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利根川の天然水のブログ一覧

2016年07月05日 イイね!

富士重工  幻の名車   スバル1500 (P-1) 1954年  

富士重工  幻の名車   スバル1500 (P-1) 1954年                                                                                                              スバル1500(SUBARU 1500)は、富士重工業が試作開発した小型自動車。

1954年に最初の試作車が完成。富士重工業最初の乗用車であり、日本で初めてフル・モノコック構造の車体を採用した画期的な存在であった[2]が、僅かな台数が試作されたに留まり、諸事情から量産・市販されなかった。開発時のコードネームはP-1。
                                                               概要[編集]

4ドア6人乗りの小型乗用車。外見的にもスペースを有効活用した3ボックス型のポンツーン・スタイルを用いた近代的デザインを備えていた(1950年発売のフォード・コンサルの影響が強いとされる)[3]が、重要な点として軽量化のために日本の乗用車では初めて、世界でも早い時期のフル・モノコック構造を採用していた。

前輪はウィッシュボーン式独立懸架方式でコイルばね+複動式オイルダンパー支持、後輪は車軸懸架方式で、フリクションの少ない3枚板ばね(リーフスプリング)と複動式オイルダンパーを組み合わせたサスペンションを採用。乗り心地は好評で、ボディ・足回りの耐久性は同時期の他の日本製乗用車より秀でていたという。

駆動系統は、1.5L級の水冷直列4気筒OHVエンジンをフロントに搭載し、プロペラシャフトを介して後輪を駆動する、開発当時における一般的手法が用いられた。

愛称は当初社内募集だったが、「パンサー」「フェニックス」「坂東太郎」など、親しみを持ちにくい外国語案や自動車としては奇異な名称が集まり、全て却下された[4]。

結局富士重工業初代社長の北謙治が、旧・中島飛行機系企業5社とそれらの合同で成立した富士重工業を昴星(プレアデス星団)の六連星になぞらえ、自ら「スバル」と命名した[5]。「スバル」の名称を使用した最初の自動車である[補足 1]。

開発の経緯[編集]

試作車の製作まで[編集]

旧・中島飛行機を前身とする企業の一つで、群馬県伊勢崎市に本拠を置き、バスボディ生産を主力事業としていた富士自動車工業での社内プロジェクトが起源である。

1950年(昭和25年)、富士自動車工業専務取締役の松林敏夫は、普通乗用車の開発を企画した。伊勢崎でのバスボディ生産は好調だったが、当時の日本のバスボディ市場は過当競争状態でパイが限られ、将来的にこれに頼り切ることは好ましくないと考えられたからである。石油供給の好転や朝鮮戦争による特需景気(朝鮮特需)も新たな事業拡張の好機と考えられた。

1951年(昭和26年)1月、富士自動車工業の設計係長であった百瀬晋六は松林から乗用車開発を命じられた。百瀬は長野県塩尻市出身で戦時中に東京帝国大学(現・東京大学)工学部を卒業して中島飛行機に入社、航空エンジン用の排気タービン過給器(ターボチャージャー)開発に取り組んだ経歴もあったが、戦後伊勢崎工場所属となり、専らバスボディの設計に当たっていた。

百瀬はバスボディ設計の傍ら、文献を写真複写する写真家を伴って、東京のGHQの図書館に幾度も通った。こうして海外の自動車に関する最新の資料を収集し、これを研究することで開発の素地を作った[6][7]。その結果、当時の小型車規格一杯のサイズである排気量1500ccのセダンを製作することになった。

1952年(昭和27年)6月、中島飛行機時代から現場で叩き上げたベテラン技術者である小口芳門と[8]、東京大学卒の新人であった室田公三が百瀬の下に配属され、彼らを中心とした小チームで、百瀬を主任設計者として1500cc級の乗用車開発を開始した[9][10]。一からの自動車開発は初めてであるだけに、関係者は自動車を理解することから開発を始め、苦心を重ねた[11]。

試作車「P-1」のメカニズムは極力先進的な内容を志向し、当時の日本車ではとかく重量が嵩みがちであったことを念頭に、軽量化も考慮された。もっとも試作過程ではボディの製造が間に合わず、先行して製作されたドライブトレインを、トラック同様の仮のチャンネルフレームに組み付け、幌を張られた仮の車体を組んで試走を行う試行錯誤もあった[8]。この試走用チャンネルフレームは社外の零細な鉄工所に外注したが、重量が予定を大幅に超過し、開発陣を悩ませた[8][12]。

開発期間中に旧・中島飛行機系5企業の出資により「富士重工業」が設立され、1955年(昭和30年)4月には母体5社が富士重工業に吸収・合同することになるが[13][14]、開発自体はその間も続行されていた。

試作車完成後[編集]

1954年(昭和29年)2月には4台の試作車が完成[15]。百瀬晋六が上司の松林敏夫に試作車完成を報告すると、松林は「では試しに成田山まで行ってみよう」と発案した[15][16]。百瀬らはトラブルを危惧しつつも、伊勢崎から成田まで悪路の多い関東縦走ドライブに出発したが、試作フレームでの試走を繰り返した実績もあって、大きなトラブルもなく往復ドライブを完遂した[15][17]。

この車に当初積まれたエンジンは48PSの1.5L直列4気筒OHVエンジン「FG4A型」であった[13][12]。これは富士精密工業[補足 2]がプリンス自動車の依頼[補足 3]で製作したエンジンであり、フランス製プジョー・202のエンジンをベースにサイズアップして1952年(昭和27年)に開発した製品であった。プリンス以外のメーカーにFG4Aエンジンを供給する了承はプリンスから取られておらず、同クラスの乗用車を生産していて競合するプリンス側からの抗議もあり、富士精密からのエンジン供給は途絶した[18][補足 4]。

富士自動車工業側はこの事態を予測しており、対策を打っていた。当時の富士自動車工業は、主に軽飛行機用大型エンジンと、スクーター用や汎用形の小さなエンジンしか作っていなかったため、同じく旧中島飛行機系グループ企業でエンジン開発力のある大宮富士工業に代替エンジン開発を依頼した[13][18]。

大宮富士工業では急遽、少数の若手スタッフの手で4気筒OHV・1500ccのL4-1型'エンジンを開発した[13]。L-4はブリティッシュ・フォードやボクスホールなどの戦後型イギリス車エンジンを参考に開発されたもので、戦前型プジョーベースのFG4Aよりも近代化されており、重量は20%以上も軽量[19]、出力はより高い52PS[19]、最大トルクも11kg-m[19]を達成してP-1中期型以降の性能向上を実現、大宮富士工業の技術力を示した。

試作車は翌1955年(昭和30年)4月までに合計20台が製作された。うち11台はFG4A型エンジンが、残り9台はL4-1型エンジンが搭載されていた[20]。14台はナンバーを取得し[20]、うち6台を伊勢崎市・太田市・本庄市でタクシー会社向けに販売し、約1年間モニターをしてもらった[20]。残りは自家用(社用車)を兼ねて別にテストを続けた。テスト結果はどれも好評だった。また1957年(昭和32年)に行われた運輸省の性能テストでも最優秀の成績を納めている。

計画の終焉[編集]

P-1の自動車としての完成度は高いものであり、富士重工業社長の北謙治もその将来性に期待を置いていたが、発足したばかりの富士重工業の経営的見地から判断した場合、国内にも先行メーカーが多数存在する1500cc級乗用車の市場へ新規参入するのは勝算が薄いこと、またボディ、エンジンとも量産体制を整えるための投資が過大であることが問題となり、1955年12月9日、スバル1500の本格量産計画は正式に見送られた[21]。

こうした表向きの理由とは別に、当時富士重工のメインバンクである日本興業銀行と、プリンス自動車(後に日産自動車と合併)に多額の出資をしていたブリヂストン会長石橋正二郎の意向があったと言われている。

また、T-10と呼ばれる小型トラックも3台試作されている[22]。

試作車のうち、残存するものは富士重工業群馬製作所矢島工場内の「スバルビジターセンター」に展示されている。

その後[編集]

スバル1500の正式販売断念と同日に、富士重工業は356ccエンジンの生産とそのエンジンを使用した軽自動車の開発に着手した。開発メンバーもスバル1500と重なっており、360の開発には先行したP-1での経験が多く活かされている。このプロジェクトに関してはスバル・360を参照のこと。

補足[編集]
1.^ 「スバル・1500」の名称にはぶれがあり、文献によってはこの「P-1」のみを平仮名書きの「すばる」と標記しているものがある。スバル・360以降の富士重工4輪車は全て片仮名書きの「スバル」が正式名称となった。
2.^ 中島飛行機を前身とし、富士産業から分社した12社の1つだったが、富士重工業設立に参加せず、のちプリンス自動車工業と合併。
3.^ 開発費もプリンス自動車が負担していた。
4.^ 当時のプリンス自動車はブリヂストン会長の石橋正二郎個人の資本下にあり、そのうえ富士精密工業との合併の話が進んでいるところだった。富士精密工業とプリンスは1954年合併

 
Posted at 2016/07/05 20:12:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2016年07月05日 イイね!

おはよう  ~  ♪

おはよう  ~  ♪
Posted at 2016/07/05 06:49:18 | コメント(2) | トラックバック(0) | 趣味
2016年07月05日 イイね!

これも、それも、あれも! 日本人が発明した物に囲まれ生活する中国人=中国メディア

これも、それも、あれも! 日本人が発明した物に囲まれ生活する中国人=中国メディア  身の回りにある日用品を使う際に、「どこの誰が発明した物」などと考えながら使う人はあまりいないかもしれない。しかし、その多くが自国で発明されたり開発されたものであると知れば、何となく誇らしい気分になるものである。

 中国メディア・中関村在線は6月30日、中国人も普段から愛用しているであろう日用品の多くが、実は日本人によって発明されたものであることを紹介する記事を掲載した。  記事は、「これらはいずれも日常生活において触れている物であり、なおかつ日本人が発明したものなのだ」と説明したうえで、25アイテムを紹介。紹介されたのは、スリッパ、草履、ボックスティッシュ、ビニール傘、エアバッグ、GPSカーナビゲーション、アイスコーヒー、ノートパソコン、カップ麺、青色LED、温水洗浄便座、自動改札機、カラオケ、乾電池、炊飯ジャー、胃カメラ、シャープペンシル、全自動マージャン卓、インバーター式エアコン、電子キャンバス、ゲーム機、ブルーレイディスク、八木アンテナ、せんべい、そして株価チャートなどで用いられるローソク足だ。

 最後のローソク足は、「股民」と呼ばれる個人投資家が大量に出現した現在の中国社会においては、「日用品」と呼んでもいいかもしれない。記事は、ローソク足が江戸時代の米取引における米価の変動を示すのに用いられたという起源を持つ歴史あるものであることを紹介している。

 また、シャープペンシルは中国語にすると「自動鉛筆」。日本ではシャープペンシルと呼ばれていること、それが台湾企業・鴻海に買収されたシャープの原点であり、社名の由来になっていることは、「自動鉛筆」という中国語からは知る由もない。この話を知った中国の人は、驚きとともに感慨を覚えるのではないだろうか。

 このような記事が出てくる一方で、「われわれが普段使っている日用品の多くが、わが中国で開発されたものだ」という記事や文章はほとんど見かけない。イノベーションによる新たな産業発展を進めるなかで、「わが中国が誇る、世界でよく使われる日用品」が続々と誕生することになるのだろうか。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)サーチナ
Posted at 2016/07/05 06:28:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2016年07月05日 イイね!

イチ 走攻守 に 活躍 「僕は全部やります」

イチ 走攻守 に 活躍 「僕は全部やります」 「マーリンズ4-3パイレーツ(延長十二回)」(2日、マイアミ)

 マーリンズのイチロー外野手(42)はパイレーツ戦に「1番・中堅」で出場し、5打数2安打1四球、1得点。打率は・323。七回の二盗で日米通算700盗塁を達成した。今季8度目のマルチヒットでメジャー通算2965安打とし、前日まで並んでいたサム・クロフォードを抜いて歴代単独31位に浮上。日米通算安打数は4243本で、ピート・ローズのメジャー最多通算安打記録まであと13本とした。

 尻の左側にべったりついた芝の緑色は勲章だ。両軍無得点の二回2死満塁。9番ニカシオが右中間浅く放った飛球にイチローが猛チャージをかけた。「『行く』という選択肢しかないです」。最後は足から滑り込み、地面に落ちようとするボールをグラブに収めた。余裕は「全然ない」と振り返ったギリギリのプレーだった。

 地元ファンを熱狂させた守備は四回にもあった。韓国出身のスラッガーで4番の姜が放った大飛球をフェンス前でジャンプして捕球した。左翼線席からイチローコールが起こった2つ目の美技。イチローは「でも、いい力してるな、あいつ。なかなかアジアの人で(あれほど)高くセンターに飛ばすヤツ、あんまりいないでしょ」と姜のパワーに感心していた。

 打っては三回に内角高めの151キロ速球を詰まらせながら遊撃手の後方に落とす技ありの1本。四回にはスライダーを左中間へ弾き返し、二塁を陥れた。

 七回には大きな節目にも到達した。一塁失策で出塁した後、1死から今季3盗塁目となる二盗を成功させた。メジャー通算501盗塁、日本時代の199盗塁と合わせて日米通算700盗塁をマーク。「足し算ぐらいはできますよ」とイチロー。メジャーでは10人、日本では福本豊氏だけしか到達していない偉業だった。

 チームは延長十二回サヨナラ勝ちで貯金を今季最多の「4」とした試合。走、攻、守で見せ場をつくったイチローは「僕はどれもできないといけない選手だから、どれも気持ちいいですよ。どれかができない選手がそれをやったときは特別になると思いますがね。僕は全部やりますから」。                                                                    10月で43歳。 メジャー最年長野手がさらりと言った。
Posted at 2016/07/05 02:53:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツ
2016年07月05日 イイね!

見ているだけでムンムンする! 俺の彼女が●●してる姿5選

見ているだけでムンムンする! 俺の彼女が●●してる姿5選 恋人同士になると、一緒に時間を過ごすことが多くなるもの。お互いの色んな部分を見たりするようになってから、相手が魅力的に思える姿を見た時に”ずっと見ていたい!”なんて思ったことありませんか? 今回は男性を対象に、ずっと見ていたい彼女の姿について聞いてみました。

まず挙がったのは、”こんな格好の彼女はずっと見ていたい”というコメント。具体的には、スーツ姿や浴衣姿、水着姿、部屋着姿など人によってさまざまでした。もう少しアバウトな意見としては、

・「メイクバッチリ。透明感のある服装」(32歳/その他/その他)

・「ラフな格好」(38歳/電機/その他)

・「必要以上に飾らず、自分らしくいてほしい。よく見せようとする必要はないです」(37歳/医療・福祉/専門職)

・「普段のデートでするような少しおしゃれした姿」(23歳/学校・教育関連/その他)

といった声がありました。


■家庭的なイメージのある姿


・「台所で調理している後ろ姿」(39歳/アパレル・繊維/事務系専門職)

・「子どもをあやしている時」(31歳/金属・鉄鋼・化学/営業職)

妻や母のような家庭的な姿にひかれる男性もいるようです。特に、「エプロン姿」など、料理をしている姿については多くの回答がありました。


■日常的なシーンにて……


・「ストローでジュースを飲む姿」(38歳/小売店/販売職・サービス系)

・「髪をかきあげた時」(39歳/医療・福祉/専門職)

・「ラーメンをすすっている姿」(37歳/その他/その他)

・「ご飯をいっぱい食べている姿」(28歳/運輸・倉庫/その他)

・「猫の様に丸く縮んで眠っている姿」(26歳/小売店/販売職・サービス系)

・「寝起きの顔」(33歳/電機/その他)

本人が無意識にしている一部分であったり、女性からすれば”恥ずかしいから見られたくない”と思っている姿でも、男性にとってはずっと見ていたいと思われていることもあるようですね。


■感情が出ている姿


・「楽しそうに笑っている姿は、こちらとしてもホッとするので見ていたくなりますね」(38歳/医療・福祉/専門職)

・「ややうつむき加減、若干ほほ笑んでいる感じ」(36歳/情報・IT/技術職)

・「恥じらっている姿」(38歳/建設・土木/技術職)

その時の感情に任せた何気ない表情も、男性はちゃんと見ているようですね。


■自分の世界に入っている姿


・「物静かで1人の世界に入っている」(28歳/自動車関連/技術職)

・「夜景を見ながら遠くを見てる姿」(39歳/生保・損保/その他)

・「物事に夢中になっている横顔」(38歳/機械・精密機器/技術職)

彼女が自分の世界に入っている時の姿は、一緒に何かをしている時にはあまり見ることのできないある意味貴重なもの。声をかけてしまえばその姿は壊れてしまうので、あえて気づかれないようにこっそり見ていたりも?


■こんな彼女の姿が理想


同調査では、こんな女性の姿が彼女として理想だと挙げる人もいました。

・「顔立ちが端正でスタイルがよい女性。できれば、ショートヘアがよい」(29歳/電力・ガス・石油/事務系専門職)

・「小さくてふくよかで元気な女性」(39歳/その他/秘書・アシスタント職)

・「巨乳でやや痩せぎみか少しぽっちゃりな女の子」(34歳/生保・損保/その他)

・「短めの髪で少しポチャっとした女性」(39歳/医療・福祉/専門職)

・「スカートを履き、ロングヘアーで肉付きのいい女性」(36歳/医療・福祉/販売職・サービス系)

女性の好みは人それぞれのようです。


■まとめ


“やっぱりね”と思えるものから意外なものまで、男性を魅了する女性の姿ってたくさんあるようですね。ただし、”ずっと見ていたい”という期待に答えてその姿をあまり頻繁に見せてしまうとかえってありがたみがなくなってしまいそうなので、本当にたまに見せるぐらいがちょうどいいのかもしれませんね。

マイナビウーマン
Posted at 2016/07/05 02:39:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味

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「発車3分前の列車でも余裕で乗れる日本の鉄道、中国じゃ絶対あり得ない! =中国メディア http://cvw.jp/b/1528111/42009436/
何シテル?   09/30 18:04
「利根川の天然水」です。よろしくお願いします。                                          座右の銘、 『鈍刀を磨く』 ・...
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