60年以上の歴史を持つ日産の代表的モデル スカイラインの歴史

2019年1月22日

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誰もが聞いたことがある日産の代表的車種である「スカイライン」は1957年に誕生し、60年以上の歴史を誇るロングセラーモデルです。また、製造元が変わり3社を渡り歩いたにも関わらず、その車名が使われ続けたという珍しいモデルでもあります。

スバルと同じ中島飛行機系でスタートしたスカイライン

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スカイラインは富士精密工業という会社で1957年に産声を上げます。富士精密工業はスバルと同じく中島飛行機系の会社です。富士精密工業はその後プリンス自動車工業と名前を変えます。スカイラインという名前は開発担当者である桜井眞一郎氏が山の稜線からインスピレーションを得て名付けたと言われています。

初代は1957年から1963年の製造です。前述のようにプリンス自動車製となったのが1961年からとなります。初代のエンジンは1.5リットルでスタート、のちに1.9リットルが追加されています。シリーズ途中ではイタリアの名カロッツェリアであるミケロッティが手がけたクーペ&オープンのスカイラインスポーツが追加されます。

2代目は1963年に登場します。当初1.5リットル4気筒でスタートしますが、1964年の第2回日本グランプリへの対応のため、2リットル6気筒版を設定。フロント部分を200mm延長して搭載します。2リットルモデルは後にウェーバーツインチョークキャブを3連装するスカイライン2000GTに発展します。1966年にはプリンス自動車が日産に吸収合併され、車名も日産スカイラインとなります。

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一時代を築く3代目と4代目

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1986年に登場し「ハコスカ」のニックネームで呼ばれた3代目スカイラインと、1972年登場の「ケンメリ」、「ヨンメリ」のニックネームで呼ばれた4代目スカイラインにはS20型エンジンを搭載したGT-Rが存在します。これらが初代、2代目のGT-Rです。S20型エンジンはプリンス自動車が開発したレース用エンジンのGR8型をデチューンしたもので、ソレックスツインチョークを3連装し、当時としてはずば抜けたハイパワーである160馬力を実現していました。4代目スカイラインの発売直後には排ガス規制や石油ショックが影響し、ケンメリGT-Rはわずか197台の生産にとどまります。ハイパワーエンジンではないモデルはOHCの2リッター6気筒であるL20エンジンを搭載するモデルがベーシックで、そのほかに4気筒モデルも存在していました。

1977年の5代目「ジャパン」、1981年の6代目「ニューマン」はL型6気筒をメインとした構成で展開されます。5代目「ジャパン」にはスカイライン史上初となるターボが設定されます。また6代目にはそれまでS20エンジン以外には設定されなかったDOHCエンジンが用意されます。ただ、このDOHCエンジンは4気筒であったためGT-Rの名前は復活しなかったと言われています。RSというグレード名を付けられた4気筒DOHC車は後期型ではターボが追加されRSターボとなります。

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1985年の7代目「セブンス」ではついに直列6気筒DOHCが復活します。直列6気筒DOHCにターボをプラスしたモデルも登場しますが、GT-Rは復活しません。この時代も直列4気筒モデルが存在しています。当時レース規定に則したホモロゲーションモデルとして、GTS-Rが800台限定で設定されます。

GT-Rの復活 そして分離

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1989年に登場、「超感覚」のニックネームが付いた8代目のR32ですが、もはやニックネームで呼ぶことはほとんどなく、多くの人がR32と呼びます。R32では直列6気筒2.6リットルツインターボ(RB26DETT)+4WDの採用でついにGT-Rが復活します。このRB26DETTを積んだGT-Rは1993年登場の9代目(R33)、1998年登場の10代目(R34)まで製造されます。R32は直列4気筒が設定されましたが、R33とR34は全車が直列6気筒となりました。

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2001年、11代目のスカイラインであるV35が登場します。GT-Rは設定されず、全車がV6エンジンとなります。12代目は2006年の登場でやはり全車V6です。2007年にはスカイライン系から分離され独立した日産GT-Rが登場します。現行モデルは2014年に登場した13代目のV37となります。


(諸星陽一)

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