
【はじめに】
まずは、Amebaの住人たる某氏のブログより。
本文をご覧いただく前に、まずは
トラックバック先のお話をお読みいただきたい。
http://ameblo.jp/mondo-n/entry-12005623817.html
【前置き】
資本主義には2種類ある。
ひとつは、実務労働の対価によって富を蓄積する“産業資本主義”。
ひとつは、富を富に対して投資し、より富を膨らまかす“金融資本主義”。
20世紀の終わり、世界は産業資本主義から金融資本主義に移行し始めた(背後には冷戦の終結があった)。
技術や生産力が世界秩序を担保する時代が終わり、それらに依拠する必要がなくなり、世界は“富”の獲得方法としてお金でお金を生むことを志向するようになった。
世界とはそのようなものである、と皆が無意識に思うようになった。
しかし、その金融資本主義の脆弱性を問う者は少なかった。
そして起こったリーマン・ショック。
しかしそれでも世界は変わらなかった。
金融資本主義は、リーマン・ショックでも壊せなかった。
【二極化】
リーマン後の世界。即ちそれは、安全性を担保する装置のついた、より堅牢になった金融資本主義の時代。
社会が二極化、「中間層の消滅(byモナ夫)」して“固定化していく”時代に私たちは生きている。
そこでは富の流動性はすごく低くなってて、もう殆ど固定化されてて、悲しいかな「私みたいな平民がいくら実務で努力しても、Pention Lifeで生きてる人たちの(富の)生産性には及ばない」というのが現実。
そういうものがどんどん後付けの“レギュラシオン(=市場に制度的に介入する調整機構)”によって、どんどん堅牢になってく。
私たちは、そんな時代に生きている。
そんな時代のなか、やはり自動車の“所有の仕方”は、堅牢化を重ねる金融資本主義に追随していく。
もともと階級社会をしっかり認めてる西ヨーロッパからそれが始まり、そしてそれは富が一極集中していく東アジア、そして近いうちにASEANへ。
【二極化と自動車】
これから自動車の販売市場は、加速度的に以下のようになっていくと私は思ってる。
即ち、余剰資本を持つ者=高額車と低燃費高級足車、労働者w=低燃費普通の足車だけ、って構図に。
で、現在隙間市場として見られてるのが、前述“お金持ちの低燃費高級足車”。
だから、マセラティとかレクサスとか、ポルシェやアストンマーチン、何か知らんがロータスまでがこの分野にこぞって出てこようとしてる。
あ、ロータスは前のCOOだったバハール君の頃の話だけど、彼の見識はそんなに悪くはなかったと思う。ただ、ロータスというブランドやレガシーに、貴族性或いは資本家の匂いが無い、ということを彼は見落としてたのが、彼の限界。
話は戻るけど、自動車はやっぱり、これからも時代を反映していく、と思います。
何故なら、基本“社会を読み、情報操作で市場を創造し、そこに財を投入”していくのが“資本主義の大原則”だから。
【資本主義=市場の創造≠市場経済】
そう、資本主義の具現化。
資本主義って、基本的に相対的でないと成立しない。即ち、“財の保有者=資本家”と“持たざるもの”。勿論私はマルクス的に、これを二元論でとなえているわけではない。前述中間層というものだって、働きながら財(株や土地等の生産財)を持ってる。
しかし、リーマン後の金融資本主義下では、
持たざる者…中間層・・・・・・・・・・・・・(超えられない壁)・・・・・・・・・・・・・・Pention Lifeのお金持ち
って構図は、どんどん膠着化してる。
現にヴェトナムなんか…思いっきりその兆候出てるw
ヴェトナムはじめASEAN経済共同体諸国、シナ、ロシア、中東そしてアフリカ。
金融資本主義の風が吹いた地域は、ブロック化したとはいっても、基本この流れに少なからず影響を受けている。
【終焉なき拡張の論理】
二極化が進めば進むほど、金融資本主義がメインストリームになればなるほど、外から見えるもの、家屋やお店、アパレル…こういったものはすべて、その体質を反映していく。自動車は高級車かエコノミー車か、のゼロサム選択になると思う。
何故なら、基本“社会を読み、情報操作で市場を創造し、そこに財を投入”していくのが“資本主義の大原則”だから。
金融資本主義で生まれたPention Lifeのお金持ちは、よりレギュラシオン化され堅牢化された制度のなか、どんどん富を増やしていく。そう、安全性を担保されながら。
実務だけで富を生み出そうとする私たちは、中間層だろうと小作者だろうと、富の蓄積と膨張においては、彼等には決して勝てない。
そしてそれを無意識に自覚しつつ、資本を持つ者からホワイトカラーを中心とした中間層に至る者たちは、自らを守るため即ち少しでも富を拡張するため、(すべての)消費者に対して、市場をイメージ化し、財やサービスを投入していく。
先のお金持ちの足車、ってやつも、この活動が生み出した市場に載せられた御馳走。
金融資本主義下で二極化した富…膨張しやすいやつと、あんまり膨張しないやつにあわせ、市場は二極化されてく。
階級化というものが相対的であるが故に、相対性を表すことを旨とするすべての財やサービスは、これからはもっともっと、二極化していく。
【課題】
ただ、問題なのはその先…ISISやスーダン、シリアを例に挙げるまでもなく、二極化は必然的に、民族紛争やマルキシズムの亡霊を呼び起こす。
それをどう止めるか?
私はAIIBはシナにしろイギリス絡んだからにしろ、基本無理。寧ろ世界銀行をもっと強化させないといけないと思うが、それはまた別の機会に綴ろうかと思う。
『株や不動産、債権などへの投資による資本収益率(r)は、経済成長率(g)をつねに上回るという歴史的事実があり、『r > g』が根本的な力となって、一度縮まった所得間格差は再び19世紀以前の水準まで戻るだろう(from 21世紀の資本(Thomas Piketty))』。
【みんカラに思う】
で、だね。
翻ってこのSNSについて思うんだけど、ここは自動車のSNSだよね。
ならさあ、
“自動車を通して世界を見る”
…こういうテーマ、あってもいいんじゃないか?、って思うわけですよ。
自動車の世界って、何もハードウェア…やれ車イジリがどうだとか、ラップタイムがどうだとか、新技術がどうだとか、そんなものばかりじゃ、ないよね?
自動車産業って、一国の基幹産業として莫大な富をもたらすものだから、当然マクロ経済にも影響を与える。
それは更に経済ブロックのなかの動きにもなるし、果ては世界の秩序にも関係する。そう、まるで農業みたいに。
だから改めて言うけど、“自動車を通して世界を見る”って、このSNSに嵌ればハマるほど、浸透していくテーマなんじゃないのかなあ。
問題は、こういった国際経済問題と自動車のハードウェア、双方に明るい“評論家”がどれだけいるのか?そこらのネーチャンあたりじゃ無理だし…個人的には、青山繁晴先生、エリーゼ乗り…書くわけないかw
以上
・・・何書いてるかわかんなくなったw、主水さん、場をお借りして失礼しました。