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Blue Fieldのブログ一覧

2012年06月16日 イイね!

諫早の石橋とレンガ建造物

気になって調べてみた。
道真公が太宰府に左遷された時の位は「従二位・右大臣」
正一位、従一位、正二位の次なので、上から4位になります。。。。。
そして、さしこも4位。
時代は繰り返されるのか??どうも、歴史大好きblueです。

たぶん来年の総選挙で涙の復活ってことになるんじゃないとかいな?
まぁこれでTNC「Cube」でのHKTのお天気コーナーは最低改善されるのでは?と期待しております。


さて、前回に引き続き長崎県です。
諫早駅に来ています。
小浜温泉、島原温泉、雲仙温泉と島原半島の玄関口でもあります。


当然島原鉄道のホームもあります。


ホーム上屋はレール造りと木造のコラボという、これまたたまらない造り。


さて、まずは説明不要の石橋へ行きましょう。


昭和32年の大水害でも、流されず残った石橋。
その後、石橋で初めて国の重要文化財に指定されて、昭和36年9月に移設されました。


1839年架設なので、今から170年以上前の架設です。
5世代以上前の先人もこの太鼓を渡ったのでしょう。


そして同じ園内にはくじら橋という地味ですが、1856年架設の古い桁橋があります。



そして、公園内から川を挟んだ対岸にはさらに古い桁橋があります。
慶巌寺参道橋です。架設は1803年ですので、200年以上前の桁橋です。


一部補強はされております、しっかり現役の橋です。





で、仕事で諫早市役所にも行ったのですが、以前の庁舎付近。
なんか中途半端に以前の庁舎の玄関を残す模様でした・・・。いまいちな、記念碑になるぞ・・。
この時、市の駐車場の横の石橋を見るのを失念してしまったのは痛かったけど・・・。


で、なんかだ同じ具合に中途半端に残されてしまった感があるのが、旧長崎刑務所正門


明治の五大監獄の一つ。長崎刑務所。
結局残ったのは正門のみです。重要文化財になってもおかしくない建造物でしたが、刑務所という負の遺産が住宅地の中に残るのも違和感がありますし、仕方なかったのでしょう。



1908年(明治41年)年に建設され、100年後の今。
正門を残し、住宅地へと変遷していく長崎刑務所跡。



あと伊木力近くで見た墓地内にあるレンガ建造物。どことなく長崎刑務所の意匠に似ているような。。気のせいかな??




おまけ
雨が続きますな。。
カラオケレパートリー中の数少ないミスチルの中の1曲


Posted at 2012/06/16 23:52:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | 建造物 | 日記
2012年06月08日 イイね!

筑後草野と小郡の建物探訪

久々に帰宅時間が翌日になったblueです♪

で、せっかくなんでTVでも見ようとテレビ欄を見たけど、見たい番組がない。。
よくTVが売れない時代と言われますけど、原因はソフトにあるのかも??と勝手に想像。。


さて筑後草野に来ております。
まずは草野と言えば草野歴史資料館こと旧草野銀行本店



明治44年に建てられた木造平屋建の銀行建築


他の銀行建築と同様に細かい所の意匠にこだわりが感じられます。


門扉と鉄柵の意匠にも目を奪われます




そしてお次は山辺道文化館こと旧中野病院です。


大正3年建築の病院建築です。
二階堂のCMロケ地でも有名建物です。



建物の裏手の勝手口にも大正時代の香りを感じます。




で、筑後草野から帰宅しようと小郡周辺を通過していたら、何か気になる建物発見!!
旧小郡村役場


現在は井手運送有限会社の社屋になっていますが、元は昭和9年に建立の「小郡村役場」とのこと。



設計は地元の浮羽工業というのだから驚きです。


それでも細かい意匠もあったりとなかなか面白い建物です。



以上、筑後草野と小郡の建物探訪でした。


おまけ

AKBの総選挙ありましたけどすごいですね・・。
ちなみに、私が初めて買ったアイドル?系の方のCDはこちら・・

Posted at 2012/06/08 01:49:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | 建造物 | 日記
2012年06月04日 イイね!

惚れた娘に捧げた隧道~寶満宮参拝隧道~

昨日は家族で芦屋のとと市場で海鮮をいただきに行きました。帰りに潮だまりでマリオを遊ばせてやろうと浜木綿の有名な海岸の駐車場に行くと、「珪化木あったね。石炭もあったかな?」との会話が。
「化石やな」と思い、お話を聞いてみると、やはりこの周辺は化石が採れるとのこと。
話をしていると、親切にも化石をいただきました。



今度久々に採取してみようかな~。
どうも学生時代は熊本の御船で採掘したこともあるblueです。

さて、先日家族で遊園地に行きました。


目立つ遊具はありませんが、4~5歳の子がいる家庭にはアットホームでよい遊園地です。



こんな廃墟チックな遊具もあったりする(笑)


で、当然太宰府天満宮の敷地内も散歩です。


石橋を愛でましょう~


境内を歩くと建築物に目を奪われがちですが、精霊が宿っているかのような木々にも目が惹かれます


木霊が写っていませんか??


そして境内を竈門神社方面に歩を進めるとあるのが、「お石茶屋」


明治生まれの江崎イシ。筑前の三大美人と言われた女性が勤めていた茶屋


その美貌に皇族、歌人、詩人、政治家がたびたび訪れた。
後の総理大臣佐藤栄作も二日市駅長時代に大臣時代と通ったそうな。



歌人吉井勇の歌碑もあります。


その茶屋から宝満山方面に向かうと、そこには山裾があり。
竈門神社の近くにある自宅があるお石さんは、山裾を遠回りをしてお店まで通っていたそうな。


しかし、昭和3年(1928年)に筑豊の男がとんでもないものを作った。
「寶満宮参拝隧道」


銘鈑と「昭和三年十一月 寄進 麻生太吉」の文字



筑豊の炭鉱王 麻生太吉が遠回りするお石さんを不憫に思い、なんとトンネルをつくったそうな


表向きは太宰府天満宮から竈門神社への「参拝隧道」
でも、ほんとは惚れた太吉がお石さんへ捧げた「お石のトンネル」


どちらがほんとか分かりませんが、昭和初期のなんとも言えない伝説的な隧道。
実際、太宰府天満宮の境内にある唯一の「私有地」として、麻生家がこの隧道を財産として所有しているもの驚きです。。



以上、そんな伝説の香りすらする太宰府からお届けしました。




おまけ
早く夏が来ないかな~


Posted at 2012/06/04 23:02:35 | コメント(3) | トラックバック(0) | 建造物 | 日記
2012年05月24日 イイね!

壊した後の記念碑(教育大前、折尾煉瓦)

子供の前でコーヒーにミルクをたっぷり入れて、「どうだ~ミルクたっぷりだぜぇ~、マイルドだろう~」と行ってみたいblueです。
通じないか?・・・

さて壊した後の記念碑のご紹介。

教育大前駅に来ました。


以前紹介した教育大前駅にある舞鶴跨線橋です。
電化の際にアーチ部を削り取った煉瓦の遺構です。



駅前の旧唐津街道の碑のすぐ横にこんなものができておりました。



へ~、どの団体が設置したんでしょうね?宗像市だったら右下に教育委員会とか書いてありそうですけど、地元の団体かな?
ともあれ歴史を後世に伝えるよい記念碑ですな♪



で、お次は折尾駅。
GW前に東口に行くとこんな工事看板を発見!


一体何を作っているんや?



で、2週間後に再訪しました!公衆トイレと記念公園と言った感じでしょうか?


おくにある「ねじりまんぽ」と撤去された煉瓦アーチについて書いてあります。



敷地内には撤去された煉瓦アーチの残骸モニュメント



で、さらにトイレの裏には同時期に撤去された折尾隧道の銘鈑が置いてありました。
よく見ると赤い破片がありますな。確かにレンガ構造やった証拠ですばい。



で、肝心の残っているみつあんきょとねじりまんぽには何も看板がない・・・・。
無機質な木柵があるだけ。



個人的な感想ですが、こんな記念碑って事業が完成した時に設置するもんじゃないのかなと。
折尾の高架及び都市区画整備事業はまだ途中段階で半分もできていない状況。
折尾駅の駅舎もどうなるか、どこまで保存するのかも決まっていないのに、何か事業の進捗を示すための記念碑であって、通常の記念碑であれば時期早尚な感じです。


探せばこんなマニアックな遺構もあるんだから、すべての工事が竣工の際はしっかりした記念碑を作ってほしいものです。



あ、九銕用地の境界杭です



おまけ
たぶんこの曲って日本でしかシングルカットされてない?



Posted at 2012/05/24 23:57:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | 建造物 | 日記
2012年05月23日 イイね!

目尾に残る旧街道の橋台跡?

一応警戒していたんですけど~、5月病にはならなかったblueです。

さて、お久しぶりです。
GW以降、子供と一緒に寝てしまう夜が多かったので久々の更新。

先日バスハイクに参加したところ、日頃とは違った目線で景色を眺めることができて2つほど新たな発見がありました。
1つは直方の動輪展示箇所。これは今度調査します。

そして、もう一つがこちらの場所。


飯塚市目尾(しゃかのお)になります。場所は地図の赤丸の箇所


小さな河川があり、遠賀川へつながる水門がある個所なのですが、よく見ると石積みの橋台らしきものがあります。


アップで見ると明らかに橋台です。



対岸にも橋台が残っています。



さて、では何の橋台跡なのでしょう?
まずは1948年の航空写真です。右に鯰田駅、左には幸袋線が見えますが、当然線路の痕跡はありません。


手元にある昭和初期の飯塚市の地図でも載っていなかったのですが、地元の方から有力な情報を得ました。
「旧街道跡」ではないか?



その方の話によると、旧街道は上図の位置にあり、その街道筋には郡境石もあったと。
リンク先にもありますが、郡境石は以前確認しております。
西鉄バス停「目尾遊園」の旧街道側付近には、規模は小さいが遊園地があったとのこと。

以上の情報から、当時の街道の橋台と想像しますが、じゃぁ建設時期はいったいいつの頃でしょう?
筑豊の場合、鉄道の橋台はほとんどがレンガ積です。
石積み構造となると、筑豊エリアでは一部のトンネルで見られる程度です。

そもそも街道であるのなら、江戸の殿様の時代から道はあったはずです。当然その頃は木橋。
改修を重ねて石積橋台となったと考えて、筑豊に鉄道が来たのが飯塚駅開業で1893年(明治26年)。
となると江戸から明治時代後期の間に建設された橋台!??

目尾炭鉱の開業した頃、明治時代後期の頃、
目尾は「穂波端」(=当時の穂波郡の一番端っこの意味)と呼ばれて、
街道筋は飲食店や遊園地、神社などで栄えたそうです。


勝手な妄想は尽きませんが、ますます魅力的な目尾地区ですばい。
以上、勝手に街道跡?と推定した橋台跡のれぽでした。


おまけ
女性の肺がんは非喫煙者に多いとのことです・・。
ご冥福をお祈りします。
Posted at 2012/05/23 22:42:29 | コメント(4) | トラックバック(0) | 建造物 | 日記

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