2014年09月08日
16・第5日/トワイライトエクスプレス搭乗
▽日本鉄道界の王者
※いよいよ御対面
札幌駅で彼様にして時間を潰すこと5時間ほど。いよいよその時は来た。
御大・トワイライトエクスプレス・以下TWxの入線だ。
先述の利尻が車両区に入って暫く、13:55頃であった。
先程北斗星を牽引していたのと同じカラーの空知機関区所属の青いDD51の重連が、独特のピンク色のヘッドマークを着けて今度は濃緑色の車両を曳いてやって来た。
“ブルートレイン”の呼称を持つ寝台特急にてこの塗色がそもそも常識を破るだけの覚悟を持っている顕れである。
北斗星がJRHとJREの競作であるのに対して、此のTWxはJRWの威信が賭けられた自他共に認める豪華列車である。
ネーミングは欧州からトルコに向かう豪華国際特急・オリエントエクスプレスに対抗したもので、向こうが東洋急行ならこちらは黄昏急行という名付け方と言う処であろう。
日本海に沈む夕陽を眺めながら(但しこれは大阪発の場合)長旅を寛いで貰おうという、情景まで勘定した列車である。後ほどこれを違う形で堪能する事になる。
実走行距離こそ東京発九州往き列車に負けるものの、列車に乗って貰う乗客の事を誰よりも考えた、贅の尽くされた列車である。
しかも、私が乗車するのはA寝台個室“ロイヤル”。これが牽引するDD51の重連の直後に繋がる。
最初に目に付くのは、破格サイズの大きな展望窓がしつらえられたA寝台エクシード個室“スイート”だ。
一編成当たり二室ある“スイート”の中でも此の編成前端にあるA-1号室はマニアならずとも憧れる夢のコンパート。
残念ながら札幌発の編成は前を走るDD51に遮られて風景の大半はよく見えない。まぁ五稜郭-青森間で機関車が逆に取り付けられる間だけでも堪能して貰う他はあるまい。
※そして搭乗
間違えてはいけない。私が乗るのは“ロイヤル”。
列車が停車すると、予めホームで待機していた白制服の車掌が一号車の車掌台窓に手を入れてキーを付け、前後確認のあと一斉開放をした。
私の部屋は1-A-5五号室。スイートと同じ車両でその正反対側である。
車両はスロネフ25-502。曾ては“富士”や“はやぶさ”に使われたベテランの車種である。
ドアから乗り込んですぐそこにある部屋がA-5であった。
部屋のドアは既に開いていた。
荷物を部屋において、ひとまずは巡覧した。部屋は一見四畳弱ほど。暮らすには些か狭くも思えるが、列車内の空間にしては破格の広さ。
ドア右手には後ほどダブルベッドになる身の丈ほどのソファーベッド。
正面には回転脚に据えられたチェア。
その前の格納式テーブルの上には、一晩此処で過ごす為の様々なアイテムが用意されている。これは別項で詳しく述べよう。
それらの前には50数インチのワイドテレビに匹敵するような側窓がある。
チャコールコーティッドガラスは日射を程よく遮ってくれて室内温が上がらないようになっている。
反対通路側の壁は出入口と小窓・その小窓は車両窓と相俟って反対側の風景が見て取れる。
ソファーベッドの反対端に座れば丸々眺められる。
こちらを含めて各窓にはカーテンが設けられてプライバシーも万全。
側窓のほうはレースのカーテンまで装備。
列車内ということを忘れさせる心遣いはまさに別世界である。
この他様々な装備がこの列車旅の大詰めを寛がさせてくれる。
それはまた後に譲り、所定の書類を繙いて読んでいると発車時間の14:09は間もなくである。
さて、いよいよトワイライトエクスプレス、発車である。
▽旅立ち
※札幌を定刻発車!
ビデオカメラをスタンドにセットして回転椅子に納まり、私は発車の時を待った。
間もなく14:09。一分前の車掌のアナウンスに目を通していた書類から目を離す。
ホームでの戸閉め合図になる笛の長音の後、背後でドアの閉まる音がしたはずだが殆ど聞こえない。
気がつけば、窓の外の風景が“トン”という優しい衝撃の後滑り出した。
台車が些細やかに軋む音こそ最初はしたが、その後、その他の音は一切聞こえない。
駆動音の一切無い客車ならではの静かな発車だ。
南口にある“エスタ・そごう”が、ホクレン本部が、テレビ塔が、五番街西武の看板が、どれも左から右に滑り行く。
札幌との別れだ。
すると聞き馴れた音楽が流れ、アナウンスが始まった。
すべて此処に記載しよう。
(楽曲の歌詞記載もありますが、本文にも絡むのでご指摘戴きましたら考慮しますm(_ _)m)
「今日は、トワイライト・エクスプレスに御乗車頂きまして、有り難う御座います。皆さまの夢を載せまして、トワイライト・エクスプレス、大阪に向け、札幌駅を発車致しました(女声ナレ)」
そして流れるBGMは、あの谷村新司氏の“三都物語”である。
実は歌詞はCD盤と違って少しアレンジされている。
♪胸騒ぎの 旅は今始まって
時の 流れの 儘に心を遊ばせ
この私は 誰を訪ねる宛も無く
まるで 詩人の 様に景色に染まって
嗚呼 なんて 街それぞれ美しいの
嗚呼 なんて 人それぞれ生きているの
昨日今日明日 変わり行く私
まるで子供の素直さを なんて書きましょう
昨日今日明日 変わり行く私
紅く色付くときめきを 誰に告げましょう
旅の感動を歌わせたら天下一品の谷村氏らしい、旅愁一杯の曲である。ちなみに作詞は阿久悠氏である。
ただこの内容は私に限らず、旅が好きな人間の根本を突いているような気がする。
見知らぬ街が見たいから、そこに生活が息づいていることを知りたいから、そこで味わう感動を噛み締めたいから。
本当はそれ以上でもそれ以下でもないのである。
此処には時間や知識のしがらみは全く無い。
そんな旅に憧れる人ってかなり居るとは思う。ただ日常生活を振り返るとそんな事を考えている余裕なぞ有りはしない。
ウーンとそんな事を想い、感動を深めていると豊平川を渡り切った辺りでエンディングの最後が尻切れ蜻蛉(T-T)。
ブツッと切れた直後から車内案内が始まった。気を取り直してこれも漏らさず記載してみよう。
「皆様、今日もJRをご利用頂きまして有り難う御座います。
大阪往き寝台特急トワイライトエクスプレス号です。
この列車の車掌、私共JR北海道函館車掌所、車掌(実名に付き略)の二名が乗務しております。
途中五稜郭まで案内して参ります。どうぞ宜しくお願い致します。
車掌は先頭車1号車と一番後ろ9号車に居ります。御用のお客様、どうぞ、ご遠慮無くお訪ね下さい。
車の順序からご案内を致します。
車、9輛でご利用頂いております。
前の方から1号車2号車の順で、一番後の車、9号車です。
1号車2号車はA寝台個室です。
二人用個室A寝台“スイートルーム”と、一人用個室A寝台“ロイヤルルーム”です。
3号車、食堂車“ダイナープレヤデス”、4号車、サロンカー“サロン・デュ・ノール”です。
5号車6号車7号車はB寝台個室です。
二人用個室“ツインルーム”と、一人用個室“シングルツインルーム”です。
8号車9号車はB寝台コンパートです。
車の番号札、各クルマの通路出入口の上のほうに付いております。
お手許の寝台券をお確かめの上、ご利用下さい。
これから先停まります駅と到着時刻、順にご案内致します。
次は南千歳に着きます。
続きまして苫小牧、登別、東室蘭、洞爺の順に停車して参ります。
洞爺を出ますと、次は新津、明朝4:44分です。
続きまして長岡、5:23分。
直江津、6:25分。
富山、7:50分。
高岡、8:10分。
金沢、8:48分。
福井、9:54分。
敦賀、10:36分。
京都、12:02分。
新大阪、12:30分。
終点大阪、12:36分に着きます。
終点大阪まで22時間27分の長いご旅行となりますが、北海道の自然な風景、また日本海の雄大な眺めなど、どうぞごゆっくりとお愉しみ下さい。
お知らせとお願いで御座います。
3号車食堂車、ダイナープレヤデスの営業につきましては準備が出来次第係の方からご案内を致します。
4号車サロンカー、また7号車にもミニサロンが付いておりますので、どうぞご利用下さい。
サロンカーには公衆電話、自動販売機、シャワールーム、ビデオ・オーディオの設備が御座います。
シャワーご利用のお客様は、3号車食堂車、ダイナープレヤデスでシャワーカードをお買求め、ご利用下さい。
公衆電話はトンネル内は通話出来ませんのでご案内をして置きます。
また8号車9号車でオーディオをお聞きになりたいお客様は、3号車食堂車で専用のイヤホンを販売しております。
8号車9号車でオーディオをお愉しみに・頂くお客様は3号車食堂車で専用のイヤホンを販売しておりますので、どうぞご利用下さい。
それでは、ご案内を兼ねまして御席の方へお伺い致します。
乗車券・寝台券を拝見させて頂きます。どうぞ、宜しくお願い致します。
また、ビデオ・オーディオの放映・放送につきましては15時から放映を致しますのでお愉しみ下さい。
今日は寝台特急・トワイライトエクスプレス号、ご利用頂きまして有り難う御座います。
チャラリララリラ、チャリラリラン(国鉄バージョンの放送終了のオルゴール(^^ゞ)」
はぁ~疲れた(-_-;)。
こんな案内を漏らさずこなす車掌もたいしたものだが、馴れないワープロを駆使して漏らさず記載した俺もたいしたもんだと感心してしまう。
いやそうじゃなくて、此処まで案内が終わると、列車は既に苗穂・白石・平和を通過して新札幌にまで到達していた。
住宅街の中の高架を疾走する列車。
発車時には上空を覆い尽くした雲は、列車が進むに従って晴れ間が覗いてきた。駆け去る窓外の風景と、ゆったりと浮かぶ綿雲の動きがアンバランスで心を奪われる。
三都物語の谷村氏が“動天”という曲で「気づいて欲しい、流れているのは空じゃない、人だと」と言うフレーズを書いているがそれを思い出した。
ごもっともだと思う(-_-;)。そんな旅をして来たんだし、まざまざ痛感した。
こんな綺麗な風景があの根室半島の苦痛の踏破をダブらせた。
※出足は順調、気分は満足
間もなく車掌がやって来てドアを開いた。
検札と案内である。とは言え、車内のリーフレットで大体の事は解っていたので質問を控えて案内を切り上げた。
ただクリスタルの立派なアシュトレイだけは使いもしないし嵩張って邪魔になるので、車掌に頼んで引き取って貰った。
次に千歳が近付く頃、今度は食堂車のスタッフがワゴンを曳いてやって来た。
ロイヤルにセットされている“ウエルカムドリンクサービス”である。
車掌が来た時にウイスキーを選択したので、そのセットが運ばれてきたのだ。
まず、流石に“ロイヤル”のサービスらしく50mlのミニボトル入りウイスキーはサントリーローヤル、そして同社の缶入り天然水。
小さなアイスジャグにカチ割り氷と、グラスにトリマー。
小皿盛りの抓みにポテトチップスやピーナッツなどのスナックと一式が運ばれて来た。
いずれも個人向けの可愛らしい小物ばかりだが雰囲気は損なっていない。
実はこの列車に乗車しても食堂者はおろか車内販売にも応えられない懐具合で、このルームサービスは大いに助かった。
ただ、ローヤルだけは私の拘りで禁を守り続けているので、ウイスキーは持って来ていた急誂えのスーパーニッカで誤魔化した(^^ゞ。
ローヤルはちょっと私的に願掛けをしてるモノがあるので。
このルームサービスのスナックを摘んでいると、間もなく目の前が開けてきた。
新千歳空港である。
間もなく初めての停車駅である南千歳である。
本当は渡されたローヤルだといいのだが、スーパーニッカの水割りもなかなか乙なものである。
ドリンクを誂えたサントリーに怒られはしないかとくだらない事を考えながら、トリマーで氷を掻き混ぜる私の目の前に駅ホームが敷かれた。
その向こうには空港ロビーに通じるペデストリアンデッキが延びていた。
さすがに一両目になると駅ホームの端っこになってしまうが、拡がる青空に免じて気にしない。
この駅が三叉軌条となり、千歳空港線はAPRの終点新千歳空港、この先の千歳線は美々、釧路方面のバイパス石勝線は追分駅へとそれぞれ向かう。まさに空からのジャンクションである。
此処に降り立てば道南道央には自在に往き来出来るのである。
暫時の停車の後に発車となる。
先に進むと空港線は地に潜り、高架道路は空港に吸い込まれる。
500mほど先の空港施設が切れると駐機場が見え、JAS、ANA、JALの旅客機が合わせて8機が認められた。
空港内の綺麗な雰囲気と周囲の殺風景な更地が妙にアンバランスである。
その空港を一通りビデオに納めると、もう一機の全日空機が今まさに離陸せんとしていた。
飛行機の離陸は現在の広島西飛行場でも幾度か見たが、乗っているより私は脇で見ているほうが幾らかいい。
乗ったほうは唯一海自のYS11に乗ったきりだが、あの内臓を置いて行かれそうな“えもいえない”感触は余り味わいたくないものである。
さて、轟音こそ耳まで届かないものの、静から動までの、そして飛翔するこの一連の動作は、乗り物の持つエネルギッシュさを一番上手く表現している。
スワ!いよいよという時になってスーパー北斗が目の前を遮った(-_-;)。
通過した後は雑木林が空港を塞いだ。
恥ずかしい事にこの30秒ほどの間に全日空機を完全にロストした(T_T)。
※お愉しみはこれから!
千歳空港を過ぎると往きの時も味わった、屈指の距離を持つ直線区間が迎えてくれる。
例に漏れずにこのTWxも一層速度を上げる・のかと思いきや、相変わらず悠然と走り行く。
マァ、時速幾らがナンボと言う列車じゃないし、ゆっくり行こうじゃないと列車のほうから諭された。
千歳を過ぎてもまだ道内の行程が半分以上残っている。
三日前に夜行列車に揺られた区間を今度は日没まで掛けて走り行く。
だったらこちらもリラックスして行こうと腹を括った。
ヘッドホンステレオを専用のスピーカーに入れて、出発前に広島で収録したラジオのバラエティー番組をかけた。
北海道でいったいなんで(-_-;)と思われるが、それだけ時間が余っているのだ。
逆に言えば、それだけの時間を有意義に使える事こそ此の列車の正しい使い方だと思った。
では何が有意義か、私は気負わずに此の部屋でリラックスするのが正解だと思った。
だったら無闇に北海道漁りをせずともいいではないかと気楽になるためにこうした次第である。
個室の幸いなことは、此の様な仕業にも周りに気兼ねする必要がない。
気が着けば折り畳みテーブルはスタンドに立てたビデオカメラと即席ラジカセで埋まっていた。
共に今まで座っていたボックス席では出来ない芸当である。
しかも降りる時までいじる必要はない。
此の一時間ほどで此の部屋をカスタマナイズすることが出来ていた。嬉しい限りである。
苫小牧は15:03発車。
此処から先は反対側の窓に太平洋が見ることが出来る。
漸く個室の使い勝手が解ってきた処で、此の“ロイヤル”の装備について少し探訪して見ようと思う。
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ヤットTWx乗車に漕ぎ着けました(T_T)。
なんか長かった。
この翌月に千歳空港が「新」に切り替わったんだが、このルポを見ると時代が(T_T)。
今思うと気軽に利用できることよりこの時代の羨望感が航空機には大事だなぁと痛感する。
けっこう細かくルポを込めたので、乗車経験のある方にはそこそこ思い出せて戴けるのではないかと思う。
個人的には大阪発もいいんだろうけど札幌発もなかなか出だしを味わえる。
お次は列車ではなくロイヤルの話を。
Posted at 2014/09/08 21:45:27 | |
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蔵出し鉄旅録 | 旅行/地域
2014年09月05日
今回はビョーキ全壊(・∀・)です。
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15・第5日/札幌駅の役者達
▽いざ、ワンダーランド!
※後ろ髪引かれたい
札幌に未練が無かった訳では無い。
北海道に未練が無かった訳でも無い。
だが私は思いの外軽い足取りで改札に向かった。
やりたい事と出来る事、この現状ではこれらのギャップが大きかった。
だから気持ちよく旅立つには思い切って切り捨てざるを得なかった。
また一方で、根室まで一通り在来線を乗り通した充実感が大きかったこともある。
動力に頼ったとはいえ、北海道横断のその意味を体で感じ取ったその事がまず大きい感動だった。
そしてこれから待っている感動も大きかった。
はじめて私用で乗る寝台特急は札幌-大阪間を陸路で結ぶ、日本屈指の径路を取る。
そんな列車に乗られるという事自体が大きな感動だった。
日本屈指の豪華列車と言うのは実は二の次だったのだ。
レポートを書いている今でこそ、ああすればこうすればと言えるのであり、あれもこれも愉しんだこの時点では最高の気分だった。
改札で普通切符に捺印をし、エスカレーターで5番ホームに上がる。
そこに待ち受けていた風景は、まだ見ぬ世界の如く輝いていた。
と言っても、金銀ダイヤがきらめいて・と言う風景じゃないことは常識で考えて解るわな。“輝いていた”のは活気づいている駅風景だということだ。
長らく寂れた駅ばかりに慣らされた私に、札幌駅はこの上無い活気で迎えてくれた。
此処で札幌駅のおさらいだが、近年の高架化によって5島10面のホームがビル街の中に一線に並ぶ。
そのホームは一括して一つの屋根で覆われ、その両側は壁を囲ってある。
おそらく厳寒時の対策に思われるが丁度阪急梅田駅と構造が似ている。
ホーム内は蛍光灯と、屋根の一部を透明な樹脂トタンに置き換えて灯りを採るが、ホームは荒天時のように暗い。お蔭で後ほどビデオカメラを回す時にはその明暗差に泣かされた。
此処に上がってラジオをつけるが、日曜の朝はどうも面白みを欠く。
適当に聴きつつ、えびすやで満たしてもらった冷水・もう温んでいるがこれを飲んだ。
大荷物を足下に、水をプラコップでかっ食らう姿は我ながら異様な気もしたが、お目当ての列車まではまだ5時間以上(!)もある。
それに、次に踏み出すホームは馴染みになった大阪駅だという現実も気を大きく雑把にした。
私が陣を取った此処5番ホームは丁度札幌駅ホームの中央の島。此処の東端である。
数歩あるくと屋根の庇もなくなってしまう。
なぜ此処に来たかと言うと、まず最大の理由はなんと言ってもTWxの乗車位置が此処であること。単なる物臭やね。
それと、こういう閉鎖的な構造のホームなら、寄り開放的な眺めを望むのが人情。
此処はホーム長の長いのが幸いして掩蔽物も数えるほど。
北海道の想いはこの時不思議と溢れなかった。辛い行程があったのもだが、それ以上にそれでもなおまだ北海道にいるという現実だ。此の期に及んでもなお、まだ北海道との出会いは充分に期待できた。
TWxが北海道を出る時刻は19時を廻った頃だからそれまでに気持ちを整理すればいいとも思った。
だからTWxに乗った時点で「さらば!北海道」と言うのは些か早過ぎるように思った。
▽多彩な役者をご紹介!
※遊撃手721系
さて、ようやく落ち着いた。
バッグからビデオカメラを取り出して周囲を撮り始めたのは10時半頃だったように覚えている。
何せこの間殆ど時計を見ていなかったもの(-_-;)。
この時点でまず目に着いたのが“エアポートライナー”APRとして北海道の電化区間をフレキシブルに運行されている721系である。
ステンレスボディーにライムグリーンの腰帯と鉢巻きをしたこの列車は、車幅一杯にチョコンとオフセットされた丸いヘッドランプが御愛敬。前頂部には列車種別幕を挟んで丸い尾燈と補助前照灯が並ぶ。こちらのほうは前照灯と違ってデザイン処理がされている。
このアンバランスさ加減が721系の個性になっている。
この列車は先に触れたAPR、新千歳空港行きの快速列車である。
正面貫通戸にはイニシャルのAPを飛行機型に象ったヘッドマークを付けている。
空港行きの快速列車がある事自体、私には羨ましく、我が広島に歯痒さを感じる。
話は少し脱線するが、此の96年7月18日、成田・福岡・新千歳・関西に続いて宮崎に空港鉄道が開業した。
此処で言う空港鉄道というのは中心都市や周辺都市との連絡を賄う鉄道の事で、快速乃至特急列車を乗り入れてる鉄道線である。福岡と新千歳には特急はないが、前者は市営地下鉄だから例外視、後者は一部快速がそのまま旭川行き特急に変わる列車がある。このAPRを見るかぎりは空港までの利便性はかなり図られている様だ。
広島空港も市街から50km以上離れた郊外にある。
此の様な鉄道は必要不可欠なはずなのだが、当のJRの腰が異様に重くて出るのは自治体や財界の案ばかり。
開通させる気がないようにも思われる。
と言うのも、広島空港の屋台骨はトリプルトラックの東京行きであり、収支も大きい。
だがJR側にして見れば4時間ほどで到着する“のぞみ”を利用して欲しいのが本音だった。
大枚はたいてのぞみの客を飛行機に割きたくは無いと言う処である。
だが広島空港の客は東京行きだけではないし、逆に空港を使う客を増やしてそのお金を鉄道に落として貰うという気概がない。
況してや空港開業に合わせてJR広島は随分無理を言ってのぞみを広島に停めさせた経緯がある。元来東京博多間は大阪しか停めない積もりでいた処をだ。けっきょく名古屋や岡山、新横浜など停車駅が増え、のぞみの当初の目的である速達性を半ば切り捨てている格好になった。
結果、空港開業時は新幹線の利用が増えてホクホクだったが、この翌年の阪神大震災で新幹線が半年近く不通。利用客に不便な空港利用を強いる羽目になった。
私にして見れば利用客の立場からしても大馬鹿としか思えない。
話を元に戻すが、721系は近郊列車である。しかし片側3枚扉は片開きで、各扉にはデッキがある。
乗降性を追求した近郊型にあるまじき構造だが、北海道の厳しい寒さが此の様な近郊型を認めている。
車内はベージュにブラウンの暖色系でまとめられ、涼やかな外観と対照的である。
隣の駅まで乗ってみたくなる質感の高さを感じたが、疲れているんでや~めた(T_T)。
此の721系は此のあとも6番ホームをはじめ随時見かけることになる。ショートストッパーに相応しい活躍振りであった。
※道東インターセプターとかち
その後7番線に入って来たのはキハ183系“スーパーとかち3号”である。
此のキハ183は根室本線が産んだハイパーディーゼルカーである。
戦車を思わせる“く”の字型の平板な前面妻。その上に取って付けたような運転台。運転台やライト周りが電車特急のクハ183系に準じているものの、造形がまんま軍用機で平板で素っ気ない。
それは力強さの裏返しか。
この列車は“スーパーとかち”と車体脇に英文字で書かれている。ガルグレイのボディーカラーにライム・ラベンダーのピンストライプが曳いてあり、窓枠はダークグレイに潰されている。
最近は列車を線としてデザインされている為に、窓枠を極力目立たさせないよう工夫されている。
2号車はダブルデッカーが繋がれている。
此処に個室があったりとバラエティーな内容でもある。
此の2号車が国鉄時代に想像もつかないようなデザインでJRHならではのアクセントになっている。
このスーパーとかち3号は10時55分発。千歳経由で13時53分に帯広に着く。
私が利用した普通列車に比べると驚く程の駿足ぶりだ。
処で最初とかちは普通特急でこういうデラックスさは無かった筈だが、いつの間にこうなったんだろう。
ともあれ帯広行きは道内特急では中距離に当たる。区間が長く、頻繁の運行が難しい釧路行き“おおぞら”を補完する特急として活躍するとかちは差し詰めインターセプターか。
※クイーン北斗星
暫くして千歳側から長編成の青い列車がやって来た。
屋根の途中にくぼみのある特有の容姿は、あの上野発北斗星5号である。
脇のとかちのディーゼル音に掻き消されて進入音は聞き取られないが、しずしずと“彼女”は札幌駅に入って来た。
先の岡山で“はやぶさ”をブルトレの飛車角と言ったが、なれば此の北斗星は差し詰め“女王”と言った処である。
JRHとJREの合作によるこの豪華列車は青函隧道開通を期に産まれた北海道直通列車である。
彼女の牽引に併せてボディーを青く塗られたDD51の重連も逞しさよりは優雅さを醸す。
色合い一つでこうも変わるものかと驚く。
私の乗るTWxの登場まで、そして恒常ダイヤに組まれた列車の中では彼女はダントツの王座に輝く。前から七両目の側面にロビーカーのキラ星が流れる。
ただ、そういう優雅な言葉が些か似つかわしく無くなって来た気もしないではない。
一日3往復もあって、乗車する客も家族連れが目立つ。
北海道の重要な足として皆に親しまれているという感じだ。言ってしまえばJREのつくる列車らしい、より大勢の人に乗って貰うのが一番という列車だ。だからこそJREの看板列車に恥じないボリュームを持っているものだと思われる。
女王様もなかなか忙しいようで(^^ゞ。
ただこれだけの列車に乗ると、降りてきた乗客の目の色が輝いているように見える。
駅ホームからコンコースに向かう人々には倦怠感が全くと言っていい程感じられない。
意気揚々と思う処へ散って行く様まで浮かんできそうだ。
寝台特急の長旅をこういう形で降りられるのはまこと羨ましいし、こちらまで元気が出る。
やはり寝台特急の存在は旅行のなかでも有効な存在であるようだ。
スーパーとかち3号が帯広に向け発車した後、白い制服の車掌を降ろした北斗星は小樽方面の留置線へと向かった。
※スイフトインターバン・781/785
次に認められたのは、ガルグレイにダークグレイ・ライム・ラベンダーのストライプを纏った781系“ライラック”である。それと入れ違いに発車したステンレスの電車は785系“スーパーホワイトアロー・SWA”だ。
共に此処と旭川を結ぶ北海道随一の電車特急コンビである。
二台が入れ違いに旭川を30分おきに発車し、前者が90分、後者が80分で札幌に到達する。
またライラックは此処で踵を返してAPRとして新千歳空港に向かう。
この二つの電車特急が道央の大動脈を支えているのだ。
先輩は781。
前身の“いしかり”時代、俄か造りの電車だった485系1500番に替わって初めての道内電車専用特急として登場。
最初は国鉄色のクリームと赤のツートンだったが、幾度か塗り替えられた上でこういう色になった。
“ライラック”という名前を冠して旭川と室蘭を結ぶ特急として生まれ変わったが、空港方面の連絡を任されて札幌-室蘭間は同じ電車を使った“すずらん”に換装された。
一見して485系に似ているトップデッキに設けられた運転台と偏平ボンネットスタイルだが、それが随分丸っこくて穏やかなデザインになっている。登場来15年近くなるが、スーツを着替えながらもまだ働き盛りといった感じである。
一方の785はその781のスピードアップを目論んで90年秋登場したスーパーエクスプレスである。
781と違って前面運転台で、その下の丸い妻面が御愛敬。
781のガルグレイ部分がステンレスになっているのでまるで懐かしのヒーロー・七色仮面である。
その僅かな御愛敬に反して性能は凄まじい。VVVFと呼ばれる交流モーター制御方式を採用して省電力と高出力を両立した130km/h対応の新時代電車である。
ライラックの快速版特急“ホワイトアロー”の性能向上版として“スーパー”を冠して襲名した。このダブルトラックはJRHの誇る看板電車でもあり、此の後幾度もお目にかかる事になる。
※HEAT281とHET183
お次に目を付けたのはブルーのフロントマスクの凛々しいキハ281である。
これは函館行きの“スーパー北斗”に採用されたスイング・サス(振り子機構)採用の新世代気動車である。
781の様な偏平ボンネットから進化したスラントノーズが隔世の感を思わせる。
札幌函館間を3時間で走破する道南方面の看板列車である。
こうして見てみると北海道の主だった各方面の特急には此処10年来の間に新車の充当によって確実に進化を遂げている。苦しい台所を気にさせない威勢のよさが感じられる。特にこのスーパー北斗には一番の気合いが感じられる。
車体前端の側面には“HEAT281”とデザイン文字が描かれている。“北海道特急用先進型列車(HokkaidoExpressAdvancedTrain)”の英略文字を「ヒート」と読ませている。
凍てつく寒気を吹き飛ばすにはこの上ない綴りに違いない。
発車時間になるとプラグドアがスイングしてパフッと閉じる。
少しフライングというハプニングがあったものの、一路函館へ疾駆を始めた。
少し時間は前後するが、此のHEAT281には兄弟子がいる。
同じ様なカラーで“HET183”と銘打たれたキハ183系だ。
こちらは純正の“北斗”であり、おおかた30分おきの運行をこなす。
“スーパーとかち”と違って、此の183は前面運転台となっており、721系と同じデザイン処理の角形前照灯と貫通戸がシックで精悍である。
ただ、近付いてよく見ると採用された当時の塗り別け線が見えていたり、窓枠にアクリルボードを貼って窓枠をシャープに見せていたりと誂え具合がいまいち板についていない。
でも持ち前の精悍さに免じて、許す。
なおこちらのスーパーは一本おきではなく場面に合わせてという感じで余りお目にかかれない。
札函間3時間の快速さこそはないが、グリーン車やハイデッキ車を設けたりと後輩には譲れないバリューを持っている。性能の281、装備の183と言った処か?
※ア、もうスペースが無い。その他大勢?
というと無礼なほど、札幌発着の列車は個性的で多彩だ。
純白に橙のストライプ、窓枠のブラックアウトが凛々しい“フラノ・エクスプレス”、蒲鉾を丸く削り出した様なダイナミックなフォルムか印象的だ。
721と781が併走して入線してくるのはターミナル駅ならではの光景。
小豆色に白いストライプの電車はベテラン711系。外観は旧国鉄時代特有のクラシカルな面持ちだが、こいつの功績があってこそ様々な電車を此処に産み落とせた。退役なんざ失礼な言葉である。
国鉄時代は奴だけじゃないと目前を猛然と駆け去ったのは急行“利尻”用のキハ40・4両編成である。
その直後には今時珍しい国鉄塗色のキハ183“おおぞら4号”が入ってきた。往きの時に新狩勝信号所で擦れ違ったのが今時間札幌に辿り着いたのだ。
白と赤のツートン・と思いきや、側面はオレンジのストライプが入っていた。やはり手が加えられていたか。
と、まァこんな調子で札幌観光は駅で堪能してしまうという異常な旅にしてしまった。
でも裏を返せばそれだけJR広島には華もないということだ。
こんな活気に溢れた駅風景は久しく離れていたみたいな、この感動に拍手!
--------------------------------------------------------------------------
とまぁ、こんな感じで5時間もの間札幌駅の5番ホームで奇異に盛り上がっていた私(-_-;)。
色々書いたけど一番言いたかったのは最後の一文なんだよね(T_T)。
しかもこちらは未だにその環境が変わっていないと来た。
ホンマ泣けてくる。
ところで随分文章の尺に拘ってるように書いてるが、コレは当時のワープロで4ページ枠に収めようとして書いているワケ。
そのため随分文章を詰め合わせて書いてるので、ココに上げるときに凄く改行を入れてるんだわ。
だから原稿を読むと頭痛を起こす人は居ると思う(^_^;)。
さて、いよいよ次は!
Posted at 2014/09/05 10:59:13 | |
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2014年09月04日
14・第5日/マネジメント・ミス
▽札幌の朝
※朝靄の頭の中
頭上のテレビ塔に掲げられた時計盤には6:19の文字。
定刻よりバスは15分ほど早い到着である。歩道橋に上がってそのテレビ塔の許に向かう。
大通り公園。広島の平和大通り同様の100mの道幅の中央に幅60mほどの緑地公園が拡がる。
平和大通りが本道と側道の間にそれぞれ15mほどの緑地を設けているのとは違って、緑地公園の解放感が大きい。
テレビ塔はその公園の中の一大アトラクションの如くである。
平和大通りの側道公園は閑静という意味で寛げるが、ここは喧噪の中の聖域と言える。
周囲からの遮断でなく解放感の中の憩いが求められる。樹木もその解放感を殺さぬように疎らに植樹してある。
私はと言えば、芝生の脇に設置してあるベンチに腰掛けてテレビ塔の影でひと休みをしていた。
正直言うと、私は足裏の痛みで歩くのに耐えられなかった(T^T)。
マメを潰して少し楽になったと思ったが、時間が経つに連れて痺れが痛みに変わった。
針で穴を穿つ際、誤って実を刺した(T_T)ところもある。
座っている分には平気だが、此の足を踏み出すには些か思い切りを要した。
加えてすぐに歩き出せなかった憂鬱がもう一つある。
懐に空っ風が吹いている(T_T)。
この中身は16000円余。
まだ札幌-大阪間の切符を買っていないので、これを買うと財布の中身は1000円を切る。
例えばこのテレビ塔、展望台に上がるのに600円を要する。
とマァ、これ以降は万事この調子で、みだりに金が使えない。
だが、折角札幌に来て何もしないでは申し訳も立つまい。銭の掛からない観光をしていない訳でもない。
20分ほどの休憩の後、大通り公園をひとまず出た。
※早朝散策
まず間近にある名所・時計塔に向かってビデオカメラを回した。
改修工事直前なので、白壁も赤いスレート屋根も煤けていた。
だが、端正な佇住まいは気分をすっきりさせてくれる。
残念なのは、周囲を覆う樹木がその建物を五割以上を隠している。建物の骨格が見て取れない。
もう一つは周囲をビルに囲まれて窮屈なこと。どうも雰囲気に任せてみられる物では無くなっている。
少し観光気分がそがれた処、今度は国道36号線を南下した。
市電を見るため、そして地下鉄で札幌駅に向かう算段で居た。
“中央図書館への/ドリームロード:市電”
との看板もある札幌市交通局・西4丁目電車停留所。
停留所に屋根があるだけの無人電停で、終站は上下線が停留所で一本に纏められるかたちを取る。
無人の替わりに乗車・利用に関する案内が小まめに掲示してある。
札幌は全国で唯一、公営交通局が路面電車と地下鉄を一緒に運営をしている。
それだけに市電と地下鉄の相関関係が量れる数少ない処だが、この電停、実情は市電に厳しい。
それでも運転頻度は10分以下、最高3分間隔。料金170円は健闘している。
その料金も今すぐ乗れば早朝割引で150円で乗られたが、その後地下鉄も乗るかと思うと躊躇してしまう。
情け無や(T_T)。見るだけに留めてしまう。
その後やって来た市電は、ここ特有のスリムなスタイル・欧州風の電車211号車だ。
モスグレイと黄緑の間に白帯の入った少しクラシカルな色合いだ。
それが幾つもの交通信号に引っ掛かりながら漸く到着した。
一応終站引き込み線の手前にもホームがあるが、そこは通り過ぎ、引き込み線に入った。
ラッシュ時には単行電車3台が捌けるようだ。
方向幕は“西4丁目-すすきの”とある。
恐らく此の方向幕はほぼ終発まで変わることがあるまい。
札幌市電は300m程しか離れていない此のすすきのまでを西に大きく迂回する半環状線だ。
それまで分岐線も経由線もない一本道。広電に馴らされた小生にはもの寂しい。
電車左手のドアから降車客を裁き、運転士が運転台交換をした後、反対側のドアで乗車客を受け入れる。
折り返し発車までは5分ほどだった。
その後もう一台見届けたがこちらは新製車8512号車である。
クリーム色のボディーに緑濃淡のストライプ。色合いは広電そのものだったが、スリムで彫りの深いデザインだけは独特だった。
▽札幌無銭放浪記
※嗚呼、銭が無ぇ
地下鉄利用も考えたが、市電乗り継ぎ270円では財布の紐はほどけない。
他の交通機関といっても、以前金沢であったように初乗り料金が190円ともなれば目も当てられない。
貧乏性が身に堪えるが、ここは歩いて行こう。そう思った。
とは言え、言うは易しの何とやらで実際は足の痛さに辟易している。
まずは休憩。
時間も時間だし、朝食と洒落込んだ。
とは言うものの、日曜の7時台から開いている店など、たかが知れている。
私は事情があって或る店を捜す。
何の事はない、マクドナルドである。
辿り着くまでは時間はそうかから無かった。彼の店は有名店が犇めく区画にあると容易に推せ、その通りあったからだ。
ではなぜマックかと言うと、財布の中にガソリン兼用のプリペイドカードを忍ばせていたからだ。今、小銭よりもこのプリカの残高のほうが多かった。金銭を切らした時に備えていたカードがこんな形で御登場となり、些か苦笑を禁じえないが、今や四の五言える状態ではなかった。
だがマクドナルドは開店まであと30分もあった。
開店前の清掃をしている店員を捕まえては少し無理を言って、忽ちはカウンターチェアにありつき、ここで暫し呆ける。
開店時間になるとお呼びが掛かったので、注文をして飯にありついた。
バーガーセットが飯かどうかは些か疑問があったが、えびすやで昨朝朝食を頂いて以来の机に向かっての食事。飯と言えると思う。
さて、札幌終発点は言うまでもなくJR駅である。
ここを終点に札幌観光を・と考え直さなければならなかった。
と言うのも、残金を切らすなんて、千円はおろか5000円も考えていなかった。
多分2日目の東京-函館間の浪費が効いて居たように思われる。
当初の残金の1/3となった金銭管理の杜撰さはちっと激しい。
とまれ、地下鉄市電の乗り放題や、ビール会社各社の直営ビヤガーデン堪能も消え去った以上、見て愉しめる処を選って観光する他無いだろう。
まずは足元に頓挫する大荷物をどうにかしたい。
そこで、此処から札幌駅までの観光スポットをと見てみた。
とは言え、距離も近くて上手い具合に径路が取れない。
そこでひとまずは北海道旧道庁を目指す事に決めた。
※嗚呼、健康も無ぇ
そう気張って歩き始めたものの、足裏の痛さは旅を愉しむそれではなかった。
大通りをそんな調子で抜けると、煉瓦造りの3階建の建物が交差点に現れた。
北海道警札幌中央警察署であった。
交差点にそって辻面が丸くなっており、そこが正面玄関になっている。
その玄関廻りは雰囲気だけだが先代の警視庁本舎の面影に似ていた。
10段ほどの階段を上がると二本の石柱がある玄関間口。ガラス戸が一般的ななか、幅が狭いながらも重厚な玄関戸がある。窓サッシこそアルミに差し替えられているが、明治時代といっても違和感の無いクラシックさを持っている。
今度は時計台と違って周囲が開けているので雰囲気も抜群。ビデオの広角レンズで映すと辻面の丸さとその上の青空のコントラストが綺麗である。思わぬ拾い物だった。
その中央署の裏にある北海道放送本社を過ぎると、目当ての旧道庁舎はそこである。
最初に目に入ったのは街並みの中に唐突の大池だった。その向こう側に煉瓦造りの大きな三階の建物が聳える。
それが旧北海道庁だ。
この時間にもなると流石に人通りも増えてきた。門扉に辿り着くと他の観光客もゾロゾロ此処にやって来た。
改めて仰ぐ庁舎は朝日を浴びて煉瓦が赤く映えていた。
二階建ての母家、その上の屋根には屋根裏部屋の出窓がせり出す。
各出窓の上には明治政府や旧帝国陸軍を示す赤い星があしらってある。
サッポロビールのトレードマークはまさしくこの赤い星なのである。
庁舎中央にはモスグレイのドーム屋根があり、その登頂には濃紺の7芒星の北海道旗がたなびく。
懐の深い前庭と相俟って荘厳すらある。
明治21(1888)年の建立にしては頑丈すぎるほどの重厚さ、ビデオの色合いが飛んでしまうほどの鮮やかな赤煉瓦は圧巻すらある。無論手入れしてこそとは思うが、いい建物をいいように使えばこそ建物が活きてくる証であろう。
背後には現用北海道庁と建設中の北海道警本部がある。高さではこの旧庁舎を圧倒こそするが、旧道庁は“マス”で勝負している。その重厚感は背後の2庁舎が及ぶべくもない。
さて、中に入って見ようかと思った矢先、不吉な予感がした。
下っ腹が重い(T_T)。
どうも食べ物に対して飲み物の摂り過ぎなのだろうか、腹具合がすぐれない。
便意は我慢できようものだが、余り調子がよくない。
中にはいるのは燃え盛るような足とお腹の緊急信号を受けてためらった。
悲しいことに、そのまま札幌駅に入ってけっきょくは二度と出てこないことになる。
※嗚呼、根性も無ぇ
足と腹を何やら引きずる格好で、ひとまず札幌駅に向かった。
札幌駅は根室駅に別れを告げて以来久方振りの駅、それも大きなターミナル駅である。
日射しが強まるなか、涼を求めるように中に入る。
駅内に入って大腸の掃除を終えると、コインロッカーを捜し始めた。
が、やめた。
我ながら何を考えたか、駅コンコース東通りを駅北口に向け歩き始めた。
此処は近年高架工事が完了したばかりで、工事中にホームとして使われた場所はイベントホールになっていた。
この途上タカキベーカリーの経営するリトルマーメードを見てほっとする。
恐らくこの安堵感・ホームシックが市中観光断念の第一因だったと思う。
駅北口のみどりの窓口、此処はツインクルプラザと呼ばれる。
此処にきた私は胸元の財布に引導を渡すべく、大阪までの切符を買い求めた。
予想通り、財布の残りは600円ほどになってしまった。市中観光断念第二因。
このツインクルプラザで私はまた休憩と相成った。
此処には各特急の予約状況を電光掲示していた。これを見て私はハタと首を傾げた。
“トワイライトEX”予約“○”
(-_-;)
ハテ、これはどう言う事であろうか。
周知の方も多いと思うが、このトワイライトの指定券は相次ぐ予約から取得が難しく、所謂プラチナチケットと化している。
それが此処に来て“予約可”と言うのが腑に落ちなかった。
BコンパートなどのB寝台や、A寝台個室にも空きがあるとのことだ。
余りにも疑わしくて係員に聞きそびれたが、ひょっとして乗車当日のキャンセル待ちはけっこう“イケル”のではなかろうか。
余りにも予約が至難な故に、乗車予定の方が追い付かなくなるのは充分考えられる。
私もこの切符を落としたくないからJTBとJRみどりの窓口で予約を頼み、結果JTBで大当たりを引き当てて、みどりの窓口に白眼視の中“Bシングルツイン”を払い戻した経緯がある。この手合いは少なからずあるかも知れない。
ちなみにこの時刻は9時半頃。
冷房の効いた此処に頓挫していると、日射の強くなった市街に出るのが億劫になった。
それに、これ以上出歩いてもし発車時間に間に合わなかったら大間抜けでもある。
痛めた足で急ぎ足に追われると考えるだけでも寒気がする。
一寸北口を見回して、ローソンを認めると、そこだけ向かった。
財布の残りからもうまともな食事をする事は不可能である。
腹の足しになるような袋菓子を此処で買い込んだ。
こんな時に買うのが、この年始めの大阪へのドライブの時に試した“おにぎりせんべい”。
こいつは材料がそのまま焼きおにぎりなので軽食代わりにイケル。
運動するのでなければ60円のもので一食持ち堪えることも出来る。
こいつと後少し買い足した。財布の残りは半分の300円余になってしまった。
--------------------------------------------------
~後記
ちょっと間が空いてしまって申し訳がないm(_ _)m。
もうすっかり・と言うか、旅行に行った期日をすっかり抜かしてしまった(T_T)。
もうあほでしょ(^_^;)?
札幌行って市電と時計台と道庁だけ見て飯はマック。
帰って親からも怒られましたがな。
「財布にお札も残っていないなんて」
と。
所持金300円でTWxに乗ろうなんざど~ゆ~神経してんだって言われそうだ。
しかも読み返して。
時刻は9時半。
TWxの発車は14時過ぎ。
その間なにやってんだヨってな話が次一杯です(^^ゞ。
Posted at 2014/09/04 21:38:02 | |
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2014年08月25日
13・第5日/バスに乗ってのホワイルナイト
▽根室駅前 22:00~札幌BC 6:30・夜行特急バスオーロラ号(札幌22 さ909)
※バスターミナルで煮え切らず
JR根室駅から根室バスターミナルまでは徒歩二分も掛からない。
20過ぎて私はこちらで休む事にした。
と言うのも少し肌寒くなってきたからだ。
風は荒天もあってか冷え込んでおり、8月末とは言え、此の風は広島では11月末並みの冷たさだ。
ノサップ踏破の雨で体を冷やしていたのと、足のマメを潰してサンダルに履き替えているのが堪える。
責めて風だけを防ぐ意味でバスターミナルの待合室に入った。
中に入ってみると入口左手にインフォカウンターが、右手には各種パンフレットの入った棚。
店の奥には土産物店・おっと、こちらはすでに終っている。
その間の待合ベンチには脇に50インチ級のプロジェクションテレビが配置してある。
これで広島市民球場でやっているCG戦を中継していた。
北海道は円山球場(札幌ドームの前身)や旭川スタルヒン球場の関係で巨人ファンが多いらしい。
それでなくとも球団のない地方じゃTV中継は巨人戦が多いから自ずと巨人ファンが多くなるのも仕方がない・と私が納得すると思ったら大間違い!だからこそ許せん!
え?広島の人間だから広島を応援しているのじゃないかって?イヤ一寸違う。
(中略)
だが私がカープファンになり切れないのは、昭和60年代の強いカープでは無くなったからだ。
今のカープは「何を仕掛けるか解らない」チームから、「何を仕出かすか解らない」消極的なチームになった、ムラの多い大雑把なチームになった。
今日もそんなカープがジャイアンツに負けて、そして終わった。観ていても精が出ない。
野球が終わると、テレビも消え、カウンターもひとけが無くなった。
※これが夜行バス!
外は雨、静まり返ったバスターミナル。
この日最後の札幌行き夜行バスを捌くために機能は止まっていないものの、周囲は自動販売機だけが仕事をしていた。
休憩には丁度いい。
合皮製のチェアに座ってバス搭乗準備を待つ。
トイレなどを済まし、各種パンフレットを拾い出して目を通す。
その状態で30分が過ぎる。
やがて私の他の乗客が続々入って来た。
車で送迎される者、タクシーを使って来る者と様々だが、多くは此処から帰り道に就く者らしく、めかし気味の服装が圧倒的だった。
やがてインフォカウンターは俄か活気づき、受付嬢が出て来た。
受付嬢にJTBのクーポン券を渡すと、根室交通の乗車券を渡された。
別に交換する必要は無かったが、暇なんでツイ‥‥‥(^^ゞ
久しくディーゼル音を聞くことになる。
札幌・北都交通のハイデッカーバスが2台、此の根室バスターミナルにやって来た。
根室発札幌行きオーロラ号である。
我々乗客は待ち兼ねたようにそのバスに向かう。
私の切符は一号五番、因って一号車を目指す。ここで乗務員と落ち合う。
ここで一対の黄色の楕円形のアクリルタグを貰う。
そのタグには二つとも“5”と同じ番号が彫ってあり、その片方を荷物に括り着ける。タグを括った荷物はキャビンの下にあるトランクルームに積み込む。私は大きなスポーツバッグをそちらに任せて、徒歩行脚の装備のままのサブバッグを車内に持ち込んだ。
車内はほのかな明かりがついているだけで殆ど真っ暗。
外からのほの明かりと併せて車内の様子漸くが解る。
座席はフル仕様のリクライニングシート。
これは後に譲るとしてこれが三列、左右と中央が半分ずつシフトしている。
私の席は、此のバス一番前の左、右、後ろ中央、二列目左、そして右の此の席である。
座席に座ると、これがフル装備。
夜行バスが航空機や寝台特急に対抗して装備を奢って久しいが、此処までとは正直思わなんだ。
背凭れ肘掛け足置きは勿論、レッグレストと呼ばれる腿当てまで装備してある。
そして各座席にはラジオまで装備。
座席前方の小物入れネットに飛行機などで使われる前掛け形のチューブフォンが用意されている。
装備に感心していると漸く発車時刻になった。
乗務員が車の内外でチェックを急ぐ。
かれこれの準備を終えて二人の乗務員が一号車に入る。
22時を5分廻って、荒天の中バスは札幌に向かった。
※意外とコケ威し?
国道44号線に上がるとバスは快走を始めた。
乗車直後に渡されたオレンジジュースはバッグの中に仕舞込む。
では此のバスの装備を一つ二つと試しますか。
腿当てを揚げて背凭れを寝かせる。
足がマメだらけだから極力足先に負担は掛けられない。
この状態でも座席の前後方向には余裕がある。まず座席の使用感は及第点と言った処か。
ただ、窓際が三列シフト配置のわりに窮屈に思われた。
通路を確保しなければならないジレンマか。
この状態でさて置き、次に座席のラジオを試した。
医者の使う聴診器に似た形状の大きなステレオイヤホンを首の前に掛けた。
インナイヤホンに慣れた私としてはこういうぶら下げる形のイヤホンがぎこちなくて仕方がない。
だが旅も四日を消化して手持ちのカセットテープも聴き尽くし、バッテリーも無闇に消化したくない。
気分転換の軽いつもりで聴いてみた。
ところが、どうも調子が悪い。
けっこう気の休まる音楽が流れる筈なのだが、その聞こえ方が変だ。
なんだ(-_-;)片方しか音が出ていない。
プラグを軽くこじったり挿し直したが、全く音が出る気配がない。
乗務員に申告するも、予備のイヤホンで試しても症状は同じ。
けっきょくラジオは故障という事でサービスを諦めた。
外を見た。納沙布で私を襲った雨がなおも降り続く。
雨は飛沫と靄を呼び、閑散とした風景を混沌とさせる。
温根沼大橋を渡って風連湖を望む・と言う芸当が出来なかった。
不意と足下に痺れを感じた。
その源は脹ら脛。
え?、脹ら脛はレッグレストを当てて休ませている筈なのに・と私も思ったのだが、そこに落とし穴があった。
実は足の重みがそのまま下腿に伸し掛かって脹ら脛を圧迫する。
これが意外と痺れる。
けっきょく足先に重みを掛けまいとして他の処に負担が掛かるという結果だった。
どうやら至れり尽くせりが次々仇になった格好になる。
残る装備は足置きとリクライニング、そして後に触れるミッドデッキにあるウオータージャグになってしまった。
此のバスは途中、厚床駅を経由する。
外の風景は胡乱なまま見届けられず、体を楽に拘束するシートに抱かれた格好で揺られ続ける。
故障のラジオに替わって自前のラジオを点けたが、根室市街をぬけると頗る受信状態が悪くなり、混信も著しくなった。
その混信だが、広島ではハングルやダカログ語などが聴き取れる処、此の根室ではあのロシア語が特有の丸っこい響きで入ってくる。どのみち解りはしないのでラジオは仕舞った。
夜行バスという空気を一通り嗅いだ後に到着した厚床。
上部中央正面にあるデジタル時計は22時半を過ぎていた。
此処で若干の乗客を乗せると、乗務員の手によって運転席と客席の間に大きなカーテンが曳かれる。これで風景とは一層無縁になる。
ファーア、寝るか。
※コンテナ
目が醒めた。
外は明るくなっていたが、まだ青白い。
時計を見ると4時半を廻ったばかり。
窓に曳かれたカーテンを少し割くと、山深いなか僅かな平原が拡がる。
後で調べてみると夕張連峰を抜けている最中の様だ。
下っ腹に力が入らないのでトイレに行く。
この手のバスは車両中央、左寄りにキャビン下を抉ってトイレスペースがある。
階段というよりはステップと言える急な段を降り、ややも揺れる車内に手を取られながら引き戸を明けると必要最低限の洋式トイレがある。
装備もスペースも要るものが何とか詰め込まれている。
車内の揺れには思いの外手を焼いたが、何とかつつがなく終えることが出来た。
このトイレ周辺のミッドデッキには先程少し降れた半自動のウオータージャグと電話機がある。
此処では今一つ解らなかったが、テレビで見たのでは此処の僅かな隙間に運転助手の文字通り横になるスペースもあるらしい。
ちなみに此の日の運転助手は、空席となった私の前の席で寝入っていた。
此処に潜ると、屋根までの高さが半端ではない。
此処から狭苦しい中周囲を見回すと、バスというよりはコンテナという感じになってきた。
とりあえずジャグから冷水を注いで席に戻った。
窓外の風景は相変わらずだが平野が少し開け、山の標高も低くなっている。
不意と気が付いたのが、此処が国道274号線ということだった。
国道38号線では無く屈曲や標高差の激しい此処を通るというのは些か意外だったが、JRの石勝線と一緒で距離を取ったものと思われる。
いずれこの路線も高速道が通ってそこを通るのだろう。
屈曲の緩い道を跳ばすバス。
窓外には農耕地、ビニールハウス、夕張メロンのコマーシャル看板が流れる。
もう一休みしようっと。
※再び札幌へ
次に目が醒めたのは既に札幌近郊に入ってからだった。
周囲を覆っていた分厚いカーテンが引き剥がされる。
北広島市と近く名を変える札幌郡広島町界隈である。
存じ上げている方も多いが、北海道では明治期に入植した開拓使の出身地がそのまま地名になったものが多い。
此の広島町は云わずものがな広島県出身者が入植した地域である。
一方で逆に北海道古来の地名は根室で通過したトーサムポロや歯舞、屈斜路などのアイヌ語であり、これらの地名の差異は裏を返せば国策の名を借りた明治政府の北海道侵略という視点がある。
北海道の歴史は明治以降と浅く思われがちだが、それは古来から長らく続いてきたアイヌの歴史を黙殺してのことだ。
だが我々の習う北海道は“蝦夷地”という曖昧な表現に象徴されるようにアイヌの正しい理解は等閑にされている。
これでは侵略よばわりもされかねないか・と我が無知を今更恥じる。
ともあれ、札幌の市街は目前となった。
ここに来て今度は缶コーヒーを配られた。
小銭を切らしているので有難く頂こう。
市中心部に程近いバスセンターまではややも時間が掛かるが、寝ぼけた頭をゆっくり醒ますには都合がいい。
そして天気は久方振りの青空。まだ目の醒めていない、日曜の札幌市街であった。
やがて6時が過ぎた。
だが、バスがターミナルに入る様子が無い。札幌名物テレビ塔も目前となり・と言う所でバスは路肩に寄った。
どうも到着らしい。
バスセンター行きを考えていた私には些か呆気ない到着であった。歩道に出て、タグにそって大荷物を受け取ると、バスは先を急ぐように発車した。他にも函館発のバスがいたらしく、発車したバスが4台に増えている。
しまった(゚Д゚)。札幌駅前まで行くのなら乗っていればよかった。
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~後記
まぁ大層なことは書いてるけど、けっきょく疲れて寝ぼけてただけでした(-.-)。
もうね、随分とこさ精力使い果たしましたとも。
うん、実は今も(-_-;)。
さて今回の加筆は削除も含まれてますm(_ _)m。
もう言葉の限り巨人ファンを逆撫でする文言が綴られてますので。
この時期はもう野球ファンじゃなくアンチ巨人ファン以外の何物でもなかったんですよね。
でも本文にも書いてありますがもうカープがこの頃から優勝できなくなってたし。
愛想が尽きつつあったのも事実です。
まぁ、05年騒動でみんな醒めましたけど。
今は北海道にも地元プロ野球があるのでその意味じゃ事情が変わったかな(^^ゞ?
今度はファイターズを応援させてくれるだろうか?
それともコンサドーレかな?
その辺りの事情は随分変わりました。
Posted at 2014/08/25 20:22:21 | |
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2014年08月24日
12・第4日/踏破と挫折
▽未だ到達せず
※釈迦の掌
豊里を過ぎると、遥か東に見えるものがある。
白い塔の上に円板状のものがある構築物だ。
こう言うものはまこと久方振りで、何らかの展望台か、そう解るまでは随分時間を要した。
何しろ随分小さく見えていたもので。
ともかく、納沙布岬までの距離が目視出来るほどになったのだ。
ともかく?
それにしては随分とこサその距離がある。
ガイドブックに因ると此の白亜の塔は察する通り納沙布岬口に有る展望台・平和の塔である。
高さ100m弱、起伏の多い丘の果てにその上半分が微かに小さく見えている。
薄ら痛む足を半ば引き摺って前に進んでは見るが、なんとも手繰り寄せるような・と言う表現には程遠く、しかも正面に見えていた筈の塔が右左に見えたりとまこともどかしい。
痛みと疲れにかまけて状況判断が鈍ってしまったが、道路の起伏と屈曲がせわしくなった。
程度そのものは相変わらずなだらかなものだが、平坦路が随分減ってしまった。
しかもまだ15時頃だというのに随分暗くなってしまった。頭上の雲が分厚くなっていた。
サンコタンとガイドに書いてある辺りを過ぎると、道中で初めてまとまった集落があった。
この先にはトーサムポロと名付けられた湖がある。
農村落をやり過ごす此の道からあと、なだらかに丘に登っていた道は急となる。
しかも登り切ったあとからすぐ下って行くようになる。
この疲れているのに随分タイトになったものだ。
此のトーサムポロ辺りでは薄日が差すまでに明るくなった。
これだけが救いだと思った矢先、此処を過ぎた高台に辿り着くと冷たいモノが頬に落ち始めた。
ゲ(+_+)!
此の徒歩行脚で一番恐れていたモノは、何よりも雨であった。その雨が落ち始めた。
とは言え、持って来た雨具は折り畳み傘が一丁。
拡げて雨露を凌ごうとするものの、強風が相変わらず吹き付けている。
真縦に差したのでは全く傘の用を成さない。
けっきょく傘を風上に向けつつ上半身に擦り着ける様に差した。もう下半身は分厚いジーンズに任せて濡れ放題となる。
雨量は小降り程度で酷くなることがないものの、この強風が傘の差せない部位を隈無く濡らす。
特に足には堪えた。
元々生乾きの靴が引き起こした足の不調、此処に来て漸く乾いてきた靴が再び雨曝しとなり、元の木阿弥。後ほど悪夢を見ることになる。
雨に打たれ、正面には今まで一番近くに見えるオホーツク。
10件以上続く民家をよぎりながら、何時か助けを求めて玄関を叩くのではと、随分ひ弱なことを考えていた。
強風に息は切れ、足裏の痛さが腹の底を不快にくすぐる。
不意と東・と思われる方角には平和の塔が、私の葛藤を嘲笑うかのように未だ小さく見える。
今思うと、この不快感を顧みて或る場面を思い出した。
それは束縛を嫌って逃げ回るものの釈迦の掌から逃げ仰せなかった孫悟空ではないか、そう思うようになった。
※オアシス
そんな苛立ちを抱きつつ、20分ほど歩き通した。
けっきょく弱音は口先までに出すに留め、自業自得を唱えつつ歩き続けた。
我ながら意志が強いのやら弱いのやらよく解らない状態になっていた。
すると、苦痛に耐えつつ前進はするものだと思った。
集落の果てに飲料水の看板が認められた。
先に一度この手合いで大衆食堂が閉まっていたので内心宛にはしなかったが、今度は脇にこんな言葉が書いてあった。
“林下商店”
辿り着いてみると、この商店は営業していた。
温根元集落を過ぎた頃。
おそらくこの辺のよろず屋と言った店であろう。食料品を主に僅かな日用品も扱っている。
無礼を承知で中に入る。お客としてではなく軒を借りて休憩する旅人として。
出て来た店主にその旨を伝えると、店と居間の間にある桟に座って休むよう勧められた。
此処でえびすやから貰った沢庵付きのむすびとお茶を開けて漸く口にすることが出来た。
お茶は途中で飲もうと幾度も思ったが、自販機一つ無い此のロケでは最後に飲んでやろう、途中唯一有って壊れていた自販機を見て強くそう思っていのだ。
此処ならバチも当たるまい。
突然飛び込んだこの傍迷惑な旅人を店主はそっと休ませてくれた。
店主の母であるらしい老婦がお茶を出してくれた。
そしてえびすやからのこのむすび。
この旅は人との触れ合いを殆ど顧みたことがないのに、この持て成しは嬉しかった。
甘えてばかりで恐縮すら覚える。
記憶が鮮明ではないが、切った西瓜か何かも頂いたような気がした。
体を休めに来たのにむしろ休まったのは心であった。
財布に余裕がなかったのと、お茶をいっぱい飲むことが出来たので、この後に備えての缶ジュースと飴を買い求めて、15:50、林下商店を後にした。
※苦痛の中の到達
雨は相変わらず降り続いたが、風が幾分収まった。
漸く風が涼しいと思える状態になった。
未だ痛む足が今度は振り出せるまでには回復した。
暫く起伏の激しい道が続いた後、道が平坦になった。
民家が点在する此の道だが相変わらず人の行き交う様子は殆ど無く、時に観光客の車やバイクが通り過ぎるのみであった。
これは途中サンコタンで農夫を見掛けた以外はとうとう終始変わらずだった。
此処に来て平和の塔が漸くはっきり見て取れるようになった。
終站が漸く近づいた・と言える証だ。
高台から見下ろすオホーツクはとうとう寒天色の濁った色を変える事無く荒れ続け、晴天時には見られる筈の北方四島も雨に煙って見留められない。
歩き続けて20分、雨が降り初めて1時間余経ったか、それは遂に訪れた。
時刻は16:15、遥か遠くに民家とは明らかに違う集落があった。そこに辿り着くと、平和の塔が東ではなく頭上に来た。
最果ての岬、納沙布の集落であった。
この一帯は“望郷の岬公園”と呼ばれる広場である。
左手には“四島の掛け橋”と呼ばれる高さ5mのオブジェが掛かり、平和と返還を願う篝火が焚かれる。
この丘には北方四島が望めるらしい。
ただ此の時は忘れていたが、此処からは象徴の灯台が見えない。
実は厳密な意味での納沙布岬はこの道道から更に海岸線まで下らなければならない。
私が到達したのは実は北海道道104号線上の納沙布岬だったのである。
これに気が付いたのは帰りのバスで待っている最中。だがこの体調で更に・と言う気概はなかった。
公園に辿り着くと、私はまず便所に向かった。
公衆便所というよりは大衆便所という感じで、大きく新しく、綺麗な便所である。
兎に角6時間以上歩いてトイレが途中一箇所のみ。そりゃあ溜まっておりますよ。花咲かにをデザインした便所に入る。
次にバス停に向かう。
とてもじゃ無いがこれからまた歩いて帰るような状態じゃない。
次のバスを見ると16:38に駅まで戻るバスが来る。然程待つ必要がない。
バス駐車場の脇にあるラーメン屋の軒を借りて雨宿り。
昼飯もまだなのにそのラーメン屋に寄る余裕さえない。
更に東に降りる砂利道もあったが、足が全く向いてくれない。
バスは18時過ぎまであるので余裕はあるはずだったが、体調に余裕が無くなっている。
そのままバスを待っていると、10分もしないうちに根室駅発のバスが来た。
残念ながら這々の体でこのまま帰ることにした。
▽納沙布岬 17:00~根室駅前 17:40・根室交通(御免・ナンバー見てないm(_ _)m)
※呆心なるまま
やって来たバスは一昔前の観光用セミハイデッカーである。あの運転席の後ろの上に天窓のあるあのタイプだ。
根室駅発のバスが客を降ろし、一旦転回準備を整えてからこのバス停に来たのはそれから更に5分程後経ってからだった。
雨宿りをしている間に身の回りを見たが、太股から下は隈無く濡れている。
靴は分厚いジーンズに阻まれてズブ濡れこそ免れたが、湿気まくっている。
幸い上半身のほうは傘を上手いこと差し廻して殆ど濡れていない。
バスにそのまま乗る事は出来そうだ。
バスに乗り込み、先に料金960円を払ってしまった。
まだ乗客は他に居らず、その間私は運転手と雑談をしていた。
最初は気分良く話し相手になっていたが、次の客が乗って来ると急に素っ気なくなってしまった。
あちらも疲れているのだろうか?
すると一気に疲れがきてしまった。リクライニングシートに身を委ねた。
寝ぼけた状態の中、バスは発車時間を迎える。半ば後ろ髪を引かれる思いに駆られる中でバスは平和の塔の下を周回した。
最果てに到達した充実感ではなく、漸く自力で交通・通信手段が確保出来る処まで逃げ仰せた安堵感の方が実際は強かった。
我ながらネガティブな収穫だったという意味でややも悔しかった。
それには恨んでも止むを得ない天候の悪さを責めるようになる。
となれば計画の実行そのものが失敗・という味気の無い追求が始まる。
もうこう言い出したらネガティブどころの問題ではない。
だからこの一言で一気にポジティブにしよう。
これも北海道の大地だ!
※傷心の帰路へ
いよいよこの旅は、最果てを求めて来た此処から初めて引き返す帰り道と相成った。
バスが発車して間も無く・とは言え歩けば20分位は軽く消化してしまう距離だが、珸瑶瑁の集落を通過する。
この後も歯舞など幾つか集落を通過するが、此処で一つ気が付いた。
ガイドブックなどを見ても解る様に、日本海側のこちらの径路が小学校や郵便局などを擁するまとまった集落がある。
実際はどうか、バスの左手には雨に煙る日本海。そして右手はやはり民家が続くが、こちらには交差点や酒屋まである。
どうやらオホーツク側を歩くのはややも無謀なむきがあったらしい(T-T)。
こちら側にして置けば休憩も取り易いし何かあっても途中で引き返せた。
と、同時によくあんな何もない道を6時間掛けて歩き通したものだと妙に感心した。
マァ、我ながらよくやった。
昨日北海道入りしたばかりのズブの素人が、あんな悪天候の上級者コースを大きな事故もなくよく歩き通せたものだと。
‥‥‥‥そー思うより他はあるまい(>_<)!
そんな訳で、初めて納沙布岬へ徒歩で行かれる方は、悪い事は言わんから日本海側を行きなさい。
私が苦痛の中6時間かけて実践した結果の結論です。
不意と目が醒めた。
こう言うと、決まって旅の最中にうただ寝をしては思いの外行程を消化している前振りになってしまったが、
実はッ!
その通りである(T_T)。
窓の外は煉瓦色の巨大なサイロ、そして間も無く見覚えのある大通りにバスは上がった。
それは国道44号線、巨大なサイロは根室名所の明治公園であった。
なんと、間も無くバスは根室駅前に到着した。
▽根室の晩餐
※旅の後始末
バスが停まったのは、JR駅に向かって右側にある根室バスターミナルである。
楕円形の建物の周りをバスが周回する、どちらかと言うと転回場の間に待合案内所がある形を取るコンパクトなバスターミナルである。
このターミナルについては後に譲り、小休止の後にえびすやに戻った。
18時を廻って、小雨降る市街も暗くなり始めている。
えびすやでは玄関口に大荷物をまとめて置いていてくれた。
女将の驚嘆とも呆れとも取れる言葉に迎えられ、私はむすびの便宜などの礼を述べた。
休憩を兼ねて荷物をもう一総めする。此処で湿った靴を諦め、サンダルを取り出した。
足が実感倍になった様に痛む。
イヤ、痛みを通り越して痺れている。マァ、足の手入れは後ほどゆっくりやろう。
1時間ほど後、小休憩の後に女将と、此処で初めて会う旦那に別れを告げ、えびすやを後にした。
その足で、すぐ近くの根室駅に向かった。
次に乗るのは汽車ではなく夜行バス。
汽車に乗るのではないが、昨日忙しなく駅を出て来たので、駅でゆっくりしたかった。
駅は閑散としていた。次の列車が昨日乗って来た19:35到着の汽車、その後も各時間帯に着発合わせ一本ずつ。
終着の21:59までたったの三本である。
最果てとは言え、根室は北海道有数の漁港であり、根室支庁の中心都市である。
しかし此処にいた間、喧噪という言葉には無縁どころか人の出歩く姿を殆ど見掛けなかった。
そんな閑散とした駅舎内。この待合室は、改札、切符売り場、キオスク、そして駅食堂の玄関をグルリ見渡せる。
しかし駅員をはじめ人影が全くと言っていい程見掛けない。
改札には二枚の白い表札で
“つぎの改札は”
“快速 ノサップ 釧路行き 20:40発”
と提げられている。それまでは改札員も顔を出さない。
此の改札というと、我々は腰抵たりまである鉄格子がある位で解放された感があるが、此処は改札口に家庭の玄関戸の様なアルミサッシ製の扉が二つ並べてある。
冬の寒さが厳しい北海道ならではの配慮か、それとも汽車のダイヤが空疎な故の配置か。マァ私は前者と受け止めたい。
10人程が固まって座れるベンチを並列配置する待合室。
正面の掲示板には観光啓発のポスターが目立つ。
レンタカーだの、フリー切符だのとJRを使って遊んで下さい風のポスターは、しかし却って癪だった。
(私にはその自覚は無いが)今回型破りの旅行をした私はこんなポスターを見て、やはり自分流の旅がイイと思うようになった。
確かにワリを喰う場面が多いが、こんな事をするとこんな目に逢うんだなと納得が出来るし、失敗を愉しむ芸当はあのような旅には出来やしない。
そう腹の中で思いつつ、私は足裏にできたマメを潰していた(T_T)。
持って来た裁縫道具と絆創膏をベンチの上に拡げた私、縫い針をウエットティッシュで丁寧に拭き、踵や足の小指・足の外辺に“群生”するマメに穴を穿ち、水を出す。
その後をティッシュで丁寧に拭き、痛む処だけ絆創膏を貼る。
本当は全部に張っておき、ストレスを掛けないのが一番だが、そんなに絆創膏は持ち併せていない。
湿気に白くなった足を見つつ、一番ワリを喰わせたのはこの足だったなと少し申し訳無く思えた。
途中19:35の汽車が到着したが殆ど乗客が居らず、引き続き寂しい情景が続く。
一人二人居た他の乗客もその寂しさを嫌う様に長途留をせずサッサと思う処へ駅を発つ。
時間が経つに連れて寂しさは倍増した。
最初は料金表や時刻表を見詰めていた。
国鉄時代特有の白いセル板に、肉太のペンキ塗り文字の料金表に丁寧に植字された時刻表が隔世の感があっていい。
旅行の終站に相応しい、しかし寂しげな終着駅である。その雰囲気を腹八分目にして根室駅を後にした。
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~後記、前回忘れてた(^^ゞ。
う~ん、こんな旅今できやしねぇな(T_T)。
ナンカ凄く痛い目に遭ってるんだが。
そのぶん、随分と厚意に甘えてたりもする(-_-;)。
実は4年後に今度は両親を連れて行き(コレが片親には唯一の孝行旅行になってしまった)、今項の行程はレンタカーで行った。
20分掛からんのね(-_-;)。
ほんとナニしに行ったんだと親にも言われたよ。
当時はまだ健在だった林下商店にお礼にも伺いました。今もあるかな?
その時はこの時の分まで納沙布でラーメン食べぇの土産を買いぃの灯台許にも行ったりと元は取りました。
風蓮湖の入り口や車石にも行きましたしね。
梅雨前線の濃霧に祟られてなかったらねぇ(T_T)。
そのときは視界5mだったのよ。
Posted at 2014/08/24 08:33:17 | |
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