
和賀川水力発電所に行きました。
三陸に行く前に、湯田ダムへ寄ります。
今まで何回も和賀町に来ているにも拘わらず、一度も湯田ダムを訪れた事がありませんでした。
ダムカードももらいました。
わざわざ「来てくれてありがとう」というメッセージが添えてある、凝ったものでした。
今まで岩手と言えば内陸だったので、初の三陸です。
休暇村というチェーン?のホテルに泊まりました。
このGotoキャンペーン、期間が短かったので、いつのまにか終わってしまい、名前だけ有名で実際に利用された方は少ないのでは。
当時、高速道路の周遊パス利用+指定の宿で、宿泊金額に応じた振興券をもらえました。
高速道路は東北周遊パス、休暇村宮古に宿泊し、3,000円の券をもらえました。
1日のみ有効となるので、翌日には使わないといけません(帰るしね)。
翌日、気になる場所を目指します。
探索後、龍泉洞に行き、その帰りにもう1か所寄ってから500km先の茨城県まで帰らなければなりません。
まず、最初の探索を手短にしなければスケジュールが大きく狂ってしまいます。
海岸沿いを走ると…
さんふらわあですね。
茨城県の大洗に帰るところのようです。
俺も、すぐ後を追うから…。
沼の浜です。市道沼の浜青の滝線。
片側にゲートが置いてありますが、普通に通れます。
この先も通り抜け可能です。
沼の浜青の滝線は、昭和45年から51年にかけて旧田老町が整備し、 小港漁港と青の滝漁港を結ぶ太平洋沿いの路線で、市町の合併後に宮古市の 安全で良好な漁村環境の形成を基本に、生業の復旧や集落間の連絡管理道路となっている。
※二級市道沼の浜青の滝線道路災害復旧工事の復旧状況について より
ここはかつて、前須賀海水浴場と呼ばれていたそうです。
今は、遊泳禁止となっています。
奥の道は、小浜港につながっています。
景色の良い、普通の道。
680m、手直ししているそうだ。
カーブを曲がると、水たまりがあります。
この結構深い水たまりは、海水。
防波の塀を越えて、ここに溜まっています。
間違えても、車で入りたくない。
目の前にあるこの隧道。
沼ノ浜隧道といいますが、震災の津波によって水没しています。
当然、この道全てが水没した過去を持っています。扁額はさび色です。
1967年(昭和42年)、竣工。53m。
道の脇には、かつて道路の構造物だったと思しき遺物。
現役という事もあってか、中はかつて海中に水没した痕跡はない。
年数なりの経年劣化はある。
トンネルを抜けると、また波が荒々しい。
2つ目の隧道が見えてきます。
ふと、後ろから車の音がした。
振り返ると、白いトラックが2台通過していった。
あの潮の水たまりを越えてきたのか。働く車は大変だ…。
隧道に近づいてみると、橋が落ち、柵も無いので、車ごと海ポチャするようになっています。
震災時の津波によって、橋ごと持って行かれました。
橋自体はどこに行ったのか不明です。
震災当時のまま時が止まっています。
この先が本題です。
隧道横の小山からアクセスします。
踏み跡がありますので、容易です。
第二沼ノ浜隧道。
1967年(昭和42年)、竣工。50m。
中は、とても静か。
崩れたりはしていない様子。
無事、通り抜けた。
コンクリートが板チョコのように割れている。
現役時代でも、波をかぶっていたのでは。
車道が完全になくなり、砂浜となっている。
これって波の間を通らないといけないね。
上を見上げると、無数の落石防護網がズタズタになっています。
当然、石や岩を受け止めて耐える設計になっている金属製のワイヤーです。
全体。
上からいくつか大きな岩石が落ちてきている事も原因でしょうか。
波が引いたところから、一気に駆け抜ける!砂浜はだいぶ足を取られます。
あ、波だ。
全体。
真ん中の浜走りがキモです。
砂に埋もれていますが、比較的路面が残っています。
巨大な岩の近くに来ると、陽が射してきた。
この岩は、元々道路沿いにあったのか?山から来たのか?海から来たのか?
岩の先からは、路面は残っていますが、かなり荒れています。
君は最後まで、いい仕事してるよ。
ひどく荒れている場所を抜ける。
全体。
めっちゃガレているのは海のせいだけではない。
荒れた場所を抜けると、気持のよい浜辺に出る。
でも、本当は浜辺ではなく、今までと同じく道があった。
左手の、大きな黄色い岩の後ろに本来の道が遺っている。
この記事を書くにあたり、改めて宮古市周辺の津波映像をYoutubeで視聴しましたが、このような形に破壊されてしまうえげつなさがありました。
ここは山に面した部分に路面が残っており、別ルートからここに車で来られます。
帰路には、ここに軽自動車が来て犬の散歩をしている方がいらっしゃいました。
全体。
線形が思い浮かぶでしょうか。
2011年3月11日の震災時、20mを超える津波が押し寄せた。
隧道のはるか上の山まで海水をかぶり、木々は無くなった。
2007年、この写真と同じ道を通っているクラシックカー達の動画があります。
こんなに素敵な場所を(ちょっと走りにくそうだが)、デイノやヨーロッパが通っていた。
恐らく、前述の山側からの通路と合流する場所から撮影していたと思われる。
山にももっと緑があった。
ツール・ド・みちのく2007 DVD OP。
1分33秒頃。
ちょっとみんカラにふさわしいモノが出てきて、ほっとしている(笑)
こちらは、Youtubeの設定で再生速度を下げて頂くと確認出来ます。
浜に人類の英知が埋まっている光景が、猿の惑星という、古いが有名な映画のワンシーンとよく似ているという。
自由の女神が浜辺に埋まっているアレです。
登るかぁ。
3つ目の隧道の前は、海側の擁壁は残っているので、かろうじて道の体はある。
中身は無い。
この手の場所は、必ずフチを歩く事。
大抵、真ん中はスカスカ。人間の体重でどうにかなるとも思えないが…。
人様の役に立つ知識ではない。
全体。
擁壁には、一部穴が開いている。
画面中央、山の黒くなっている箇所は滝になっていた。
到着。
鵜の巣隧道。
1968年(昭和43年)、竣工。全長43m。
ここから少し離れた場所に、鵜の巣断崖という観光地があります。
中は至って普通。崩れているのは、外の山。
抜けました。
キレイな状態で残っていると思う。
外は、波に洗われる、かつての道路構造物が見える。
左側に見えるのは海蝕洞?
とても近づけない場所にあります。
1本、遊歩道などで使われるような、木を模した杭が残っていた。
ツール・ド・みちのく2007関係の動画に、答えがあった。
これは外に出ない為の柵の一部だったらしい。
ほぼ同じ位置と思われる。
この1本の柵だけ、奇跡的に残っていた。
この先、さっきまでと同じに見えるでしょう?
でも、ここにも構造物があった。
ヒントは、柱と、その基礎部分。
正解は、ロックシェッドです。
向かって左側に、この屋根が乗っかって。右側の柱で支えていました。
波に飲まれ、柱が折れてシェッドが浮き上がり、引き潮で落っこちたのでしょう。
この屋根部分すら、一部しか残っていません。
屋根の上を歩き、先を確認します。
奥に見える広場が、青野滝漁港であり、ゴールです。
時間都合で横着して、青野滝漁港からの撮影。
道の状態は、他と同じ。
舟は一艘もなく、漁港は閉鎖状態に見えます。
主にワカメ、昆布の養殖に用いられ、すぐ近くに在る20戸程の集落の方が利用されていたそうですが…。幸い、集落は高台にあり、無事だったようです。
青野滝漁港。
たびたび拝借させて頂きます、ツール・ド・みちのく2007動画より。
この映像は、引き倒されたロックシェッド内のものです。
正面に、鵜の巣隧道が見えます。ややカーブしていますね。
現在のロックシェッド全体。
海の方を見ても、屋根の残骸があるようにも見えない。
市道沼の浜青の滝線は、既にバイパス工事が終わっており、この区間は廃止される事が確定しています。
岩手県沿岸では珍しく、海抜の低い場所へ作った道路という事もあり、この景色を活かしたいとも考えていたようですが、結果的に難しかったようです。
では、戻りましょうか。
大体、86からの片道50分程でした。
現役道まで戻ってきました。
86まで戻ってきました。
お疲れ様でした。
市道沼の浜青の滝線の被災状況。
約2kmが今回通った不通区間です。
なお、震災以前より一部通行止めになっていた為、人的な被害は無かったようです。