徳川家康の命でウイリアム・アダムスが日本初の洋式帆船を建造した地・日本初洋式帆船建造の地
2016年03月31日
英国人ウイリアム・アダムスは、オランダ船リーフデ号の航海長として東洋探検に出港したのですが、嵐のため慶長5(1600)年に九州大分県臼杵市黒島沖あたりに漂着しました。
日本では徳川家康の天下が確定的となる時期で、アダムスは家康に大坂城で拝謁し、外交顧問として重用されます。慶長8(1603)年、征夷大将軍となった徳川家康は、江戸の大規模な修築を進め江戸開府を果たします。外交では、海外との貿易を進めるためにアダムスに洋式帆船建造を命じ、イギリスとの国交を開きました。
このころ、伊東の中心部を流れる松川の河口は港として栄えた歴史があり、造船地としても有名な場所でした。徳川家康の命を受けたアダムスは、この好条件を生かして日本初の洋式帆船二艘をここで建造します。
伊東で建造された洋式帆船のうち一艘は、サン・ブエナ・ベンツーラ号(幸せを運ぶ船)として、千葉県御宿沖で難破して日本にいた、スペイン領フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴの帰国のため徳川家康から貸し与えられ、メキシコへの航海に使われました。
その答礼として、スペイン国王から時計が贈られ、その時計は、久能山東照宮に現存しています。
徳川家康は、ウイリアム・アダムス(日本名・三浦按針)に横須賀市逸見に領地を与え家臣とし、海外への渡航も許すなど、青い目のサムライとして、大航海時代を共に歩みました。
家康亡き後、アダムスは中国との交易のためトンキンに航海し、元和6(1620)年平戸で56歳の生涯をとじました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H28.3.5
住所: 静岡県伊東市渚町