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2025年12月28日 イイね!

【2025年冬 遠征記その4】筑豊線群鉄旅続編&久留米の夜

【2025年冬 遠征記その4】筑豊線群鉄旅続編&久留米の夜その3 からの続きです。

【筑豊線群 後藤寺線~筑豊本線へ】
田川伊田駅を後にして、再び田川後藤寺駅に戻ります。
多くの乗客と共にホームに降り立ちました。ここでJR後藤寺線の新飯塚行きに乗り換え。

前の記事で、田川後藤寺駅で乗る列車を迷いそう、と言っていたのですが、その不安が現実に。

列車は1番線に到着。
見ると、跨線橋を渡った向こう側のホームに列車が停まっています。
ここでの接続時間は3分とわずか。
でも時間が無くて焦っている私には、案内がすぐに見つけられず…確信が持てず戸惑っていると、ようやく跨線橋の階段の所に小さな画面の案内板がちらっと眼に入ります。
新飯塚行きは、全然違うホームから発車です。

最初は気付かなかった、ホームが切れ込んだ部分に停まっている列車が見えました。

乗り込むとすぐにドアが閉まって発車。
座席に腰を下ろすと、ほっと安堵のため息、同時に、寒いはずなのに汗をかいていることに気が付きました。

次の船尾駅は、目の前がセメント工場。出口を出るとそのまま工場内に入ってしまいそうです。巨大な櫓や張り巡らされた太い配管、タンクが無機質に並んでいるのを間近に見るのは大迫力です。

森の中を超えると風景は一転、田園と住宅が点在する長閑な風景が広がるようになりました。


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終点の新飯塚駅に到着。
すぐ向かい側のホームには、博多行きの電車が停まっています。これかな?

乗り込んでみますが、始発ではないはずなのに20分も前から停まっていることを不審に思い、確かめるとやはり1本前の列車。まあ、このまま乗っても良いのですが、途中の桂川駅で1時間近くも待ち合わせることになります。

新飯塚駅も、ホームに発車案内がありません。しかし、そもそもは発車案内に慣れきってしまっている自分がいる、ということが一番の原因でしょう。

ベンチに座って待つことに。陽も傾いてきて、さっきよりは寒さを感じます。急いでダウンベストを取り出し、上着の下に着込みました。

後にやってきた博多行きに乗り込みます。10分あまりで桂川駅に到着、ここで下車。
乗ってきた列車が発車していくのを見送ると、ホームには誰もいません。


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接続時間は30分ほど。駅舎内のトイレに立ち寄るも、他に寄るところもなく待合室も見当たりません。結局、冷たい風に吹きっさらしのホームで待ちます。

ポツリポツリとホームに乗客の姿が増えだしたところで、折り返しのディーゼルカーが1両で到着。

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博多を経由せず、筑豊本線で直接鳥栖、久留米方面に行くことのできる、原田行き列車です。

居合わせた乗客の半数以上はそのままホームに残り、後に来る博多行きを待っています。
乗り込んで待っていると、発車3分前に飯塚方面から博多行きの電車が到着。何組か乗り込んできたところで発車。

新飯塚から飯塚のあたりは、福岡市への通勤圏らしく、マンションや新しい住宅が広がる車窓でしたが、桂川駅を過ぎると再び山野が中心の車窓に。
乗客は各ボックス席に1組ずつ程度ですが、言葉もなく静か。

冷水峠のトンネルを抜けると、下りこう配になったのかエンジン音が小さくなり、「カタタン、カタタン…」と軽やかな走行音に変わります。同時に、再び住宅地が多くなり、やがて鹿児島本線との接続駅である、終点原田駅に到着。

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原田駅にて。写真は先ほどまで乗ってきたディーゼルカー

少し経つと再び、桂川駅方面へと走り去っていきました。

鹿児島本線、下り列車を待ちます
夕闇がせまり、薄暗くなってきました。それとともに吹き付ける風がますます強く、冷たくなってきました。
構内放送によると、次に乗る列車は4~5分ほど遅れている模様…わずかな乗客と共に、上着の襟をすぼめて待ったのでした。

【久留米の夜】
原田駅で乗り込んだ9両編成の列車は、定刻より数分遅れのまま、久留米駅に到着。
本日はここで宿泊します。


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JR久留米駅。
駅前の宿にチェックインした後、街へ。

JRの久留米駅は、市街地の中心から少し外れています。周囲にお店は少なく、その代わりに何棟もの高層マンションが並んでいました。
市街地の中心にある西鉄久留米駅までは直線距離で2㎞以上。食事処と、夜の賑わう街を見たくて西鉄の久留米駅へ。駅前のターミナルからバスに乗って向かいます。
2つの駅間は、昭和通りと明治通りという2本の大通りが結んでいます。明治通りの方を経由するバスに乗り込み、車窓から街並みを見物。通りは交通量も非常に多く、やや渋滞気味。

そして、通りの先まで伸びているイルミネーションが鮮やかで大規模。こんなに多くの光がこの街にあふれている、とは思いませんでした。

中層ビルが並び、ビルに入るお店の灯りが続き、久留米シティプラザ(ホール施設)の斬新なデザインで巨大な建物が目を引きます。

西鉄久留米駅に到着(トップ写真)
駅前や構内の商業施設をあちこちと巡り、良さげなお店に入ります。

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地元産の鶏肉を使った親子丼。汁物も、鶏だしのスープです。これにビール!

しっかりと旨味のある鶏肉に、ふわトロの卵とじがうまく絡み合い…ゆっくりと味わいます。
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駅前を少し散策

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イルミネーションが、賑わう街の風景に彩りを添えています。

食後のデザートは…
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お馴染みのドーナツチェーン店で、ドーナツに温かいコーンポタージュをつけて…。ドーナツの優しい甘さと温かいポタージュが、早朝からの移動で疲れた体を癒してくれます。

明日の朝も早いので、バスで宿に戻ります。
駅前のバスターミナルは時季柄、買い物帰りのお客さんが多いようで、荷物を持った人たちで賑わっていました。


こうして、久留米の夜は更けていきました。

その5 に続きます。

Posted at 2026/01/05 21:12:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 鉄道旅 | 日記
2025年12月28日 イイね!

【2025年冬 遠征記その3】北九州~筑豊 近代遺産を辿る 後編

【2025年冬 遠征記その3】北九州~筑豊 近代遺産を辿る 後編その2 からの続きです。

田川後藤寺駅は、4線区が集まる中心駅。alt
各ホーム、それぞれの方面に行く列車が発着します。電光の発車案内が見当たらず、車両のデザインも同じ、列車の行先表示も先頭と最後尾だけなので、一瞬、これでいいのか、と迷ってしまいそう。何とか、目的の列車に乗車します。

発車してほどなくすると2本の高い煙突が目に入り、田川伊田駅に到着。ここで下車。次に向かうのはその煙突のある、「石炭記念公園」。
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駅前から望む香春岳。特徴的な3つの峰と丸い稜線を目にして、筑豊に来たことを実感。

徒歩で約10分ほどで、「石炭記念公園」に到着。かつて炭坑があったこの場所には、2本の竪坑煙突をはじめ、竪坑櫓や「石炭・歴史博物館」など、石炭産業に関連する施設が園内に点在しています。

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広い敷地の中に聳える竪坑煙突と竪坑。地元の人たちの憩いの場にもなっているのでしょうか、訪れた家族連れの楽し気な笑い声も聞こえてきます。

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竪坑櫓。
採掘した石炭や、中で働く人たちを、吊り下げたケージを上下して運びますが、そのケージを吊るす巻き上げ機を設置したのがこの竪坑櫓です。(櫓の左下にある茶色いカゴ状のものが「ケージ」です)

立坑や斜坑のある鉱山にはたいてい設置されていて、聳え立つ櫓は鉱山の象徴のようなものです。
少し離れたところには2本の竪坑煙突(トップ写真)
逆光気味で黒く見える赤レンガ造りの煙突を真下から見上げると、青空に向けて突き立てるように高く聳え立っているのがわかります。

今でこそ、周囲は整然としていますが、むき出しの鉄骨の櫓や、赤レンガの煙突は、多くの作業員が行き交って資材や石炭が運ばれていた、かつての炭坑の賑わいの中にあるのが似合いそうです。
家族連れの歓声がわずかに聞こえるだけの静かな園内。少し陽が傾き、風に冷たさを感じられる中で佇んでいると、どことなく、炭坑の賑わいがあたりから聞こえてきそうでした。

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石炭輸送に活躍した9600系蒸気機関車が静態保存されていました。
日々、石炭を満載した貨車を何十両も牽いて走ったであろうことを想像すると、思わず「ご苦労様」と声をかけてあげたくなります。

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炭坑住宅。その名の通り、炭坑で働く人たちが居住していた建物を復元したもので、「田川市石炭・歴史博物館」の屋外施設です。

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ということで、「石炭・歴史博物館」へ。
年末年始ですと、このような施設の営業時間が気になりますが、この日まで開館しているのは事前にリサーチ済。それもあって行程に組み入れています。

受付で「どこから来たか」のアンケートに答えたところ、係員さんからは「遠くからありがとうございます」という歓迎のお言葉を戴いて入館。

1階部分は石炭をテーマにした展示が中心です。
日常生活ではほとんど使うことの無くなった石炭、知っているようで知らなかった石炭について、解りやすい解説や展示物から楽しく学ぶことができます。

個人的には、ここ筑豊の地でこれだけ多くの石炭が産出されるようになった過程を、地勢的な観点と社会的な観点(大手資本の進出など)から解説されていたのが特に印象的でした。

また、石炭採掘の歴史から、採掘に用いる大小さまざまな設備、炭坑内の設備などの展示をみて「なるほど」と納得したり、坑内や働く人たちの実物大の模型や、3D動画の再現映像から実際の労働の様子を目にして、その苦労ぶりを窺い知ることもできます。

もっとゆっくり見ていたいのですが、それだととても時間が足りず…しかし、この後の列車の時間を考えると延長することも難しく、駆け足気味で見て回ります。

嬉しい誤算だったのは、「ぜひとも再訪したい!」そう強く思えたスポットだったことです。

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屋外にも炭坑の設備や、炭坑住宅に中に入ることもできます。
ここで生活している人たちが今も実際にここにいるような感覚になります。
(ひとつ、私が少し驚いた仕掛けも・・・)

自身の行程の立て方のまずさを後悔しつつ、こちらも駆け足気味に見学。

発車時刻が迫ってきました。公園を後にします。

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駅の全景を見下ろしながら急ぎます。

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何とか間に合いました。田川伊田駅の駅舎も黒壁の重厚なつくりです。

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さきほどの石炭記念公園にも石碑がありましたが、ここ田川市は「炭坑節発祥の地」。

♪月が~出た出た~

お馴染みのメロディが頭の中に浮かびます。
ここまで筑豊地区の石炭産出について見聞きしてきたばかりの私にとって、軽快にも聞こえるメロディーから、ここに生活し、働く人たちの息遣いが聞こえてくるようでもありました。

その4 に続きます。

Posted at 2026/01/04 12:03:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 小旅行 | 日記
2025年12月28日 イイね!

【2025年冬 遠征記その2】直方散歩と筑豊線群鉄旅

【2025年冬 遠征記その2】直方散歩と筑豊線群鉄旅その1 からの続きです。

筑豊直方駅からJR直方駅まで、直方市内を街歩きです。

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駅前通り、この先がJR直方駅。

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ふっ、と横を見ると小路にも昔ながらのお店が並んでいます。

江戸時代までは城下町や長崎街道が通る街道筋の街、明治時代からは筑豊産出石炭の集積地点、物流の要衝として栄えました。今は福岡、北九州への通勤圏として鉄道網も整備され、双方向に直通列車が走っています。

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「ふるまち通り」のアーケード商店街へ

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市内にはアーケード通りが何本か走っており、その1本がふるまち通り。
歩く人は多くありません。懐かしさを感じさせる商店街です。

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旧十七銀行直方支店。大正時代建設の赤レンガ造り建築物です。
直方の隆盛を支えてきましたが、今は銀行としての役目を終え、アートギャラリーとして使用されています。
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直方名物「成金饅頭」のお店は営業中でした。
大きなどら焼きのような見た目で、中には白あんがはさまれているそうです。

市内の何軒かのお店で販売されています。
名前の由来が気になって調べたところ、当時、直方には石炭産業で財を成した人が多かったところから名付けられたそう。
そして誕生したきっかけは、明治時代にある人が豆の高騰を見込んで大量に仕入れたものの相場が暴落し、仕方なく仕入れた豆を餡にしたまんじゅうを売り出したところ評判になったもの、とのことです。(諸説あります)

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商店街を抜けると、JR直方駅の駅舎が見えてきました。黒壁の立派な駅舎です。

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昼食は、直方駅や折尾駅で駅弁の製造販売をしていた「東筑軒」
名物駅弁だった「かしわめし」があればベストでしたがあいにくと売り切れ…

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ですので、先の小倉駅に続き、こちらでも「うどん」に。先ほどはかき揚げ天入りでしたので、今回は丸天と卵入りにします。ちゃんと、かしわも入っています。

ここからは、「平成筑豊鉄道」に乗って田川市へと向かいます。
明治・大正の頃は、石炭輸送のため、筑豊地方は網の目のように鉄道が敷設されました。
北九州の折尾から、鳥栖の手前、原田駅で鹿児島線に接続する筑豊本線と小倉の南、日豊線の城野から大分県の日田を繋ぐ日田彦山線を軸に、それらを繋ぐいくつもの支線やさらにはその支線同志を繋ぐ路線、そして枝分かれする盲腸線まで、ちょうど大都市の地下鉄網のような路線網がここ筑豊地区に敷設されていたのです。
(当時の路線図を探したのですが、フリーで掲載できるものがありませんでした)

その後、いくつかの路線は廃止されて、若干シンプルになったものの多くの路線まだ残っています。
今回の旅の行程を作るときも色々なルートが考えられましたので、計画段階では大いに悩んだものです。

私がこれから乗る「平成筑豊鉄道」は、先述の鉄道網のうち、直方と筑豊地区中心部にある田川市を経て、小倉の南、日豊線の行橋駅につながる路線が旧国鉄から第三セクターとして委譲されたもの。
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乗り場は、JR駅の端にある1本の細いホームから発着します。

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隣がJR線のホーム。

博多や小倉まで直通の列車が発着しています。通勤路線でどちらの方面も本数が多く、立派な駅舎とホームを備えています。

橋上にある改札にはICカードも使える自動改札機が設置されていて、都市の近郊駅そのものの造りです。

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平成筑豊鉄道の乗り場には改札はありません、自販機で購入した切符を握りしめてホームに向かいます。

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いくつもの側線が並ぶ構内。所々、線路があったと思われる場所には茶色く草が生い茂っています。かつては石炭を満載した貨車が幾重にもここの線路に並んでいたのでしょう。

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折り返し、伊田線~糸田線経由・田川後藤寺行きの1両のディーゼルカーが入線してきました。
乗り込んだ乗客は6名。そのうち半数くらいが私を含めた乗り鉄客、観光客。

すぐ隣、JR線の電車が颯爽と発車していくのを横目に、こちらはゆっくりと動き出します。

車窓は田園と住宅が点在する風景ですが、その先には山並みが見えます。
その中でひときわ高くそびえているのが標高900mの福智山。九州百名山の一つです。
また、この福智山を含む一帯は「北九州国定公園」に指定されています。カルスト台地が特徴的な平尾台や「新・日本三大夜景」の一つである北九州市の夜景が望める皿倉山なども含まれていて、産業地帯的なイメージが強いのですが、自然豊かな地であることがわかります。

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中泉駅。
風のない穏やかな冬の日、ホームのベンチにも柔らかい陽光が降り注いでいます。

ずっと運転席横に立って前面展望を見ていた男性が途中の駅で降りていきました。てっきり乗り鉄客、とおもっていたのですが、まあ一般客でも前面を見るのが好きな人もいますから…通勤帰りでもたまに前面を見ている私みたいに…
気が付けば、車内は私ともう一人の、これも乗り鉄客らしき男性の2人だけになっていました。
運転士さんは途中駅に停まっては扉を開け、また閉めて発車、を丹念に繰り返していきます。2人だけになってからは乗降客はなく、代わりに外の少しひんやりとした空気だけが乗り込んできています。
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金田駅に到着。ここで7分停車。
金田駅からは田川伊田方面に行く伊田線と、田川後藤寺方面に向かう糸田線が分岐します。
数人の乗客が乗り込んできました。
ちなみにこれまで乗ってきた伊田線は、幹線かと見まがうばかりのしっかりとした複線の線路が敷かれています。石炭の産出が華やかなりし頃の名残でしょう。

ここからは単線の糸田線に乗り入れて5駅、終点の田川後藤寺駅に到着。
第三セクター、平成筑豊鉄道はここまでで、ここからはJR線に乗り換えます。車内で運転士さんに直方からの切符を渡すと、引き換えに「田川後藤寺まで精算済」の券をもらいます。
駅に駅員はいません、一旦改札を出て自販機でJR線の切符を買い、再びホームへ。
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田川後藤寺駅は、田川伊田駅とともに筑豊地区の中心、鉄道もここでJRが2線区と平成筑豊鉄道が合流するターミナル駅で、各方面に向かう列車がここに揃います。
向かいのホームとの間、かつて線路があったであろう場所には、地元の有志さんたちによって、花壇が整備されていました。

※この記事の移動ルートは、「何シテル」の中に「ハイドラ」地図で掲載しています

その3 に続きます。
Posted at 2026/01/03 11:32:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道旅 | 日記
2025年12月28日 イイね!

【2025年冬 遠征記その1】北九州~筑豊 近代遺産を辿る 前編

【2025年冬 遠征記その1】北九州~筑豊 近代遺産を辿る 前編冬の連休を利用して、1年半ぶりの九州へ。今回は九州の北部を中心に、これまで行ったことのないエリアを中心に巡ってきました。

12月28日(日)早朝、出発。
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旅の始まりは岐阜羽島駅から…

寒い朝ですが、鮮やかな朱色に染まった夜明けの空が、これから始まる旅へのワクワク感を否応なしに感じさせてくれます。

博多行き「ひかり」の車内は、年末の帰省ラッシュで混雑気味。
1ヶ月前は朝靄の幻想的な車窓だった伊吹山麓は、今回はうっすらと雪景色でした。

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乗客の入れ替わりはあるものの混雑度は変わらないまま、小倉駅に到着、ここで下車。

今回の旅の目的…
1日目は、主に福岡県の筑豊地方に点在する石炭産業の産業遺産をいくつか訪れることと、その石炭の運送に大きな役割を果たした鉄道を乗り歩くこと。福岡県北部の筑豊地方は、明治時代から石炭の一大産出地として、近代日本を支えてきました。その軌跡を、ほんの少しでも辿ろう、と思いたち、1日目の行程を立ててみました。

小倉駅でまずは腹ごしらえ。
前回4年前に訪れた時にはホームの「ぷらっとぴっと」でしたので、今回は改札内コンコースにある「玄海うどん」へ。
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かしわうどんのかき揚げ入り。
だしのきいた熱々のつゆはコクも増して味わい深く、口当たりのいいうどんはほっとする美味しさ、食べ応えもあって体も暖まります。

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ここからは鹿児島線の下り列車に乗って10分少々、スペースワールド駅で下車
まず向かうは、官営八幡製鉄所。

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明治時代に操業開始した官営の製鉄所で、稼働開始の頃から現存する旧本事務所、修繕工場、旧鍛冶工場が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に指定されています。
いずれも内部は非公開ですが、旧本事務所は眺望スペースから外観を見学できるようになっています。

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案内板に沿って歩き始めます。
同じ方向に歩く人は多く、その流れの中に混じって歩き出します。
しかし人の流れに任せていると途中の会社の通用口に入りそうになり、慌てて元の通路に戻ったりしつつも…大通り沿いに歩道を歩き、途中で大通りを渡って海側へ。今度は鹿児島線と北九州都市高速の下を地下道で超えて向かいます。

スペースワールド駅は、元々巨大テーマパーク「スペースワールド」がありました。その閉園後に再開発が進み、広大な跡地にショッピングセンターにアウトレット、そして「北九州市科学館(スペースLABO)」などが点在しています。

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歩道橋から全景をパノラマで。

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案内板に従って進みます。入場は無料、入り口にいる係員さんに挨拶して中へ。

製鉄所内への引き込み線路と積載する貨車が停泊しているその向こうに、旧本事務所の赤レンガ造りの建物が見えてきました。(トップ写真)
ここが展望スペースとなっていて見学のほかにガイドのボランティアさんによる解説も聞くことができます。

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他には観光客が数組で、どことなくのんびりした雰囲気。
そんな中、線路を覆う草が風に揺れる中に「放置」された鉄鋼材が積まれた貨車、その向こうの事務所や工場建物、今は静かに、本来の役目を終えた設備が並ぶその風景は、どこか寂寥感、荒涼感を感じるものでした。まさに私が今回の旅で求めたものです。
創業当時の展示写真なども眺めながら、しばし佇んでいました。

再びスペースワールド駅方面に戻り、今度はそのまま南方向に通り過ぎます。
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八幡製鉄所の施設のひとつ、「東田第一高炉史跡」。
ここの高炉に火入れがされて、日本の本格的な製鉄が始まりました。今は改修工事のため立ち入ることができませんが、巨大な煙突が遠くからも目を引きます。

このあたりは「東田博物館ゾーン」とも呼ばれ、先ほど紹介した「スペースLABO」のほかに、「北九州市立いのちのたび博物館」「タカミヤ環境ミュージアム」など、複数のミュージアムが集中しているのが特徴的。

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その中の「スペースLABO]の別館、「スペースLABO Annex」でも、明治日本の産業遺産に関する展示があります。時間があれば立ち寄りたかったのですが、あいにくと予定している列車の発車時刻が迫ってきているので、やむを得ず外観を眺めるだけにとどめます。

スペースワールド駅からは、JR鹿児島線で2駅先の黒崎駅で下車。

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JR黒崎駅。デッキが駅前まで伸び、商業施設やホテルの入ったビルまで繋がっています。大都市圏の駅らしく、通りゆく人も多く賑わっている駅前でした。
(写真では、いつもの通り人のいないタイミングを狙う&クリーンアップ機能で加工しています)

中間、直方方面へと向かう「筑豊電鉄(ちくてつ)」に乗り換え

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乗り場は、JR黒崎駅を出てデッキを降りた先にあります。駅名も「黒崎駅前駅」

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鉄道というより、LRTのような軌道です。(1月3日註.正式には鉄道に分類されています)
こちらのワンマン電車が、ここから筑豊直方まで16㎞を約35分結んでいます。

乗客は多く、発車する頃にはすでに満員。買い物帰りの中高年の女性や、通学らしき学生が中心の完全に日常モード。つい、こちらもほっと寛いでしまいます。
1人掛けのクロスシートに座ることができたので、車窓をのんびり眺められます。住宅地の中をのんびりと走り、簡素なつくりの駅に停車するごとに乗客が1人降り、2人降り、で車内も空いてきました。

良い天気で、寒くもなく丁度いい陽気、のんびりとした雰囲気の車内はさらに快適…ついついうつらうつらとしてしまいそうです。

「希望が丘高校前」は、先ほど訪れた八幡製鉄所の付帯施設である「遠賀川水源地ポンプ室」の最寄り駅。こちらも世界遺産のひとつで、駅にも大きな案内板が目を引きます。一瞬腰を浮かしかけますが…途中下車して往復すると…ついつい頭の中で時間を計算してしまって躊躇っているうちにドアが閉まって発車。

4駅先の木屋瀬(こやのせ)駅には、「長崎街道 木屋瀬宿記念館」の案内が…。
気になって帰宅後に調べると、小倉と長崎を結ぶ長崎街道の、小倉宿と飯塚宿の間にあった宿場で、唐津街道への追分(分岐点)でもありました。賑わっていた宿場町で、当時の街並みも残っている、とのこと…まだまだ興味ある街並みはあります。

遠賀川にかかる長い橋を渡り、終点の筑豊直方駅に到着。

筑豊直方駅のある直方市は、福岡県の北部の内陸、筑豊地方に位置する街で、やはり石炭産業で栄えた街です。

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筑豊直方駅にて。
ここで降り立った乗客は10人程度。「ちくてつ」は当初はここから博多まで延長する構想もありました。
今はそれも無くなりましたが、こうしてみると、まだ先へと続けられそうな構造です。

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通り沿いに小さい案内板があるだけの、目立たない終着駅です。

ここからJRの直方駅までは約700mほどの距離があります。
街の様子を知るには丁度いい距離。そして時刻もお昼時、ということで、ここから昼食処を探しつつ、プチ街歩きへと向かいます。

こうして、今回もまた遠征が始まったのでした。

その2 に続きます。
Posted at 2026/01/01 16:22:55 | コメント(2) | トラックバック(0) | 小旅行 | 日記
2025年11月14日 イイね!

【秋の1day街歩き 後編】呉散歩と呉線

【秋の1day街歩き 後編】呉散歩と呉線前編からの続きです。
(12月7日追記 スマホで確認すると写真が表示されていなかったので、アップローダーを変更し、写真を念のため差し替えました)

次の街、広島県の呉市に向かいます
山陽線を海田市駅で下車。呉線に乗り換えます。
広島方面からやってくる列車のダイヤが乱れているようで、広島始発の呉線広行き「安芸路ライナー」も、20分近く遅れてやってきました。車内は立ち客も大勢いて満員。制服姿の高校生が目立ちます。先生も同乗しているようですので、通学とかではなく、これからどこかに向かうのでしょうか。

私は、というと制服姿の高校生に囲まれながら最前部の運転席の後ろに立ち、前面眺望を見ながら過ごすことに。

海田市駅を発車すると、山陽線からすぐに単線の呉線に別れていきます。
しばらくは住宅地の続く中を単線の線路が伸び、矢野駅から先は海沿いに大規模工場、倉庫が建ち並ぶ地帯を走ります。

坂駅を出るとほぼ海沿いに。道路(R31)を挟んで瀬戸内の穏やかな海原が姿を見せます。

呉ポートピア駅を通過。
ここには、テーマパーク「呉ポートピアランド」がありました。今は跡地にその時のいくつかの施設が残り、市民公園として整備されています。
街路樹などはソテツやヤシの木でしょうか、温暖で開放的な地中海風の雰囲気は残っています。

実は、この「呉ポートピアランド」、開園直後の今から30年以上前、妻と一度訪れたことがあります。バルセロナオリンピックが開かれた頃で、スペインの保養地「コスタ・デル・ソル」をイメージした園内はまさにスペイン南部の温暖な雰囲気に満ち溢れていて、スペインの旅を一時味わうことができたことが、今でも印象に残っています。

走行中の車内からなので目を凝らして注視していましたが、穏やかな晴天のもと、設備も結構残されていて、その時のイメージと今回の雰囲気がそこまで大きく変わっていないことが確認できました。

吉浦駅付近では沿線の建物の間に瀬戸内海を見ることができます。このあたりは向こうに江田島や、音戸の瀬戸で接している倉橋島も所々、目にすることもできました。

満員電車ですので写真が撮れなかったことが残念…

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13時少し前、呉駅に到着。

呉の街は、今から13年前に歩いて以来2回目。
この時は主に「大和ミュージアム」「てつのくじら館」を巡り、その様子を街歩きブログに記録しているのですが、掲載した写真が昔使っていたアップローダーからで、今はもう無くなっているため写真が参照できません。したがって、申し訳ございませんがリンクはあえて紹介しません。(ユーザー内検索ですぐにでてきます)

もう少し時間ができたら、昔の写真を掘り起こして再編集しようとは考えていますので、もしよろしければそれまでお待ちくださいませ…

「呉」の語源は諸説あるそうですが、その中の一つ「九嶺(9つの嶺)」から来ている、という説が、勝手ながら個人的にいちばん気に入っています。
確かに、海側部分を除いて周りはすべて山に囲まれていて陸地方向はどこを見ても標高数百mの山々が見えます。

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駅でいつものように市街地のガイドをいただき、久しぶりの呉の街に飛び出します。
東に進み、市内を流れる堺川に沿って走る蔵本通り沿いを歩きます。
片側2車線の大通りに緑豊かな幅の広い歩道が続きます。それぞれエリアごとに「出会いの広場」「水の広場」「集いの広場」と名付けられているように、歩道ではなく都市公園になっています。
ちなみに、福岡の中州と同じような感じで、夜にはこのあたりに名物の屋台も並ぶそう

その堺川にいくつも橋が架かっていますが、その橋の一つを渡って北上。
昼食がまだですので、まずは食事処を探します。それまでは、通常のガイドのほかに、呉のグルメ「海自カレー」のガイドブックも握りしめて歩くことに。

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アーケード商店街「れんが通り」へ。

ガイドで目星をつけていたお店へ。
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「海自カレー」

海軍の食事で思い浮かぶのは「カレー」でしょう。
横須賀、舞鶴、そしてこちらの呉など、古くから「軍港」のあった街はどこもカレーが名物です。

海上自衛隊では、毎週金曜日の食事メニューはカレーライスと決まっている、と聞きます。今日はまさに金曜日、ということで、それに倣って昼食は呉でカレーと決めていました。

銀のお皿にカレーというのはやはり定番ですね。そこまで辛くない、しかし深い味わいのカレーはどんどんとスプーンが進み、あっという間に完食です。

食事後は再び街歩きへ。微かに、しかし気のせいではなく確実に、潮の香りがしてきます。海がまだ見えない市街地ですので不思議な感覚ですが、港からの風が運んでくるのでしょうか。
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堺川のたもとにある戦艦「大和」の主錨。

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交通量の多いR31と呉線の鉄橋が交わる「めがね橋」交差点

古くから「めがね橋」と呼ばれていますが、本当のめがね橋は明治時代にできていたものの、戦前ですでに埋め立てられていたそう。
この先に旧鎮守府をはじめとする軍事施設があり、このあたりが、市街地と軍事拠点の境界だったそうです。

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「美術館通り」。その名の通りこの先に呉市立美術館があります。
左手の建物は「旧海軍下士官集会所」。旧海軍、そして海上自衛隊の厚生施設だった建物。

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落ち葉を踏みしめながら歩きます。
このあたりはすでに海上自衛隊のエリア。左手が入船山公園になります。そして、この先にあるのが、明治時代に建てられた旧呉鎮守府(現在は海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎)。赤レンガ造りの荘厳な建造物ですが、あいにくとこの日は公開日ではありません。

通りからも見ることはできず、そのまま入船公園の周りをぐるりと回るように歩いて、入船山記念館へ(トップ写真)

呉鎮守府の長官官舎がある場所に、資料館のほか、市内の歴史のある建造物が移築されてきています。
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東郷平八郎が、呉在任時に暮らしていた邸宅の離れも移築復元されています

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静かな緑の中に点在する建物群の中に一歩足を踏み入れると、一気に時間が巻き戻されるよう。トップ写真右手の「旧呉海軍工廠塔の時計」も、今から100年以上前の時を刻んでいるかのようです。

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入場券売り場のある郷土館、まずはこちらの展示で呉の歴史を学びます。
周囲の雰囲気に溶け込んだ建物で、最初はこちらも古い建築かと思っていましたが、ガイドブックによると戦後の建築だそうです。

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旧呉鎮守府司令長官官舎。こちらは明治時代の建築。
洋館と和館がつながっている構造です。

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こちらは和館

その奥にある「近代文書館」では、企画展が行われていました。
現在の企画は「呉の進水式」。
呉海軍工廠で完成した艦船を中心とした進水式の様子が、写真や資料などから知ることができます。
なかなか普段は考えたことのない「進水式」。船首からスロープを滑らせて浮かべる方法が普通と思っていたのですが、他にも様々な方法があるのですね。船を繋いでいる綱を切断する斧が展示されていたり、と、色んな学びが勉強になります。

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「近代文書館」からは呉の街並みが良く見えました。街内を囲うように「九嶺」の中のひとつの嶺も。

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「旧高鳥砲台火薬庫」の建物内。

以前も訪れましたが、別世界にいざなってくれる「入船山記念館」、静かな歴史散策を楽しむことができました。

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美術館通りから市街地へ戻ります。

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呉市と言えば、の大和ミュージアムは現在、改装のため長期休館中。こちらのサテライト施設で、一部の展示を見学することができます。

呉駅に戻ってきました。
ここからは再び呉線を東へと辿ります。

お土産を買い求めて、広行きの列車に。2駅先の広駅で三原行きの列車に乗り換えます。

広駅での接続時間は30分ほど。さきの呉駅で、もう1本後の列車に乗っても間に合いますが、お土産をゆっくり買っていても、先の列車の発車時刻に十分間に合いました。
広駅のホームで待つこと15分ほどで、三原方面からの列車が到着、そのまま折り返します。
車内で待っていると発車3分前に後の列車が到着。こちらからは多くの乗客がそのまま乗り込んできて、車内はほぼ満席になりました。

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呉線の愛称は「瀬戸内さざなみ線」。その名の通り、瀬戸内の穏やかな海のすぐ傍を走る箇所も多くあります。海側のBOX席から、さざなみの海を照らす傾きかけの陽を眺めながら過ごすことができました。
車内も駅に着くたびに1人降り2人降り、いつの間にか空席も目立つようになりました。
空席のシートを、陽の光がぼんやりと照らしています。昨日まで続いた日常の慌ただしさがすーっ、と消えていくよう・・・

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風早駅で、福山~呉~広島間を走る観光列車「etSETOra」とすれ違い
窓越しに、ラウンジのような車内でくつろぐ乗客と目が合います。

竹原駅から、再び多くの乗客が乗り込んできました。
その多くを占める通学帰りの中高生で、再び車内は賑やかになります。

忠海駅から先は、沿線でも最も海に近い区間を走ります。まるで海をそのまま渡っているかのよう・・・まあ、日常モードの学生さんで一杯の中では写真に残すことはできませんでしたが・・・

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17時少し前、三原駅に到着。
降り立った乗客でホームが一瞬埋まります。

山陽線上り列車に乗り換えて終点の糸崎まで。
糸崎で乗り継ぎます。乗り継ぎ列車が来るまでの間、糸崎駅ホームは乗客で一杯に。
行きの、静かな糸崎駅と同じ駅とは思えないくらい。
そして、あの時はポカポカと暖かったのですが、こちらも対照的に、日が暮れて空気に冷たさを感じます。

乗り継いだ岡山方面行列車も満員。

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夕暮れ時の瀬戸内海をじっくりと眺め、福山駅で新幹線に乗り換えることに。

福山駅は通勤通学帰りの乗客で大にぎわい。新幹線の特急券売り場も長蛇の列ができていました。
私もここで少し並んで特急券を買い求め、いよいよ帰路へ。

その前に夕飯で駅前へ。
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以前、訪れて美味しかった鉄板焼きのお店を再訪。
今回も広島焼の豚玉です。優しい味のオタフクソースと、カリッの部分とモチッの部分が混在するそば、フワッとした野菜や生地、そして豚肉の旨味と甘みが絶妙です。

少しのんびりしていたので最初予定していた新幹線には乗れず、後にやってくる「のぞみ」を待ちます。

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駅のホームからは、夜に浮かぶ福山城がくっきりと見えました。

自由席は混雑。何とか空席を見つけ、離籍の方に声をかけて腰を下ろします。
この日1日歩き回った「心地良い疲れ」が、心の落ち着きを取り戻す特効薬となってじんわりと効いてくるのを実感できる帰路でした。

Posted at 2025/12/07 00:00:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | 街歩き | 日記

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