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2020/04/17

F1日本GPの歴史 Vol.3【1989年編】

1日お休みを頂いたシリーズ『 F1日本GPの歴史』は第3弾・・・前回はマクラーレン・ホンダとして、またプロストVSセナの因縁の対決の初戦となった1988年のレースをレポートしました(^.^)
このレースのセナの快走は日本での彼の人気を不動にしたもの・・・ポールポジション→エンスト→激走でオーバーテイクラッシュ→見事なトップチェッカーとはセナ劇場としか言いようがありません!






<これまでの日本GP>
序章   Vol.1   Vol.2









89年のF1は88年にマクラーレンホンダが16戦中15勝という結果を受けてターボエンジンが禁止され、排気量3,500cc以下のNAエンジンというレギュレーションの中、ホンダ&ルノーはV10、フェラーリはV12、コスワースはV8と多彩なエンジンが揃った年でした( ..)φメモメモ








シリーズでプロストがトップを走り、セナは優勝しなければチャンピオンの可能性が消える状況で予選開始・・・結果はセナがプロストに1.730秒差のポールポジション、以下3位ベルガーでジャッドエンジン搭載のロータスの中嶋は12位、ザクスピード・ヤマハから参戦の鈴木亜久里は予備予選敗退でした!








決勝のスタートはプロストが好ダッシュでトップに・・・10周目には10秒近くセナを引き離しました!








必死に追い上げるセナはピットイン・周回遅れの処理も手伝って残り10周頃には2秒を切るところまで・・・








残り6周となった47周目に130R立ち上がりで勝負を仕掛け、シケインのアプローチでブレーキを遅らせたセナが一気にプロストのインへ・・・未だ並ばれていない状態のプロストがステアリングをイン側へ切り込んだ瞬間に接触し、マクラーレンホンダの2台が停車という事件が勃発したのでした(^-^;








プロストが早々とヘルメットを脱ぎ捨てリタイアしたのに対して、セナはマーシャルの助けを求め、オシガケでレース再開・・・








タイムロスによって2位となったセナが猛追し、51周目にトップを走っていたアレッサンドロ・ナニーニをパスし、そのままチェッカーを受けたのでした!







レース後、リタイヤ直後にプロストの抗議を受けたコントロールタワーでは審議が行われ、表彰式も待機状態に・・・








20分後に出された結果はセナはシケイン不通過のレギュレーション違反により失格となり、ベネトンのナニーニがF1参戦4年目で初優勝となり、以下2位R.パトレーゼ、3位T.ブーツェン、中島は41周目にリタイアでした((+_+))








マクラーレンはこの判定を不服として控訴し、FIA国際控訴審判所が10月末に裁定を下すことに・・・出された裁定はレース中のエンジン押し掛けによりセナの失格というものでしたがこのレースからプロスト・セナの因縁が始まったのでした(^_-)-☆








では最後にあの伝説の接触シーンをオンボード映像でどうぞ・・・







Posted at 2020/04/17 07:17:37

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