宿毛城〔松田城〕(宿毛市)
土佐西南地域の拠点・宿毛城(松田城)
2016年10月31日
宿毛城は宿毛市を北東に流れる松田川の西側の小山にあり、元来は松田城と称しました。創築時期は不明です。
松田兵庫が城主だった時期もありましたが、天正3(1575)年、長宗我部元親の軍勢が土佐一条氏を攻め、その勢力下にあった当城を陥落させたときの城主は依岡伯耆守でした。
長宗我部政権下になると一族の長宗我部右衛門大夫が入城し、四国西南地域の拠点となりました。
慶長6(1601)年、山内一豊の土佐国入封に際し、軍事的要所にある当城には、一豊の甥の山内可氏が周辺のおよそ6千石の知行地を与えられて入城しました。
元和元(1615)年、一国一城の幕令により城は破壊されましたが、可氏はふもとの土居(屋敷)を改築し、宿毛統治を続けました。
可氏以降も子孫が代々ここで宿毛を治め、これを中心に城下町も形成しました。延宝8(1680)年頃の絵図には、土居の様子や町割り、土佐藩奉行野中兼山の治水事業による河戸堰、宿毛総曲輪(堤)などがみてとれます。
土佐藩内には同様の経緯で各地の土居に重臣が点在し、これらは「土居付家老」といわれて藩士の中でも上位の家格をほこりました。
明治維新にともない、11代当主山内氏理は姓を「伊賀」と改め、当地を離れて東京に移住しました。土居は遺構も含め現存せず、城郭は城壁を若干みることができます。城下町については、嘉永7(1854)年の地震後の再開発によって整理された町割りが、その面影を今に残しています。
Photo Canon EOS M3
H28.8.27
住所: 高知県宿毛市中央2丁目
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