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利根川の天然水のブログ一覧

2018年03月25日 イイね!

パリ = ダカールラリー 砂漠の覇者

 パリ = ダカールラリー 砂漠の覇者  ■  パリ = ダカールラリー   砂漠の覇者  Mitsubishi(1997年)



社員ドライバーの挑戦

日本では今もパリダカという名で呼ばれることが多いが、現在の正式名称はダカールラリー(Rallye Dakar)である。パリからスタートするコースで行われたのは、2001年が最後だった。さらに、2009年からはダカールとも縁がなくなった。現在は、アフリカではなく南アメリカにコースが設定されている。2014年は、アルゼンチンのロサリオを出発し、ボリビアを経てチリのバルパライソまでを2週間かけて走る。それでも、われわれ日本人はどうしてもパリダカと呼んでしまうのだ。それは、三菱パジェロ、そして篠塚建次郎の奮闘を忘れることができないからだろう。


篠塚が初めてパリダカに挑んだのは、1986年である。前年に俳優の夏木陽介がパリダカを走り、日本では大きな話題になった。夏木はダカールの1000キロ手前でリタイアしてしまい、次は完走を果たそうということで篠塚に白羽の矢が立った。しかし、彼にとってもラリーは8年ぶりのことだ。篠塚は三菱自動車の社員だった。学生時代にラリーを始め、腕を買われて三菱に入社した後は社員ドライバーとして国内外のラリーに参戦した。実績を重ねていったが、オイルショックと排ガス規制を受けて、三菱はモータースポーツから撤退してしまう。篠塚は営業部や企画部で一般社員として働きながら、チャンスを待っていた。
Posted at 2018/03/25 23:03:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2018年03月25日 イイね!

 50年代 アメリカ車 黄金期 

 50年代 アメリカ車 黄金期                                                                                                                ■ キャデラック・エルドラド                                                                                                                  T型フォードが、発展させたデトロイト

今年(2013年)7月18日、アメリカのミシガン州デトロイト市が財政破綻し、破産法適用を申請した。以前から財政危機がささやかれていたとはいえ、かつてアメリカの、いや世界の自動車産業の中心として栄華を誇った都市の没落のニュースは、驚嘆と悲哀の念をもって受け止められた。2009年に破綻したGMとクライスラーがようやく復活し、一筋の光が見え始めて
いた時だっただけに失望感は大きかった。
Posted at 2018/03/25 22:04:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2018年03月25日 イイね!

1987年の  「  F 1 ブ ー ム  」

  1987年の  「  F 1 ブ ー ム  」■  F1―ホンダの、世界制覇と セナプロ対決 (1990年)                                                                                            世界最高峰の自動車レースであるF1は、日本では長らくレースマニアだけのものだった。1950年のシルバーストンサー キットで始まった由緒あるシリーズだが、その意義を知る者は少なかった。しかし、1987年に突然状況が変わった。自 動車にそれほど関心を持たない層にまでF1の名は知れ渡り、女性ファンが急増したのである。その立役者となったのが、 アイルトン・セナだった。                                                                                                                                                                                              この年から、鈴鹿サーキットでの日本グランプリがF1カレンダーに加えられた。1976年と77年に富士スピードウェイで F1選手権が開催されて以来、10年ぶりのことである。1960年代にワークス体制で参戦していたホンダは、1983年 からエンジンサプライヤーとして復帰していた。ホンダエンジンの性能は高く、1987年にはウィリアムズとロータスの2チー ムにエンジンを供給していた。

チーム・ロータスには、日本人初のレギュラードライバーとなる中嶋悟が加入した。日本のエンジンに日本人のドライバー ということで、一般マスコミにも大きく取り上げられることになった。彼のチームメイトが、ブラジル人のアイルトン・セナであ る。天才的なドライビングテクニックを持つだけでなく、哀愁をたたえたルックスの彼は、またたく間に高い人気を得たのだ。

F1ブームを後押ししたのは、テレビでの中継だった。深夜の録画放送ではあったが、フジテレビ系で全戦が放映された のである。当時レース中継を担当していた古舘伊知郎がセナを“音速の貴公子”と呼び、その名は広く浸透した。                                                                                                                                                                                                                            ■ 16戦中15勝の、圧倒的な成績

時はあたかもバブル景気のまっただ中にあった。ジャパンマネーはF1をも席巻し、日本企業のロゴマークがマシンのボ ディーにおどっていた。不動産会社がまるごとチームを買収した例さえあった。バブルの気分は華やかなF1の世界と マッチし、オシャレなイメージを発散していた。

ホンダのターボエンジンは、圧倒的な戦闘力を誇っていた。高速サーキットのシルバーストンで行われたイギリスグラン プリでは、1位から4位までをホンダエンジンを搭載したマシンが独占した。ウィリアムズ・ホンダにはナイジェル・マンセル とネルソン・ピケという傑出した力を持つドライバーがいて、マシンの力をフルに引き出していた。ホンダ勢に対抗できたの は、マクラーレン・ポルシェに乗るアラン・プロストだけだった。

この年はネルソン・ピケがチャンピオンとなり、ウィリアムズ・ホンダがコンストラクターズタイトルを手にした。しかし、ウィリアム ズとホンダの契約は終了し、翌年からホンダはマクラーレンにエンジンを供給する。そして、セナはロータスを離れてマクラー レンに移籍することになった。最強のエンジンと最強のドライバー2人を獲得したマクラーレンは無敵の強さを誇り、シリー ズ16戦中15勝という圧倒的な成績を残したのだ。

しかし、“プロフェッサー”の異名を持つプロストと天才肌のセナが並び立つのは難しかった。エースドライバーを決めずに “ジョイントナンバーワン”というチーム体制をとったが、両者とも自分が優先されるべきだと考えていた。2台でのバトル が毎回のように繰り広げられ、チームとしての協同体制を築けていなかった。第13戦のポルトガルグランプリでは互い に幅寄せをするという明らかな妨害行為があり、対立は決定的なものとなる。                                                                                                                                                                                                                     ■ 鈴鹿を舞台にした、セナプロの接触劇

1989年、ふたりの確執はさらにヒートアップする。第2戦のサンマリノグランプリでセナがプロストをオーバーテイクしたこと が、大きな問題となったのだ。“スタート直後のコーナーまでは互いに勝負しない”という取り決めがあったが、その解釈が 2人で異なっていたのだ。セナが謝罪する形でいったんは和解するが、不協和音は治まらなかった。シーズン途中でプロ ストはフェラーリへの移籍を発表する。

日本グランプリを控え、プロストは獲得ポイントでセナに対して16点リードしていた。逆転するためには、セナは鈴鹿と最 終戦のオーストラリアグランプリで勝つしかない。予選では1.7秒の差をつけてセナがポールポジションを獲得するが、スター トでプロストが先行する。そして47周目、シケインでセナがプロストのインを突くとプロストと接触し、2台はコースアウトし てしまう。両者リタイアならばタイトルが決まるプロストはマシンを降りたが、セナは諦めずにレースを再開し、トップでチェッ カーを受けた。しかし、コース復帰時にシケインを通過しなかったことがペナルティーとされ、彼は失格を宣告される。                                                                                                                                                                                                                                          1990年も、やはりセナプロ対決が続いた。セナがドライバーズポイントを9点リードして日本グランプリを迎え、今度は両 者リタイアでセナのチャンピオンが決まる状況だった。前年の因縁を抱えたふたりがどんな戦いをするのか注目されたが、あっ けなく決着がついた。スタート直後のコーナーで2台が接触し、レースを終えたのである。セナは後にこの接触が故意だった ことを認めている。                                                                                                            
  
Posted at 2018/03/25 13:29:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ
2018年03月25日 イイね!

「吹奏楽部」の存在を知って 日本人の音楽センスが、われわれより高い理由がよく分かった! =中国メディア

「吹奏楽部」の存在を知って 日本人の音楽センスが、われわれより高い理由がよく分かった! =中国メディア 中国メディア・東方網は22日、「日本人の音楽の素養は、どうしてこんなに高いのか」とする記事を掲載した。

 記事はまず、日本が中国よりも、はるかに早く発展したことで、これまでに触れてきた音楽に関する情報量が多くなっていることを理由の1つに挙げた。特に米国から持ち込まれた、ジャズが日本全体の音楽業界に与えた影響が非常に大きいと指摘している。

 そのうえで、日本人の音楽の素養を語るうえで、見逃すことができないもう1つの大きな理由として、日本の音楽教育における、クラブ活動や部活動の存在を挙げている。小学校には音楽クラブがあり、中学や高校では吹奏楽、軽音楽、オーケストラ、ビッグバンドなどの部活動が存在し、大学でも各種の音楽サークルの活動が盛んになっていると紹介。音楽の専門教育機関でないにもかかわらず、高い実力を誇り有名になっている、部活やサークルがたくさん存在することを伝えた。

 そして、特に吹奏楽部は、音楽系の部活で最も多く見られると説明。「毎年日本各地で学生の吹奏楽フェスティバルやコンクールが数えきれないほど開催されているほか、多くの学校が定期的に街での演奏活動などを行っている。また、練習施設が充実している学校も少なくない」と解説している。

 記事は最後に、「わが国も先進国になれば、音楽だけでなく芸術的な素養もより高まることだろう。ただ、そのためには社会の発展を推進するための努力を払わなければならない」と結んだ。

 ちょうど今、春休みに入る時期は、各地の中学校や高校の、吹奏楽部の定期演奏会が多く行われる。吹奏楽だけがすべてではないが、日本社会における音楽の発展や普及に対して、吹奏楽が果たしてきた役割は、間違いなく大きいはずである。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)                        サーチナ                  2018-03-24 22:12
Posted at 2018/03/25 12:23:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2018年03月25日 イイね!

お は よ う ~

お は よ う ~榛名山、早朝オフに行って来ました。いつもの仲間たちは、展望台駐車場地点でストップ。路面凍結で登れないと、ストップの手信号もらいましたが、そのまま「榛名湖畔まで登ってしまいました。一度スピンしそうになり、怖かったです。3台だけ登ってきてましたが、他の仲間は登ってこなかったので、少しだけだべって早々に、帰途につきました ~  (^^♪                                                                                         
Posted at 2018/03/25 09:12:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味

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「発車3分前の列車でも余裕で乗れる日本の鉄道、中国じゃ絶対あり得ない! =中国メディア http://cvw.jp/b/1528111/42009436/
何シテル?   09/30 18:04
「利根川の天然水」です。よろしくお願いします。                                          座右の銘、 『鈍刀を磨く』 ・...
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