2005年10月06日
男の子というものはヒーローもの好きか、乗り物好きかに大別されるらしい。僕の趣向は幼稚園の頃はヒーローものだったが、小学校に通うようになってからはずっとクルマだった。当時ウチにはクルマはなかったけれど、どこで覚えたのか道路を走っているクルマの車種・グレード名を全部いえたっけ。
その頃の僕のお気に入りは日産チェリー。セダンより 2 box タイプのクルマが好みだった。それは後々もずっと続いていて、セリカ LB、バラードスポーツ CR-X、と好きなクルマはいずれも 2 box だった。
ウチに初めて来たクルマは日産サニーだった。たしか 1300 cc の中古車だったけど、嬉しくて父親の洗車の手伝いをよくしてた。今考えると父親は傷付けられないか心配してたんじゃないかと思う。このクルマのナンバーは今でも覚えている。×× 55 ぬ 9×-×3。二台め以降のクルマのナンバーは覚えていないのに。
二年後に買い替えたのは、三菱ミラージュだった。これ以降、父親はずっと三菱派で、リコール隠しの際も怒ってたけどクルマを換える気はなかったようだ。
小学校四年生のとき、父親が長期出張で家を空ける事になった。その際、二週間に一遍クルマの掃除をする事と、その時にエンジンをかけて五分でいいからアイドリングをするように頼まれた。大事な仕事を任されたみたいで、一度も欠かさずやった。このためかどうか分からないけど、バッテリーが上がる事はなかった。
こんなにクルマ好きなのに、困った事に僕はかなりきつい車酔いのクセを持っていて、遠出をする度に吐いていた。一度両親が「車酔いなんて気のせいだ」と、風邪薬を酔い止めと偽って僕に渡した事があったが、効果はなかった。そのため、クルマで旅行する時にはウチのクルマの窓は常に開いていた。エアコンは装備されていたけど、何の意味もないから両親は嫌がってた。
大学に入って免許を取り、クルマが欲しくてバイトを始めた。稼いだお金は他には使わず、貯まった金額は一年で百万円を超えた。早速クルマ探しを始めた。好きだったバラードスポーツ CR-X は中古車市場にはまだ残っていた。でも車両本体のお金は払えても、次年度分以降の維持費、駐車場代、そして何よりガソリン代を出す事はできなかった。動かせないクルマを持っていても仕方がない。僕はクルマを諦め、二輪に奔った。
乗ってみると二輪は楽しかった。加速感は体全体で味わえるし、荷重移動も理屈ではなく感覚で覚えられる。失敗は自分自身に跳ね返ってくるから、いやでも真剣になる。造りが複雑ではないので、簡単な整備だったら自分でできるようにもなった。
そんな二輪にも欠点はあって、どうしようもないのが他人を乗せられない事だった。一応タンデムシートは付いているが、当時は高速道路は二人乗り禁止だったし、例え禁止されていなくても後ろに人を乗せて道路を走る自信も、勇気も、僕にはなかった。だから、どこかへ遠出する時はいつも一人だった。一緒にいく人もいなくて、ラジオさえ付いてないバイクが面白いのか? と聞かれる事もあったけど、ラジオなんか必要と思った事はなかった。エンジンの音を聞くのが車体の状況を知る重要な手段だから。
結局二輪は六年乗って手放した。買い取りを頼んで査定してもらったら、査定はマイナスになった。そんなものかと思ったけど、元々三年落ちの車体だったから十年めのバイクだ。馬力規制の厳しくなる前に作られたエンジン以外には価値はなかったのかもしれない。
就職して結婚した時には都内に住んでいたし、お金はまるっきりなかったから、クルマは持っていなかったし、持てなかった。幸い、嫁さんと探し出した住まいは電車も、バスの便も良かったから、特に不都合はなかった。けどやっぱりどこか寂しかった。
仕事の都合で引越す事になった。嫁さんは別の仕事をしていたからしばらくは離れて暮らす事になったけど、住居事情と金銭的余裕と、二つの理由でクルマを買う事ができるようになった。久しぶりに中古車市場を眺めると、世の中の流行が変わっていて、僕の好みの車種は絶滅していた。バブル期にクルマのサイズはどんどん大きくなってしまい、同時に装備も豪華になったけれど、見せかけだけな気がしてそんなクルマを買う気にはなれなかった。
結局選んだのは 3 ドアのトヨタ RAV4 だった。長い間クルマの運転はしていなかったので小さいクルマのほうがよかったのと、軽い車体に高い回頭性が、何となく二輪の性質に似てると思ったから。
納車一ヶ月でいきなり往復 1000 km の旅行に出た。途中で嫁さんを同乗させ、友人の所へ寄るために峠越えもした。小さなクルマだったから細い道のすれ違いも難しくなかったし、車酔いなんか起きるそぶりもなかった。両親のいっていた「車酔いなんて気のせい」というのは間違っていないのかもしれない。
その後も長期の休みの度にあちこち遠出した。スピードの出るクルマではなかったけれど、エンジン音が少し大きいのと燃費があまりよくない以外には不満はなかった。荷室は大きくなかったけど、後部座席を倒せば十分な荷物が載ったし、エンジン音だって、バイクに較べればたいした事はない。僕自身は不満とは思わなかったけれど、嫁さんは会話がしづらいといっていた。
子供がだんだん大きくなって、さすがに後部座席の乗り降りが辛くなってきた。十一年めの車検を通し、次からは税金が 10% 増しになる事もあって、買い換えを考え始めた。
そんなおり、実家への里帰り中にラジエーターの冷却水が漏れている事が分かった。まるでクルマのほうから「疲れたから乗り換えて下さい」といっているみたいだ、と思った。
候補に挙がったクルマはマツダアクセラ。セダンだけど、トランクが短くて 2 box にも見える。最近では珍しい、子供の頃からの好みに近い形だった。
契約を交わして納車を待つだけとなり、RAV4 に積んでいた荷物を降ろしたり、最後に洗車をしたりした。なぜだか少し哀しくなり、写真を撮っておく事にした。
アクセラ納車の日、最後に RAV4 を運転する日になった。ディーラーへ向かう途中、忘れ物に気付いて余計に一往復したが、もう少しだけ乗っていたかったから困った気はしなかった。
納車翌日、嫁さんと子供は、ディーラーから運び出されていく RAV4 を目撃したらしい。最後の挨拶ができてよかった、と僕に教えてくれた。
長い間ありがとう。
Posted at 2005/10/06 19:42:41 | |
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