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まとめ記事
御朱印放浪記(群馬県東毛地区)
ぎるでぃさん
2019/02/16
3,471
群馬県東毛地区(桐生市・太田市・館林市・みどり市・邑楽郡…辺り)の…
2016年7月23日「新田神社」「春日神社」「世良田東照宮」30日「新田寺(呑龍さま」
9月10日「貴船神社」
10月30日「生品神社」
2017年3月26日「宝徳寺」
7月8日「世良田東照宮」「徳川東照宮」
2019年1月19日「桐生雷電神社」「青蓮寺」「大蔵院」「光性寺」「崇禅寺」
2月3日「崇禅寺」「宝徳寺(2019年)」「桐生天満宮」
2019年5月5日「宝徳寺」「崇禅寺」「冠稲荷神社」
5月6日「八坂神社」
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ノープランではあるものの なぁんとなくいわゆる上毛三山(赤城・榛名・妙義)の次は 乗ってるクルマ(スバル)→太田→金山→新田神社 とゆう思考で新田神社へ(やっぱりノープランだ・・・・ 遠くから見たらたいした大きさでない山に見えて油断していたんですが 結構な山道で^^; まぁ上の方まで車で行けて後は尾根沿いに歩くだけですけれど 600m歩くのね(腰が ここにガイドのおじさんがいたので話を聞くと 社務所が放火にあってしまったのと宮司さまが春日神社の方にいるらしい(兼任しているらしい)ので こちら(新田神社)では御朱印帳には記帳できないそうな(赤城から連続して>< 春日神社の方に行けば記帳してもらえるとのことですが まぁ・・参拝しとかないと筋が通らない気がしたので歩くことに お城見物コースはちと辛いので(曲輪とか廻らない)楽ちんコースでとぼとぼと・・ でも本丸付近では流石に登らなくてはならないことに 結構守りが固そうな気がするな山城で ここからは太田市がよく見えます(スバルの工場は・・ 風格のある大木の向こう側に目的地の新田神社が(まだ石段が <a href="/imag ...出典:ぎるでぃさん
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新田神社(金山城址)から山を下りて南に向かうと道端には富士重工の北工場があったりして スバルのお膝元感がするようなしないような感じになってきつつ 町中に行くとちょっとわかりにくかったけれども 春日神社の入り口があります 流石に町内の神社だけあってかこちらには石段がない(足腰に優しい この日は祭りの前らしく中にはお神輿が 参拝をして右手の方にある社務所で御朱印帳に記帳してもらうことに ここまできて新田神社の御朱印だけとゆうのも寂しいし これも何かの縁かなぁと思って 春日神社の御朱印も その時に社務所の方と話を少ししたけれども 春日神社でも富士重工の神事をたびたび受けていたご様子で まぁスバルと縁があるらしいです 駐車場は(写真撮り忘れた・・)舗装はされているけれどもちと狭め出典:ぎるでぃさん
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春日神社のあと ふと呑龍様(大光院)のことを思い出した・・の・・ですが 寺・・・ お寺さん用の御朱印著 用意していない(神社とお寺が一緒だと気まずい気がした お寺さん用か・・ やっぱり最初は自分ちのお墓のあるお寺さんに相談するのが筋だろうなぁ・・・ う~~ん・・ あぁ無計画なワタシorz(いつものことだけれども まぁ・・後で出直しましょう(こればっかり・・・ さて家路に着く途中でせっかくだから 世良田東照宮に立ち寄ることにしてみました ここは徳川氏発祥の地となっていますが 家康でなく徳川の発祥ってかんじなのかな その昔 家康様が徳川とゆう氏名を名乗るときに清和源氏世良田氏の後裔とゆうことで 徳川に改姓しました・・と(で源氏の血を引いているから幕府を開くことができたとかなんとか) うん私の文才ではうまく簡単に説明できません(私の解釈が間違ってるかもしれないし 流石に日光ほどの規模ではないです この柵の向こう側は有料・・・(手前にお賽銭箱はありますけれども この日は世良田のお祭りの日ですが人が少ないのがちと寂しい(お祭りの方に人が出払ってるカモもありますが 赤系統の色合 ...出典:ぎるでぃさん
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さてこの間行かなかった呑龍様を訪ねるために再び太田へ 富士重工の北工場の道を挟んで西隣と言っていいところにあるんですよぉ もしかしたら私ここに来るの初めてかもしれないですが(ちと記憶にない・・ 夏らしくセミの鳴き声が響いていましたが お寺さんにはセミの鳴き声がよくにあう気がするのは気のせいかなぁ はて?妻側から参拝するのって珍しい気がするのですがどうなんだろう(調べてなくって・いかんなぁ・・^^; 駐車場は私は東側に止めたけれどもロ-ダウン車はちょっとばかし注意が必要かも?出典:ぎるでぃさん
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天気が良かったのでちょこっとばかし渡良瀬川沿いにある貴船神社に行って見ました 京都にある貴船神社の分社・・ということになっています この日は国道122号が落石の危険から通行止め・・・ で迂回路をとったのですが貴船神社は国道の川を挟んで対岸ですので 参拝に行くこと自体は難なくいけました 神社の敷地の下にトンネルがあったりします 渡良瀬川と対岸もよく見えるので国道122号とわたらせ渓谷鉄道も見えましたが・・ 慌てて撮っても渓谷鉄道の屋根しか取れなかったとゆう・・ 参道は階段ですが個人的には上りやすい階段ですので楽ちんな方かな?(比較対象がまだ少ないから自信はないですが こちらが社殿になりますがこの日は何やら中に人の気配がありまして 暫く待っていたらこの社務所の前の所で車のお祓いをしていました ・・・・そういえばワタシ車のお祓いって・・したことがない むむむぅ・・・出典:ぎるでぃさん
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生品神社(いくしなじんじゃ)へと行ってみました こちらは郷里の英雄 新田 義貞(にった よしさだ) が挙兵をした地・・とゆうことでして うぃきによりますと 元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞が後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の綸旨を受けた際に、産土神である生品神社境内で旗揚げをし、鎌倉に攻め込んだと伝えられる。 ・・となっていまして 足利尊氏のライバルと・・なっているのいるですが・・少しばかり影が薄い>< さてこちらの生品神社の鳥居をくぐって こちらの拝殿で参拝をしましたのですけれども ・・・閉まっていて少しばかり淋しい・・・ 社務所へと向かってみてみたのですが こちらも(電気はついているのですが)人の気配が・・ない;; 実は依然訪ねた時も留守でしたのでちょっとばかし残念 残念ですが今回は書置きの御朱印が置いてありましたのでそちらで・・ (こちらは申年限定の御朱印らしいですが 古い話ですが 太平記 (1991年NHK大河ドラマ)のときは村おこしとばかりに頑張っていた記憶がおぼろげに あるのですが・・ 生品神社を見てみると 群馬は観光の宣伝が不得 ...出典:ぎるでぃさん
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ネットでカラフルな御朱印を見かけて近場なので興味があったのと この時期限定の御朱印が頂けるらしいことをネットで見かけたので レヴォーグ君をデーラーで見てもらう途中でちょっと寄り道をして 宝徳寺(ほうとくじ)へと行ってみました まぁ・・こちらは桐生の少し山の方に入った所にありましたけれども 少々雨気味でしたけれども ワタシがついた時には駐車場がほぼ一杯だったりしていましたけれども こちらの方丈(本堂)でお参りをしている間に記帳していただきました ・・私が帰るころには人の気配が少なく・・・ こちらのお寺さんの御朱印もかわいい感じですが御朱印帳もかわいい感じがしますね♪出典:ぎるでぃさん
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相変わらずブログのネタがない日々ですので 世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)へと行ってみました(神社詣でにはいよいよ暑くなってきましたけれども ・・去年あたりにも行ったところですけれども 東照宮めぐりの御朱印帳へ記帳をしておきたいなぁ・・トも思いまして(近場が後回し気味になる不思議) さていつものごとくうぃきによりますと ・・・ 世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)は、群馬県太田市世良田町にある神社である。「東照大権現」としての徳川家康を祭神とする東照宮の1つである。1617年(元和3年)に駿河国久能山(久能山東照宮)より下野国日光(日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、1644年(寛永21年)に上野国世良田へ移築し、創建された。太田市内の他の社寺、館跡とともに「新田荘遺跡」として国の史跡に指定されている。 ・・・ となっています さてこちらから境内へ 参拝をしてから記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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この間世良田東照宮に行ったあと徳川東照宮へと行ってみました ・・場所がちとよくわからなかったので 世良田東照宮で場所を教えていただいて・・御朱印(書置きでしたけれども)も頂きましたけれども 由緒をいつものごとくうぃきにたよりますと ・・・みつからない? き・・気を取り直してさっそく教えていただいたところへと 行ってみましたのですけれども 社号標(・・で良いのかしら?)・・なにやら東照宮の上側が二箇所ほどコンクリで塗りつぶされている???(少し怖い 鳥居にはしっかりと東照宮と こちらの社殿は東照宮のイメージとはちと違い気がする(失礼な言い回しで申し訳なく)こじんまりとした片田舎っぽい雰囲気でしたけれども さてこちらで参拝をしてきました♪出典:ぎるでぃさん
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1月19日 赤城神社の次に・・ 一旦車をビート君にチェンジしまして・・・ 慣らし運転も兼ねて県内の平野部でもふらつこうかと・・ 桐生雷電神社へと行ってみました こちらはうぃきが見つけられなかったのですけれども と・・とりあえず境内にクルマを停めまして あらためてこちらの鳥居から 境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました 御朱印は赤色と金色の二色から選べましたけれども 正月気分な金色を ゃ・・もう正月な日付でもないのでしょうけれども^^;出典:ぎるでぃさん
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1月19日 桐生雷電神社の次に 青蓮寺(しょうれんじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ もと新田荘岩松郷(現・群馬県太田市)にあり、天正年間(1573 - 1592年)上野国金山城主由良成繁により当地に移されたと伝える。岩松郷を本拠とした岩松氏の岩松政経は一遍に帰依し、青蓮寺道空という法名を名乗っている。このことから、政経の活動期である13世紀後半には青蓮寺が存在していたと推定される。本尊阿弥陀三尊像もその頃の造像である。 ・・・ となっていまして・・ こちらから境内へ 見た目はごく普通のお寺さんといった印象ですが こちらの本堂の中で御焼香をしましてから 無事記帳を・・・ していただく間に足がしびれる程度のお話も^^;いただきました出典:ぎるでぃさん
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1月19日 青蓮寺の次に 大蔵院(だいぞういん)へと行ってみました こちらもうぃきがみつからないのでしたけれども・・ まぁ・・・気にせず境内へ(ずぼらだ・・ こちらも見た目は普通の(保育園もやっているらしい)お寺さんですが さて こちらのお堂でお参りをしまして早速御朱印を・・ と・・・ こちらはカラフルな御朱印が沢山あったりもしますが ・・・記帳に時間がかかるらしい(なんとびっくり1~2週間ぐらい?)ので 御朱印帳を預けまして後日郵送とのことらしく^^; 御朱印帳を預けてきました と・・とりあえず限定らしい書置きも頂きましてそちらをとりあえず暫定でタイトル画像に^^;(後は後日のお楽しみ? ・・・後で御朱印帳が来ましたら差し替えるかも? 後日 御朱印帳が来ましたので 一応画像を(2月3日出典:ぎるでぃさん
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1月19日 大蔵院の次に 光性寺へと行ってみました こちらもうぃきがみつからないので・・ とりあえず こちらから・・は・・入れません御様子ですが こちらでお参りをしまして御朱印を・・と・・ こちらも記帳まで時間(こっちも1~2週間ぐらい?)がかかるらしいですので 御朱印帳を預けまして後日受け取りに・・・・ これは・・・御朱印集めにはしごをしましょうと思っても ちょっとばかし桐生まで日を置いて出向かなくてはならない展開かも? タイトル画像は後日記帳してもらってからあげられるかな?出典:ぎるでぃさん
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1月19日 光性寺の次に 崇禅寺(そうぜんじ)へと行ってみました こちらもうぃきがみつからないので・・ 某ホムペによりますと ・・・ 崇禅寺は、織物の街桐生の西の山間、小倉の里に元久二年(1205)法然上人の弟子智明上人(桐生小倉の人、園田太郎成家)により開創され、その後南北朝の中頃、応安三年(1370)には、鎌倉大本山建長寺第四十五世東伝士啓禅師により、臨済宗の禅寺として開山されその長い歴史と法灯を今日に伝えている。この地方では「阿弥陀様の寺」として知られる古利であります。 ・・・ となっていまして・・ とりあえずクルマを境内に停めてから あらためてこちらからも とぼとぼと こちらの本堂でお参りをしまして こちらも沢山のカラフルな御朱印がありまして目移りしちゃいましたが 正月限定っぽい御朱印に魅かれちゃって(正月な雰囲気全開ですし♪) 二回訪問することで完成します御朱印とかもあったりしましたが・・(まぁ・・また桐生には行くことになりますし 無事記帳していただきました 今回はここまでで・・(また後で桐生には御朱印帳取りに行かなくてはなりませんですけれども出典:ぎるでぃさん
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2月3日 この間預けた御朱印帳を受け取りに桐生に行くついでと行っては何ですけれども 再び崇禅寺へと行ってみました こちらも以前にも来たのですが 二回訪問することで完成します御朱印もありましたのでその都合で^^; さてお参りもしまして無事記帳を・・と思ってみましたところ そこには再び限定御朱印の赤鬼青鬼が? ( ゚д゚)ハッ!節分・・ ですのでつい・・うっかり 思わず広げてみますと何やらとてもカラフルな御朱印帳になってしまいました出典:ぎるでぃさん
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2月3日 崇禅寺の次に 宝徳寺へと行ってみました こちらも以前伺ったことがありますのですけれども 今回は無事晴れている♪ さて無事お参りをしまして 記帳を・・ こちらのお寺さんもカラフルな御朱印で人気の御様子で記帳待ちの列が^^; が・・車で待っている間に何やらおじさんが近づいてきましてビート談義勃発・・未遂(少し目立つからかも? えぇ・・人見知りな私はしどろがもどろで相槌を打つだけで精一杯でしたとも><ノシ さて無事にこちらでも節分限定の御朱印を記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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2月3日 宝徳寺の次に 桐生天満宮へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 社伝では景行天皇の時代(71年 – 130年)に天穂日命を祀る神社として創建されたと伝えられ、当初は礒部明神といった。南北朝時代初期に桐生綱元(桐生氏の祖)が現在の所在地に移し、菅原道真を合祀して天満宮となった。江戸時代には徳川家の祈願所となっていた。現在の社殿は1789年に建造されたものである。 ・・・ となっていまして・・ ちかくに 群馬大学工学部がありまして そちらでは確か秋ごろにクラシックカーが集まる催しがあった記憶がありまして そういう意味では車に関係が・・ある・・かも? まぁ・・さて 境内にクルマを置きましてこちらから とぼとぼと こちらの拝殿で参拝をしまして 記帳を・・・ 書置きでしたが無事御朱印を頂きました出典:ぎるでぃさん
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平成31年4月27日と令和元年5月5日 宝徳寺に行ってみました こちらも以前来たことはあるのですが 平成ももう少しになっちゃっていましたので 平成の間にちょこっとお邪魔しに伺ってみようかなと 行ってみまして 早速御朱印を・・が・・・( ゚д゚)ハッ!これは 記念御朱印帳カッコいい♪と衝動買い ・・・と早速 こっちもかっこいい♪と・・記帳をお願いしつつ 平成のカウントダウン限定御朱印をお願いしまして(こちらは毎日日付分がカウントダウンしますが流石に毎日伺う気力もなく^^; 改元後の 令和元年5月5日再び訪問をしまして(元日には来れませんでしたが) 新元号制定記念御朱印を記帳していただきました 季節はもう夏ですのに未だにゴールデンウイークネタを薄く引っ張る・・(ネタ無いから出典:ぎるでぃさん
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平成31年4月27日と令和元年5月5日 崇禅寺へと行ってみました こちらも以前来たことは何度かありますけれども こちらもアートな感じの御朱印で有名なところですが ひっそりこっそり4月27日の改元前に こちらでも御朱印の新調と記帳のお願いをしちゃっていまして^^; 5月5日に再び訪問を この日は催し物がありましたけれども 厚かましく伺っちゃいまして^^; 4月限定 5月限定 端午の節句 を頂きました出典:ぎるでぃさん
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平成31年4月28日と令和元年5月5日 冠稲荷神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)は、群馬県太田市細谷町にある神社である。日本七社(日本七稲荷)の一つを称する[1]。 ・・・ となっていまして・・ まずは4月27日に訪問しまして こちらから境内へ 案合図を眺めましてから とぼとぼと こちらの拝殿で参拝をしまして まずは平成の限定御朱印を頂きまして 月は変わり元号も変わり 5月5日再び訪問をしまして 参拝もしまして 令和の限定御朱印を頂いて お隣に貼ってささやかな幸福感と この日は端午の節句ですので 限定のこちらも記帳もしていただきました出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月6日 群馬県内は太田の世良田町に鎮座しています 八坂神社へと行ってみました こちらはうぃきが見つからないので 某ホムペによりますと ・・・ 当社の由緒は古く、上野国新田祇園牛頭天王縁起によると、貞観十八年(八七六年)丙申に上野新田のほとりに、 社を作らば静まるべしと、当所に鎮め奉る。 建武の頃、新田・足利両家の尊崇あり、新田の天王と称す。 人皇六十四代円融院の御時天禄元年(九七〇年)に、 都八坂の祇園社で、祇園祭を行い給いしより、 天禄三年(九七三年)に当社も祭礼として行われた。 世良田政義の娘と尹良親王との間に生まれた、 良王が津島天王社の神主になり。 正保年間(一六四四~一六四八年)に尾張津島天王社から当社に分霊した。永禄日記(長楽寺文書)に天王マツリヲイタスとあり、引き屋台を運行し、神興渡御を行う。 厄除け、方位除けの神として信仰を集め、各地に分社が作られた。 明治の神仏分離の際、神宮寺は廃寺になり、社名を八坂神社とした。 ・・・ となっていまして・・ こちらから とぼとぼと こちらの鳥居をくぐりまして境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事 ...出典:ぎるでぃさん
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