2012年02月21日
187:模倣と剽窃
けだし人間の作り出すもので、完璧なるオリジナル作品はなく、何かしら先人がなした物事がもとになって生み出されるのだと思います。
模倣~まねること。にせること。
英国の物理学者アイザック・ニュートンの、「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです」という言葉は良く知られていますが、科学の世界において模倣は決して悪いことでも間違ったこともありません。いや、全ての科学的研究はまず模倣から始るといっても過言ではありません。しかし、一方で以下の言葉もあります。
剽窃~他人の作品・学説などを自分のものとして発表すること。
模倣とは異なり剽窃は間違ったことであり悪いこととされています。では模倣と剽窃の違いは何でしょうか?一言でいうならば、先人の業績に対するレスペクトの有無です。科学論文においても、まず最初に自身の研究を実施するに至った経緯を、先人の業績を過不足なく引用して概説するところから書き始めます。一方、ビジネスの世界におけるレスペクトとは、知的財産権や意匠権といったものを尊重し、必要に応じて適切な対価を支払うといった行為を行うことに繋がります。そういう姿勢を持つ限りにおいては模倣は正しい行いといえます。
それでは人間の所作は模倣から始るとして、得られるものの良し悪しは何で決まるのでしょうか?それはその作品が既存の物事にどれだけ価値を新たに付け加えることが出来たか、その質と量とオリジナリティの総和にあると言えるでしょう。付加価値が大きければ大きいほど、なされた仕事は賞賛に値するものになるといえます。
日本車の歴史も最初は完全なる模倣(いわゆるノックダウン生産)から始まり、欧米車の一部を模倣しながら発展の道を辿ってきました。そして気が付くと、最近では「日本車はつまらない、魅力がない」などと批判されることは多くとも、「日本車は~のまねだ」といわれることはすっかりなくなりました。それは平均レベルであっても国産車のもつ付加価値がある水準を超えたことの表れだと思います。
今アジア諸国の自動車産業は興隆期にあるといえますが、日本以外の国のクルマ作りについてはどうでしょうか?韓国車は、最近は模倣+αの段階を卒業しつつあるように感じます。それでは中国やインドはどうか?これらの国のクルマはまだまだこれからと言わざるを得ないようです。
しかし、いずれにしても「剽窃」にはならないことが肝心であり、仮にもモノづくりに携わっている限りにおいては、自分さえよければいいと考えるのではなく常に先人へのレスペクトを失ってはいけないと思うのです。
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Posted at
2012/02/21 00:46:47
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