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2014年02月28日

Empire of the Sun 12 「太陽の帝国」 兵に告ぐ 二・二六事件

Empire of the Sun 12 「太陽の帝国」 兵に告ぐ 二・二六事件 その日、東京は今年と同じような、30年ぶりに大雪が降り、帝都の街並は白く、静けさに包まれていた。

昭和11年 1936年2月26日未明
陸軍皇道派の影響を受けて「昭和維新」と称し尊皇討奸を掲げて決起した、野中四郎大尉、安藤輝三大尉、栗原安秀中尉、磯部浅一主計らの青年将校が、近衛歩兵第三連隊、歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、野戦重砲兵第七連隊から1,483名の兵を率いて計画していた各目標に向かう。

深夜、深々と降り続く雪の中を黙々と行軍する姿は何も知らない都民には演習か討ち入る四十七士のようにも見えただろうか。

先頭に立つ青年将校の胸中は、追従する下士官兵達は何を思い暗路を進んだのか。

重機関銃で武装した決起部隊は分散し未明に首相官邸他 重臣私邸など7箇所を襲撃した。

岡田啓介 首相、牧野伸顕 前内大臣、後藤文夫 内務大臣は難を免れたが、鈴木貫太郎 侍従長は重傷を負い、高橋是清 大蔵大臣、齋藤實 内大臣、渡邊錠太郎 教育総監、松尾伝蔵 総理秘書官(予備役陸軍大佐)が殺害され、また官邸や私邸警備の警察官5名が殉職した。

その後、決起部隊は警視庁を制圧、朝日新聞社を襲撃し、陸軍省、陸軍大臣官邸、参謀本部など、政治の中枢である永田町・三宅坂一帯を占拠する。

早朝、青年将校らは陸相官邸で川島義之 陸軍大臣に会見「決起趣意書」と「要望事項」を読み上げ決起部隊の配備状況を図上説明した。

「決起趣意書」を要約すれば、私利私欲に走る不逞の輩が民衆を搾取して苦境に追い遣り、元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党などが加担して国体破壊を招いており、五・一五事件の反省もなく、天皇陛下を軽んじ統帥権を干犯している奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に臣民として、天皇陛下に心身を尽くす。 と言う事が書かれている。

「要望事項」は対外的に勇断を要し、皇軍相撃つを回避、全憲兵の統制、警備・近衛・第一師団への厳命、天皇陛下に奏上し御裁断を速やかに仰ぐ、陸軍の任命・罷免人事、同志将校を東京に招致、同志部隊の現姿勢維持、侍従武官長 本庄繁大将、軍事参議官 荒木貞夫大将、真崎甚三郎大将、軍事調査部長 山下奉文少将 他、皇道派 要職高級将官を陸相官邸に招致するなどであった。


参謀本部作戦課長 石原莞爾が陸軍省に到着、青年将校達に「何が維新だ、何も知らぬ兵達を巻き込むな、やりたければ自分達だけでやれ」「こんなことは直ちに止めろ、軍旗をもって討伐するぞ」の一喝と剣幕に青年将校達はたじろいだという。

決起将校らに面会した真崎甚三郎大将ら軍事参議官によって宮中で非公式会議が開かれ、陸軍は穏便に事態を収拾させることを目論み、26日午後に川島陸相名で下記の回答が告示された。

一、決起の趣旨に就ては天聴に達せられあり

二、諸子の真意は国体顕現の至情に基くものと認む

三、国体の真姿顕現の現況(弊風をも含む)に就ては恐懼に堪えず

四、各軍事参議官も一致して右の趣旨により邁進することを申合せたり

五、之以外は一つに大御心に俟つ


また以下の戦時警備に基づく第一師団命令が下る。

一、敵と見ず友軍となし、ともに警戒に任じ軍相互の衝突を絶対に避くること

二、軍事参議官は積極的に部隊を説得し一丸となりて活発なる経綸を為す。

閣議も其趣旨に従い善処せらる。

上記の告示と命令は一時的に決起を認めたものととられ、決起部隊には次々と人が激励に集まり、民衆の差入れや原隊から糧食などが運び込まれた。



戒厳令

20時40分 後藤文夫内務大臣が臨時首相代理に指名され戒厳令施行が閣議決定される。

海軍省は襲撃された岡田首相、鈴木侍従長、斎藤内大臣が何れも海軍大将であり海軍軍政の重鎮であった為、事件発生直後より海軍省の警備体制を臨戦態勢に移行させ、午後には横須賀鎮守府(米内光政司令長官、井上成美参謀長)が在泊艦艇から海軍陸戦隊を芝浦に上陸させ決起部隊に対して徹底抗戦を発令し東京に急派する。

また第一艦隊を東京湾に急行させ、27日午後には戦艦「長門」以下各艦艇の砲を陸上の反乱軍に向けさせた。


翌27日 午前3時、九段の軍人会館に戒厳司令部が設立され、東京警備司令官の香椎浩平中将が戒厳司令官、石原莞爾大佐が戒厳参謀に任命され、戒厳部隊は帝国ホテル裏の空地に陣を張る。

首相官邸をはじめ警視庁、陸軍省、参謀本部、東京朝日新聞などを占拠した反乱軍は、山王ホテルと料亭「幸楽」を決起部隊本部宿舎とした。


陸軍内には、決起部隊に同調、同情する者達が多くおり、真崎大将らは新内閣を組織し昭和維新の大詔渙発などの上申に奔走、本庄繁侍従武官長は決起将校の精神だけでも何とか認めていただこうと天皇陛下に奏上する。

この夜、石原莞爾は青年将校を呼び「真崎の言うことを聞くな、もう幕引きにしろ、我々が昭和維新をしてやる」と言い放った。



奉勅命令

28日の早朝 午前05時「戒厳司令官は三宅坂付近を占拠しある将校以下を以て速に現姿勢を徹し各所属部隊の隷下に復帰せしむべし」の奉勅命令が戒厳司令官に下達される。

皇道派の香椎戒厳司令官も決起に同情的であり、奉勅命令の実施を延ばし説得による解決を目指して決起部隊との折衝を続けていた。

午後23時、遂に決起部隊を「反乱部隊」と定義し「断乎、武力を以て当面の治安を回復せんとす」の武力行使による鎮圧命令が下った。


29日未明、説得に当った第三連隊付 天野武輔少佐が説得失敗の責任をとり拳銃自殺する。


午前5時10分に討伐命令、午前8時30分には攻撃開始命令が下され、戒厳司令部は近隣住民を避難させ、反乱部隊の襲撃に備え、NHK東京中央放送局を憲兵隊で固めた。


午前8時55分より戒厳司令部は決起部隊に対し以下の勧告をラジオで呼び掛け、戒厳司令部付の根本博大佐(終戦時にソ連軍満州侵攻から居留民4万人を護り抜いた駐蒙軍司令官)は反乱軍の占拠地帯に向かって拡声器で流させた。



兵に告ぐ

敕命が發せられたのである。

既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。

お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服従をして誠心誠意活動して来たのであろうが既に天皇陛下の御命令に拠って、お前達は皆、原隊に復帰せよと仰せられたのである。

此上、お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは敕命に反抗する事となり逆賊とならなければならない。

正しい事をしていると信じていたのに、それが間違って居ったと知ったならば徒らに今迄の行き懸りや義理上から何時までも反抗的態度をとって天皇陛下に叛き奉り逆賊としての汚名を永久に受ける樣な事があってはならない。

今からでも決して遲くはないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰する樣にせよ。

そうしたら今迄の罪も許されるのである。

お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを心から祈っているのである。

速かに現在の位置を棄てゝ帰って来い。


戒厳司令官 帝國陸軍中将 香椎浩平



投降を呼掛けると同時に以下のビラも航空機により反乱部隊の占拠地域上空から散布した。


下士官兵ニ告グ

一、今カラデモ遲クナイカラ原隊ニ帰レ

二、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル

三、オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ
    
   
二月二十九日   戒嚴司令部




堀丈夫 第一師団長を始めとする連隊の上官達が涙を流して説得に当たり、反乱部隊の下士官兵は午後14時までに原隊に復帰する。



決起した野中大尉は拳銃自決、安藤大尉は自決に失敗し、残る将校は午後17時に自決。

雪中4日間、青年将校達の「昭和維新」は終焉を迎え、帝都は平穏な静けさを取り戻した。


牧野伸顕伯爵の襲撃に失敗し負傷して病院に収容されていた河野寿 航空兵大尉は自殺。

逮捕された反乱部隊将校は特設軍法会議により安藤大尉、栗原中尉を含む16名が反乱罪で死刑となる。



昭和7年 1932年に満州国が建国され、決起した青年将校らが所属する歩兵第一、第三連隊の第一師団は満州への派遣が内定していたが、内地では依然、世界的な大恐慌から長く続く深刻な不況とインフレ、失業、自殺増加、農村部は凶作に喘いぎ疲弊していた。

貧困の為に仕方なく身売りする姉妹、餓える兄弟を持つ下士官兵達も多く、国状を憂う若手将校達に国家社会主義を唱える北一輝や皇道派の将官達が接近している。

事件発生直後、真崎大将を始めとする陸軍の皇道派は組閣を提言し、新内閣成立を画策しており、皇道派の将官らも北一輝らと間接的に決起に関与していた可能性は高い。

事件の結果、陸海軍大臣の現役武官制が復活、皇道派を締め出した統制派軍部が統帥権を楯に大善を騙り軍政を敷くようになり、外地統治政策と戦時の大本営設置はこの流れを助長させた。


結局、二・二六事件は統制派を助ける、カウンタークーデターになってしまったのではなかろうか。


当時、東京陸軍幼年学校の校長であった阿南惟幾大将(終戦時陸軍大臣)は事件直後に全校生徒を集め、「農民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は先ず軍服を脱ぎ、然る後に行え。」と極めて厳しい口調で語っているが、自分も同感である。


「君臨すれども、統治せず。」

事件発生と反乱部隊討伐発言に責を感じられた陛下は国政に一層口を閉ざす様になられた。

戦中の御前会議は大本営案を追認されるだけの形式的なものになり、陛下が以降、統治統帥権を直接行使されたのは1945年8月10日の終戦決定の御聖断だけである。

終戦決定の御前会議に於いて陛下の大御心を聞くまでポツダム宣言の受諾と降伏に反対したのは国体護持、つまり陛下の地位保証を求めた阿南惟幾陸相と本土決戦を主張する陸軍であった。

その終戦前日の8月14日、ポツダム宣言受諾と終戦決定を受入れず徹底抗戦を主張する陸軍の若手参謀らが、近衛第一師団司令部に於いて師団長の森赳中将と第二総軍参謀 白石通教中佐を殺害し、偽の師団長命令書を作成、警備の近衛歩兵第二連隊に宮城を占拠させ、玉音放送を阻止する為にNHK放送会館に近衛歩兵第一連隊を派遣した宮城事件を起こす。

しかし阿南惟幾陸相と東部軍管区司令官 田中静壱大将は決起に同意せず、クーデターは失敗に終わる。

この宮城事件の朝にも陛下は「自らが兵の前に出向いて諭そう」と述べられておられる。

唯々国体護持、皇室存続を切に願い部下達に軽挙妄動を戒めていた阿南陸相はクーデターと敗戦の責任をとり終戦の日に陸相官邸で自刃した。


二・二六事件では五・一五事件も教訓となされず、陸軍部内は分裂して政府の事態収拾と内外への対応も遅れ、奉勅命令が出されるまで意思決定ができず鎮静行動は消極的であった。

この様な纏りのない体制下で米英中に対し戦略もなく戦端を開くのは大きな間違いである。

近衛内閣と世論に押され大陸で戦線を拡大し、泥沼に嵌った陸軍は蒋介石との和平交渉も潰され、ドイツのフランス占領を期に悩みの種であった援蒋ルートを断つ為に仏印へ進駐する。




大戦後もウクライナやシリア、南米やアジア、世界各地で武力による政変は起こっている。

何処の国でも民衆は餓えれば蜂起し、共産主義者や反体制思想に利用され、宗教・民族の対立、権力の為に国を変えようとする。

残念ながら民主主義は完全ではなく、アラブには日本のような桜咲く春は来ない。

強い陽射しが照り付ける灼熱の砂漠には春秋はなく故にイスラムは月星を崇拝する。

「アラブの春」がより中東を不安定にする要素となる。


今回のウクライナをはじめ外国の政変には殆どの場合、第三国が関与または支援している。

過去、ロシア革命から東西冷戦中のベトナムやニカラグアから現在に至るまで大少の差はあるが、第三国の諜報機関が動き、新政権樹立に経済や軍事援助の約束をする。

革命や動乱を単に民主化や正義だけの外側だけを見て判断してはいけない。

既に民主主義国家であるウクライナの政変デモにも欧米の思惑や外国資本が関与している。

文民政治が乱れる度に回教国でありながら政教分離と世俗自由主義を守護したトルコ共和国軍や仏教国タイに於いて十数回も繰返されて来た国王に忠誠を誓う国軍に拠るクーデターはこの限りではないが、高齢になられた国王の影響力も弱まりつつある。

またフィリピンのコラソン・アキノ政権下、政治家と軍上層部への不満から決起した国軍クーデターは鎮圧部隊と民間人に死傷者を出しながらも、首謀者であるグレゴリオ・ホナサン大佐は降格され後に上院議員になり、また反乱軍の下士官と兵士達は腕立伏せ30回の軽罰で許された。

これはホナサン大佐が率いた国軍の青年将校達がマルコス政権打倒の立役者でもあり、フィリピン各地で誘拐やテロを繰返す反政府共産主義武装勢力への掃討作戦が継続され国民からの人気と信頼を得ていたからである。




嘗て平和な日本でも明治維新や二・二六事件などの武力に拠る軍事クーデターが起こった。

明治維新は西洋列強の日本に開国を迫る干渉関与と支援があった。

しかし明治以降、他国の様な民族が分裂する武装蜂起や武力革命は日本では起きない。

時の政権政府を打倒転覆し天皇陛下を退位させて国体を破壊するような革命にはならない。

それは「大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す。」と帝國憲法条文に書かれていたからではなく日本国民自身が天皇陛下と祖国の歴史文化に敬意と誇りを持ち、国体とは天皇を中心とした秩序、纏りを意味すると考えていたからである。

古来より日本では皇位を継承し歴史伝統を守りながら文化を発展させてきた。

隣国のように権力争いで朝廷が何度も入替わり、新王朝が正統化の為に旧王朝の全てを破壊して歴史伝統を焼き尽くし時を逆行するような愚かな事はしない。



「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言う悪い例えによく使われる諺がある。

日本に於いては天皇陛下及び朝廷に属する正規軍を官軍、皇軍と呼び「天皇陛下の軍隊である」という意識は全軍士気にも大きく影響した。

官軍に敵対し、刃向うは賊軍と呼ばれ、官軍の象徴が錦の御旗であり、帝國陸海軍では大元帥たる天皇陛下から直接親授される軍旗、艦隊・連隊旗は極めて神聖なものであった。

この為、二・二六の決起部隊も賊軍と呼ばれる事を恐れ、戒厳司令部も反乱軍や賊軍扱いする事に戸惑い、沈静や復帰の語句を使い討伐や投降と言う言葉を避けていた。

また戦時警備令に基づき反乱部隊を第一師団 歩兵第三連隊連隊長の指揮下に置き、皇軍相撃つを回避し、軍旗の下に復帰せよと説得している。

二・二六事件は日本だけに見られる特異な軍事クーデターであった。




国と農民の苦境を憂い、政治の腐敗を憎む青年将校の純粋な気持ちと志は良く解かる。

しかし将校士官個人が起した五・一五事件とは違い、許可なく皇軍部隊兵士を動かし武器を使用し多勢で夜中に押入り9名も殺害した事は赦されるものではない。

彼らは全ての元凶が政治の腐敗にあり、政治家を殺害すれば昭和維新が成功すると思い込んでいたのであろうか。

世界恐慌と経済、陛下の御心、宮中の意見、統制派、海軍の動きを考えなかったのか。


陛下を御立腹させた侍従からの第一報の時点で賊軍となりクーデターは失敗している。

五・一五の犬養毅首相に続き、軍人に拠る2度目の重臣暗殺、治安の乱れ、陸軍の動きに陛下は「陸軍が躊躇するなら、私自身が直接近衛師団を率いて反乱部隊の鎮圧に当たる」と仰せられた。




たとえ逆賊、反乱と見なされなくとも重臣を殺した後の政治は誰にどう任せるつもりだったのか。

俺達が引き金を引き、邪魔者は斬ってやったから後は御願いします。

これでは維新と呼ぶには程遠い、人斬り集団に依る押入り強盗、暗殺テロだ。

仮に内閣閣僚が刷新され政治腐敗を一掃、産業や農制の改革が断行されても日本だけが世界的な大恐慌から脱出できるとは思えない。


戦後、GHQは強制的に財閥を解体、農地改革をやるが、天皇陛下を中心とした秩序である国体が護持される。

これは専制君主ではない天皇と国民の間に民族伝統的な信頼関係があり、日本国民の反感動揺を抑え、混乱なく安定した占領統治を進める為には皇室存続が必要である。と、降伏せず最後の一兵まで戦う皇軍との戦闘で苦戦した米軍上層部・GHQが理解していたからであった。


また決起部隊は治安を守る任務に就く警備の警官達を殉職させたが、僚軍である鎮圧部隊と何処まで戦う意思があったのであろうか。

殺害した人達と遺族への責任、鎮圧部隊の死傷者、何も知らず命令に従い逆賊にされ処分される下士官や兵達への責任をどう考えていたのか。

二・二六の小説や映画は青年将校の純粋な志の部分だけを取り軽挙妄動を美化し過ぎる。



自分は特攻や肉弾突撃を正しい戦法戦術とは思わず、玉砕や自決も美化したくない。

だが国家の体制を揺るがした青年将校達の責任の取り方は帝國軍人、武人として如何なものか。

復讐の仇討とは言え全員が腹を切った赤穂浪士とは違い、皇軍兵士を私的思想から動かしながら責任をとり、自決した将校は僅か3名のみであった。


彼らは自分達が逆賊になる事を考え恐れたが、失敗した後の影響は考えなかったのか。

陸軍内の過保護なクーデター、無計画、無責任な反乱であったと言わざるを得ない。

真面目な彼らは皇道派の将官や思想家に乗せられ駒として利用され梯子を外されたのか。 

誰の支援も無しに彼らが独断でやったとは思えない、誰に頼り、誰に操られていたのか。

天皇機関説を排除し天皇制を批判する国家社会主義に感化され軍紀に背く皇道派とは何だ。



この後、満州事変 上海事変 が起こり、太陽の帝國 は二度目の世界大戦に向かうことになる。


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この記事へのコメント

2014年3月1日 3:27
徳川慶喜も賊軍になるのを恐れました。
日本人のDNAにある天皇陛下崇拝は、欧米には理解できません。

二・二六事件は真崎がどこまで関与していたか分かりませんが、真崎が再び表舞台に出れば石原との確執はさらにひどくなり、陸軍も足の引っ張り合いからさらには海軍との軋轢で戦略を立てるのは難しかっただろうと考えていた時があります。

また、現在の左翼は自衛隊を軍にすれば、文民統制が効かず、二・二六事件の様な事件が再来すると心配しているようですね。

戦争は大将がアホでは兵士がムダに死にます。
この後の大東亜戦争も士官学校出の一部の臆病なエリートのために、戦略にならない戦略で兵士はむざむざとたった一つの命を国に捧げた。。。

関東軍もそう。特攻を命じた上官は後追いしたのか。。

それでも日本軍は勇敢に戦った。。
その勇気ある行動のおかげで、私たちの現在があることを忘れないようにします。

コメの内容が多少それてすみません。
コメントへの返答
2015年4月26日 1:02
こんにちは、古来、日本では豪族、武将は勢力争いに朝廷を味方にします。
即ち神を味方に付ける戦いを第一としました。

三月事件もあり、統制派も皇道派もクーデターを考え、問題はどちらが主導し権力を握るかだったのではないでしょうか。
真崎大将ら皇道派は事件前より青年将校達と意見交換をしていました。
アクセルを踏みながらもブレーキを引く。
青年将校達を焚付けて決起時期を計っていたところ
ブレーキが外れ暴走したと。
派閥争いをアホらしく感じていた石原莞爾は皇道派の真崎・荒木大将をバカ大将と呼び、右翼の陸軍への出入を排除を主張し、統制派 東條英機を無能な上等兵と罵倒しました。
海軍も大将を3人も襲われて、はいそうですか。と収まらなかったでしょう。

>二・二六事件の様な事件が再来すると・・
前回のブログ「国防軍を創設せよ」にも書きましたが
文民統制を理解してない人が多過ぎます。
決起部隊が紅旗を揚げれば声援を送るのが左翼。
二・二六では貧しさに苦しむ農民や労働者が決起に同調しました。
一党独裁国の天安門では紅旗を揚げた名ばかりの
人民解放軍、共産党私兵の戦車が非武装の学生、人民を轢き殺し鎮圧する。
クーデターは自衛隊と軍の違いに関係なく、文民統制下でも起こりうる事です。
何故、五・一五事件が起こったのか、二・二六事件の原因は何だったのかを考えるべきです。

>戦争は大将がアホでは
最初から最後まで無能な指揮官もおりましたが、
有能な変人や勇敢であったがリスクを考えなかった人、臆病でありながら戦略に長けた人。
山本五十六、宇垣纏、山下奉文、石原莞爾などの有名な将官達や政治家も評価は色々ですね。
2014年3月1日 9:26
毎度の事ながら、Mikkola様の過不足なく
正鵠を射た文章には、感服しております。

本当に、今迄のシリーズを総てまとめて
日本の義務教育の歴史副読本にしたい!


当時の世情を察するに、日本古来からある
「若者達の暴発も神意」として追認する空気が、
民衆心理の底流にあったような気がします。

当時の日本が、国家的な大戦略を持ち得ない
まま、大東亜戦争に引き摺り込まれてしまう
端緒が、2・26の時代から垣間見えるように
思えてならないのです。

Mikkola様の文章にもあるが如く、聖上の
御判断は常に揺るぎなくあらせられて、
それこそが、当時から我等国民の宝でした。

2.26以降、聖上が大日本帝国憲法の順守に
心を砕かれ、より厳密に御身を律せられた事で、
大東亜戦争を防ぎ得なかった痛恨を終生に渡り
御思いになられていたと、仄聞しております。

コメントへの返答
2014年3月2日 0:03
こんばんは、二・二六事件は軍に拠る作戦とは違い解からない事が多いですね。

「太陽の帝国」はバカやアホなど私情が入っているので義務教育には向かないのではないでしょうか?
と言うか日教組の連中が口から泡を噴く内容ですw

仰るように、疲弊困窮した社会状況を天皇陛下に、
奏上し御裁断を仰ぎたいと言う気持ちは民衆の代弁でもあり、五・一五事件の量刑や助命嘆願運動にも民心を見てとる事ができます。

五・一五事件を教訓とせず、奉勅命令が下るまで、
軍部は動かず、内乱の対応すら意思決定もできぬ体制下で米英相手に戦略的な大戦遂行など成せるはずもありません。

陛下は開戦の御前会議に於いて明治天皇の御製を
読み上げられ、注意、激励、示唆、暗示を以って
御意思を間接的に示されましたが、外交また戦略上
何れも的を射る御質問や御深慮であったそうです。

終戦の御聖断まで、天皇陛下が誰よりも何よりも、
平和と臣民の幸福を願われていたと思います。

2014年3月1日 12:35
こんにちは。

ありがとうございます。
511事件と226事件は何が違っていたのか、恥ずかしながら、わかっていませんでした。

敗戦後、自由と称して、天皇制廃止論者が大手を振って論じている。
罪に問われることもなく、文化人と持て囃されて居る。
如何なものでしょうか。

天皇制という国体なくしては日本たり得ず。
天皇陛下がお祈りをされていることを、もっと国民が知らないといけない。

未来の子供達のためにも、日本人らしい日本人に戻らなければと改めて思いました。
コメントへの返答
2014年3月2日 6:38
おはようございます。

両事件ともクーデターと一般に呼ばれていますが、
個人が武器を調達し重臣を暗殺した五・一五事件と
皇軍部隊を動かして政治体制の転換と権力奪取を
目指し軍事行動を起こした二・二六事件とでは全く
性格と意味が変わってきます。

五・一五はテロ暗殺事件、二・二六はクーデターだと
自分は思います。

両者とも社会政治に不満を持ち世直しを求めながら
寧ろ天皇陛下を敬愛尊重を掲げていた事は日本らしさであります。

>敗戦後、自由と称して
日本は何を言っても罪に問われる国ではありません
「天皇一人の為に私達は何万人も殺された」と言う
史実も知らず恥ずかしく歪んだ発言するマスコミ連中や教師が捩れた歴史と正義を振り回しており
天皇と自衛隊は目の敵、悪者扱いするバカは最近でこそ減りましたが無知とは恥ずかしいことです。

祖国日本の歴史文化に誇りと天皇陛下を感じられないことは愚かで可哀想である思います。

2014年3月1日 12:39
お疲れ様です、佐村河内で御座いますw

ゴチゴチの軍国主義に固まっていた当時の日本が天皇陛下の一言で外地にいる部隊まで大半が武器を置いた。
そのことは日本人はあまり驚かないですが相手国から見たら信じられないことであったと思います。
私が天皇陛下を初めて見たのは、確か中3か高1の時で陛下はまだ皇太子時代でした。延岡駅は田舎町にあり得ない人が溢れました、本当に不思議だったのは曇り気味だったのが皇太子が駅前に現れたとたん光りがさしたんです。オーラがとにかく凄くて、かといって威圧的でもなく。とにかく不思議な感覚でした。
左巻き共産党は陛下が現れると背を向けるみたいですね…日本共産党って何のために存在するのでしょうか。

Mikkolaさんのブログは本として後世に絶対に残すべきだと思います。

右に寄り過ぎ美化するでもなく、極めて事実を元に表現してると思います。

2.26事件、大変勉強になりました。



コメントへの返答
2014年6月6日 7:33
こんにちは、益々、大人気ですねw

>ゴチゴチの軍国主義に固まっていた
大日本帝國は立憲君主議会民主主義国家です。

>天皇陛下の一言で
これが王室が有る欧米に理解されず陛下を軍国の
独裁指導者と混同され単に忠誠を誓う、Heil Hitlerと
天皇陛下万歳の違いは解からないのです。

天皇陛下敬愛は思想ではなく日本人の心です。

>日本共産党って何のために存在・・・
共産党は共産党の為に存在するですw
最近は日本共産党でも多くの日本人が天皇陛下を
必要とするなら認めると言い始めてますね。
日本人の心と皇族を政治利用する企みかと。

自衛隊を人民自衛軍と呼び、旭日旗を紅旗に変え
政治将校を配置すれば共産党は軍備に文句を言わないでしょう。

>ブログは本として後世に・・・
是非、製本して図書館にある、はだしのゲンの横に並べて下さいw

東海ステッカーを勝手に貼ったり、ページを破らないで下さい。

>右に寄り過ぎ美化するでもなく
「歴史を直視しない日本に未来はない。」
中韓の高性能なブーメランです。

中韓に捏造プロパガンダな歴史とファンタジーを教わり信じる日本人は情けないですね。
歴史、領土問題を捏造と既成事実を積上げるのが
中韓の手口だと未だ気付かない日本人はアホ。

アホは選挙に行くな って頷けますが、アホや売国奴
を暴力的に強制排除すれば二・二六とかわりなく、
時間を掛けても、教育と法に拠って日本を取り戻さなくさなければいけません。

民主化して国家が崩壊破綻した国が多くあります。

アホが選んだアホ議員によるアホ政府の衆愚政治
が日本を滅ぼします。

アラブの春、残念ながら民主主義は完全ではなく、
日本の桜咲く春は頭の中に花を咲かせたバカには
理解できないでしょう。

兵に告ぐ
人民解放軍の青年将校諸君、共産党は汚職に塗れ
一部特権階級が13億人民を搾取し人民は貧富の差に啼き呼吸する空気や青空さえ失っている。

軍上層部は権力拡大を計り、貧しい人民を巻込み
外国へ侵略の準備をしている。

青年将校諸君、今こそ全中国人民解放の為に決起せよ。

と、軽く唆してみるw

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