
一昨日、初めてのカスイチ(霞ヶ浦一周)に出かけました。
4時前に自宅を出発。
東北道はスイスイ。さあ、圏央道を使って常磐道に乗ろう・・・
・・と思ったら、この方面の圏央道は夜間工事通行止め中だって(汗
しょうがないので大回りして三郷経由で常磐道に乗り、ほぼ予定通りに霞ヶ浦湖畔の予科練平和記念館に到着しました。
時刻は5時半で外気温は17℃でした(寒っ
ここの駐車場は無料開放されていて、カスイチで使うのにもってこいなんです。
駐車しているクルマはまだほとんど有りませんでした。
先ずは途中のコンビニで買ったサンドイッチと野菜ジュースで朝食。

その後ロードバイクのフロントタイヤを組み込み、着替えをしていざ出発!
6時ちょい前でした。
霞ヶ浦沿いのコースに出ると太陽が上ってきました。気持ちいい~

でもね、風がピープーしてるんですよ。。。
出発する直前に予報を見てきたのですが、北東の風が5-8m程度吹く予報でした。
泣き言を言ってもしょうがないので漕ぎ出し、約30分で見晴らし台?に到着。

見晴らし台からは霞ヶ浦の向こう左側に土浦市、正面に筑波山が見えました。
風は相変わらず吹いていて、結局右岸を走っているときはほぼ横風、横から煽られるので走り難いったらありゃしない。

風のタイミングによっては打ち寄せる波の飛沫を感じるほどでした。
約25km走って最初の休憩地点はコース上でも数少ないコンビニ。

気温が低いので缶コーヒーで暖まります。
少し走ると"霞ヶ浦"の看板に出会いました。

この先では草刈り工事でコース上を走れなくなり、大きく迂回したりしながらも無事コース復帰。
河川名境界(常陸利根川:霞ヶ浦右岸0km)に到着です。

約40km走行です。
すぐこの先で北利根橋を渡り、左岸に入ります。

相変わらず空は晴れ渡っています。

左岸を走っているときはほぼ向かい風でした^^;
ただ、こちら側はルートの右(東)側に小高い丘や人家が多く、風よけになってくれるので、思ったほど辛くはありませんでした。
8時半過ぎ、天王崎公園に到着しました。

ここでプロテインを供給します^^;

隣には風の塔がありました。

9時前に公園を出発。
コース上の多くの箇所にこんなマークがあって、あまり迷うことはありません。
遠くに霞ヶ浦大橋横の虹の塔が見えてきました。63km地点です。
更に走ってやっと霞ヶ浦大橋に到着。約68km地点です。

物産館や虹の塔などがあります。

霞ヶ浦大橋を渡らなければ約125kmのコースで、渡れば約90kmのショートコースです。
時間的には125kmコースでも走破出来そう。いや待てよ。今のところは青空が出ているのですが天気予報では午後から雨・・
チョット心配になって結局ショートコースを選択しました。
橋を渡り、少し走るとサイクルサーポートステーション Ride Villageがありました。72km地点です。
霞ヶ浦周辺にはれんこん畑がいっぱいありました。

収穫の様子はTVでよくやってますね。
遥か遠くに牛久大仏が見えてきました。

この写真ではほとんどわかりませんが、ほぼ中央にあります。
土浦市が見えてきました。 右側には二コブの筑波山が・・ 85km地点です。

約11時半、やっと土浦市街に到着です。
出発地点に近い霞ヶ浦総合公園に来ました。

日帰り温泉施設 霞浦の湯がありました。入りたかったな。。。

これは公園内の風車と、手前にオブジェ 「光の輪のむこうに」 釣りをする少年と犬?
そろそろランチタイムなので公園内のレストハウスへ。

最近はとみに少食なので、オーダーはチャーシュー丼(子供サイズ)です(汗

これが結構おいしかった。 400円也。
スタートから約6時間半後、午後12時半過ぎに出発地点の予科練平和記念館に戻りました。実走行距離は約97kmで、実走行時間は約4時間50分でした。

着替えをしてロードバイクをV40に積み込みましたが、ショートコースを走ったのでまだ時間は午後1時。
なので予科練平和記念館を見学出来ないかなと・・・。事前情報では感染対策で事前予約が必要だとのこと。
その前に、外に併設されている零戦の実走行模型を見てみます。

子供の頃は戦争のことなど知らずに「カッコいいなぁ!」と憧れていました。
さて、記念館の受付に行ってみると、「今日は予約が入ってないので大丈夫ですよ」と・・・

最近ではお決まりの体温計測と感染症状が無いかの書類にチェック。
入場料は500円です。
中には7つのゾーンに分かれて、予科練の入隊~特攻までの展示や映像がありました(撮影禁止です)。
この7つのゾーンは予科練の制服だった7つボタンに因んだようですが、予科練開設当時は入隊しても階級は最下級の水兵と同じで、制服も水兵服だったそう。
せっかく難関を突破して入隊したのに・・・という不満が練習生内に高まり、それを解消する手段の一つとして、士官型の7つボタンに変更し、また、高級幹部にもなれるという触れ込みにしたそうな(Wiki抜粋)。
「予科練」というと、「大東亜戦争中の特攻の悲劇」というイメージばかりですが、設立は昭和5年で、航空機の需要が高まりつつある世界的な流れとして「熟練の搭乗員を育てるには若いうちからの訓練が必要」という趣旨だったそうです。
当時の高等小学校(現在の中学2年生まで)を出てもっと勉強したくても、経済的な理由等で進学できない少年たちに、勉学の道を開いた側面もあるようです。
その後に大東亜戦争が始まってしまい、即席の航空兵を養成する手段となってしまったことこそが悲劇でした。
さて、見学を終えた頃には空がいかにもドンヨリ状態に変わってしまいました。

それでもまだ雨が降らないだろうと、お隣りの雄翔館(予科練記念館)へ。

これは記念館の敷地内に展示されていた人間魚雷回天の実物大模型です。

これは雄翔園・雄翔館の案内板です。
雄翔館と、隣接する雄翔園は陸上自衛隊土浦駐屯地内にあるので、門番をしている隊員による体温計測と現在新型コロナに罹患していないかの質問表に記入して入場します。
雄翔園の更に奥は駐屯地で立入禁止です。手前には戦車がずらりと並んでいました。

迷彩色なこともあって分かりづらいです。
ここが雄翔園の入り口で、手前に山本五十六元帥像がありました。

室内には予科練戦没者の遺書・遺品が多数展示されています。
見学後はお隣りの雄翔園もチョットだけ歩いてみました。

これは若鷲の歌の碑ですが、予科練平和記念館には古関裕而の直筆楽譜も展示されていました。
これは予科練の碑です。
その後午後2時過ぎに駐車場を出て、今夜の宿がある外房へ向かったのですが、すぐに雨が降り出し、もしロードで125kmコースを走っていたら、途中でまともに降られるタイミングとなりました。
あの時の判断は間違ってなかった!(笑
(続きます)