横山城(長浜市)
織田と浅井の攻防戦の舞台・伊吹山の眺望が良い横山城
2006年03月19日

横山城は、長浜市と米原市の境界をなす横山丘陵(一名臥竜山)の最高所(標高312m)を中心に、三方の尾根にY字状に遺構が配置されています。その主な施設は、40ヶ所以上の曲輪からなり、いたるところに土塁・堀切・堅堀などの防御施設が設けられており、その機能は堅固で、典型的な戦闘用の山城であったといえるでしょう。
最高地点を北城、そこから派生する南尾根上に南城が築かれた「別城一郭」の構造です。
この城は、当初京極氏の支城として築かれたといわれています。その後、六角氏と浅井氏との対立激化にともない、それぞれの前進基地として争奪が行われ、永正14(1517)年、浅井亮政により攻められ浅井氏の勢力が拡大したことにより、浅井氏の南進基地として永禄4(1561)年、浅井長政によって本格的に改修されたようです。
この城が歴史の表舞台に登場するのは、元亀元(1570)年の姉川合戦(別名野村合戦)と、それ以後の織田氏・浅井氏の攻防においてです。
ここ江北の地(湖北地方)は、古くから北国や東国から京都に通じる交通の要衝にあたり、全国平定を目指す信長にとって、そのおさえとして姻戚関係を結んでいた浅井氏の離反は大きな脅威でした。また、前方には延暦寺・石山本願寺、背後には武田勢、南には長島の一向一揆、さらに北には浅井氏と手を結んでいた朝倉勢がおり、信長・秀吉主従にとって、この時期は多難な状況にありました。
6月、織田軍は美濃との国境の防御ラインの要であった長比城、刈安城(上平寺城)を落とし、横山城を包囲します。これに対し、浅井、朝倉軍は小谷城の南東の大依山に陣を構え、姉川を挟んで対峙します。
姉川合戦は織田軍が勝利し、横山城を攻撃して、守将大野木土佐守は開城し逃亡しました。
姉川合戦により浅井氏から奪った横山城を預かった羽柴秀吉は、その後何度かの浅井氏の攻撃にもかかわらず、浅井氏滅亡の天正元(1573)年までの約3年間守り通し、浅井・朝倉勢を牽制することにより信長の背後を守りました。信長自身も本願寺攻め・小谷攻めに際して何度も本拠地として利用するなど、重要な役割を果たしています。
また、この城は秀吉にとって、その後の江北領有への直接の足がかりとなり、さらに全国平定の基礎を築いた城としても、長浜城に劣らぬ重要な歴史的価値をもっています。
東は伊吹山や北国脇往還、西は長浜の平野部から琵琶湖を眺め、北は小谷城や虎御前城を一望できます。
北近江の押さえとしては絶好の位置にあることがわかります。
ここの城も想像以上に「登山」でした。
登るにはそれなりの服装で。
ただし、頂上からの伊吹山の眺望は素晴らしいので、山城マニア以外の方にもお勧めできます。
H18.3.18
Photo Canon EOS R6 MarkⅢ
R8.6.13(写真差し替え)
住所: 滋賀県長浜市村居田
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