このブログを書こうと思ってYahooの画像検索をしていたら、なんと私の車そのものが!
ある方が私の車をブログで取り上げてくださっていました。
この車は’83年9月から”90年3月まで乗りました。
①なぜ私はこの車にしたのか?正確にはこの車は当時割烹居酒屋を経営していた母の名義になっていました。週三回~四回築地の魚河岸の場内に10時までの間に入場するのに貨物ナンバー車でないと許可が出なかったのです。
②なぜ三菱にしたのか?当初はマークⅡバンにしようと思ったのですが、カタログをもらいに行くとパワステが付かないとの返答(後日寿司屋さんのマークⅡバンを見せてもらったらパワステ付だった)コロナバン、ライトエースバンも検討しましたが、私が遊びで使うのに1,600ccのATではパワー不足を感じていた。そんな時目に入ったのが当時の『城東三菱自動車販売』であった。
2,000ccで3ATのスーパーエステートで商談をすることになった。
③装備はどうだったのか?
モケットシート(運転席ランバーサポートあり)オーバーヘッドコンソール、フロントシェードバンド付合わせガラス(当時は乗用車でも強化ガラスが多かった)、オプションのパワステは当時56,000円した。芸が細かいと思ったのは、荷室クウォーターガラスの保護棒に木目模様がついていた(・_;)
タイヤは165R13と小さくテッチンホイールにホイールリングが付いていた(低速で走っていると、このホイールリングから出る音が気になりアルミホイールに交換した)。
フロントドアから後方は初代∑バンと同じなのだが(確かボンネットやフロントドアはボントラのフォルテと共用だった気がする)インパネとステアリングは二代目ラムダのものがついていた。
33年も前の車だがサイレントシャフト搭載のシリウスエンジンの静かさは大学の同級生が皆驚いていた(私自身はこの車しか乗っていなかったのでそうは思わなかったが)165R13と今では驚くほど小径のタイヤに3ATファイナルは3.909とギア比も低かったのでスタートダッシュは良かったが、時速100キロ時のエンヂン回転数は3,900回転と高く燃料の安い時代だから乗れたのだと思った。
当時は中央道で小淵沢までよく言ったが、風が少しでも吹くと軽いステアリングは右へ左への修正を要求し必死になって運転していた覚えがある。
こんなパッケージ(FR2,000CC以下5ナンバーで全高は1,400㎜台のワゴン)なんて絶対に出てくる訳ないんですが、今の技術で登場してきたら終の車にほしい気がします。
Posted at 2016/05/25 13:00:43 | |
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