平成元年に日本の自動車産業に革新的なモデルが3台、発表されました
そんな革新的なクルマをご紹介致します

[日産 スカイラインGT-R紹介(通称:R32型)]
それまでのFR車の足回りは、フロントにマクファーソンストラッド式、リアにセミトレーリングアーム式or車軸式3~5リンク(ラテラルロッド付き)でアライメント変化など、比較的に無縁でした
それが8代目スカイラインはフロント、リアにマルチリンク式サスペンションを採用
積極的にキャンバーアライメント変化を利用して曲がる
また、ハイパワートラクションに対応するために普通はFR車、アクセルオンやステアリングの切れ角により前後50対50のトルク配分をする「トルクスピリット4WD」やリアタイヤをトーコントロールを積極的に行う「ハイキャス」など先進装備とハイパワー&高回転エンジンのRB26エンジン
まさに速く走るために産まれてきたサラブレッドでした
当時、ノーマル車で筑波サーキットを1分06秒台で走る姿は今でも鮮明に記憶しています
[トヨタ・セルシオ紹介]
アウトバーンを会議室が走る

(高速走行で静かな走りを実現)
静粛性能と高速安定性、そして内装のパッケージに至るまで、隙と妥協を許さないと言うトヨタ自動車の名車
このクルマは世界中の高級セダンを作るメーカー(BMWやメルセデスベンツ等)が密かに購入し、テスト分解・研究したと言われています
このクルマの開発にあたり、トヨタ自動車の重役さんが豊川稲荷神社だと思いましたがお参りし、その帰りに山門の木目の綺麗さに転写した時の写真を見た記憶があります

(本木目ウッドパネルが普及するきっかけでもありました

(因みに1967年製トヨタ2000GTのインパネにはあのヤマハ製、ローズウッドが採用されています

))
これは、本物とは何か

美学とは何か

をトヨタ自動車が真剣に取り組んだ証でもあります
また、時を同じくしてトヨタ自動車初の乗用車「豊田AA型」の復元に着手
復元エンジンを開発していた若手開発者の方々が約30,000㎞のテストでエンジンが止まり、上役に言えずにもぞもぞ、そわそわ

上役から「あのエンジンはどうだ」と聞かれ、テスト中に止まってしまったことを打ち明けると、上役が笑いながら「当時もその距離で止まったんたよぉ~」と言われ、復元が成功したねぇ~と笑い話になりました
今のエンジン開発では、200,000㎞は楽に耐久しないと行けない世界観が当時、苦労したことを今の開発者たちにわかってもらいたいと言う思いで「復元」をさせていましたねぇ~
今では世界のトヨタも、この豊田AA型のクルマ作りの原点があったらかこそ成り立っているのだと教えて頂きましたねぇ~
このことが、その後のレクサスブランドに受け継がれています

[マツダユーノス・ロードスター紹介]
1960年代に英国で花開いた「ライトウェイトスポーツカー」
ロータス・エランやトライアンフ、MGやモーガン、そしてロードスターの本当のお父さん的な存在であるオースチンヒーレースプライト
イタリアではアルファロメオ・スパイダーやフィアット124スパイダー
ドイツではワーゲンやポルシェ914など、特にこれらのクルマたちはアメリカに渡り、草レースをするために愛好されました
日本でもトヨタスポーツ800やホンダS500・600・800、日産(ダットサン)フェアレディなど、数々の名車が世に発売されました
そんなマツダがアメリカの自動車メーカー「フォード」に買収

された(提携といっていますが

)ころにアメリカのライトウェイトスポーツカーを待望する声に後押しされ開発がスタートする
マツダサイドでは1980年代には廃れたと思われていたライトウェイトスポーツカーなと作る意味があるの

と言う意見もあるなか開発の船出でした
このクルマを開発するにあたり、マツダ本社脇にある川沿いの車両保管倉庫「通称:リバーサイドホテル」にマツダのクルマ好きの開発者たちが夜な夜な集まり、サービス残業で図面を引いたそうです
合言葉は「自分たち開発者が乗りたいクルマを作る」
1960年代のライトウェイトスポーツカーのエッセンスを研究し、妥協するところと、妥協しては行けないところを徹底的に考え議論をする
妥協出来ないところは、FR車であること、足回りはダブルウイッシュボーンサスペンションであること、エンジンヘッドはかまぼこ形状のアルミエンジンヘッドである、ダイレクトフィーリングを出すためにパワープラントフレームの採用、軽量化には無駄を削ぎ落とすことと前後重量配分、爽快なオープンカーであること、必要最低限の荷室があること、コストを知恵でカバーするなど、熾烈を極めたと当時のことを聞いております
妥協したところは、初代NA型の灰皿は当時トラックに採用されていたものを流用、サイドターニングランプは当時部品として一番軽かった軽トラック(マツダポーターキャブ)の流用
エンジンはファミリア、トランスミッションはルーチェの流用
生産ラインはデミオの生産ラインを使用しました
また、生産時点で工場サイドから猛反発された「パワープラントフレーム」も、取り付け安さを追究した設計に変更、開発者みずから、生産ラインに行って、このパワープラントフレームを付けて見せた結果、生産ラインの職人さんからは、「そんなに言うなら付けてやらないと行けないよなぁ~


」と言われ、産まれたクルマがユーノス・ロードスター
外国名、ミアータ・MX-5
因みにミアータとは「贈り物」と言う意味があります
弱小自動車メーカー・マツダが世界に発信した「人馬一体」が世界中940,000人の走る楽しさを教えています
この頃、私もテストドライバーの真似事からワイパーの設計に携わり、クルマ作りを学ばせて頂きました
この時の経験が今日のさーぱぱのクルマに対する知識を支えておりますねぇ~

皆さんもたくさんのクルマとふれあい、たくさんの思い出作りをして頂けたら幸いです



(全体に公開)