



国立環境研究所の外来生物研究プロジェクト・リーダーである五箇公一(ごかこういち)先生に、地球環境保護の基礎となる大きなテーマ“生物多様性”を解説してもらう。今回は、人間がいかに環境保護をしながら生きていくかがテーマだ。実は日本人の歴史にヒントが隠されていた?
■日本の“縄文時代”の素晴らしさ
―人口が爆発して、これから人間はどうしていけばいいのでしょうか?
五箇 実はキーワードは“日本人の歴史”なんです。300年以上鎖国して、小さな島国で里山という村社会を形成していた。なにも消費せず、排出しない。ゼロ・エミッションゼロコンサプションの農業、林業、水産業中心の循環型社会を作っていた。
具体的には、雑木林で木のエネルギーを使い、有機物で畑や田んぼを作るという生物の自然の恵みだけで生きてきた時代がありました。明治時代以前までは海で隔てられた島国でひきこもっていたわけです。それでいて世界最大級のメトロポリタン・江戸を作ることもできた。さらに驚くべきことに日本の縄文時代は1万年、生活様式が変わらないまま10世紀続いていたことから、どれだけ持続的な文化だったのかがわかりますよね。そして、縄文時代はその時代に住む人たちにとって、すべてに満ち足りていたと考えられます。なぜなら、大陸から農耕文化が入ってきたにもかかわらず、すぐにはそれを受け入れずに狩猟・採集だけで1万年過ごしていたからです。文化が遅れていたわけではなく、建築様式も進んでおり、実は縄文土器は弥生土器よりも複雑だった。しかも中国最古の土器より古いものが日本から出土している。
【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2016/07/post_10279.html】
——なるほど。日本が最古とは知りませんでした。
五箇 1万年という年月で日本人の無我無欲さがわかります。また日本人という人種だからこそできたのかもしれません。特殊といえば、世界中で日本だけが「クワガタムシを飼育して愛でる」という文化的な趣味を持っているんです。私がクワガタムシの多様性の研究をしているときに、海外で研究成果を発表するとほかの国の研究者たちからは「昆虫をペットにする意味がわからない」と言われました。同じくスズムシもそうですね。日本人は飼育が好きで、生物や自然に対する愛好心が高い民族です。ほかの国の民族にとって、自然とは征服すべきもの、狩猟すべきものとする文化が多いのですが、一方で、日本人にとって自然は古来より「愛でる」もの、「共生する」ものとする習性がある。それは日本人の性格が自然順応型だったからと考えられるますが、たまたまそういう遺伝子を持ったからです。アジアの端で、大陸の武闘派主流の民族から外れて、海を渡って流れ着いたマイルドな民族が日本人の起源となったのかもしれない。
——日本人の自然の愛し方は特殊なんですね。
五箇 単一民族の歴史としては、恐ろしく長く今も続いている。かつて日本人の祖先が渡って来たとき、山も川も険しく、住める平野も少なく、台風や地震や火山など天変地異も絶えないこの小さな島国で生き抜くことは、相当に過酷だったと予想されます。生き残るためには自然に従うしかなかったのではないか。そうした日本人史を裏付ける証拠として、この国には八百万(やおよろず)もの神様がいる。神話が生まれた当時の日本人の人口より多いんじゃないかというぐらい神様であふれかえっていた。身の回りの草木、石ころにまで神を宿らせる。映画『もののけ姫』の世界です。すべての自然にもののけがいて、畏怖するとともに自然からの恵みに感謝して生きる。「征服ではなく、順応し、我々人間も自然の流れの一部として生きる」。これが日本人の生き方だとすると、これからの人間社会の生き方のヒントを日本人が持っている可能性がある。
今、輸入資材と輸入文化に依存している日本社会はもったいない。もっと日本人自身が日本のよさや固有性に目を向けるべきです。日本の侘び寂び、文化の良さを日本人が忘れ、むしろ海外から訪れた外国人のほうが気付き、継承しているケースも少なくない。実は「縄文時代1万年説」を発見したのもイギリス人研究者だったんです。
■日本人のDNAに見合った生き方を考えるべき
——日本人よりも外国人が日本のよさに気づき始めている、と。地球の将来を思うと、縄文や江戸の暮らしを人類全体が考える時なのかもしれないんですね。
五箇 現在の人口問題に立ち戻ると、パラダイムを大きく変換して、過去の日本人の生き方から学ぶ時代です。遠からず日本も鎖国に近いぐらい困窮に陥る可能性がある。GDPも中国に抜かれ、お金を出しても資源を取れなくなる。物質生産も諸外国にイミテートされ、国内で車も電化製品も作ってはいないし、最近ではシャープもアジアの大企業に買い取られた。すでに経済先進国としての成長は終わりを迎え始めています。ジャパン・マネーは失墜していく。否が応でも縄文時代の精神に戻り、自分たちでなんとかしていかなくてはならない時代が来ます。それほど強烈なクライシス(危機)が起こらないと、経済優先社会は変わらないのかもしれません。
——たしかに、経済優先の社会はどこかで歯止めをかけなければ、狂想状態が続きそうです。
五箇 私の専門の生物学の見地から政策に対して提言するのであれば、日本人のDNAに見合った生き方を考えるべきと。日本人は腸が長く植物食として進化してきた。大腸が短く肉食として進化した民族とはミトコンドリアから違うんです。エネルギー生産効率も違う。短距離は弱いが、長距離走は強い。日本人は沢庵とご飯を食べて生きることに適応してきたのです。生物学的な適応性を基本に生活スタイルを見直せば、健全で持続的な社会が築かれるのではないかと期待されます。
——種として分かれているわけではないですが、日本人とほかの国の人たちの間では、文化も生活も違いますからね。
五箇 日本国内の政治経済対策としても、地方を大切にした方がいいと思います。固有種とまではいいませんが……。生物学と一緒で地方の環境に特化した産業と文化が構成されることで、安定した地域経済が維持される。地方に根付いた人々が増えることによって、地方分権の社会を作れる。経済も分散されるので、環境変化に強い経済母体も作れる。どこかで突発的な経済破綻が起こっても、ほかから経済利益を投下できれば、復活できる。グローバリゼーションの時代にあって次に我々が目指すべき社会コンセプトは、現在とは逆方向のローカリゼーションです。農業、林業、水産業などの第一次産業を基幹として地方の経済、社会を発展させる。いわば、里山社会の再構築。ただし、かつての不便で厳しい里山社会とは異なって、現代では移動インフラのみならず情報ネットワークも充実し、近い将来遠隔操作で医療することも可能となると考えられています。つまり地方に住んでも不便ではない、遅れを取らない、という社会形成が現代では可能となる。ネオ・サトヤマは決して荒唐無稽な思いつきではなく、人々のパラダイムシフトひとつで実現可能なビジョンなんです。
我々の生物多様性研究の目的は、最終的に得られた成果から日本の経済、社会、ひいては世界の経済および社会をいかに安定させていくかというロードマップを導くことが狙いです。生き物がカワイイ、楽しいだけではなく、生物界の異変をひもといていくとグローバリゼーションの問題や人口問題が見えてくる。生物学からみて、いかに社会をいい方向に向かわせるか。これこそが我々、国立環境研究所が目指す研究なんです。
——非常にわかりやすいお話でした。生物学から生物多様性、オカルトチックな質問にまで答えていただきありがとうございました。
(五箇公一先生 文=松本祐貴)
:株式会社サイゾー
Posted at 2016/07/14 04:38:02 | |
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