その日は会議のため早朝の飛行機で東京に来ていました。
会議は昼からだったので、会議前は有楽町駅前でいつものように
レンガ構造物の撮影に興じていました。
レンガだけでなく鋼構造物も趣があるな~と感心しておりました。
泊まりの予定でしたので、明日また撮影しようと寄り道を終え、有楽町の8Fの会議室へと。
昼から会議が始まり、一度休憩が入りちょうど内容が深度化し始めた時
カタカタカタ。。。
P波の後に激しいS波がやってきて、会議に参加していた全員が机の下に避難。とても立っていられる状態ではありませんでした。どのくらい揺れたでしょうか?揺れが収まり、机から顔を出すと壁にひび割れが生じ、床にはその粉が落ちていました。
会議室横のTVで震源地を確認し、ひとまず1Fのホールに移動。途中階段壁にもひび割れが発生していました。
会議は即刻中止。
上司は被害状況が気になる自宅まで徒歩で帰宅。自分と同僚はしばらく状況を確認することに。
とは言え余震が続いたために、近くの皇居へ避難しました。
皇居には近くの帝国劇場であった「Endless SHOCK」からも避難している人おり、近隣ビルから避難した人を含めて、多くの人が集まっていました。
念のため電車と新幹線が動いているか確認しようと東京駅方面へ移動。
途中ビルの基部と歩道に亀裂が生じ、マンホールが浮かび上がっている個所に遭遇。震源地から遠く離れたこの場所でこの被害。いったい震源地ではどんな状態に?といった具合でした
東京駅で新幹線、在来線、地下鉄すべてがストップしていることを確認する。ことの重大さを理解し、同僚と別れ、東京から宿泊先の品川まで徒歩で移動開始。そして途中新橋駅のモニターで被害状況を知り、唖然とする
徒歩で移動中。モノレール上に点検作業で歩く人影を確認
前日ブラタモリで芝を特集していましたが、まさかこんな形で見るとは・・・
さらにタモリさんが明治の海岸線位置を確認した屋形船付近では、川が逆流しているのを確認。津波の影響が東京にも来ていました。
途中田町付近。この時間から帰宅困難者の数が急増し、歩道から人がはみ出た状態に・・。
なんとかこの日の宿泊先の品川プリンスホテルに着いたのは19:00過ぎ。
受付には長蛇の列ができていました。
キャンセル待ちや新規の宿泊者の受付は停止していましたが、帰宅困難者のためにロビーを開放し、布団や毛布を提供していました。
国、都が公共施設を開放し始めたのが21:30頃だったので、その2時間も前に民間は動いていたということです。おそらく今後も報道されることはない真実です。
翌日。ホテルの前にある神社。鳥居が折れていました・・・。
早朝のコンビニ。前日の夜の時点で店の奥から在庫をさばいているを確認しましたが、朝には空になっていました・・・
品川駅周辺の道路には、前日の夜から警察官が配置され交通整理にあたっていました(迅速な対応です)翌日は車道も1車線が規制され、歩道として利用できる状態でした。
なんとかして着いた羽田空港。出発ロビーには人があふれかえっていました。
帰って数日、、九州はおそろしいほど平和です・・。この2日間が嘘のようです・・。
今回の地震で被害にあわれた方々へ。心よりお見舞い申し上げます。
そして最前線で作業されている方々へ。本当にありがとうございます。
Posted at 2011/03/17 02:00:32 | |
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