2017年11月10日

散々ヴィヴィオに手を掛けて来ましたし
一時期はヴィヴィオ保存会などというものもやっていました。
でも、はっきりと言うと
私はスバリストでもないし、ヴィヴィオなど好きでもない。
私がヴィヴィオを選んだのは結果としてヴィヴィオが私の考えている条件にあったからに過ぎない。
スバルありき、ヴィヴィオありきで選んだ訳ではない。
ヴィヴィオはバブル期に企画・設計された車ですので
一言で言って”作りが良い”。
1985年のプラザ合意以降始まったバブル経済。
これは、今では批判する人も多いですが、私は全体的な方向性としては間違っていなかったと考えている。
良くなかった点を挙げれば、”土地政策”と”乱痴気騒ぎ”。
”土地の価格上昇”と”土地成金による乱痴気騒ぎ”=バブルだという風に現在では思われているが
バブルというのは国際社会からの圧力で内需拡大に向かった時期です。
私はまだ少年でしたが、当時の首相中曾根康弘氏が海外の製品を買いましょうとブランド物のネクタイを買っている姿が報道されたのが印象的でした。
土地政策の誤りについては別の機会に書くとして
”乱痴気騒ぎ”について考えてみましょう。
土地成金たちは、儲けたお金はで絵に描いたようなセレブ生活を始めた訳ですよ。
都心の高層マンションに住んで、高級外車を乗り回し、クルーザーなんぞも所有して、余暇には南の島でネーちゃんにかしずかれてトロピカルドリンクなんか飲んでいる。
我々以上の世代では、未だにこんな生活に憧れている人も多いようです。
はっきり言ってアホですよ。
日本は前の戦争の敗戦で焼け野原になってしまった。
アメリカから$を借りて戦後復興に頑張って戦後賠償も支払い(日本は戦後賠償してないと主張する国も未だにあるが)、$を返して先進国・”経済”大国(あくまで経済だ)になった。
しかし、問題は敗戦でそれまでの日本を全て否定してしまった事だ。
そすると、経済大国になったところで”文化”がないのでお金の使い方がわからない。
そうすると、乱痴気騒ぎをするしかなくなってくる。
日本人が自国の文化を大切にしていたら、乱痴気騒ぎは起きなかったのではないだろうか?
例えば住宅。
建築関係の仕事をしている友人がいっていたが
戦後復興期に大量の住宅を供給しなくてはならくなった。
しかし、戦争でベテランの職人は殆どいなくなった。それでは、家の方を熟練の職人なくても建てられるようにして、それを供給したそうです。
現在のCMをしている大手ハウスメーカーの家もその延長線上にある。
これは以前に澤田 升男氏という方の講演を聴きに行ったことがあるが、その時に面白いことを言っておられました。ご興味ありましたら澤田 升男氏の本をお読みください。
戦後復興期に安物の住宅を供給したのは仕方ない面もあるだろう、しかしバブル期以降から現在まで、その当時家は建て替えられているが表面だけきれいになり便利な設備が付いているが同じような住宅を建てているだけある。
私は、この秋から築117年の古民家に住んでいる。

古いのであちこち傷んでいるのだが家の基本はしっかりしている。
懐古趣味に走れというのではない。
日本人が自国の文化を大切にしていたら、伝統的な日本建築と現代の技術を取り入れた家を建ることも出来た。
バブル期に乱痴気騒ぎしている場合ではなかったはずだ。
10代の私は周りの人たちがディスコだ!スキーだ!ハイソカーだ!と浮かれているのが嫌で仕方なかった。
しかし、こんな乱痴気騒ぎのバブル期ですが、その好景気を背景に
R32GT-Rや初代セルシオのように欧州のスポーツカー・高級車を超えたいという志を持った車も出てきたリもしました。
ヴィヴィオというのはこんな時代背景の中で生まれて車な訳です。
デビュー当初のキャッチフレーズは「SIMPLE RICH(シンプルリッチ)」だった。
見た目の派手さや豪華さではなく本質的な部分を作り込みました。
これこそが、本当の豊かさであり、贅沢であるということではないでしょうか?
ヴィヴィオに乗ったり、ドンガラにしてみると、「なんとここまでするか!」と驚嘆することが多々あります。
その反面、所詮は軽だなと落胆する部分もあります。
しかし、ヴィヴィオはそれ程奥の深い作り込まれた車なのです。
私が以前にヴィヴィオ保存会なるものを立ち上げたのは
ヴィヴィオユーザーやスバリストだけに訴えたかったのではないのです。
このことを多くの人に伝えたかった。
ここを明瞭していなかったので多くのヴィヴィオユーザーと軋轢を生んでしまった。
まぁ、機会ありましたらヴィヴィオを下から眺めて、乗ってみてください。
Posted at 2017/11/10 06:27:22 | |
トラックバック(0) |
素人自動車論いいたい放題!! | クルマ
2017年11月03日

私が、このヴィヴィオ作った理由を
詳しく書いていくことにしました。
何度か”ウルフカウンタック”のような車を作りたい書いてきましたが、それは表面的な理由です。
もう少し込み入った理由があるのです。
ヴィヴィオというか作り込まれた工業製品の価値を知って欲しかったのだ。
”ヴィヴィオは良い車ですよ””軽自動車とか、そういったカテゴリーを超えた作り込みです”といったところで、殆どの方に伝わらない。
それで、苛立ちを感じていた時期もあった。
私は、このブログで現代の高度消費社会を批判してきました。
それに対するアンチテーゼとして、このヴィヴィオを作ってみたのですが、どうも本末転倒というか
目的と手段を履き違えていたというか、原因と結果を取り違えていたという事です。
だから、人々に伝わらないのは当然といえるでしょう。
ある人が、みんカラブログでヴィヴィオの事を「もう、こんなクルマは出てこないだろう。」と書いていたけど、それは真理だ。
現状の社会構造のままなら、もう出ないだろう。
スバルは不正を挙げられているくらいだから、こんな手間の掛かった車を作る余裕はもうない。
明星食品・日産・神戸製鋼と不正が相次いでいるが、これらの企業の経営者は特別に倫理感が無いのだろうか?
否!そうではない。
どこの企業も”コストダウン”の圧力に晒されているのではないだろうか?
コストダウンの圧力に晒されていると言っても車の価格は上がっている。
しかし、知り合い車屋さんに行って最近を車を子細に観察するとはっきり言って車の作りは悪くなっている。
技術は進歩しているのだ。
以前にスカイラインのコンロッドは軽量・高精度・高剛性になっているとコメントを頂いたことがある。
詳しい資料はここを参考にしてください
自動車における環境対策と材料・表面改質技術
材料・表面改質技術等の汎用技術はヴィヴィオの頃とは比べもにならないほど進化している。
そして、コンピューターの進歩により車の制御はもとより設計・生産管理は大幅に進歩している。
しかし、我々の前に姿を現す車は
こんなんです。
別にNSXやホンダが特にダメというわけではない。
NSXは高額なスーパーカーだから目立つだけで基本的に現代の車は多かれ少なかれこのような傾向だろう。
個々の技術は進歩しているのに、1台の車としてみると”進歩”しているとは言い難い。
コストダウンの結果ではないだろうか?
つまり、1台1台の車の開発に時間・人員を掛けることが出来ない。
それを進歩した汎用データ・技術で辻褄を合わせるので、このNSXのような車が出来てしまう。
例を上げるとS660(ホンダばかりですいません)。
ある人がブログで書いていたが、この車はコーナーを立ち上がってアクセルオンにするとセーフティモードになってしまうらしい。
横積みミッドシップのロードカーというのはミッドシップとはいえエンジンが後ろよりになるので宿命的にファイナルオーバーステアの特性を持つことになる。
これを抑え込むはタイヤの性能に頼るしかない。
それには、タイヤの性能を活かしきれるジオメトリーを持ったサスペンションが必要になってくる。
更に、リアよりになると諦めないでパッケージングを工夫することが肝要になってくる。
これをするには車をよく慣熟させる必要がある。
それには、時間・設備・人員が必要となる。つまり金が掛かるという事だ。
こんな事するよりコンピューターで辻褄を合わせた方が安上がりだ。
これが我々が子供の頃に夢見た技術の進歩した未来だったのだろうか?
勿論、違う!
何故こんな世界がやってきたのか?
世界一の金持ち国のこの日本で貧困に苦しむ子供が300万人もいるという。
若者の非正規雇用・サービス残業・ワーキングプア。
これは安倍さんが悪いのか?
そうではない。これが高度消費社会の行き着く当然結果だった。
私は、高度消費社会を批判してきたが
我々はなぜこんな高度消費社会を続きけてきたのかついては書いてこなかった。
高度消費社会はシステムの歪みによる結果なのだ。
経済学的に正しいなどと言っている時は過ぎた。
これからはこれについて書いていこう。
そして、高度消費社会の結果我々はどんな人間になってしまったのかについても書いていこう。
既に、あらゆることが綻びだしている。
私は、来年の3月で48歳になる。数え年なら49歳だ。
人間五十年。私の人生は終わったのだ。
別に死ぬとか言う事ではない。
自分の為だけに生きる時間は終わったと思う。
残りの人生は社会の為に生きたいと思う
Posted at 2017/11/03 20:40:37 | |
トラックバック(0) | ニュース
2017年11月02日
いきなりタイトルと反対の事を云うのですが、私は自動車整備士を嫌ってなどいません。
私の友人・知人にも自動車整備士をしている者もいますし、特定の職業を嫌うなどという事もありません。
閲覧注意!!毒吐きますヽ(`Д´)ノ
という記事を上げたら皆さまに私が自動車整備士を嫌っているという認識が出来たような印象を受けますので、弁明しておきましょう。
あの記事は
私がエンジンやトランスミッションをOHしている記事を上げると

「本職ですが、こんなことしたことありません」といったコメントが来たりする。
やったことないなら本職ではないだろう。
私は元々機械屋で働いてたんだよ。
その私に向かってやったこともない人間が"本職"は無礼だろう。
それはド素人と云うのだ。
こんなのは、まだましな方です。
私が自分でドンガラにしてボディ補強した車の試乗記を書いたら
ボディ補強をしたこともないし、ボディ補強した車に乗ったこともない整備士から頓珍漢なコメントがきたりするので
そういった人間に対して「知らないことに対して専門家ヅラするな。」という意味のことを書いたまでです。
私は、整備士を嫌っているのでもなく、職業どうこうでもなくこういった人間が嫌いなだけです。
彼らは「俺は整備士しているので、車のことは何でも知っているのだ。」と虚勢を張りたい、もしくは勘違いしてるのでしょう。
または、「整備士をしているので車の事は何でも知っていないとイケナイ。」という強迫観念に囚われているのでしょうか?
一人の人間が車のことを何でも知っているなど荒唐無稽な話です。
車のことを何でも知っているのなら、鉄鉱石の採掘についても知っているのでしょうか?
更に、これを輸入して精製して鉄にして車の部品にするまでもことも知っているのでしょうか?
更にラインで組み立てて・・・・・etc。
書き出したらキリがありません。
何を訳の分からないこと書いているのかと思われるかもしてませんが
これらのことが一つでも欠けたら車は作れません。
1台の車が、私たちの前に姿を現すまでには、多くの人達が関わっているのです。
勿論、整備士も市中に出された車を安全・快適に運用するための重要な役割を負っています。
「俺は整備士しているので、車のことは何でも知っているのだ。」という勘違いをしている人間は
自己中心的で、他人への思いやりや感謝がまるでないということです。
私は、一般的な整備工場の整備士がチューニングやレストアについて知らないからといって、その人物がダメだとは微塵にも思いません。
自分の職分をわきまえて、日々職務に精進していれば、その人を尊敬します。
しかし、「俺は整備士しているので、車のことは何でも知っているのだ。」という勘違いをしている人間が、自分の職分をわきまえて、日々職務に精進しているとは到底思えません。
だから、私はこういった人間を嫌い軽蔑するのです。
追記
エンジン・トランスミッションのOHやボディ補強をしたこともない人間から頓珍漢なコメントがくるなぁ。削除したけどね。
Posted at 2017/11/02 07:12:56 | |
トラックバック(0) |
素人自動車論いいたい放題!! | クルマ