




■セリカの誕生
セリカは1970年10月23日に誕生、 発売はおよそ1カ月後の12月1日でした。
実際には、同年の10月3日から開催された第17回東京モーターショーに出品されていました。
開発プロジェクトとしては、1967年頃からスタートしていた様です。
試作車は50-60台作られたとされます。 キャッチフレーズは「未来からきたクルマ セリカ」。
2000年は、セリカ誕生から30周年を迎える記念すべき年となります。
セリカと全く同一のスケジュールで双生児であるカリーナも誕生しています。
■セリカのネーミング
”セリカ”とはいうのはスペイン語形容詞です。
「天体の」、「神秘の」、「神々しい」などの意味があります。
トヨタは当時から「クラウン」、「コロナ」、「カローラ」など「C」で始まるネーミングを採用しており、
「CELICA」もその伝統を踏襲した訳です。
当時流行った下品なギャグに下記がある。(当時、私もこのギャグを使いヒンシュクを買いました。)
・クイズです。 「 セリカに女の子を乗せてくどいたら断られました。理由は・・・」
・ 答え 「生理か(セィリカ)・・」
---->若さ=馬鹿さでしたねえ。
■セリカのシンボルマーク
セリカのシンボル・マークは「龍」です。
神秘的な美しさをもちながら天空を駆ける「龍」のイメージ。セリカにぴったりですね。
海外のセリカフリークはこの「龍」の事をもちろん「ドラゴン」と呼んでいます。
東洋的な面もあり、またまたぴったりのイメージですね。
ところで、海外のセリカフリークは初代セリカのことを「クラッシックセリカ」とも呼んでいます。
2000年で30周年ですからね、こう呼ばれても違和感はないでしょう・・。
■当時におけるセリカの位置付け
まず、1970年当時のトヨタ車のラインナップをみてみよう。
当時のトヨタ車を排気量の小さい順にみていくと、
・パブリカ
・カローラ、カローラクーペ、スプリンター
・コロナ、コロナハードトップ、コロナマークⅡ
・クラウン、クラウンハードトップ
・センチュリー
以上です。
これしかなかったんですね、これしか・・。あのトヨタも当時は。
トヨタ車で若者が買うには、パブリカかカローラクーペ、スプリンターしか無かったんです。
パブリカと言えば、あの”パタパタ”のパブリカですよ・・。
「ハイソ」などという言葉も無い時代ですから、マークⅡはまだまだ「おじん車」でした。
そもそも、マークⅡではなくて「コロナマークⅡ」なんです。
今の若者は選択肢が多いだけでも恵まれていると言わざるを得ないでしょう。
もちろん、他社をみると日産にはスカイラインやブルーバード、サニーが、
本田にも360CCのライフなど軽自動車もそれなりに金欠の若者には人気がありました。
そんな時代の中で、セリカがデビューした訳です。
当時の私がブルーメタリックのセリカを初めてみて、そのカッコ良さに思わずめまいがしたのも当然でしょう。
今でもメタリックの塗装が日光に輝いていたその日の事を思い出すことが出来ます。
その頃、カッコいい車とはスポーツカーしか無かったんです。
トヨタ2000GTやフェアレディZ、ホンダS800等は確かにカッコよかった。
外車で言えばムスタングとか。(マスタングではありません。当時はムスタングと一般に呼ばれていました。)
でも当時の若者にはとても手が届きませんでした。
後は、セダンから生まれてクーペにしたものくらいでした。
つまり、若者は飢えていたんです。カッチョ良くて自分でも手が届くいいに女に・・。おっと違いました、いい「車」に。
セリカが日本で初めての「スペシャリティカー」であったというのは、こういう時代背景が関係しています。
セリカが発表と同時に爆発的な人気を得たのは当然の事でした。
こうして、セリカのデビューは国産自動車史上に残るエポックメーキングな出来事となったのです。
■セリカのデザイン
セリカの原形はご存知のとおり、1969年の第16回東京モーターショーで話題を呼んだ「TOYOTA EX-Ⅰ」です。
この「TOYOTA EX-Ⅰ」はその未来的なデザインが大変高い人気を呼んでいました。
当時トヨタとしては、この「EX-Ⅰ」の市場調査を行いスタイリングが好まれているのを把握した後に
市販車として大人5人が乗れる乗用車に仕立て上げる計画を立てました。それがセリカ誕生のきっかけです。
トヨタはセリカの発売に先立ち十分な勝算を確信していたのです。それは見事に的中しました。
トヨタは今日世界的にみても車造りやマーケティングにおいて抜群の力量を発揮していますが、その端緒はセリカの発売当時から
みられる訳です。
セリカのボティ構成はセンターピラーの無い2ドアハードトップのみであり、4ドアも無ければワゴンタイプもありません。
今日ではスペシャリティカーがたくさんあるため当たり前ですが、当時としては全く異色な構成でした。
当時の若者はなかなかクーラー等を取り付けるだけの余裕はありませんでした。
窓を全部閉めて首にタオルを巻いて「クーラーが付いている様に見せかけて走った。」という逸話も残っています。
センターピラーの無いセリカの窓を全開にして走る心地よさ、開放感も、またたまりませんでした。
今日では安全性からか、センターピラーの無いハードトップはほとんど見かけませんね。
さてそのセリカのデザインですが、なんといってもスタイリングの美しさには特筆すべきものがあります。
どの部分からながめても美しく、落ち着いたムードもあります。
凶悪な面構えをした車達とはちょっと違います。軟派なムードもあります、私同様?
ボディは全体として前衛的なスピード感のある丸みを帯びた凹凸のないデザインとなっている。
これは空力的考慮から当然の帰結といえます。
セリカのスタイルは単に造形的なバランスの良さだけではありません。
「MIDDLE&LOW」のコンセプトのもと、ドライバーズシートはホイールベース中央の低位置にセッティングされています。
セリカは「名花」と呼べる美しさを持ったデザインであると私は思っています。皆さんはいかがですか?
やはり日本的な華がありますね。バター臭くないんです。
■セリカの生産体制
セリカは当時トヨタの最新鋭工場であった豊田市の堤工場にて生産されていました。
私が乗っているだるまも、貴方のだるま・LBもきっとここで生産されたものでしょう。
正に「CELICAの聖地」と言える工場ですね。
さて、セリカはご存知のとおり「フルチョイスシステム」が導入されていました。
この新しい販売体制に対応して、販売から生産までさまざまな工夫が成されました。
各ディラーから専用の注文仕様明細書に記入されたオーダーは、ディリーでオーダーエントリーされ、
ディリープロダクションシステムが採用されていました。
このシステムは人手ではとても管理は出来ず、当時としては先進的にコンピュータに依る管理がなされていました。
まだ、パソコンはもとよりマイコンという言葉すらない時代です。
私が新車でだるまを買ったのは76年頃と思いますが、その時で数週間で納車だったように記憶しています。
メーカーとしては長くても10日くらいを目標にしていたみたいですが、私の地方までの陸送やディーラーでの
諸手続き等を考えるとフルチョイスシステムで、当時数週間というのはまあ及第点でしょう。
でも、この納車までの数週間は本当に待ち遠しかったですね。
生産台数の推移は、45年は12月発売という事もあり5600台程度、46年は11万台程度、47年は15万台生産されています。
47年の8月に第一回目のマイナーチェンジが実施されていますから、推定でも18万台近くの「ワンテール」
が出回ったという事になるんでしょうか? かなりの人気車であった事は間違いないでしょう。
