。
だから新しい命が吹き込まれてから今まで5年、延命したことになる。
5年間でそれこそ維持費は総額100万近くは掛かっているだろう。
とにかく楽しいエンジンのクルマ、使いきれて走れる。
これこそ平成の一番の名車ではないだろうか、
これを超える軽自動車は後にも先にも発売されないだろう。
本田宗一郎が最後に見送ったクルマ、小さなNSX、僕の中のベストオブ平成カー
そして、最後にやってきたのはホンダではなくロータス。
僕はスーパーカーが好きだ。
性能や値段ではない、デザインとメーカーの歴史とロマンだ。
日本には根付いていない、理解されることが難しい感覚。
いや、それ以前にかっこいいのだ、それこそが正義である。
ロータス・ヨーロッパSはそれこそ不人気車だった。
クルマは2リッターターボ、1トンを切る車重にコンパクトなボディ。
急増された苦肉の策のクルマではあったが、それゆえに個体数が少ない。
僕はスーパーカーを買う、その決意を実現させることができたクルマだった。
定価700万円程度のものがスーパーカーとは言えないが、
そこは甘く見て頂いて、有言実行することができた。
やりきること、実行すること、それができること、教えてもらったクルマ。
平成の31年間でいろいろあった、いろいろ乗った。
平成の半分しかクルマの免許をとってからカーライフを送っていない
若造ではあるが、クルマにはやはり所有する人それぞれに思い出がある。
さて、皆さんにはどんな平成31年間のクルマとの思い出があるのでしょうか。
僕のカーライフも令和になりまた変わっていくことでしょう。
変わらずに乗り続けることも変わっていくこともどちらもあっていい。
そう思う。
平成から令和へ新しい時代にどんなクルマに乗ることになるのやら
とりあえずありがとう平成のクルマ、さようなら平成