2007年02月25日
走りへの目覚め
スカイラインGTS-T Type-M(以下Type-M)はご機嫌なクルマでした。
ターボパワーもさることながら、運転がめちゃしやすい。
あの頃の日産車はみんなそうやったけど、なんてゆうか、ペダル・ステアリング・シフトノブ・サイドブレーキなど、毎回使う操作が非常にやりやすいドライバビリティの高いクルマでした。
このクルマを買ってから走りに興味を持ち始めたのですが、ノーマルでも高レベルな前後マルチリンクサス、車格の割りには大容量な前後対向ピストンのブレーキキャリパー…など、買ってから気づいた部分が多数ありました。
今思えば、スープラ(2.0ツインターボ)買わなくてよかった…。
スープラ乗りの人には悪いけど、走るにはあのボディ剛性や足回り・ブレーキがプアすぎます。
強化すると金もかかるし。アレ買ってたらたぶん別の方向に行ってたかもしれませんw
そしていつもつるんでいた友人2人のうちもう1人も、私に触発されたのか、クルマを買い替えました。(ホンダ プレリュードSi-VTEC(BB1型))
そして夜走りに行こうって誘われたのをきっかけに、私の弟(プレリュードぶっ潰してもてFRカリーナ→AE86を購入)も加わり、夜な夜な走り回るようになりました。
まず、当時盛況やった明石の某埠頭のゼロヨン。
これはギャラリーだけやったけど、こんな世界があんのか!!ってかなり衝撃でした。
地元の木材港でゼロヨン(の真似事)を始めたのもこの頃。
友人のセリカはNAだけに、Type-Mのほうが有利だったが、プレリュードはNAとはいえ2.2LのVTECパワーもあり、意外とええ勝負でおもろかったですw
この頃、マフラーやエアクリーナーなどのチューニングパーツにもちょっとずつ手を出していきました。
まあ万年金欠のため、走る金だけで精一杯でしたが。
そして今度は峠に…。
弟が県境の峠でおもろいことやってるって情報を持ってきたので、早速みんなで偵察に。
ダムを越えたところの某峠に着くと、ヘンなクルマがいっぱい集まっています。
で、しばらくすると上からエンジンの轟音とタイヤスキール音と共に、クルマがナナメ向いて下りてくるし!Σ(゚Д゚;
なんじゃこれは!? これまた衝撃でした。
一体どうやったらあんな走り方が出来るんやろ??
後でそれがドリフトというものだと知りました。
それからは言わずもがな、今度はドリフトもどきの練習を始めるようにw
といっても、いきなり峠道であないなマネができるはずもなく、広い埠頭などでサイドターンやアクセルターンから練習を始めました。
アクセルターンはLSDが入ってなかった(当時はそれすら知らない)のでまともにできませんでしたが、サイドターンはできるようになりました。
雨が降ると、アクセルでケツを出してカウンターを当てる練習もしました。
調子こいて踏みすぎておつりをもらい、フェンスに突っ込んでバンパーをつぶしたこともあったなぁ…(-_-;)
中古のバンパーに缶スプレー塗装でなんとか復活して練習を続けました。
峠にも毎週通いました。
当時は兵庫県側・鳥取県側と2コースあり、どちらも一長一短のレイアウトでおもろいコースでした。
特に上から下までのグリップの連中との勝負もおもしろく、上り・下りをまとめて、といつのまにか暗黙のルールができて走っていました。
最盛期はギャラリーも入れると200台くらい集まってたかな。
ポリさんがきて蹴散らされても、しぶとく通ってました。
たまにすごいチームの人らも来ました。
レースカーを卸したAE86で、上から下まで全域ドリフトしまくってるし!
シビレまくった私らは、頼んで横に乗せてもらいましたw
それはまさしく異次元の世界でした。
ジェットコースターなんか話にもなりません。
レースカーにそこらのシートをつけただけの助手席やったので、シートベルトはなし。
おにーさん曰く「ロールバーにつかまっといて」(゜Д゜)
そしていきなり全開モード。
えらいスピードと爆音で景色が横向きに流れる中、おにーさんはふつーに「どっから来たん?」「もうちょっとはよゆうてくれたら、タイヤ残ってたでもっとゴジャ(無茶)したるのに」と、世間話する始末。
顔が引きつりながら答えてましたっけ。
これで火がついてもた私らは、朝方ガソリンがなくなるまで走り回ってました。
ガス代もすごいことになっていました。
当時はハイオクが133円/lくらいやったけど、毎週2回くらい入れるおかげで、月に5~6万円かかっていました。
当然、オイル交換時期も早く、タイヤもあっという間になくなります。
金がなかったので、日曜日の昼からはいつもタイヤ屋さんに廃タイヤを漁りに行って貰ってきました。
組み換えは近くのタイヤ屋さん(ここのおにーさんもドリフター)で安く組み替えてもらっていました。
もちろん、ホイールバランスなんぞ取ったことありません。
いっつも貧乏やったけど楽しかったなぁ。
しかし悪夢は起きました。
当時の私ら仲間内にはあるジンクスがありました。
「次の日仕事の奴は、前日の夜に走りに行くと事故る」
実際、仲間の1人やもう1人の仲間の弟もそれで事故っていました。
まあ我々仲間内だけの話なので、半分冗談やったのですが…。
1回目の車検が迫ってきていたある週末、私は土曜日仕事に出ないといけなかったのですが、前日の夜はいつも通り仲間と走りに行ってしまいました。
「明日仕事やからはよ切り上げようで~」と早めに帰途についたものの、最後までアツイ走りの仲間達。
やれやれ、しゃないな~と私もペースを上げつつ、オーディオなんかをいじっていました。
しかし、うっかりあるコーナーに明らかにオーバースピードで進入してしまったのです。
「しまった、ここは奥がキツいコーナーやった!」と思ったのもつかの間、外側にはらんでしまい、運悪く片輪だけ坂に乗り上げ、そのまま横転(゚∀。)
ひっくり返る車内からは、仲間のクルマのテールランプが遠ざかっていきます。
なんとかルーフは潰れずに済んだものの、一瞬の出来事にしばらくシートベルトで宙吊りになったまま呆然。
ハッと我に返り、なんとか脱出しました。
クルマは哀れにひっくり返ってルーフが半分潰れ、フロントガラスもヒビだらけ。
泣きそうになってると、他の走ってた人や仲間が戻ってきてくれました。
クルマを見たみんなの一言目が、口をあんぐり開けて「だ、大丈夫か?」やったのにはちょっと笑いましたが。
警察とJAFを呼んで高い積載料を払ってクルマは持って帰りましたが、結局クルマは廃車、車両保険みたいなお高いものには入ってなかったので、残ったのはローンのみになってしまいました…_| ̄|○
ショックでしばらくは立ち直れんかったなぁ。
親にも「どんな事故しとんや!」って驚かれるわ、怒られるわ。
その後は、事故ったクルマから使えそうな部品を剥ぎ取りまくりました。
マフラー一式、ライトからバルブ、ブレーキパッド、オーディオ、シフトノブ、メーター類などなど。
残ったボディは事故車買取業者に頼んで引き取ってもらいました。
あんな事故車でも、7万円の値段がついたもんです。
こうして、ローンだけが残り、しばらくクルマなしの生活が続いたのでした。
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回想録 | クルマ
Posted at
2007/02/25 01:58:22
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