たまには本の話でも書いてみるかと過去のブログを検索してみたら、過去の私がちゃんと「読書」のカテゴリを作っていて8本もブログを書いていたことをすっかり忘れていました。
その過去のブログでも書いていたのかも知れませんが、私の読書はもっぱら通勤電車とバスの中。それ以外では本は読みません。要するに暇つぶしなんですね。ところが最近は本に強敵が現れまして・・・・そうスマホ。それはもう簡単に暇つぶしに付き合ってくれますからね。スマホの本来の用途はコミュニケーションなどではなくて暇つぶしでしょう。なかなかこれに勝てる本はないんですが、最近、連続して面白い本に出合えたのでご紹介させていただきます。
まずは
井上章一の「
京都ぎらい」
”新書大賞第一位”の文字が踊っていますね。井上章一は京都大学建築学科を卒業し、現在は国際日本文化研究センターの副所長。この人の守備範囲は建築に留まらないんですが、もちろん建築関係の本も多いです。最初に呼んだのは「
作られた桂離宮神話」か「
霊柩車の誕生」だったか? 「作られた桂離宮神話」は内容を忘れてしまったので最近買いなおしました。まだ読んでません。
「霊柩車の誕生」は日本に霊柩車が導入されたいきさつが説明されていますが、それは何と葬儀を簡素化するためだったんですよ。因みに日本で最初に霊柩車を導入したのは名古屋の一柳葬祭か横浜の葬儀社なんだそうです。
そう言えば、名古屋でデザイン博が開かれた年かその前年に講演会で、一度だけこの人の講演を聞いたことがありますが、面白いオッサンでした。
しかし、何といってもこの人を一躍有名にしたのは「
美人論」でしょうね。明治時代の道徳の教科書には堂々と美人は性格が悪いみたいなことが書いてあったそうです。そうした美人に関する歴史をつぶさに調べ上げて書かれた本で、未読の方には強くお勧めします。昔の女学校で言われた「卒業面(そつぎょうづら)」ってどんな意味か分かりますか?
また、最近は風俗関係の著作も多く、遊郭やラブホの変遷を詳しく調べて、まとめた「
愛の空間」なんて本もあります。リンク先のアマゾンの一文を引用しておくと「終戦直後には「皇居前広場」という言葉が性交を連想させるほどに、かつては野外性交が一般的だった。しかし、待合、ソバ屋、円宿、ラブホテルなどの施設がうまれ、人々はもっぱら屋内で愛し合うようになる。それらの性愛空間は日本独特の意匠をこしらえ、ついにはディズニーランド風の建築に発展するのだった…。日本人の男女が愛し合う場所の移り変わりを探る、性愛空間の建築史。 」
いいですか、玉音放送を聞いて国民が泣きながらひれ伏したという皇居前広場が、終戦直後には広く知られたアオカンの場だった歴史があると・・・。もう読まずにはいられないでしょ。あ、総鏡張りの部屋が日本で最初に登場したのは岐阜の遊郭の可能性があるってことも書いてあります。岐阜も捨てたもんじゃない。
ふう、やっと本題の「京都嫌い」。井上は嵯峨で生まれ、結婚してからは宇治に住んでるそうです。はたから見ると生粋の京都人ですよね。ところが京都に住んでるとそうは行かない。実は京都の中にはそれはそれは陰湿なランク付けと選民思想を持つ人々がいるってことを明るみに出した本です。そう、井上のような育ちのものは京都人扱いされないのが京都。京都人を名乗ることさえ咎められるダークシティー。新書大賞を取るだけの面白さはあります。
2冊目は
福田まさみ著「
モンスターマザー」
実話のルポルタージュです。この著者の本を読むのは初めてでしたが、ちょっと読み難さを感じました。
丸子実業実業(当時)のバレーボール部に所属する不登校気味の高校生が自殺した。部内のいじめを疑った母親が学校を追求し、人権派弁護士もそれを支援する。学校はそれを否定する・・・・。こうなると世間はどうしても典型的な学校によるいじめの隠蔽と思いがちですよね。実際、初期の報道はその方向でのものばかりだったようです。ところがこの事件では、訴えられた教師たちが逆に母親を提訴し勝利する。そしてその意外な結末はほとんど報道されない。
タイトルが全てを語り過ぎてます。もう少し捻った構成にして、読者を謎解きの興味で引っ張ればいいのに思うのは間違いなのかな? 何せ事実ですから、いじり過ぎはよくないのかも知れません。
報道をありがちで分かりやすい枠に落とし込んで考えることの危険を教えられます。
3冊目は
遥洋子著「
私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ」
遥洋子ってご存知ですか? 顔を見れば「ああ」と思う人も多いかも。関西を中心に活動しているタレントさんです。芸人ではありません。
私には啓蒙され好きな傾向がありまして、未知の価値観から眺めた世間に新鮮さを感じます。そんな意味から日本のジェンダーフリーの旗手とも言える
上野千鶴子の本を何冊か読んでいました。そこから派生して読みだしたのがこの遥洋子。なにせ遥には「
東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」なんて著作がありますから。他にも「
介護と恋愛」なんて本も面白かった。
そうそう、彼女のコラム「
遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」」で最近東海ラジオで生放送中に起こったあの事件について言及しています。(購読には登録が必要かも知れません)
で、この本ですが、遥洋子がストーキングされる?って思われる方も多いでしょうね。そう美人と言うわけでもないし・・・。ところがこれまで壮絶なストーキング体験をしてきたようです。最初のストーカーは、まだストーカーという言葉が一般化する前。その筋の方とおぼしき男が両親のいる実家に上がり込んで彼女の帰宅を待ってるって・・・・。別のストーカーのときにはボディーガードまで付けていたのに役に立たず、彼女がカーチェイスの末にその男を捕まえるとか・・・。
普通は警察を頼りますよね。もちろん彼女もそうしました。でも基本的に警察は何かあってからしか動いてくれません。彼女を救ったのは、本当に親身になって警察以上のことをしてくれた刑事さんと、逃げること。そのためには何度も引っ越しをして、親しい知人とも連絡を絶つなどして身を守ったそうです。
最後はちょいと硬めの物理学の本。
青木薫著「
宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論」
人間原理ってことばをお聞きになったことがありますか?
人間が自分は止まっていて天が自分の周りを回っていると考えるのは自然でしょう。それが観察や研究によって実はその逆で、自分たちが太陽の周りを回っているってことが分かってくる。ご存知のようにそこで宗教と科学の対立が起こったわけですが。天動説から地動説へのパラダイムシフトが起きたとき、神が創造したはずの大地は宇宙の中の一辺境に成り下がってしまったわけですね。
ところが、最近の物理学は、この宇宙を観測してる人間って何なの?ってことで悩んでるようです。もし宇宙の種々の条件が少しでも変われば人は存在できない。やっぱり人間て特別なんじゃね? 人間あっての宇宙なんじゃね?って話です。つまり一周回って天動説。それが大雑把な人間原理。
人間原理にもいろいろあって、本当に神を持ち出す人もいるようですが、やはりそれは広くは受け入れられない。
多元宇宙なんだそうですよ。最新の研究では低く見積もっても10の500乗の数の宇宙が存在するそうです。それだけの数の宇宙があるなら、その一つにたまたま宇宙を観測できる知的生命体が存在するのも有り得るってことのようです。
その内に科学が進めば隣の宇宙からの重力の影響を測定できるかもしれないそうです。
たまにはこんな浮世離れした本もいいかも。難解で読破に時間がかかりましたが。
出てくる本のすべてにアマゾンのリンクを張っておりますが、アマゾンからは一銭ももらっていません。
Posted at 2016/07/09 10:46:53 | |
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