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2016/04/29

三輪 三菱自動車ってなんなんだろう。財閥解体からオート三輪の時代。

 1945年日本に進駐した連合軍の総司令部GHQによって、日本が戦争を遂行する上で、経済的な重要な基盤となった財閥を解体すると発表した。

これによって、戦前から日本経済の主流であった「三井」、「三菱」、「住友」、「安田」の四大財閥は解体された。

 三菱重工業は1950年に、「東日本重工業」・「中日本重工業」・「 西日本重工業」の三社に分割されてしまった。

 分割されたものの、「中日本重工業」・「 西日本重工業」はクルマへの情熱は冷めず、終戦の翌年である1946年に三菱重工で、平和産業の象徴としてスクータが開発され、財閥解体によって生産は「中日本重工業」が引き継ぎ、富士産業の「ラビット」と共に人気を二分し、1964年に生産を終えるまで高い人気を誇った。


画像は最終型ともいえる「シルバーヴィジョンC-240」。あのデボネアのデザイナーでも知られる H・ブレッツナー 氏によってデザインされた幻の名車だ。

 一方、乗用車の開発は戦後の混乱もあり、まずは需要の多かった貨物車、当時人気だったオート三輪が開発され、生産されている工場の地名から「みずしま」というネーミングで発売され、


みずしま「TM6型」。744ccエンジン・750kg積みで価格は当時30万円であったという。

1959年には、三輪車の集大成ともいえる「レオ」が発売された。


ジャングル大帝のパンジャの子「レオ」からネーミングされた。スタイリッシュなデザインだ。

 オールスチール製のボディに、シンクロメッシュのギア。 最高速も何と公称で 72Km/h を誇った。
ちなみに「レオ」のネーミングは手塚治虫氏の「ジャングル大帝」から来ている。

 みずしまは、1946年から1962年まで生産され約10万台が世に出て、レオは、みずしまと同じく1962年までに約3万台が生産され、戦後、三菱の自動車部門の屋台骨を支え続けた。

 その間に、日本は講和条約によって、占領下から解放されると、「東日本重工業」・「中日本重工業」・「 西日本重工業」の三社は、「三菱日本重工業」・「新三菱重工業」・「三菱造船」と改称され、再び1964年(昭和39)に一つの会社となった。

 オート三輪から四輪への飛翔が始まった。
Posted at 2016/04/30 08:34:10

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