フランス出身の美術史家、ソフィー・リチャード氏にとって、日本は「美術マニア垂涎の地」だ。美術館の数が驚くほど多いうえ、それぞれのレベルもレベルが高い。ところが、そのほとんどが外国人に知られていないという。『フランス人がときめいた日本の美術館』の執筆者でもある同氏に、日本の美術館の魅力について聞いた。
英語でのインタビューはこちら
英語サイトがない美術館も少なくない
──東京・代官山にある旧朝倉家住宅がお好きだそうですね。
この本を書くきっかけとなった特別な場所です。代官山というトレンディな街の中に、突然現れるポケットのような場所。美しい庭園に恵まれたとても静かな場所なのに、ほかの美術館のように何時間も並ぶ必要がない。実は偶然見つけたのですが、まだ情報がないために、私たちが知る由もないこんな場所が日本には多くあるのではないかと思いました。
その後、幸運なことに(ベネッセホールディングス最高顧問の)福武總一郎さんに話を聞く機会があり、瀬戸内海の直島にも二度訪れてその体験を記事にしました。旧朝倉家のような古いものから直島のような場所まで、日本には書く題材が山ほどある。ただ日本人は当然、こうした情報は知っているだろうから、最初から外国人向けに書くつもりでした。
──日本の美術や文化をそこまで深く知りたい、というニーズが欧米人にあるのですか。
米国人の教授が34年前に日本の美術館について本を書いていますが、日本の美術館ガイドはありませんでした。英語サイトがない美術館も多く、そもそも情報自体が少ない。しかも日本には山ほど美術館があるので、普通はどこから調べたらいいのかもわかりません。
そこで、自分が訪れて面白いと感じた場所を選び、その美術館に関する情報だけではなくストーリーを加えることにしました。そこから4年がかりで各美術館の館長やキュレーターなどに話を聞いて回りました。
これは単なるガイド本ではなく、私自身が友人や美術に関心のある人に教えたいと思うガイドです。ここに行けば絶対面白い時間を過ごせる、というところを厳選しています。
日本が海外に対して「公的」にプロモートしているのは、ポップカルチャーや桜、富士山、新幹線など非常に限られいる。私は、それにフラストレーションを感じていました。だから、それよりは深くて広い、よりエレガントな側面を紹介したかったのです。
──フランス人に取材されるとは、美術館も驚いたでしょうね。
多くの美術館は紹介されることを喜んでいましたが、自分たちの美術館に外国人がそんなに興味を持つのかと驚いていたところもあります。
私からすると、英語の情報がないから外国人には見つけられないだけの話。外国人はみんな、東京や京都以外に興味がないわけではない。地方都市の情報や、小さな私立美術館の情報がないから、そういう場所があることすら知らないのです。
──日本の美術館は、基本的に外国人向けの発信力が低い?
たとえば大分県立美術館などは立派な英語サイトがありますし、公立美術館は外国人向けの情報整備に力を入れ始めていると感じます。
一方、小規模な私立美術館は人的リソースの問題もありますし、日本では常設のほかに頻繁に展示を替えるところが多くそのたびに英語で情報を追加しなければならないというのも負担なのでしょう。であれば、たとえばどんな展示品があるのか、その展示期間など基本的な情報を英語にするだけでも、外国人へのアピール度が格段に増します。
日本を初めて訪れる外国人は確かにまず東京と京都を目指しますが、何度か来るうちにほかの都市にも行ってみたいと思うようになる。ところが、情報がないためにどこに行っていいのかわからない、という人も多い。この2つの都市以外に行ってみたいというニーズが高いこともあって、美術館のリサーチは続けています。次は北海道から九州までの美術館を網羅したものを書きたいと思っています。
頻繁に展示が替わるのが興味深い
──日本の美術館は海外のものと違いますか。
小規模な私立美術館が数多くあるのは珍しいですね。欧米では個人が所有するアートを公立美術館に寄贈することが多いですが、日本では個人や企業が自ら美術館を手掛けていることが多い。期間限定の企画展があったり、展示品を動かして見え方を頻繁に変えたりするのも日本の美術館の特徴です。20年前に初めて日本を訪れて以来、何度も来日していますが、直島以外の美術館は大抵、来るたびに展示品の場所が変わっていて、非常に興味深い。
──英語ガイドのおかげで外国人も訪れやすくなった……。
東京中心ではありますが、英語の情報は格段に増えています。本を執筆している間に東京オリンピックの開催が決まり、2020年の外国人観光客の目標数も4000万人に引き上げられました。今後加速度的に英語の情報は増え、もっとディープな文化に触れたい、体験をしたいという外国人も増えるでしょう。
ただ、一方ですべてが英語になってしまうのは残念な気も……。すべてがわかりやすくプレゼンテーションされてしまうと、外国に来た感覚がなくなってしまうので。
──せっかく来たのに欧米と変わらないのでは拍子抜けですね。
そうなのです。だからこそ美術館に限らず、古いものの保存に力を入れてほしい。近代的な建築物やアートも好きですが、同時にこれ以上、東京や京都に変わらないでもらいたい。日本にフランスと同じような法律があるかわかりませんが、古い建築物などを保存することは非常に重要です。ついこの間まであったものが、突然建て替えられていたりすると、本当に悲しい気分になります。
東京ミッドタウンはとてもエレガントなところだと思いますが、一方で私は谷中のような昔の日本に出会える場所も好き。東京中が新たな開発だらけになったら非常につまらないと思います。
京都を訪れる多くの外国人は最初、あれ?となるのです。フィレンツェのように街全体が歴史的建築物だらけだと思って訪れたのに、中心街は意外と新しいものが多いから。文化的遺産は本当に守ってほしいと強く感じます。
ホテルオークラをなぜ保全しなかったのか
──ホテルオークラ東京の建て替えに反対の声を上げたのも、外国人でした。
ホテルオークラ東京が建設されたのは1962年。60年代は日本のデザインが花開いた時期であり、オークラはそのシンボルともいえるエレガントな建築物で、まさに日本のデザインのお手本のようでした。なぜ保全しなかったのかいまだに理解できませんし、残念でなりません。
──古いものを守るにはどうしたらいいのでしょうか。
政府に働きかけるしかありません。個々に特定の建築物を保全しようという活動はあるようですが、そうしたものが一体となりムーブメントになれば影響力が増すのでは。
ただ、政府がすべてできるわけではないので、個人レベルでも活動を続けることが大事。京都では町屋を宿泊施設に変える活動をしている米国人男性がいて、古い建築物を保全するだけでなく、それを生かすといういい例になっています。
フランスでは、家を買ったにもかかわらず窓一つ変えられないとか、面倒なこともたくさんあります。それでも、そのおかげでパリはいつまで経ってもパリのままでいられる。歴史を守るためには、多少の規制も必要なのです。
──本で紹介している中で、おすすめの美術館を一つあげるとすれば。
うーん、非常に答えにくいですが…あえてあげるならば、山梨・小淵沢にある「中村キース・ヘリング美術館」でしょうか。アーティスト自体は米国人ですが、オーナーは日本人のヘリングコレクター。かつてニューヨークで働いていたときにヘリングにほれ込んで、作品を集めたそうです。美術館自体、緑に囲まれたとても美しい場所にありますし、建物もユニーク。入ったとたん、ヘリングの世界に一気に引き込まれる作りになっています。
もう一つ面白いのが、施設の隣に露天風呂があること!なので、美術館で素晴らしい展示の数々をみて、アーティストについて学んだ後に、露天風呂に入るという極めて日本的な体験ができます。そのコントラストが私は面白くて好きです。小淵沢はアートビレッジがあったりすてきな場所なので、1日かけて行くのがおすすめですね。
宿泊施設やレストランの情報もまだまだ少ない
もう少し長く旅行に行けるというのならおすすめの場所はたくさんあります。実は今、美術館のほかに宿泊施設についてもリサーチをしています。というのも、美術館同様、外国人向けの情報が限られていて、多くの欧米人からおすすめの宿やレストランを聞かれるから。自分の体験を元に、今はある旅行会社のコンサルティングもしています。
日本には旅館という素晴らしい宿泊施設がありますが、多くの老舗旅館は平日の稼働率を上げるのに苦労していると聞きます。だったら、平日に外国人観光客が訪れるようにできればいいですよね。観光客にとってみても、せっかく日中に美しい場所を訪れたのであれば、ビジネスホテルに泊まるのではなく旅館に泊まって日本を体験してほしいと思います。
──今回の来日では、英国人のツアーガイドもしたそうですね。
この本を出版してから、色々な方から「ぜひ日本の美術館ツアーをしてほしい」とお願いされました。日本を訪れる外国人の多くは日本で特別な体験をしたいと考えています。その中でも、英国のある美術財団がアートへの関心が高い少人数のツアーを組む、というアイデアが面白いと思って、全面的に協力をしました。今回参加したのは12人で、そのうち日本に来たことがあるのは1人だけでした。
10日間にわたるツアーでは、それぞれの美術館でその歴史や展示についてレクチャーをしただけでなく、キュレーターと話す機会も設けました。そのほかにも、明治神宮を訪れて宮司と話をしたり、神道や仏教から仏教美術、浮世絵、現代美術に至るまでの講義をしたり。また、アートと食は密接な結びつきがあると思うので、毎日のディナーもアレンジしました。日本で特別な体験をするという点においては非常に徹底したツアーだったのではないでしょうか。
東洋経済オンライン