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利根川の天然水のブログ一覧

2016年07月04日 イイね!

反逆のデロリアン (1981年)

反逆のデロリアン (1981年)反逆のデロリアン (1981年) EV化した デロリアン                                                                                                                                                          タイムマシンになったDMC-12

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)』が公開されたのは、1985年である。タイムマシンはデロリアンDMC-12を改造したもので、パワーユニットは原子炉だった。時速140km以上にならないと装置が作動しないという設定があり、車輪の跡が炎のラインとなって浮かび上がるのが印象的だった。ガルウイングドアを備えた未来的なフォルムは銀色に輝き、当時の日本の子供たちは熱狂的に迎えた。しかし、元となったモデルは、この時すでに生産を終了していたのだ。

この新奇なクルマを作り出したのは、ジョン・ザカリー・デロリアンである。DMC-12には、彼の栄光と挫折がまるごと詰まっている。デロリアンは元GMの副社長だが、その地位を投げ捨てて新しいクルマを創造することに賭けたのだ。大企業のGMの中で、彼は反逆の男であり続けた。『BTTF』が公開された年に、彼は『デロリアン自伝』という本を出版している。その中には、GMの元上司たちの実名が多数登場し、新しい風を吹き込むことを妨害した企業の論理への呪いの言葉が書き連ねられている。

デロリアンは、自動車都市デトロイトで1925年に生まれた。父はフォードで働く工員で、子供の頃から自動車に囲まれた環境で過ごしている。彼は自然に自動車エンジニアへの道を歩み、クライスラー工業大学で学位をとった。そのままクライスラーで働くつもりだったが、卒業式の祝辞を聞いて考えを変えた。『デロリアン自伝』によれば、技術部門の責任者であるジェームズ・ゼダーはこう言い放ったのだという。
「会社の決まりに適応せよ、それが生き残る道であり……個人であることは忘れることだ」 デロリアンの“反逆”は、この言葉を聞いた瞬間から始まったのかもしれない。大企業で働くことに意義を見いだすことができなくなり、パッカードの研究開発部門に就職した。
GMでの成功と挫折

パッカードでの仕事は、やりがいのあるものだった。自動変速機の開発に没頭し、さまざまな技術的問題を解決していった。能力と実績が認められ、デロリアンは20代で研究開発部門の長となる。しかし、パッカードの経営は悪化しつつあり、彼はゼネラル・モーターズ(GM)からのヘッドハントを受けて移籍を決意する。皮肉なことに、クライスラー以上の大企業で働くことになったわけだ。

ポンティアック部門に入ったデロリアンは、埋め込み式ワイパーの開発などで実績をあげる。1961年にはGMで最年少のチーフエンジニアになり、不振に陥っていたポンティアックの再生に取り組むことになる。若者市場に進出するために、まずゴテゴテしていたデザインをシンプルにした。ボディーを軽量化してさらに大型のエンジンを搭載して、サスペンションを一新した。これによってストックカーレースで華々しい勝利を重ね、若々しくてスポーティーなクルマというイメージを焼き付けたのだ。

1964年には、コンパクトカーのテンペストに強力なV8エンジンを載せたマッスルカーのGTOを売り出し、大ヒットを収める。ただ、このクルマの開発はGM首脳陣の承認を得ないまま極秘で進められたもので、成功にもかかわらずデロリアンは社内で陰に陽に批判にさらされることになった。当時のGMではスーツは黒かグレーでシャツは白と定められるなど、保守的な雰囲気がまん延していた。見た目も行動も派手なデロリアンは、異端児として完全に浮き上がっていたのだ。
それでも、華々しい功績を背景に彼は出世街道を歩み、1965年にポンティアックの責任者となり、1969年にはシボレー部門をまかされる。沈滞していたシボレーを復活させ、1972年、デロリアンは乗用車トラック部門を統括する副社長に任命された。若くして大企業の中枢に迎えられることになり、マスコミは驚異的なドリームストーリーを書き立てた。しかし、彼は次第に仕事への意欲を失っていく。現場からははるかに遠い場所で、社内の政治に巻き込まれて空回りする日々が続くのだ。1973年、デロリアンは44歳でGMを退社した。


最高の幸福からの転落

「私は、ゼネラル・モーターズで技術者として仕事をはじめた。しかし、昇進するにつれて自分の好きな工学からは遠ざかるばかりである。(中略)個人がのびのびとした創造的な仕事にかかわることができるのは、小規模の特殊な会社だけだった」 『デロリアン自伝』で、彼はGMを辞した理由を説明している。1975年、“夢のスポーツカー”を作るために、彼はデロリアン・モーター・カンパニー(DMC)を設立した。

ボディーはステンレス製で、ガルウイングドアを持つ。デザインを請け負ったのは、ジョルジェット・ジウジアーロだ。エンジンはプジョー・ルノー・ボルボが共同で開発したV6の2.8リッターで、搭載位置はリアである。メカニカルな設計は、ロータスのコリン・チャップマンが手がけた。北アイルランドのベルファストに工場を作り、生産設備を整えた。自動車業界のスターが仕立てた斬新なモデルは大きな話題となり、1981年に生産が開始された時には多くのバックオーダーを抱えていた。この年のクリスマスパーティーで、彼は成功を祝う人々に囲まれて最高の幸福を味わった。

翌年、すべてが暗転する。製造工程の不備によりトラブルが続出し、対応に巨額の資金が必要となった。英国政府から得られるはずだった補助金は停止され、さらに資金不足が加速する。政情が不安定だった北アイルランドでは港湾ストが続発し、部品供給が絶たれた。アメリカの景気が減速し、自動車業界は大不況に落ち込んだ。さまざまな困難が降りかかったが、致命的な事態はデロリアン自らが招いたものである。資金供給を受けるために接触していた人物が麻薬関係者で、警察のおとり捜査により彼自身が逮捕されてしまったのだ。DMCの命運は尽き、1982年のクリスマスイブに工場は閉鎖された。

その後の裁判でデロリアンは無罪となっているので、法的な問題はないことになる。しかし、あまりにも脇が甘かったことはまぎれもない事実だ。ほかにも多くの訴訟を抱えることになり、再起して新たなスポーツカーを作るという彼の夢は果たされなかった。

『BTTF』では、タイムマシンを作ったドクが2015年にタイムスリップし、生ゴミで駆動する新型のエコ動力を手に入れて1985年に戻ってきた。その技術はまだ実現しそうにないが、2011年にDMC-12をベースにしたEVの構想が発表された。デロリアンの夢は、形を変えて受け継がれている。
Posted at 2016/07/04 21:43:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2016年07月04日 イイね!

ランチア・ストラトス … スーパーカーブームの花形モデル

ランチア・ストラトス … スーパーカーブームの花形モデル
圧倒的な動力性能と機能美を兼ね備える“究極のクルマ”、スーパーカー。今回は、1970年代の日本で沸き起こったスーパーカーブームにおいて人気を博した、花形モデルをピックアップ。週替わりで紹介します。


ランチア・ストラトス


世界ラリー選手権(WRC)での勝利を目的に生まれたマシン。連続する12カ月間に400台の生産義務があるグループ4のホモロゲーションを取得するため、1974年から市販が開始された。

運動性能を重視した2180mmという短いホイールベースのシャシーは、コックピット部分がモノコックで、前後に強固なスチールフレームを持つ構造。エンジンは、ディーノ・246GTのものをベースに、ラリー用に低中速重視のチューニングが施された、190psを発生する2.4リッターV6をミドシップ。前衛的なスタイリングはベルトーネのチーフスタイリストだったマルチェロ・ガンディーニによるもので、生産もベルトーネが担当した。

俊敏なハンドリングを武器に、もくろみどおりWRCで大活躍。1974年から76年までメイクスタイトルを3年連続で獲得するという偉業を成し遂げた。生産台数は492台といわれているが、衰えぬ人気を背景に、複数のビルダーからレプリカがリリースされている。
Posted at 2016/07/04 20:34:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2016年07月04日 イイね!

24%の男性が経験アリ! 彼女の体臭にドン引きしたエピソード !

24%の男性が経験アリ! 彼女の体臭にドン引きしたエピソード !■口のニオイ


・「焼き肉を食べたあとの口臭」(33歳/機械・精密機器/事務系専門職)

・「寝起きの口がくさかった」(35歳/団体・公益法人・官公庁/その他)

・「飲んだ次の日は、ややきつい気がする」(32歳/金属・鉄鋼・化学/事務系専門職)

ニオイのきつい食事をしたあとや、お酒を飲んだあとのお口のニオイは、いつもよりくさく感じてしまうものです。ニオイ消しのタブレットやガムなどを噛んで、なるべくニオイをごまかしたいですね。


■ワキのニオイ


・「ワキの下が汗ばんでて、悪臭を放っていたとき」(37歳/金融・証券/営業職)

・「すっごいワキガ。失神しそうなくらい」(36歳/学校・教育関連/その他)

・「ワキガ」(33歳/機械・精密機器/営業職)

ワキのニオイを気にしている人も多いかもしれませんね。特に夏場になると汗をかくので、よりニオイが気になりやすいですよね。制汗剤などでニオイケアをしておくと安心です。


■全体のニオイ


・「身体全体から。ニオイの相性があるのはよくわかる。拒否感が出てしまう」(33歳/運輸・倉庫/その他)

・「お風呂に入ってない感じのニオイで萎えた」(36歳/金融・証券/営業職)

中には身体のニオイ自体がNGという人もいるようです。体臭は個人によって異なるため、元の身体のニオイがダメだと感じてしまうと、生理的に受けつけられないのかもしれませんね。


■汗のニオイ


・「首筋から汗のニオイがしてきて、不快な思いをした」(35歳/建設・土木/技術職)

ほかにもいろいろなニオイに引いてしまった人もいるようです。暑い時期、首筋の汗はベタベタして気持ち悪いので、汗拭きシートなどを携帯してマメにふくといいかもしれませんね。


■香水のニオイ


・「気合を入れすぎたのか、香水のニオイがキツすぎたこと。一緒に車に乗っていると頭痛がしてくるようなニオイだった」(32歳/学校・教育関連/専門職)

香水をつける女性も多いと思いますが、男性の中には苦手な人もいるようなので、香水が大丈夫かどうか、最初にチェックしておいたほうがいいかもしれません。


■まとめ


ほかにもいろいろなニオイに引いてしまった人もいるようです。彼女のニオイに引いてしまう男性がいる一方で、「彼女だったら、少しくらい変なニオイがしても許せる」(28歳/情報・IT/技術職)といった人や、「好きな彼女のニオイなら、まぁ許せる」(33歳/団体・公益法人・官公庁/事務系専門職)などのように、大好きな彼女のニオイなら許せるという男性もいるようです。まわりに不快な気持ちをさせてしまうほどのニオイは問題ですが、少しぐらいのニオイなら許してもらえるかもしれませんね。

(ファナティック)

※画像はイメージです

※マイナビウーマン
Posted at 2016/07/04 19:07:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2016年07月04日 イイね!

「自動車大国」を標榜していた日本が、今や「自転車大国」になり下がっている=中国メディア

「自動車大国」を標榜していた日本が、今や「自転車大国」になり下がっている=中国メディア 昔とはかなり状況は変わってきているはずだが、日本人のイメージのなかで「自転車大国」と言えば、依然として中国だろう。ただ、近年急増した中国人観光客に言わせると「むしろ日本の方が自転車大国じゃないか」ということになるらしい。中国メディア・央広網は6月28日「自動車大国だった日本が、やむなく自転車大国に変身した」とする記事を掲載した。

 記事は、「自動車大国」を標榜してきた日本のメディアが以前、中国を「自転車大国」と形容するのを好んできたと紹介。しかし、訪日した中国人観光客は、日本国内が自転車であふれていることに気付くとした。そのうえで、中国の自転車保有数が2.7人あたりで1台なのに対して、日本は1.5人あたり1台であるとのデータを示し、日本の「自転車大国」ぶりを説明した。

 また、「自動車大国」から「自転車大国」へと変化した背景として、若者層の自動車離れのほかに、家計における教育投資の割合が増加し、自動車を購入、所有する余裕がない家庭が増えたことを挙げた。そして「単に、環境保護を重視しているという理由だけでなく、経済レベルが低下したことも、重大な原因なのである」と締めくくっている。

 地下鉄や電車などの公共交通が発達した大都会では、自動車での移動が逆に「足かせ」になることがしばしばある。また、大都会に限らず、比較的古い時期に街が形成され、細い路地が網の目のように通っている近郊都市、地方都市でも、自動車よりも自転車のほうが便利な移動ツールになる。

 「自動車大国」から「自転車大国」への変化を「やむを得ない」とする認識は、必ずしも全ての事情を把握しているとは言えないのではないだろうか。経済的な面で「やむを得ない」という点は否めない。ただ、かつての「自動車所有がステータスで、どんな場所でも自動車を持ちたがる」から、「自動車が必要なら自動車を、自動車より自転車が便利なら自転車を使う」への、社会的な成熟、進歩という点も見逃してはならない。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(C)Urs FLUEELER/123RF)サーチナ
Posted at 2016/07/04 19:01:53 | コメント(1) | トラックバック(0) | 趣味
2016年07月04日 イイね!

ポンティアック・GTO…なつかしのアメリカ Ⅱ

ポンティアック・GTO…なつかしのアメリカ Ⅱポンティアック・GTO


1960年代半ばから70年代初頭にかけてアメリカで流行(はや)った、俗に“マッスルカー”と呼ばれる、大排気量V8エンジンを搭載するハイパフォーマンスカーの元祖。1964年に登場した。当時ポンティアックのチーフエンジニアを務め、後にデローリアンDMC12を世に送り出したことで知られる、ジョン・デローリアンらによって企画された。

当初はインターミディエイト(中間サイズ)の2ドアクーペ/ハードトップ/コンバーチブルだったポンティアック・テンペスト ルマンのオプションパッケージとして登場。SAEグロスで325hpを発生する高圧縮比仕様の6.4リッターV8エンジンを搭載し、足まわりも固められていた。GTOの名は、当時世界最強のスポーツカーだったフェラーリ・250GTOにあやかったものだが、本家とは異なりホモロゲーションモデルではない。

1966年には独立したシリーズに昇格。年を追ってパワーはどんどん強化され、歴代最強の70年モデルは7.5リッター、370hpを誇った。だが翌71年以降、他のアメリカ車と同様に排ガス規制の影響からパワーダウンを余儀なくされ、また出力表示がSAEグロスからネットに変更されたこともあって額面上は大きく低下。それとシンクロして人気も低迷し、74年モデルをもってGTOの名は消えた。その後、2004年に復活したものの、再度消滅している。
Posted at 2016/07/04 07:37:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ

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「発車3分前の列車でも余裕で乗れる日本の鉄道、中国じゃ絶対あり得ない! =中国メディア http://cvw.jp/b/1528111/42009436/
何シテル?   09/30 18:04
「利根川の天然水」です。よろしくお願いします。                                          座右の銘、 『鈍刀を磨く』 ・...
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