以下に全文引用する文章は、1897 年に New York's Sun 紙に掲載された、アメリカ新聞史上もっとも有名な社説です。
本紙は、以下に掲載される素晴らしい投書に対してお答え申し上げると同時に、読者にこのような素晴らしい方がおられることを、心から嬉しく思います。
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こんにちは、しんぶんのおじさん。
わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?
ヴァージニア・オハンロン
ニューヨーク市西95番街115番地
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ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、ぜんぶがわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩のたのしむ心も、人を好きって思う心も、ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、きえてなくなってしまうだろう。
サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶに、人を見はらせて、サンタクロースが来るかどうかたしかめてごらん。サンタクロースが来なかったとしても、なんにもかわらない。だってサンタクロースは見た人なんていないし、サンタクロースがいないっていうしょうこもないんだから。だいじなことは、だれも見た人がいないってこと。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見た人っているかな? うん、いないよね、でも、いないってしょうこもない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、ほんとうのところは、だれにもわからないんだ。
あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、ふしぎな世界には、どんな強い人でも、どんな強い人がたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがあるんだ。むじゃきな心とか、詩をたのしむ心、愛とか、人を好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、ものすごくきれいでかっこいい世界を見たり、えがいたりすることができるんだ。うそじゃないかって? ヴァージニア、これだけはいえる、いつでも、どこでも、ほんとうのことだって。
サンタクロースはいない? いいや、ずっと、いつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはずっと、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。
(1897年9月21日「ニューヨーク・サン」紙社説
大久保ゆう翻訳)
ふっ、いつの間にか汚れちまったなぁ……。
どうでもいいけど、この日本語訳は何か違う気がするなぁ。
Posted at 2006/12/18 17:09:25 | |
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