【はじめに、というかお願い】
本論とはまったく関係ないけど、まずはここから。
本論扉絵ですが、以前流行ったやつです。御存じの方も多いと思います。
私も参院選や衆院選で使わせていただきました。印刷しても文字がつぶれないサイズのものがあったので、
拝借させていただきます。
ダウンロードして印刷、バックの中にでもしまっておいてください。
で、この過激派政党、隠居した奴等もおりますが、ここのメンバーが今、何処の選挙区で、何処に所属したりしてるかをwikiなりで調べて書きこみ、御自身でまとめられると面白いです。次の選挙でこれを利用すると、面白いです。
さらに、ここに公明、維新、共産、社民、小沢とゆかいななかまたち、無所属なんかを加えていくと、壮大なマトリクスが描けますw
暇つぶしにどうじょ、というか、
誰かつくってください。
【報道姿勢の違いを考えよう~バンドンを例に~】
ここから本論に入ります。
1.マスコミ報道の捉え方
アジアアフリカ会議、AIIBネタと安倍談話予行演習ばかりが報じられてますが、こんなこともあった。
①産経新聞
23日付 産経ニュースより
『「せっかくの機会だから、中日関係の発展について安倍首相の見解を聞かせてほしい」 22日夕、会談会場で首相を出迎えた習氏は、笑顔で首相と握手をした後、ソファに座ってこう切り出した。』
・・・何を上から目線してんのかw金なら出さんぞ?
同
『だが、歴史認識問題になると習氏は態度を一変。「歴史を正視する積極的なメッセージを出すことを望む」などと、何度も首相にくぎを刺すことを忘れなかった。これには首相も即座に反論し、緊張が走った。』
・・・当然の反応だが、それを当然として思えないほど日本の対特ア外交って酷かったんだな。改めて、この流れは絶対に終わらせちゃいけない、と思うわ。
同
『「プライムミニスター、シンゾー・アベ」 場内に首相の名前がアナウンスされ、演説が始まる直前のことだった。それまで各国首脳の演説に耳を傾けていた習氏が突然、席を立って会場を後にしてしまったのだ。その時の習氏の「無表情」ぶりは、昨年11月の首脳会談で見せた態度を彷(ほう)彿(ふつ)とさせた。
(中略)
首相の演説が、中国側にとって満足のいかない内容になることは、火を見るより明らかだった。それを黙って聞かされることは、メンツを重んじる習氏にとって耐えかねる屈辱だったとの見方もある。』
・・・AIIBには来ないし、それどころか“力の支配”で釘刺され、メンツどころではなかったなw
②毎日新聞
で・・・売日も書いてるのね。
23日付 毎日新聞より
『会談に先立つバンドン会議60周年記念首脳会議では、両首脳が演説でともに直接的な批判を避け、相手の演説時には席を外した。スムーズに首脳会談に入れるよう配慮したとみられる。』
みじかい・・・そして『配慮した』www。苦しいねえ。
③いいたいこと
いかがでしょう?
これ読むだけで、
情報の担い手によって、物事って歪めて伝えられる ことがわかると思います。
情報発信者の意図に惑わされることなく物事をみないと、情報はいつしか洗脳の素になってしまう。
情報を情報として捉え、正しい行動をしたい・・・私はそう思う。
だから、いつもこんなことを心掛けてスクリプトを読むようにしている。
それはただひとつ、
“5W1H”だけを抜き出すこと。
それ以外排除すれば、まずドライな目線で事象を把握できる。
あとは本を読んで、歴史(特にフランス革命期から社会主義運動の経緯、そして戦後)を知ると良いと思う。
【バンドンで一番大切だったこと】
ふたたび産経新聞より
『首相はまた、アジア、アフリカに対する新たな
人材育成支援策を表明した。AIIBを活用した「ハコモノ」開発を画策する中国との差を鮮明に打ち出した形だ。』
・・・核心ついておられる。
今回のバンドン会議、実はメディアは殆ど触れてないところがある。
どいつもこいつも、安倍先生の歴史認識と、AIIB参加不参加のネタばっか。
でもそれは、アジア・アフリカ会議の本質じゃないよね?
アジア・アフリカ会議って、
第三世界の平和的安定のために開催されるんだよね?
主役は“第三世界”だよね?
そこで日本はどういう立ち位置を示すのか?
これ、すごく大事なことだよ。
で、改めて…
バンドンでの安倍先生プレゼン、人材育成支援策・・・これ、
東進(トンズー)運動
っていって、明治中期に大隈重信が、当時のヴェトナム・反フランス派の若者たちへ行った施策と同じです。
ちなみに当時世界は、パックス・ブリタニカ・・・イギリスによる世界支配に斜陽がさしていた。丁度現代のアメリカの凋落みたいな感じで、世界は植民地を巡って列強と呼ばれる西欧の国々によって、蹂躙されていた。
そのようななか、日本はイギリスと同盟を組み、フランスはロシアと同盟してた。
つまり、日英vs仏露の構図。
で、“第三世界”という言葉さえなかった当時、ヴェトナムは、フランスの属領だった。
そのようななかでも各植民地には、独立を志す若者たちが大勢いた。そう、現代の台湾の若者たちみたいに(台湾加油!)。
彼等は、日清戦争に勝った日本に、そして江戸時代からロシアと戦い続けてきた日本に学ぼうと、必死だった。
そのひとつが、ヴェトナムの東進運動。
あ、日本は実は江戸時代にもロシアと戦ってたんだよ。これは後日書くけど、北海道の松前藩ができた理由、学校では教えないよね?
で、ヴェトナム。ファン・ボイ・チャウはじめ、反フランス派ヴェトナムの若者(ヴェトナム維新会)たちは、“日本に学べ!”を合言葉に、東進運動・・・海を渡って日本に学ぶ活動を開始した。
「私達に武器の使い方を教えてくれ、武器を与えてくれ」
そう懇願する彼等に、大隈重信卿はこう仰った。
「我々も、明治維新の時、イギリスにそれを願った(岩倉遣欧使節団)。
しかし、イギリスはこう言った・・・『まずは国をつくれ。国民国家ができなければ、武器を持っても烏合の衆が出来上がるだけだ。』と。
我々はその言葉を受け止め、日本という国をまとめあげた。君たちもそれに倣え、それは武器の使い方よりもずっと大切なことだ。」
武器を与えるよりも、まずは人づくり。それが国づくり。
大隈卿はファン・ボイ・チャウ以下300人におよぶヴェトナムの若者たちを日本に呼び込み、近代軍事組織のありかたとか、戦略と戦術とか、そんなことを教えた。軍隊組織を教えた。そのうえでやっと、武器の使い方も教えた。
「10年先を見るなら樹を植えよ。100年先なら人を育てよ」
この思想はホー・チ・ミンにも受け継がれ、それが後のヴェトナム独立につながっていく。
ヴェトナムのひとたちは、それはそれは日本に対して感謝してくれたそうな。
・・・話をもどそう。
東進運動がはじまって少し経った頃、日本は日露戦争に突入した。
ロシアは当時フランスと結託してたけど、イギリスはそれが気に入らなかった。
だからイギリスは、同盟国だった日本を支援して、世界中の石炭を抑えてロシアに回らないようにした。
ロシアのバルチック艦隊は、満足な燃料を手にすることができない。
で、フランス領ヴェトナムから油を手に入れようとしたが、この東進運動のメンバーが工作して“わざと”粗悪な泥炭油を彼等に供給した。
そして迎えた運命の日本海海戦。
ロクな燃料がないバルチック艦隊は、まともに艦を動かすこともできず、日本海海戦で惨敗した。
そして日本は日露戦争においてロシアに勝った。
・・・大東亜共栄圏、と聞くと、人は眉をひそめる。
しかし明治から大正に至るまで、日本が行った施策は、間違いなく“共栄”のためだった。
征韓論だって、もともとはロシアの脅威からアジアを守るための思想だ。
ウラジオストク・・・その意味を知るが良い。その意味は、“東方制圧の拠点”だ。
当時車輪の作り方一つ知らず、大清国の傀儡となり、ただの土民国家だった南北トンスルランド。いくら剣道がウリナラ起源でも、事実上トンスル国には、ロシアの脅威をせき止める力は全くなかった。
ここを掌握されたら、日本は勿論、アジア全体の経済活動が窮地に追い込まれる。そう、今の尖閣と一緒だ。
だから西郷隆盛は征韓論を唱えた。
東南アジアの国々とともに、更にはアフリカの人たちと共に、生きる。
彼等の発展は(ハッテン場ではない)、シナやイスラーム原理主義の進出を退ける。それは軍事面からも経済面からも、日本の安全保障につながる。
それには(シナのような)半植民地施策=中華思想ではなく、国づくり。
国づくりとは、ひとづくり。
安倍先生は、それを御存じだ。
だからこそ、シナとは違った道をとられた。
バンドン会議 安倍先生演説より-
『成長を牽引(けんいん)するのは、人材です。それぞれの国の多様性を生かすことは、むしろ力強いエンジンとなるはずです。日本は、女性のエンパワメントを応援します。手と手をとりあって、アジアやアフリカの意欲あふれる若者たちを、産業発展を担う人材へと育てていきます。
アジア・アフリカの成長を、一過性のものに終わらせることなく、永続的なものにしていく。その決意のもとに、日本は、これらの分野で、今後5年で35万人を対象に、技能の向上、知識習得のお手伝いをする考えです。』
・・・泣けないか?
私達も考えようではないか?
彼らとともに、日本を守るということを。
それには彼等に何が伝えられるのか?
私はもう、考えている。
近いうち、その一歩を踏み出そうと思う。
以上