




俳優の高倉健さんが、11月10日に死去していたことが分かった。83歳だった。日本で報道されると、中国メディアも時を置かずに、次々に関連記事を発表しはじめた。「中国時の心の偶像だった」(中国新聞社)、「人々に悲しみ。隠遁する神だった」(騰訊網)など“思い入れ”を込めた表現も多い。それもそのはずで、中国人にとって高倉健さんは、1970年代後半からの「激動の時代」と重ね合わせて思い浮かべる存在だった。
中国新聞社は速報で、日本における中国語媒体を引用して、「日本の映画スター、高倉健さんが亡くなったとの情報が発表された。11月10日早朝、悪性リンパがんのため東京都内の病院で死去。83歳だった」、「1931年に福岡県で生まれた。東映第2期生として入社」などと、経歴を簡単に紹介。
同記事はさらに、「『追捕(邦題:君よ憤怒の河を渉れ)』、『千里走単騎(邦題:単騎、千里を走る。)』など、中国の庶民が熟知する作品に出演」とつけ加えた。
そう、中国人にとって高倉健さんとの出会いは、1976年公開の「君よ憤怒の河を渉れ」だった。ちょうど、文化大革命が終わった年だ。文革中、外国映画は一般向けに公開上映されなかった。中国の作品は、イデオロギー色を打ち出したものばかりだった。当局による「思想教育」を目的とした作品と言ってもよかった。
人々は10年ものあいだ、「心から楽しめ、共感できる作品」に飢えていた。文革終了の直後に、西側を代表する国のひとつである、日本の映画が公開されることになった。直近の戦争では、中国を侵略した敵国だったはずだ。人々には関係なかった。72年の日中国交回復から78年の平和友好条約締結に至るまでの時期で、日本にたいする「わだかまり」が薄くなっていた時期という背景もあったが、人々はとにかく外国の映画作品を見たかった。
映画鑑賞のチケットも入手困難になった。中国語での吹き替え上映だったが、高倉健さん演じる杜丘冬人の印象的なセリフを、人々がそらんじて真似をした。
後に国家主席となる「胡錦濤青年」も、「君よ憤怒の河を渉れ」に魅了されたひとりだったという。同作品では、共演の中野良子さんも人気を集めた。同作品が公開されてから30年以上が経過した1998年、胡錦濤氏に中野さんと会う機会があった。
当時の役職は国家副主席だった。次期国家主席ということも、事実上決まっていた。胡副主席は中野さんに向かい、中野さんが演じた遠波真由美の「物まね」をした。目の前に立つ中野さんに、「あのヒロインがスクリーンの中から出てきた。不思議な気持ちがします」と語ったという。
文化大革命が終わり、「政治的にがんじがらめ」だった中国社会が変わり始めた。「国の外のもの」も次第に入ってきた。そして、最初は徐々にではあったが、生活も裕福になりはじめた。中国人にとって高倉健さんは、1970年代後半からの「激動の時代」、しかも社会が明るい方向に向かいつつある時代と重ね合わせて思い浮かべる存在になった。
もうひとつ、中国人が高倉健さんに対する、親近感を強める出来事があった。2005年発表の「単騎、千里を走る。」だ。メガホンを取ったのは中国人の張芸謀監督。張監督は「赤いコーリャン」で、すでに国際的に高い評価を確立していたが、中国人にとって張芸謀監督/高倉健主演は、やはり「うれしい衝撃」だったという。
中国人は、日本や日本人を「非難」することも多いが、「われわれと比べて、ずっと進んだ国」ということを、少なくとも心の中では認めている。その日本を代表する俳優である高倉健さんが、自国人の監督の作品に出演。中国が誇りとする張芸謀監督を、「アジアにおける芸能先進国」である日本を代表する俳優が認めてくれたということで、「単騎、千里を走る。」での「高倉健主演」はとりわけ印象的だったという。
高倉健さんは、「文革後初の外国作品の主演俳優」という“記録”と、中国人を熱狂させ、中国の芸能界を評価してくれたという“記憶”の両面で、中国人にとって忘れられない存在でありつづけることに、間違いはない。
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高倉健さんは中国で、「新たな日本人男性のイメージ」を植えつけることにもなった。それまでの「抗日戦争時」を描いた作品に登場する日本人は、「上官にはぺこぺこするが、中国人には威張り散らし、残虐な振る舞いをする。しかし本質的に間抜けで、最後には八路軍(共産軍)にやられる」という役回りだった。
現在でも、いわゆる「愛国作品」では同様の描かれ方だが、高倉健さんらが出演した日本の映画やテレビ作品により、日本人について「真面目で礼儀正しく誠実。責任感が強い」とのイメージが導入された。
日本人についての、上記イメージは現在までに、ほぼ定着した。日中交流の活発化にともない、映像で見た日本人に対するイメージを、「現実の日本人と接して確認する機会が増えた」結果と解釈することができる。
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テレビ作品としては、1970年代に制作された、山口百恵さん主演の「赤いシリーズ」が、中国で放送されて大人気となった。山口さんの場合も、それまでの「男尊女卑の日本で、女性は男の言いなり」との先入観に変化を与え、「自分の意思で、運命を乗り越えていく」とのイメージを植え付けたと言える。
「赤いシリーズ」では、山口さんの父親役だった、宇津井健さんも人気を集めた。宇津井さんが2014年3月に亡くなった際にも、中国メディアは争うようにして、改めて宇津井さんを紹介した。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF) サーチナ 2014-11-19 14:09
Posted at 2018/03/29 11:44:25 | |
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