
あくまでも私個人の勝手な思い込みと独断と推測です。
結論
人類初の核兵器として「放射能の人体実験」だったから
(実験は2回実行して結果を確認せよの原則とウラン型〔広島〕とプルトニウム型〔長崎〕の威力確認)
証拠
「我々は史上二度の『原爆実験』に成功した」ロスアラモス国立研究所(マンハッタン計画担当部署)の発表
経緯
昭和17年10月 原爆開発(マンハッタン計画)承認
昭和20年2月 ヤルタ会談にてドイツ降伏後にソ連の対日参戦の密約締結
同年(以下略)4月 トルーマン大統領就任
6月22日 御前会議にて終戦工作開始決定(ソ連へ仲介依頼)
7月16日 人類初の核実験成功
7月26日 ポツダム宣言
8月6日 広島へ原爆投下
8月9日 長崎へ原爆投下及びソ連対日参戦(9月5日迄続く満州侵略)
8月15日 玉音放送
9月2日 降伏文書調印
(注)ソ連は和平交渉の仲介依頼後に侵略を開始し、降伏文書調印後も戦闘を続けたことにご留意下さい。
当時の背景
①今でも残る白人のアジア人、特に日本人に対する生理的嫌悪感(日本人には自然に嫌悪感が湧くとのFルーズベルト大統領の発言)
②第二次大戦後のソ連に対応する軍事力開発の必要性
(戦争が終わる前にどうしても人体実験をして効果確認と威力誇示をしておきたかった)
③共産党国際化組織(コミンテルン)による洗脳
⑴日本国内は朝日新聞の尾崎秀実や中央公論社等による米英撃つべしとの国民の扇動(北進論から南進論へ誘導)
⑵ハルノートを起稿したハリー デクスター ホワイトなどアメリカ政権内の共産党スパイの浸透
詳細は共産党の敗戦革命論(強大な資本主義二ヶ国があれば両国間で戦争させて弱体化を図る工作)を参照して下さい。
④日本で現在も続く国政上層部と官僚による無責任体質(世論や上司に言われるがまま『出口を考えず』に開戦してしまった)
⑤対ドイツ戦のためにアメリカ参戦が必要だったチャーチルの暗躍
⑥天皇陛下をいただきながら社会主義的全体主義国家を目指した陸軍一部の暗躍
補足
経緯で明らかなように原爆を使用しなくても日本の降伏は決まっていましたが、原爆の人体実験をどうしてもしたかったアメリカ軍部に半分騙されてトルーマン大統領は承認したとなっています。(ウィキペディア「広島への原爆投下に至る国際的軍事背景」より)
原爆投下は3月の東京名古屋大阪神戸大空襲と共に民間人大量虐殺行為に他なりません。
特に大空襲を指揮したルメイに勲章を与えるなどWGIP(注)の効果極まれりです。
(注)War Gult Information Program
米軍による戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画
現在では我が国のオールドメディアや左翼政党と中朝韓国の反日活動の基礎になっています。
私見
無理難題に思えたハルノートですが大した利益も上がらない満州や万年お荷物の朝鮮半島などさっさと白人国家に押し付けて反共対策とし、代わりに欧米地域との貿易に活路を見出すべきだったと思います。
また原爆の被害が余りにも悲惨なので反原発派に利用されますが左翼お得意の問題点のすり替えで、本来は原爆と原発は全く別物です。
原発は稼働してもしなくても危険性は変わらないので現状では原発は稼働すべきと考えます。
そもそも反原発なら九州から僅か200㎞の韓国 月城で今年の6月に発生した大量被曝原発事故を糾弾すべきと思います。(日本のマスコミは報道しないので検索して下さい。)
最後になりましたが原爆被災者に限らず全ての戦争被害者に哀悼の意を表します。
特に愚かな上層部に命令されて戦った全ての兵隊さんには深く感謝申し上げます。
H30.9.11一部追記
Posted at 2018/08/08 18:54:29 | |
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