産経新聞 1月30日(木)7時55分配信
東日本大震災後、住民に安らぎの場を提供しようと、南三陸町で被災した住民らが運営してきた「さんさカフェ」が29日、開店から2年で幕を閉じた。道路整備で立ち退きを求められたためだ。さらに、震災から2年10カ月が経過し、支援金や訪れるボランティアの数も少なくなって、利用客の減少で運営が厳しくなっていた。店員らからは「もっと利用してほしかった」と、苦渋の閉店を惜しむ声があがった。(安藤歩美)
◆200人が別れ惜しむ
プレハブ製の「さんさカフェ」が建つのは、津波で壊滅的な被害を受け、人が住めない災害危険区域に指定された同町の志津川地区。店の最終日となったこの日は、200人以上の客が押し寄せて別れを惜しんだ。
開店からほぼ毎月訪れていたという仙台市青葉区の会社員、阿部恵巳さん(37)は「南三陸の復興状況も教えてもらえるし、店員とも家族のような関係だった。閉店は寂しい」と名残惜しそう。「この店のカツ丼が大好き」と話す南三陸町観光協会の西城正年さん(36)は「町内で仕事を忘れてくつろげる場所はここだけ。ぜひ再開してほしい」と訴えた。
「さんさカフェ」が開店したのは平成24年1月29日。町の避難所だった志津川高校で、有志で炊き出しをしていたメンバーらが避難所の閉鎖後、支援団体の提案を受けて開店した。店員の8人はいずれも町内で被災し、家族や家を失ったが、つらさをぬぐい去るように「とにかく店の仕事に没頭してきた」と、代表の内海明美さん(42)は話す。
◆客足遠のき採算悪化
閉店を決めたのは今月初旬。昨年末、町からカフェの建つ場所に道路を建設する計画を聞かされたことが直接の理由というが、閉店は時間の問題だった。
震災発生直後は、町にも支援団体にも義援金が多く集まった。カフェの建設を提案した支援団体は当初従業員の人件費を負担する約束だったが、店を建設した段階で資金のめどがつかなくなり、支援から撤退。ボランティアに訪れる人の数も時間とともに減り、客足は日増しに遠のいた。
店の看板メニュー「日替わり定食」は、「被災した地元の人たちが気軽に来られるように」と当初500円で提供していたが、客の激減で2年目からは700円に値上げ。内海さんは「(閉店を)今さら残念だと言われても、という気持ちもある。もっと店を利用してほしかった」とうつむく。オープン直後は1日に約50人の客が来店し、ピーク時には100人を超えたことも。しかし、最近は1日に2、3人程度だったという。
「全国から来た人に町の情報を発信する場でもあった。閉店はもったいない」と話すのは、店員の鈴木淳さん(55)。店員らに店を再開したい気持ちはあるが、移転先も再建費用も全くめどがつかない状況だ。「やめたくてやめるのではない。やめざるを得なくてやめるんです」と、ため息交じりに語った。
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現在は青森在住の私だが、東日本大震災の時は仙台に住んでいて自身も被災した。
仙台市中心部に住んでいた私は、津波被害は受けなかった。だから、上の記事に出てくる南三陸町の方達に比べたら大した被災ではない。
彼等からすれば、「お前なんか被災者じゃない」と言われても仕方はない。
そんな私だが、微力ながら自分の出来ることはさせてもらった。
僅かばかりだったけど、個人的に南三陸町に救援物資を届けさせて貰った。
※その時の模様はこちら。
だからこそ、上の記事を見て今回書かずには居られなかった。
率直に言って、こういう考え方は良くない。商売やってる人なら誰も同情しないと思う。
良い機会のなので、下の記事を紹介したい。
「湘南カレー」被災地へ
小町のゆうゆう庵が大槌町に
掲載号:2012年6月 1日号
市内小町のカレー専門店「湘南カレーゆうゆう庵」店主の植山竜太郎さん(48)が、東日本大震災復興支援のため岩手県大槌町に移転し、先月22日から現地でカレーを提供している。これは公益社団法人「東日本大震災雇用・教育・健康支援機構(横浜市中区、田中潤代表)」の呼びかけに、植山さんが応じたもの。
昨年末、知人であった同機構の田中代表から植山さんに、岩手県大槌町の復興に向けて立ち上げたコミュニティーハウス「どんりゅう庵」内でカレーを出して欲しいとの連絡があった。それを受け植山さんは3月に10日間、4月に2週間ほど現地に滞在しカレーを提供した。「かつては商店街だった場所なのに見る影も無かった」と植山さん。飲食店がほとんど再開していない中で、自分のカレーを食べて喜ぶ現地の人を見て、根を下ろして店を続けることを決心したという。植山さんは「うまくいけば、店舗を増やして雇用を作りたい」と話している。
植山さんに話を持ちかけた田中さんは、横浜で税理士事務所を開いており、昨年6月に震災支援のために公益社団法人を設立した。長く寒い冬に住民同士が交流できる場所をと、同法人は食事の廉価提供や、マッサージ器具、支援物資の受け渡しや住民のよろず相談窓口などを設置したどんりゅう庵を、今年3月に開設。ゆうゆう庵はその建物内で営業している。植山さんが先月22日に現地入りするまではカレーは鎌倉で作って送っていた。
「復興めど立つまで続ける」
植山さんは横浜出身。当初はイタリア料理を専門としていた。「海の近くを」と静岡県の下田に出店。するとカレーが評判となり、以来専門に。2005年2月7日に、知人づてに鎌倉駅東口に移転した。トマトソースをベースにスパイスと合わせた特製の「ゆうゆう庵カレー」のほか、「ポークカレー」などを提供、「横濱カレーミュージアム(横浜市中区、2007年に閉館)」に出店していたこともあるという。これらのカレーは、現地でも提供している。
今回の移転に伴い鎌倉の店舗・住居は引き払い、復興のめどが立つまでは現地での生活を続けるという。植山さんは「先のことはまだわからない」とし、「たいしたことはできないが、少しでも復興の役に立てれば」と話す。
現地での活動拠点は岩手県上閉伊郡大槌町本町6の11、復興ふれあい広場どんりゅう庵内湘南カレーゆうゆう庵【電話】0193・55・5437
実は去年の6月、私は恒例の県外出張で岩手県大槌町を訪れた。
震災の生々しい傷跡。今はもう取り壊されているかもしれない。
JR山田線・大槌駅。本来あるはずの駅舎が丸ごと無い。
ここにまた列車が走ることはあるのだろうか…
駅前は本来こんな姿じゃないだろうに。
仙台を離れて以来、久々に訪れた被災地。改めて衝撃を受けて移動していたら、
こんな看板が目に飛び込んできた!
何?湘南カレー?このワタスは正真正銘の、ホンモノの湘南人だぞ?
すぐに引き返し、お店に突入!
早速、ご自慢のカレーを頂いた。驚きの価格でありながら、しかし美味い!(^^)/
その時はお客がワタス1人だったこともあり、お店の方と色々お話した。
ワタスは仕事で青森から来たこと。でも本当は神奈川ケンミンであること。しかも、本籍はこちらのお店のあった鎌倉であること。
また、自身も震災当時は仙台在住で被災したことなどetc…
同じケンミン、同じ地元の人間か訪れたことを喜んで貰えたし、何よりこのワタス自身嬉しかった。
帰り際、このお店のことをブログに掲載して良いか伺ったところ、是非にと言って頂いた。それが忙しさに感け、つい半年以上も寝かしたままだった。(汗)
良い機会なので、改めて皆はん方にご紹介した次第。
話を南三陸町のカフェに戻そう。
「(閉店を)今さら残念だと言われても、という気持ちもある。もっと店を利用してほしかった」
「全国から来た人に町の情報を発信する場でもあった。閉店はもったいない」
「やめたくてやめるのではない。やめざるを得なくてやめるんです」
確かに被災して家や家族を失ったり、大変な思いをされたことと思う。
だからと言って、客が来ないことに対し、
「オマエ等がもっと利用すればこんなことにはならなかった。オメエ等が悪い…」
と言うのは、責任転嫁以外の何物でもない。そもそも人の善意を当てに商売してはいけないと思う。
震災特需に乗っかる形での、人の善意を当てにした商売自体、見通しが甘かったのでは?
現に同じ東北の青森でも、津波被害を受けた八戸とかは別として、内陸の青森・弘前なんかはまるで他人事。仙台から来た人間からすれば、そのあまりの温度差に愕然としたよ。
復興支援・被災地支援をいつでも考えてる人なんて、被災地以外ではまず居ないよ。
震災への意識は基本的にみんなどんどん薄れていく。いつまでも続かない。それが現実。
それとは別に商売の観点からだけど、お金払うからには誰だってそれに見合った対価を求めて当然。
美味しかったり、また来たくなる雰囲気作りをしていれば、復興支援に関係無くお客は来たと思う。立ち上げの理由は全く関係無いよ。
厳しいことを書いたけど、いつまでも他所からの支援に甘えず、自分たちの力で復興を掴み取って欲しい。
僅かながら南三陸町と関わらせてもらった人間として、心よりそう願っている。
Posted at 2014/01/30 12:44:52 | |
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