【御挨拶】
猛暑のみぎり、皆様には如何お過ごしでしょうか?
小生6月以来諸事多忙また身近の不幸のため、なかなかブログの更新も進まず、また平素親しくさせていただいている方々には無沙汰が続き、恐縮申しあげます。
(ちなみに今、ようやっと仕事に一段落つきました)
そのような折、先のブログ『
恥と礼節と(https://minkara.carview.co.jp/userid/712411/blog/33607289/)』におきましては、皆様には沢山の『イイね!』はじめ、また激励のメッセージを賜り、有り難く厚くお礼申しあげます。
また、見ず知らずの小生の(某氏風に申し上げれば)“辛気臭い”物言いにつき、様々な方々より『イイね!』を賜り、また新たに『ファン』登録を賜り、改めまして深謝申し上げます。
【甘え】
さて小生、(先のエントリでも申し上げましたが)本来は趣味・娯楽の範囲に留まるべきSNSにつき、その匿名性故“訪問先”においては
“故意に人を不快にさせる物言い”
“人を疑心暗鬼に追い込む所作”
“人を神経を逆なでする行為”
については、より一層慎むべきであるのが“最低限の礼節”かと存じます。
(意図的であるにしろないにしろ)匿名であることは、人を“自然状態”に陥りやすくさせます。
それ故そのような場では、人は(場を共有するにあたり)他者との関係を築くためには、自らをして秩序ある振る舞いを課さねばならないかと・・・そのような場では、(これもまた匿名性が故に)よりその節度ある振る舞いと礼節が求められるものかと存じます。
にも拘らず、
前記拙頁『恥と礼節と(https://minkara.carview.co.jp/userid/712411/blog/33607289/)』においては、相も変わらず“他人の庭で糞便をたれるが如く”、傍若無人な振る舞いを続けている輩がおります。
大変残念なことではございますが、世の中には常識的な礼節や社会慣習を知らずとも、他人の寛容さに依拠し、場を弁えぬ“甘ったれ”がいることもまた現実か、とつくづく認識させられる次第です。
そのような輩には、是非とも“法治主義”更には“国民国家”というものが何故成立したのか、国家が何故“物理的暴力”と呼ばれるものを持つに至ったのかを、学ぶべきかと存じます(勿論小生が教え込む義理はございません)。
『マサイに不快を与える者はいないと聞く。
道徳的な問題以上に 自然において無用の不快はそのまま死を意味するからだ。
大地の掟だ。
人の世は 最低限の約束事で守られている。その上に胡座をかいた傲慢な行為など許されないのだ。
背徳の行為である以上 覚悟することだ!』(東本昌平著:少年画報社『キリン』より)
・・・“安全な文明下”に生まれてよかったね、と。
前述問題の頁は今暫く放置し、このような輩には散々“恥を曝し”てもらう所存ですが、多分“蛙の面に小便”かとも存じます。当件につきましては本人がどうこういうより、“世間がどう見るか”が肝要かと存じますので、当面は斯様な措置を継続する所存です。
多分このエントリにもトラックバックをかけるなり、おかしなコメントが入るかとは存じますが、これらには引き続き同一処置=非粘三原則(説明後述)を適用する所存です。
【惧れ多きことながら】
一方、このような修辞をしておきながら、心配申しあげたきことがひとつ、ございます。
それは、折角拙文に賛同の意など下さりながら、それが故に“今回の件が皆様に飛び火する”ということでございます。
先述リンク先拙文にもございますが、先頃より拙頁を荒らしている者により、(拙文への関係有無を問わず)これまで、御身所管の頁なりが被害を被ることとなった方々の数、決して少なくはございませんので…。
もし今回の件で、意にそぐわぬかたちで、皆様のページなどに延焼が及ぶことなどございましたら、御面倒でも以下の件、思い出して頂けましたら幸いでございます。
【非粘三原則】
筑波大学大学院、古田教授の有名な御言葉ではございますが、(不幸にも)延焼が及んだ折には、本エントリではこれに倣っての“非粘三原則”を貫かれること、推奨申しあげます。
非粘三原則、それは・・・
① 拘わらない
② 応えない
③ 覗かない
と考えます。
また、事前補則として・・・
④ コメントを返す折には、必ず相手の人為(ひととなり)を確認
⑤ 親しくやりとりなさっておられる方の頁からの延焼ではないかの確認
も肝要と考えます。
① 拘わらない、につきましては…無視を続ける、に限ります。徹底して無視します。娯楽のSNSです、些細な干渉に拘わるほど、つまらない時間を過ごす必要はないかと存じます。尤も敢えて議論をふっかけて楽しむことを目的とする場合は、その限りではございませんがw
小生は今回の“粘着塗り壁”に対しましては、(先のエントリにもございますように)議論という名の土俵にすらあげる気にもならないので、当該措置を採り続けております。
② 応えない、につきましては、このような輩から寄せられるコメントには、それが何を語るものであっても応対しないということです。答えるではなく“応える”です。
ご立腹なされるような修辞がございましても、まずは決して反応なさらないこと・・・これは③にも通じますが、そもそも“相手にする”こと自体意味があるのか、それを愉しもうとする以外特にメリットがあるかどうか、一度立ち止まって考えてみれば自明かと存じ ます。
③ 覗かない、につきましては、小生のように“勝手にトラックバックをされ、それを相手の庭で貶められる”ケースが該当すると思われます。これにつきましても同様、いちいちトラバ先を読む意味があるのか、御一考くださいませ。誘い込まれることそのものが、相手の思う壺なのです。
④ コメントを返す折には、必ず相手の人為(ひととなり)を確認する・・・これは事前に相手の頁なりを見てみればわかります。また、時折妙に“擦り寄って”くる気配が見える場合もございますが、時としてそれは後々の慇懃無礼につながるケースもあるようです。
⑤ 延焼ではないかの確認・・・これは④のケースを確認するに有益な手法かと存じます。
以上、本当に“辛気臭い”ことを面々と綴らせていただきました。本当に世知辛いことですが、小生のところから“飛び火による火事”が起きてしまうのも、自らをして寝覚めが悪い話です。
余計なお節介、お気に障る修辞もあろうかとは存じますが、ご参考賜れましたら幸いです。
以上
【追伸】
本件のようなエントリは、本来私の好むところではございません。次回以降はまた、いつものような修辞に戻らせていただく所存です。
次は単車一人旅ネタになるか、はたまた政経ネタになるか、いやいやそもそもいつ書くのか・・・また皆様との意義あるやり取りを楽しみにしております。
おやすみなさい。
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Posted at
2014/07/25 02:05:09