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利根川の天然水のブログ一覧

2016年07月01日 イイね!

日産 セドリック   1960、コンセプトカー

日産 セドリック   1960、コンセプトカー日産 セドリック

                                                             縦型4灯のヘッドライトを持つ高級セダン。プリンス自動車工業との合併によって、のちにグロリアと                                                              兄弟車となった。 「 セド・グロ 」時代をつくった。 今でもタクシー専用車両として名前を残す。                                                                                                                               50~60年代 大衆車の時代がやってきた

 東京モーターショーは1954年、東京・日比谷公園で「第1回 全日本自動車ショウ」として始まった(ちなみに英語では最初から「TOKYO MOTOR SHOW」だった)。日本自動車工業会の資料によると、展示車両267台のうち、乗用車はたった17台。トラックが主体だった。

 そんな50年代だが、回を重ねるごとに乗用車に光が当たっていく。55年に通商産業省(現経済産業省)が乗車定員4または2人で、荷物を100キロ積めて、価格は25万円という「国民車構想」を掲げ、自動車メーカーも乗用車開発に力を入れ始める。構想がそのまま実現したわけではないが、58年に発売されて「てんとう虫」の愛称で親しまれた富士重工業の「スバル360」など、乗用車が大衆に近づいていく時代だった。
 
Posted at 2016/07/01 04:51:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2016年07月01日 イイね!

ダットサン ブルーバード  1959、コンセプトカー

ダットサン ブルーバード  1959、コンセプトカーダットサン ブルーバード

英オースチンとの提携の蓄積を生かした新設計。テールランプの形状から「柿の種」のニックネーム                                                              で呼ばれた。歴代モデルがトヨタ・コロナと苛烈な販売競争を繰り広げる。                                                                                                                                            50~60年代 大衆車の時代がやってきた

 東京モーターショーは1954年、東京・日比谷公園で「第1回 全日本自動車ショウ」として始まった(ちなみに英語では最初から「TOKYO MOTOR SHOW」だった)。日本自動車工業会の資料によると、展示車両267台のうち、乗用車はたった17台。トラックが主体だった。

 そんな50年代だが、回を重ねるごとに乗用車に光が当たっていく。55年に通商産業省(現経済産業省)が乗車定員4または2人で、荷物を100キロ積めて、価格は25万円という「国民車構想」を掲げ、自動車メーカーも乗用車開発に力を入れ始める。構想がそのまま実現したわけではないが、58年に発売されて「てんとう虫」の愛称で親しまれた富士重工業の「スバル360」など、乗用車が大衆に近づいていく時代だった。
  
Posted at 2016/07/01 04:45:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年07月01日 イイね!

スバル 360  1958、コンセプトカー

スバル 360  1958、コンセプトカースバル 360

敗戦国のヒコーキ屋の意地。  通産省の「国民車構想」に社運を賭けた。フルモノコックボディーの                                                             後端に空冷2気筒エンジンを配置。「てんとう虫」の愛称で長く親しまれた。
                                                                                                                            50~60年代 大衆車の時代がやってきた

 東京モーターショーは1954年、東京・日比谷公園で「第1回 全日本自動車ショウ」として始まった(ちなみに英語では最初から「TOKYO MOTOR SHOW」だった)。日本自動車工業会の資料によると、展示車両267台のうち、乗用車はたった17台。トラックが主体だった。

 そんな50年代だが、回を重ねるごとに乗用車に光が当たっていく。55年に通商産業省(現経済産業省)が乗車定員4または2人で、荷物を100キロ積めて、価格は25万円という「国民車構想」を掲げ、自動車メーカーも乗用車開発に力を入れ始める。構想がそのまま実現したわけではないが、58年に発売されて「てんとう虫」の愛称で親しまれた富士重工業の「スバル360」など、乗用車が大衆に近づいていく時代だった。
                                                                             
Posted at 2016/07/01 04:41:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2016年07月01日 イイね!

トヨペット コロナ  1957、コンセプトカー

トヨペット コロナ  1957、コンセプトカートヨペット コロナ                                                                                                                                                                               ベストセラーとして、長らく トヨタの 経営を支えた 中堅セダンの 初代。                                                                              のちに派生する、上級モデル 「 マーク Ⅱ 」 は 、                                                                                          80年代 ハイソカーブームの 代表的な一台。                                                                                                                                                             50~60年代 大衆車の時代がやってきた

 東京モーターショーは1954年、東京・日比谷公園で「第1回 全日本自動車ショウ」として始まった(ちなみに英語では最初から「TOKYO MOTOR SHOW」だった)。日本自動車工業会の資料によると、展示車両267台のうち、乗用車はたった17台。トラックが主体だった。

 そんな50年代だが、回を重ねるごとに乗用車に光が当たっていく。55年に通商産業省(現経済産業省)が乗車定員4または2人で、荷物を100キロ積めて、価格は25万円という「国民車構想」を掲げ、自動車メーカーも乗用車開発に力を入れ始める。構想がそのまま実現したわけではないが、58年に発売されて「てんとう虫」の愛称で親しまれた富士重工業の「スバル360」など、乗用車が大衆に近づいていく時代だった。
       
Posted at 2016/07/01 04:36:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2016年07月01日 イイね!

プリンス スカイライン  1957、コンセプトカー

プリンス スカイライン  1957、コンセプトカープリンス スカイライン                                                                                                                                                                           日本の、スポーツセダンの代名詞 「 スカイライン 」の 初代。                                                                                    テールフィンなど、アメリカンないでたちが特徴だ。                                                                                             レースでも 活躍した 「 GT 」 モデルの登場は、 二代目からとなる。                                                                                                                                              50~60年代 大衆車の時代がやってきた

 東京モーターショーは1954年、東京・日比谷公園で「第1回 全日本自動車ショウ」として始まった(ちなみに英語では最初から「TOKYO MOTOR SHOW」だった)。日本自動車工業会の資料によると、展示車両267台のうち、乗用車はたった17台。トラックが主体だった。

 そんな50年代だが、回を重ねるごとに乗用車に光が当たっていく。55年に通商産業省(現経済産業省)が乗車定員4または2人で、荷物を100キロ積めて、価格は25万円という「国民車構想」を掲げ、自動車メーカーも乗用車開発に力を入れ始める。構想がそのまま実現したわけではないが、58年に発売されて「てんとう虫」の愛称で親しまれた富士重工業の「スバル360」など、乗用車が大衆に近づいていく時代だった。
 
Posted at 2016/07/01 04:27:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ

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「発車3分前の列車でも余裕で乗れる日本の鉄道、中国じゃ絶対あり得ない! =中国メディア http://cvw.jp/b/1528111/42009436/
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