
我々が訪問した数日後に
世界遺産登録勧告を受けたため、今や人気の観光スポットとなっている
万田坑跡の次は、
同じく有明海に面した
熊本県玉名市から
熊本市へ続く
「草枕の道」を訪れました。
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今も残る
石畳の道を探しあてて、ホッとしたところで1枚。
是非見たかった景色(その2)の写真は後半にアップしますが、玉名市側から入った場合、最後の案内板が裏向きなので、ここに来るまで
結構難航しました。
何故、今になって
「草枕の道」なのか・・・それは、
4月4日の朝日新聞に掲載された
【 みちのものがたり 草枕の道 熊本県 漱石を魅了したヒロイン 】を読んだ時から、一度行ってみたいと思っていたのです。今回の九州旅行、嫁さんは
あの時の

リベンジを思ってか、
柳川での
舟遊びを第一希望にしていたみたい(結局、時間の都合で実現しませんでした)ですが、私の場合、きっかけはこの記事でした。
少々長くなって恐縮ですが、以下に
抜粋します。
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朝方に降った雨で落葉が濡(ぬ)れ、すべりやすい。足元の岩にもコケがびっしり付く。意識は次の一歩に集中し、せっかく「山路(やまみち)」に来たのだから何か考えねば、と焦っても、何も浮かばない。こんな道を登っていくと、峠の茶屋に着く。熊本市郊外、夏目漱石が歩いた「草枕の道」のうち、当時の雰囲気が残る鎌研(かまとぎ)坂だ。
第五高等学校(熊本市)の英語教授で30歳の漱石は1897年12月末、市内の家を朝出発。峠を越え、有明海べりの小天(おあま)温泉に至り、地元有力者前田案山子(かがし)の別邸で正月を過ごす。
鄙(ひな)びた温泉地を舞台に、廊下を振り袖で歩き、深夜、湯気にけむる男湯に入ってくる謎めいた美女・那美に、主人公の画工(画家)が心引かれる、という小説「草枕」は、この時の旅から生まれた。ヒロイン那美は、実際に漱石をもてなした案山子の次女卓(つな)がモデルとされる。
***
「卓さんは、自分の意見をしっかりもつ女性でした。漱石好みのタイプです」と中村青史・元熊本大教授は言う。案山子は国会議員も務めた自由民権運動の闘士、この家で育った卓は、漱石が訪れた頃、離婚して実家に戻っていた。
半年後の初夏、漱石は五高の同僚と再び小天に行き、日帰りで戻っている。小天に行ったのは、冬と初夏の2度だけとされるが、「春頃、ひとりで小天に行った可能性があります」と中村さん。「草枕」が描く季節は、菜の花が咲き、ヒバリがさえずる春であり、漱石が当時作ったとされる俳句に、不思議な連作(「こぬ殿に月朧也〈おぼろなり〉高き楼」など)がある。濃厚な春のイメージ、男女のあいびきを想起させる意味深長なシーン。「京を舞台に、平安王朝風にしているが、カムフラージュじゃないかな」
***
その頃、夏目家で重大な出来事が起きる。市内を流れる白川に、鏡子夫人が入水、助け上げられた自殺未遂事件だ。慣れぬ地方での暮らしや初めての子供の流産などで、精神が不安定になった夫人が発作的に事を起こした、といわれるが、卓さんの存在も無関係ではないのでは、と中村さんは推測する。
熊本に4年3カ月住んだ漱石は、そのままロンドンに留学するが、帰国後は東京に住み、熊本に戻らなかった。一方、前田家は火災や遺産相続などでもめ、一家は崩壊。卓はおそらく「草枕の道」をたどって熊本に出、上京する。東京には、革命家宮崎滔天(とうてん)に嫁した妹槌(つち)一家が住んでいた。東京で卓は、思いもよらぬ世界に入る。(文・牧村健一郎 写真・早坂元興)
■今回の道
冒頭の名文句「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される」で知られる「草枕」は、夏目漱石(1867~1916)初期の名作だ。
熊本市内の岳林寺から峠の茶屋を経て小天温泉にいたる山道(約15キロ)が、20年ほど前から「草枕の道」として整備されている。4、5時間の半日コースだ。「『おい』と声を掛けたが返事がない」と描写された峠の茶屋は、場所は特定できないが、現在、鳥越の茶屋跡に茶屋が復元されている。
那美のモデル前田卓(1868~1938)は、闘う女だった。娘時代はナギナタなどの武術を習得、前田家の遺産相続では、長男だけでなく他の兄弟姉妹への分与を唱えて実現させた。晩年、婦人雑誌が「漱石初恋の人」としてスキャンダラスな記事を掲載した時は、出版社を相手に訴訟を起こした。弁護士が入り、仲裁に応じたようだが、スジを通し、行動も辞さない気性は生涯、変わらなかった。
【TMK注】橙色太文字は写真を後掲します。
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さて、午前中の移動時に、
R208のトロさに嫌気がさしたので、
荒尾市から
玉名市小天までは、
間道、県道を駆使しましたが、最後はどうしても
R501を通ることになり、その結果、遅かったけど、
とっても美味しい昼飯にありつけました。
R501が
K1にぶつかる
天水町部田見の信号に停まった時に目に付いた
「熊本ギョーザ」の看板に惹かれて入ったのが奇跡でした。
子供の時から
梅肉を食べさせて育てた豚の梅肉ポークを使ったギョーザで、
タレなしで食べるのです。
ギョーザも美味しいし、
サラダ食べ放題も旅行者にとっては大変有難いものでした。
その交差点からまもない次の大きな交差点が
天水町小天。この近くに
前田家別邸があります。
前田家別邸の中央部あたりから見下ろした
浴場です。
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浴場の中・・・
男湯です。湯口が左側にありますが、
男女湯合わせてこの湯口だけしかありません。立派な石が使用されている浴室ですが、木の壁(というか衝立?)の向こう側にある女湯の浴槽へは男湯からの湯が流れており、
女湯の温度はかなり低かったようです。そのため・・・
ヒロイン那美は、深夜の入浴時に男湯に入った、と言われています。
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浴場を出たところから、漱石が滞在したという
離れを見上げました。
一番奥が離れで、手前の建物は、現在立て直して民家となっています。
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離れの中です。右の写真は、
ヒロイン那美のモデル・案山子の次女卓(つな)。
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次は
K1に戻って、いよいよ金峰山(標高665m)越えの
「草枕の道」へ向かいます。
K1から有明海側を振り返ると、
雲仙普賢岳がうっすらと見えていました。みかん山から見下ろした
干拓された海と普賢岳のシルエットが、
有明海らしさを醸し出しています。
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一旦は通り過ぎて峠の茶屋まで行ってしまったのですが、茶店の親父さんから教えてもらって、根性でやってきたのが、冒頭の写真。 そして、ここで撮ったこの写真が、
是非見たかった景色(その2)「草枕の道」です。
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これで、
是非見たかった景色は(その2)まで完了しました。ご機嫌で、熊本市内を通り抜け、交通量の多い
R57は避けて・・・・県道を乗り継いで
南阿蘇の宿舎へ戻りました。
途中にビューポイントがあったので、ここでも振り返ると、先ほど山越えした
金峰山とその向こうに重なって
普賢岳が見えていました。
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さぁ、お天気

が予想される明日は、
是非見たかった景色(その3)と墓参りです
つづく
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ドライブ | 日記
Posted at
2015/05/12 00:59:51