
と、いうことで長野電鉄のイベントへ行く途中、上信越東部湯の丸SAにてバッテリー死亡によりエンジンを切る事を許されなくなった
このとき、朝6時
仕方がなくそのまま東部湯の丸ICで降りて帰宅の途についたが、このまま帰るのもねぇ
長野は東御市 ここは母親の実家がある、土屋圭一の出身地で有名?
母親の実家倉庫に預かってもらっていたフォレのサスペンションを回収し、エンジンを切らずに済む観光をしようと思った
ちゅ~ことで、朝から鉄道廃線跡めぐりだ
ここには昔、不運な運命を辿った「布引電気鉄道」があった
最後は電気代を払えず電気供給を切られ、強制的に運休に追いやられてしまった
と、言っても廃止は1936年で約70年前の話だ
このような廃止は珍しく、意外と知っている人も多いかと
でだ、現代でも少しだけ遺構が残っている
まずは千曲川に掛かる橋脚

オレが子供の頃は中州にある橋脚も残ってた気がする

で、布引観音の前にある石垣
これはホーム跡ですね

微妙な高さの石垣の端がナナメにスロープになっているのはホームに多い

とまあ、このぐらいしか遺構は残っていない
小諸駅付近には少しあるようだが、狭いので今日はパス
エンストしたら終わりだからな
小諸駅方向に行くと狭いので田中駅方向へ戻るようにして、しなの鉄道は滋野駅

さりげなく滋野駅は初めて来た この周辺に知り合いや親戚が多いんだがな
母親の実家はトナリの田中駅が最寄駅だった為
この滋野駅はタクシー会社が委託を受けて駅業務を行っている
軽井沢駅で峠の釜めし以外の駅弁を買おうと思ったら、まだ売店が開いてなかった
まだ朝8時・・・・アウトレットも開いていない

(ちなみにこの時はクルマは駅前駐車場にエンジン掛けっぱ放置w)
仕方がなく、横川のおぎのやドライブインで釜めし買って帰りましたとさ
帰宅午前11時 練馬ICにするか圏央道経由調布ICにするか悩んだが、練馬経由で
環八も混んでなかったので速かったぜ

昼飯に間に合った
途中環八で脇から飛び出したクルマでエンストしそうになって焦った
途中給油はエンジン掛けっぱで給油してもらった
関越道嵐山PAではエンジンかけっぱでトイレ休憩
自宅に着いたらバッテリーの充電がある程度できたようで、通常セルで一発始動するようになっていた
Posted at 2011/05/05 23:39:49 | |
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鉄道 | 日記