月刊チャージャーという web マガジンの今月号に、
「国産スポーツカー」に未来はあるか?という記事が掲載されています。セリカ・インテグラをはじめとして、国産のスポーツタイプのクルマが次々と消えて行く現状と合わせ、興味深い記事だと思って読んでみたのですが……。
何なんですか、これ?
これがモータージャーナリストと呼ばれる人達の書いた文章なら、自動車業界を動かす事なんかできやしませんよ。
特に一人目の小沢コージというヒト、F1 チャンピオンに三回なったジャック・ブラバムや、同じく三回チャンピオンになり、通算勝星の最多記録を持っていたジャッキー・スチュワートと、表彰台に上がった事もない中島悟の扱いを較べて
日本に本当の意味でのスポーツカー文化なんてなかった
っていわれてもねぇ。
ちなみに彼らの "Sir" というのは敬称ではなく、イギリスの叙勲制度において受勲者に与えられる爵位あるいは称号ですから、
日本でいえば国民栄誉賞ものでしょ
というのも間違ってます。この原稿書いてお金貰ってるんだから、そんくらい調べようよ。
また、
日本のスポーツカーって、未だに「ハコスカGT-R」が最高峰みたいなイメージあるじゃないですか
といってますけど、あなたがどんなイメージを持とうが勝手だけど、そのイメージは読んでいるヒトのどれくらいが共感してくれるイメージだ?
"レジェンド" に分類されるたぐいのクルマのイメージと、今のクルマのイメージを重ねられても困るだけだと思うぞ。それをいったら日本以外のスポーツカーだって、未だに
ランボルギーニ・カウンタックを越えているものはない、というヒトだっているぞ。
教習所のカリキュラムも「抜きたい」と考えることすらイケナイって発想から始まってるしね
という発言に至っては、もうなんといったらいいのか。一般道を普通に走る場合とスポーツとして設備の整ったクローズドなコースを走る場合を区別できないような人間がモータージャーナリストを名乗っていたんじゃ日本のモータースポーツ文化が育つわけないじゃないですか。
他の二人はこのヒトに較べればまだマシだけど、清水草一というヒトの発言を要約すると "金のないヤツはモータースポーツをやるな" ということになります。それはそれで一理あると思うけど、もしそれがこのヒトの理想なら、日本のモータースポーツが廃れて行くのはこのヒトの理想通りであるから悲観する事は何一つないはずですね。だって日本にお金の有り余っているヒトなんてほんの一握りしかいないもの。
館内端というヒトの
ハイブリッドをうまく活用すれば、20世紀型とはまた違った「スポーツカー文化」が生まれる可能性はある
というのは面白いアイデアだとは思いますが、中学生がエンジンの爆音を嫌がる事と市場を結びつけるのは短絡すぎると思いますよ。現に今でも排気音の大きくなるマフラーには一定のニーズはあるもの。
それに、音を小さくするという制限を付けたところでモータースポーツの楽しみは損なわれる事はないと思いますよ。F1 においてだっていろいろな制約のもとでレースは行なわれています。別に音に関する制約があっても構わないと思いますけど。
この人達はまず自分のいいたい意見があって、それに合わせて文章を作っているように見受けられます。こういう印象批評ってもう他の分野では古い手法とされているんですけどねぇ。
Posted at 2006/09/01 17:14:08 | |
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