
つい最近のブログで少し触れた「くろがね四起」など、戦前戦後の貴重な日本車を中心に収蔵している「
日本自動車博物館」(※リンク先 音量注意!!)にフト行きたくなり、この週末にひとっ走りしてきました。
とるものとりあえず簡単な持ち物を揃え、金曜の夜に関越→上信越道→北陸道経由で日本海側へ向かうルートを選択。高速道路網が整った今では関東からでも6時間程度で北陸方面には着いてしまうし、ETCの休日割引があるので、以前よりはグッと身近に感じられるようになりました。
さて、日本自動車博物館、現在の石川県小松市に移転してくるより前の富山県小矢部市時代に一度訪ねた事があって、あれから約18年が経ちました。もちろん、その時にはまだ冒頭のくろがね四起はなかったけれど、他にもさらに展示車が充実したことが行く気になった理由でもあります。
なにせ当時の博物館はコンクリートブロック工場跡を利用した祖末!?な建物だったから空調はなく、訪ねた時は夏場だっただけにとても暑かったことを記憶しています。
今ではレンガ造り風のレトロ調の外観ながら新しい建物となり、展示フロアが拡充したおかげで展示車数は約500台へと大幅に増えました。もちろん空調が整っているので快適に見学でき、環境面でも大変よくなっておりました。
ひさびさに目にする「トヨペットSA」やら「コニリオ」「コニーグッピー」など、この博物館ならではのクルマ達に加えて「シティターボ2」やら初代「ソアラ」、100台限定で発売した「EXAコンバーチブル」など、1970年代後半〜1980年代半ばまでのネオヒストリックカーの展示車が見られるようになったところが年月を感じます。
フェラーリやらブガッティなどの、いわゆる「世界の名車」は世界中の博物館やらコレクターが手厚く保存してくれるから後世残っていくものでしょう。しかし、庶民が乗る普通の日本車は当然ながら日本でしか見られないものが多いし、商用車ともなれば消耗品のように扱われているため、ふと気付いたら自動車メーカーですら残っていない…なんてコトがままあります。そういったクルマ達を可能な限り集めて丁寧に展示しているところが日本自動車博物館のイイところだし、そんなところが親しみが感じられるスポットだと思うのです。
実際、館内を見学していた他の来場者も英国車を始めとした輸入車の前では言葉少なに見ているところが1980年代前後の日本車の展示ゾーンになると「若い頃乗ってたんだぁ〜」と昔を懐かしむ方々を多く見かけたし、そういう私も一番懐かしいと感じるところでした。
冒頭にも書いた「くろがね四起」(画像の階段上の車両)にも10数年ぶりに“再会”できたワケですが、今回訪ねたもうひとつの目的があって、そいつは3階フロアの片隅に、ほんとひっそり佇んでおりました。それがこの「ジオット・キャスピタ」。
1989年の東京モーターショウにも展示されたキャスピタは、童夢と下着メーカー「ワコール」(事実上のスポンサー)の新事業ブランド「ジオット」が中心となって開発を進めていたプロジェクトで、1991年に公道を走れるスーパースポーツカーとなるハズでした…。
「ハズでした…」というように、あくまでもそれは過去形のお話。
搭載されるハズだったエンジンが当時、F1参戦を目論んでモトーリ・モデルニと富士重工が共同開発していた3.5L 5バルブ フラット12の巨大なエンジンだったことも話題の一つだったけれども、これが後にキャスピタの不幸を招く結果となるハメに…。
実際当時のF1の予備予選を通過するどころか、ほとんどマトモに走れず、エンジン単体で全長750×全幅800mmもあったと言われる巨大な水平対向エンジンはF1のパワーユニットとして不向きとしか言うほかなく、結局は1シーズンを戦わずして途中で撤退を余儀なくされる結果に。
さらに追い打ちをかけたのが時すでにバブルが弾け…てな具合。それに伴って、このキャスピタの計画も共倒れ的に頓挫したワケで、後に童夢の意地をかけ!? 大幅に構造変更をうけてジャッド製V10エンジンを搭載し日本のナンバーを取得した1台が作られたのが最後となりました。
つまるところ現在、日本自動車博物館に展示されるキャスピタがフラット12エンジンを唯一搭載した? オリジナルのランニングプロトタイプの1台となります。
計画段階を含めると、あれから20年以上経ったワケですが、いま改めて見るとホイール径が17インチと小さかったのが意外だし、その材質がマグネシウムというのも時代を感じます。
当時このランニングプロトは走ったというよりは、なんとか動いたというレベルで、そもそもエンジン音が凄まじく、ドライバーですら耳栓をしないと乗れない!! くらい爆音だったとか。実際に発売までこぎ着けるには、相当課題が山積していたようです。
童夢の林ミノル氏の奥様(当時)がワコール創業家の娘という事もあってか? 資金協力が得られやすかったとはいえ、大人が集まってマジメに考えて作っていたし、そんな”真剣な遊び”に出資してしまう企業があったことを考えると、今とは比べられないくらいクルマに夢や希望・情熱があった時代だったなぁ…とも感じます。
最近のクルマの名前が全然覚えられないうえに、あまり興味が持てなくなっているのも夢がなく現実ばかり振り回されているからかなぁ…なんてコトを思いつつ、18年前に日本自動車博物館を後にした時とのキモチの差も感じたのでした。
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Posted at
2010/04/10 01:53:30