10月18日 午前6時
エグザンティアは快調に東北道を走っていた。私は福島あたりまでずっとSMの出発不能について考えていた。前向きに考えれば、途中で止まったり、帰って来れなかったりするより、出発できなかった方が良かったということになる。そしてSMのバックアップとしてエグザンティアやクサラを準備していたので、想定内の出来事であったのだ。
私はこれからの2日間「エグザンティアで来て良かった!」ということ見つけることに力を注ごうと誓ったが、途中で快調に走るDSを見た時はちょっとガクッとなった。「傷口に塩を塗る」という言葉がピッタリだった。
東北道~北関東道~関越道は三芳町に行く際に良く走っているので慣れた道であるが、藤岡JCTから車山高原までは初めて走る道である。エグザンティアであるから初めての道も気兼ね無く走れているが、これがSMだったら、ちょっと大変だったかもしれない。途中で峠の釜飯を食べたり、ゆっくりソフトクリームを食べる余裕があったのはエグザンティアのおかげであった。
その時私は気がついた。今回の一件は、エグザンティアの指金もしくはSMの気遣いだったのかもしれないと。
3年7ヶ月前、AXを失い最初に我が家にやってきたのはエグザンティアであった。当時、我が家にはエグザンティア1台しかなかった。震災の傷を癒すため、家族みんなでエグザンティアに乗っていろんな所に行った。我々家族はいつもエグザンティアと一緒だった。
それからクサラ、CX、SM、2CVがやってきて、エグザンティアは惰眠を貪ることが多くなった。私はフローデスビがついた貴重なド初期エグザンティアを大切にし過ぎるあまり、極力乗らなくなってしまった。
震災を乗り越え、4年越しの夢のFBMに乗っていくべきなのはSMじゃなくてエグザンティアだったのだ。
このことに上信越道横川SA付近で気がついた。震災の傷を最初に癒してくれたのは紛れもなくエグザンティアなのだ。
それに気がついた私はエグザンティアに謝るとともに、SMに感謝した。
心のわだかまりは全て消え去った。目指すは車山高原!エグザンティアは初秋の上信越道を快調に滑走していった。
10月18日 午後2時
ついに車山高原に降り立った私。先着の友人達と挨拶を交わす。
「慢性シトロ炎さんは何処に泊まるのですか?」
と聞かれ
「車山高い島ホテルです」
と答えると
「げげ!!初宿泊であそこですか!!」
私は初宿泊のためその意味を分かっていなかった。 チェックインするためにホテルの駐車場に行くと・・・
なんか空気が違う。かつて経験したことの無い空気だ。
皆さんに挨拶をすると直ぐに
プラスチックのシトロエンに乗せてもらい坂を激走した。
こりゃ、とんでもない場所に来てしまった。
しかし、こんなのはまだ序の口であるのだった。
つづく

Posted at 2014/10/22 22:43:46 | |
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