

スズキ スズライトSS
topics 1
スズキがFF軽自動車スズライトを発売
1949年に制定された軽自動車の規格は細かい改定を重ね、1955年にひとつの完成形となった。それまでエンジンの排気量に4ストロークと2ストロークで差がつけられていたのが、どちらも360ccに統一されたのである。
排気量が等しければ、出力の面で2ストロークが有利となる。軽規格を最大限に生かして登場したのが、スズキの初代スズライトだった。240ccの前規格で開発されていたエンジンを改定に合わせて拡大し、15馬力の高出力を得ていた。
ボディータイプは2ドアセダン、バン、ピックアップがあり、商用の需要に対応した。先進的な前輪駆動を採用したことで室内や荷室の空間を広く取ることができ、四輪独立懸架で乗り心地も優れていた。
スズライトはスズキにとって初めての本格的四輪自動車だったが、当時の最新技術を詰め込んだ野心作だった。1959年にフルモデルチェンジを受けて1968年まで製造され、その後フロンテを経て現行車種のアルトにつながっている。

スバル360
topics 2
通産省の“国民車構想”が明らかに
戦後の日本は着実に復興の道を歩み、経済的にも発展していた。自動車産業もようやく体力をつけつつあり、国民の間でもクルマに対する関心が高まった。その時期に明らかになったのが、通産省の国民車構想である。
正式に発表されたわけではなく、1955年5月に新聞のスクープとして報じられた。自動車普及のために一定の要件を設け、それを満たしたクルマには国からの支援を与えるというものである。
4人乗りか2人乗りで最高速が100km/h以上、燃費が30km/リッター以上、排気量は360cc〜500ccで車重は400kg以下、価格は25万円以下という条件が示されていた。この構想を受けて国会でも論議がかわされ、自動車メーカーも真剣に検討した。
実際に制度化されることはなかったが、その後発売された三菱500やトヨタ・パブリカ、スバル360などはこの構想に影響を受けているといわれる。1956年には経済白書で「もはや戦後ではない」という言葉が使われ、自動車所有はこの頃から日本人にとって現実的なものと感じられるようになっていった。
topics 3
トランジスタラジオ発売
井深 大と盛田昭夫によって1946年に設立された東京通信工業は、電気製品の修理を請け負ったり電熱器を仕込んだ座布団を製造したりする小さな会社だった。最初のヒット商品となったのは、日本初のテープレコーダーである。全国の学校で教育用に使われ、売り上げを伸ばした。
次に手がけたのは、ベル研究所で発明されたばかりのトランジスタである。この小さなパーツを使い、ポータブル式のラジオを製作しようと考えたのだ。真空管式よりはるかに小さくすることができるので、持ち運びできるサイズにすることが可能になる。
世界初こそ逃したが、1955年8月に発売されたトランジスタラジオTR-55は高性能で信頼性の高い製品だった。ダイヤルパネルにはSONYというロゴが刻まれていた。トランジスタラジオはアメリカにも輸出され、ブランドを確立する。1958年に会社名もソニーに変えられた。
1979年、再生専用の小型カセットプレーヤーのウォークマンが世界的に大ヒットする。小型で高性能な製品の開発は、トランジスタラジオの製作で培ったソニーの得意技だった。
Posted at 2016/07/05 02:18:38 | |
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