佐渡市2日目です。
宿泊した八幡館は、朝食のバイキングもおいしかったです。
私は宿泊したら必ず朝食付きにするので、これは重要です(笑)
少し、佐渡市の補足をしましょう。
佐渡島全体が佐渡市です。
離島ではありますが、その人口は52,000人と、私の住んでいる高萩市の2倍近い。
もちろん国産メーカーのディーラーは全部あり…
イエローハット佐渡店もある。
ヤマダ電機、吉野家、ほっともっと、つぼ八と、離島を感じさせないチェーン店が揃っています。
本土と何ら変わりない生活が出来ると思われます。
そんな離島感薄い佐渡の観光道路、大佐渡スカイラインを通ります。
東から登ると、自衛隊駐屯地の横を通る形になり、防衛省管理道路という特殊な道路を通行します。あくまで自衛隊の管理道路という事で、通れるだけありがたい隘路です。
西に下ると、佐渡金山があります。
※国土地理院地図
途中にある新保川ダムで写真を撮りましょう。
最終日に、大野川ダムでダムカードを手に入れる為に必須です。
途中の駐車場。
案内図がありました。右側の湾は、真野湾というらしい。
この日は平日だったので、観光道路であるこの道を通る方は殆どいません。
晴れていて、迫力ある道です。
この場所は大平高原という場所で、かつてはドライブイン等があったようです。
学校の遠足にも使われたりと、佐渡島出身の方には馴染みの深い場所のようです。
大分降りると、佐渡金山用の駐車場が見えてきます。
金鉱を掘りだす大立竪坑。
1877年(明治10年)から1989年(平成元年)の閉山まで現役で稼働していたという、日本最古の洋式竪坑です。
るろうに剣心の時代に生まれ、R32GT-Rが出るまで現役だったという事です😲
佐渡金山自体は、安土桃山時代より金鉱が出る事で有名でした。
地下352mまで伸びた坑道から採掘出来たそうですよ。
案内看板。内部は立ち入り禁止。
佐渡金山を象徴する、道遊の割戸。
金鉱を採掘する為に掘りまくった結果、山の形が変わっています。
佐渡金山に到着。入り口の写真が無かった。
駐車場が「わ」ナンバーのシルバーのレンタカーばかりで怖い。
ドアパンチをもらわないように離れたところに停めます。
案の定、下手な運転でコーンにぶつけても確認もせずに走り去る人が居ました(しかもその後、上司のような人の前に迎えにあがっていた😅)。
金山は二通りのルートがあり、江戸時代手掘りルートと、明治以降近代ルートが選べます。
迷わず両方のチケットを購入。
1,400円。
まずは江戸時代コース。
この筒は中が螺旋上になっており、回すと水が登ってくるという人力ポンプ。
わざわざ支保工が入れてある。アニメけものフレンズでも、トンネルが崩れない技術と紹介された知恵の結晶。
鉱山の労働者は過酷だが好待遇である事が多い。
江戸時代ルートは、電動工具無し。
大量の採掘と安全を祈願。
江戸時代ルート終了。
制限時間内に金塊を片手でつかみ出せば記念品がもらえるらしい。
小学生達が頑張っていた。
やってみたが、根が生えたみたいに重い。早々に止めた。
次は明治以降の近代化ルートへ。
ただ、合計70分の連続坑道に少し飽きてきたのか、写真が全然ない😅
ここが、道遊の割戸の真下に当たるらしい。
外に出た。
この坑口も、当時の物を改修して使っている。
ここは金山に関するビデオを視聴できる他、かつて使われていた機材が展示してある。
我らが茨城県の雄、日製こと日立製作所製モーター搭載。
閉山まで使っていたらしい。
確かに日立製作所マーク。
外には、当時のトロッコを牽引したと思う牽引車がある。
道遊の割戸が見える。ここが撮影スポット。
山が割れているのがよく見える。
割戸に近づくと高任神社という神社があるようですが、ここはスルー。
この辺りから見える景色は、石積アーチ橋など、いくつかの遺構があります。
解説の看板もあるのですが、他のお客さんの関係で撮影出来ませんでした😅
後述します。
運ぶ奴。
レールが坑口まで引かれています。
この先、売店になっており佐渡金山の見学は終了です。
実は3日目にも佐渡金山を再訪問したので、まとめて紹介します。
石積アーチ橋。2008年に産業遺産として登録。
1904年(明治37年)建造の銘板が残っていると、案内看板にあります。
これは見ないわけにはいかないぜ。
ギリギリまで降りる。
こちら側からこれが限界。反対側へ移動します。
当時は望遠が無く…標準ズームの70mmで何とか見えた。
「卅七年十一月」の銘板。十が3つあるから卅で「三十」なんだとさ。一応、JIS漢字コード第2水準らしい。
上の部分は一部擦れていますが、佐渡鑛山と書いてあると思われます。
アーチの格好は素晴らしいです。
上流のアーチは撮ってないや。
もう一つ、先ほど遠くから見えた搗鉱場(とうこうば)跡。搗とは、叩く・打つといった意味を持ちます。
低品質な鉱石から金を取り出す施設だったそう。
1893年(明治26年)に2棟完成しました。
上の写真は基礎の部分で、かつてはこの案内看板にあるような上物があった。
この基礎は明治時代のものではなく、火事で再建した1925年(大正14年)の時のものです。
この場所は、車の乗り入れが出来ないとは書いていません。
それ故、ロードスターを乗り入れて撮影している方を見た事があります。
でも、iPhone8より高い段差を乗り越えるのはやりたくない。ここは思いっきりナナメを使えるので登れるだろうけど…。降りるの怖い。
純正86なら、行けると思います。
駐車場を離れて少し走ると、目についたものが。
やたら尖った支柱が気になる。
中は、ほんの触りだけコンクリートアーチの巻き立てで、後は素掘りの隧道。
反対側は少し壁が抜けているようです。
昭和初期くらいのニオイのする隧道ですが、詳しい事は不明です。
86比較で幅は2mくらい。高さは2~2.5mくらい。こっちのアーチの方が崩れていない分、狭く見える。
反対側で記念に1枚。隧道直前で落石注意って言われても…。似たような封鎖隧道がいくつかありました。
※追記:スペックは不明ですが神明トンネルというようです。写真にはありませんが金山側の同等のトンネルが諏訪隧道。共にトロッコ軌道用。
次回は北沢浮遊選鉱場跡他、隧道跡に触れます😁
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Posted at
2019/11/14 21:43:50