
初代シーマは、こんな感じです。
自分も後期オーナーとして、いろいろブログには書きましたが、、、
過去の愛車 Y31シーマ -前編-
シーマ青春回想録 -中編-
シーマとのお別れと故障編 -後編-
Y31シーマ番外編 2本立て
やはり~友人も乗っていて思い出深いですね^^
-青春回想録-
ここで~初乗りの話でも
読み返してみると、最初に乗ったシーマのことが~書かれていないことに気が付きまして、、、
初めてY31シーマに乗ったのは、お客さんのシーマです。
理由は車検で代車と入れ替えで引き取りに♪
そこに止まっていたのが
“黒の前期シーマ”でした。
乗ってみると~ターボでは無く
ノンターボで、非回転式ステアリング~エアサスでしたので
“タイプⅡ”だったのでしょうね~
初めてY31に乗れて~引き取りの20km嬉しかったことを覚えています。
ただ乗っていてエアサス初体験で、あまりの
“フワフワ”に酔いました(爆
それから3年後自分でシーマを買うとはww
■1988年(昭和63年)、「セドリック」「グロリア」の更なる上級仕様として発売され、「セドリックシーマ」(モーター店系列(ローレル販売会社))、「グロリアシーマ 」(プリンス店系列(スカイライン販売会社))として販売された。
シーマは一般オーナー向けの最上級のモデルであり、全車「3ナンバー」となっていた。発売時期はバブル景気の絶頂期に相当し、4年間の販売台数は12万9,000台にも及んだ。
初めの1年間だけで36,400台が販売され、当時の高額商品に対する旺盛な需要の象徴として『シーマ現象』と呼ばれた。生産は栃木工場が担当。
1987年10月
東京モーターショーに出品。
1988年1月
販売開始。
Y31セドリック/グロリアと同じプラットフォームを使い、ホイールベースは同じ。搭載エンジンはVG30DE型V型6気筒DOHC NA・200ps(タイプI、タイプII)とVG30DET型V型6気筒DOHCターボ(ハイフローセラミック式)255ps(タイプII-S、タイプIIリミテッド)の2機種。
ボディタイプはスタイルを重視し、ベースのセドリック/グロリアの主力モデル同様、センターピラーのない4ドアピラーレスハードトップであった。
世の中は、1986年(昭和61年)頃からのハイソカーブームの流れに乗って人々の中流意識の高まりを背景にユーザーの高級志向が高くなっていった。日産の開発陣は、ユーザーが従来の5ナンバーの延長上ではない本格的3ナンバー車の幅広化を求めている点、ライバルトヨタもトヨタ・クラウンの3ナンバー版=ワイドボディ版を開発している点、当時の政治状況が税制改革の動きがあるという点(3ナンバー自動車税の変革など)で高級車の販売競争が激しくなる…などの情報をもとに急遽開発を開始、開発期間の関係でセドリック/グロリアとの同時発売はできずに半年遅れの発売になった。
しかし、その半年の遅れとセドリック/グロリアとの印象を大きく変えたことで別格のイメージが付き、5ナンバーと3ナンバー(ワイドボデイ版)のイメージを同じにしたクラウンとの差別化に成功した。デザインのモチーフは鎌倉(長谷)の大仏である。ボンネットに誇らしげにそえられるエンブレムはアカンサスの葉を模したものである。
ジャガー・XJを思わせる国産車離れした流麗な外観と動力性能の高さから、当時の国産同クラスセダンとしては異例の一般オーナードライバー向け要素が強い車種として人気を集めた。電子制御エアサスペンションのしなやかな乗り心地もさることながら、アクセルを踏みこんだとき、セミトレーリングアームサスペンション車らしく、リヤを沈めて静かな中にも暴力的な加速を見せるその姿は当時中高年の憧れとなり、爆発的なヒットとなった。
これは「シーマ現象」と呼ばれ、3ナンバー車ブームのきっかけとなる。それへの対応のためトヨタはあわててクラウンにV8モデル(ロイヤルサルーンV8)を追加したほどであった。その感動を忘れられない層のため、その後のモデル(Y32型)以降でもターボ搭載車をラインナップするが、世代を重ねるごとに徐々に廉価版としての位置付けが強くなっていく。
一方、その車格および当時の経済情勢から社用車や個人タクシーとしても多く採用されており、用途によっては後席居住性に課題を残すこととなった。
当初、ユニットはV6の3リッター自然吸気で開発が進んでいたが、ライバルをクラウンではなく2代目トヨタ・ソアラに定め、「ソアラには走りで負けるわけにはいかない」という意向からターボのVG30DETを搭載することになった。このユニットは元々、日産・レパードの開発チームがソアラの7M-GTEに対抗すべく開発していたもので、レパード開発チームも当初は反対したものの、結局シーマ開発担当者の熱意に負けて初搭載の座を譲ったという逸話がある。
当時の日産はCM戦略も斬新だった。母体のセドリック/グロリアのCMは「きっと新しいビッグカーの時代が来る」とシーマ誕生を予感させるものだった。更にY31セドリック/グロリアの発表時には久米豊社長が3ナンバー専用車の発売を予告。
シーマ発売までの半年間は3ナンバーのセドリック/グロリアの買い控えが発生し、5ナンバー(グランツーリスモ等)が販売の主力となっていた。発売後は、爆発的ヒットとなり1988年(昭和63年)2月は3ナンバークラウンを販売台数で抜いた。
1989年3月
パーソナル キーの材質をステンレスに変更。
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Posted at
2013/03/23 20:52:37