高知城・板垣退助の銅像(高知市)
高知城内にある板垣退助の銅像
2022年10月22日
高知城内に板垣退助の銅像があります。
板垣退助は、近代日本の道を開いた自由民権運動の最高指導者として有名です。天保8(1837)年4月17日、高知城下中島町の上士の家に生まれ、旧姓は乾、無形と号しました。討幕運動に参加、戊辰戦役の折に先祖の板垣姓を名乗り、武勲を立てました。
維新後、新政府の参議に列したがやがて下野、明治7(1874)年1月、民選議院設立建白書を左院に提出したのち帰高しました。同年4月、高知に立志社を創立して自由民権論を唱えました。
明治14(1881)年10月、自由党総理に推され、翌春、東海道を遊説の途上、4月6日岐阜中教院で暴漢に刺されました。血潮に染まりながら
板垣の叫んだことばは、いつしか「板垣死すとも自由は死せず」の名文句となり、怒濤の如く全国に伝承され自由を求めて闘う人々を大いに勇気づけました。
明治20(1887)年5月、伯爵を授けられましたが一代華族論を唱え、一代限りで拝辞しました。以後、内務大臣に任ぜられること2回、晩年は
政界を隠退し、社会改良運動に専念しました。
相撲や居合道などの発展のためにも尽力しましたが、大正8(1919)年7月16日、83才で死去しました。
遺著に「一代華族論」・「武士道」・「神と人道」・「獨論7年」・「立国の大本」等があります。
初代の銅像の製作は坂本龍馬の銅像も作った、高知県宿毛市出身の本山白雲によるもので大正12(1923)年12月5日除幕しました。
銅像本体は戦時中、金属回収のため供出されることになり、昭和18(1943)年9月2日に壮行式が行われました。
現在の銅像は、製作は夜須町出身の浜口青果で題字は当時の内閣総理大臣吉田茂の書、昭和31(1956)年5月11日に再建除幕されました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.9.24
住所: 高知県高知市丸ノ内1丁目2
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