◆ 日本兵を祀るために建てられた飛虎将軍廟
台湾において日本兵が神様として祀られていることをご存じだろうか。台湾の古都・台南市安南区に建つ民間信仰の廟「鎮安堂・飛虎将軍廟」において、日本兵が神様として祀られ、地元の人々の崇敬を集めているのだ。
祀られている方は、杉浦茂峰(すぎうら・しげみね)海軍少尉である(以下『台湾と日本・交流秘話』〈展転社〉を参照)。 1944年10月12日、アメリカ機動部隊がフィリピン攻略作戦の前哨戦として台湾各地に航空決戦を挑んできた。これを迎え撃つべく、わが日本の台南空軍と高雄空軍のあわせて30機が出撃し、襲来した米軍機約40機と空中戦を繰り広げた。一般に「台湾沖航空戦」と呼ばれるこの戦いで、敵機7機を撃墜したものの、我が方の損害は17機にのぼった。
1923年、茨城県水戸市で生まれた杉浦は、この航空戦に参加し、撃墜されてしまった。その模様を目撃していた住民は、こう証言している。
日本軍の戦闘機は、銃撃を受け、その場で発火した戦闘機から脱出すれば、パイロットの日本兵は助かったかも知れない。しかし、その日本兵は眼下の村を巻き込まないよう、住民のいない畑へと飛び去ったのち、墜落し、壮絶な戦死を遂げたという(米軍機に体当たり攻撃をしたという話もある)。
その後、毎晩のように白い帽子と服を着た者が、飛行機が墜落した場所の近くにある魚の養殖場付近を歩いているのを見た。夜陰に乗じて魚を盗みに来たのかと思って駆け寄ったが、人影が見えない。この亡霊を見た人が増え、噂はたちまち広がった。しかも当時、農業は不作続きで、魚の養殖もうまくいっていなかった。
現地で農業をしていた呉省事氏が占い師に占ってもらうと、その亡霊は当時の戦死者だという。1944年に日本兵が戦死したことを思い起こした呉省事氏は五坪の土地に廟をつくり、毎日お祈りをしたところ、その地域は豊作が続き、魚の養殖も順調にいくようになり、宝くじが当たるものが続出するようになった。
そこで、この戦死者は誰だということで懸命に調べたところ、杉浦茂峰少尉であることがようやく判明したが、台湾は戦後、蒋介石率いる中国国民党のもとで強権支配を受けてきたため、日本兵を神様として祀っていることは長らく公言できなかった。
転機が訪れたのは、李登輝政権になってからだ。
1988年、李登輝氏が総統(大統領に該当)になって以降、台湾でも民主化が進み、言論の自由などが認められるようになったのだ。このため、呉省事氏は地元の皆さんの協力を得て1993年、三十坪の敷地を確保し、杉浦茂峰海軍少尉の神像を祀った「鎮安堂・飛虎将軍廟」を建てたのだ。「飛虎」とは戦闘機という意味だ。
◆ 祝詞は日本の国歌「君が代」と「海ゆかば」
この飛虎将軍廟では毎日、朝7時と夕方4時の2回、タバコを神像の前にお供えし、祝詞を奏上する。21歳の若さで戦死した杉浦少尉に対して、せめてタバコだけでも楽しんでもらいたいという願いから、タバコをお供えするようになったのだという。
ちなみに毎日奏上する祝詞は、驚くなかれ、日本の国歌「君が代」と「海ゆかば」(信時潔作曲)なのだ。日本兵を祀るためには、「君が代」と「海ゆかば」がふさわしいと、飛虎将軍廟をお守りしている台湾の人たちが思っているのだ。 台湾は近年「認識台湾」と言って、台湾人としてのアイデンティティーを育むため、戦前からの台湾の歴史を詳しく学ぶようになってきており、当然のことながら日本統治時代の歴史についても再評価が進んでいて、具体的には日本統治時代の建物の修復・再現が各地で進んでいる。 日本のマスコミ報道を見ていると、誤解してしまいがちだが、中国共産党政府や韓国だけが、アジアではない。東日本大震災のとき、実に200億円もの義援金を台湾は送ってくれたのに、正式な国交がないがゆえに、日本のマスコミの扱いは小さい。しかし、日本の戦没者を神として祀る台湾のような「国」がすぐそばにあることを、日本人として知っておきたいものだ。 日刊SPA!
2017/08/16 08:42 【江崎道朗】
Posted at 2018/02/17 15:22:29 | |
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