尼子城〔尼子館〕(甲良町)
殿城池が残る尼子城〔尼子館〕
2007年08月03日
尼子城は、京極家第5代、室町幕府の重臣で婆娑羅大名として知られた佐々木(京極)高氏(道誉)の孫六代高秀の四男高久が甲良荘尼子村を領有し尼子氏と称し、本家京極家の居城勝楽寺城の前衛城として築いた城です。高久は地名を姓として、尼子左門尉高久と名乗り、尼子氏の始祖となりました。嫡男詮久が近江尼子氏、次男持久は出雲国(島根県)の守護代として、月山富田城に拠り雲州尼子氏の祖となりました。
雲州尼子氏3代経久、晴久の時代には、山陰山陽道十一ヶ国二百万石の覇者として室町時代、天下に尼子氏の名を知らしめました。
しかし、近江尼子氏は2代氏宗の頃、戦乱で落城し、当時としては広大な尼子城(館)と共に歴史の上から消えて、「まぼろしの尼子氏」と言われました。
昭和63(1988)年に滋賀県教育委員会が玄翁堂の東の竹藪から、土塁と堀跡を発見しました。この土塁と堀は室町時代、当地の領主尼子氏の居城(館)跡の一部であることを確認し発表されました。
平成8(1996)年度に「むらづくり事業」で、甲良町の「水と緑の景観整備事業」の助成を受けて、落城後六百五十余年間竹藪の中で眠っていた尼子城(館)の土塁、堀跡の一部を保存、修復して約130平方メートルの土塁公園としました。
また近くの民家の家の入口に殿城池が残っています。
在りし日の尼子城の堀跡で、昭和初期まで池の西、深さ4~5mで北側に湾曲した竹藪となった堀跡が続いていましたが戦後宅地に変貌しました。殿城池は、ありし日の尼子城の堀跡です。昭和初期まで池の西、深さ4〜5mで北側に湾曲した竹数となった堀跡が続いていましたが戦後地に変貌しました。
お堀の水神様は、落城のとき入水された城主の姫君(八千姫)が祭られています。又このとき、若く美しい侍女お園も姫の後を追って入水殉死したことを領民が憐れみいつしかこの堀のことを「お園堀」と呼び敬い親しみ護り続けて今日に至っています。
周辺はかなり道が狭いです。車で現地に向かうと苦労します。
※みんカラマップ 尼子土塁公園(写真上)
※リンク先 殿城公園(写真下)
H19.7.27
Photo Canon EOS R6 MarkⅢ
R8.6.13(写真差し替え)
住所: 〒522-0242 滋賀県犬上郡甲良町尼子
関連リンク
タグ
地図
関連情報