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2025年11月14日 イイね!

【秋の1day街歩き 後編】呉散歩と呉線

【秋の1day街歩き 後編】呉散歩と呉線前編からの続きです。
(12月7日追記 スマホで確認すると写真が表示されていなかったので、アップローダーを変更し、写真を念のため差し替えました)

次の街、広島県の呉市に向かいます
山陽線を海田市駅で下車。呉線に乗り換えます。
広島方面からやってくる列車のダイヤが乱れているようで、広島始発の呉線広行き「安芸路ライナー」も、20分近く遅れてやってきました。車内は立ち客も大勢いて満員。制服姿の高校生が目立ちます。先生も同乗しているようですので、通学とかではなく、これからどこかに向かうのでしょうか。

私は、というと制服姿の高校生に囲まれながら最前部の運転席の後ろに立ち、前面眺望を見ながら過ごすことに。

海田市駅を発車すると、山陽線からすぐに単線の呉線に別れていきます。
しばらくは住宅地の続く中を単線の線路が伸び、矢野駅から先は海沿いに大規模工場、倉庫が建ち並ぶ地帯を走ります。

坂駅を出るとほぼ海沿いに。道路(R31)を挟んで瀬戸内の穏やかな海原が姿を見せます。

呉ポートピア駅を通過。
ここには、テーマパーク「呉ポートピアランド」がありました。今は跡地にその時のいくつかの施設が残り、市民公園として整備されています。
街路樹などはソテツやヤシの木でしょうか、温暖で開放的な地中海風の雰囲気は残っています。

実は、この「呉ポートピアランド」、開園直後の今から30年以上前、妻と一度訪れたことがあります。バルセロナオリンピックが開かれた頃で、スペインの保養地「コスタ・デル・ソル」をイメージした園内はまさにスペイン南部の温暖な雰囲気に満ち溢れていて、スペインの旅を一時味わうことができたことが、今でも印象に残っています。

走行中の車内からなので目を凝らして注視していましたが、穏やかな晴天のもと、設備も結構残されていて、その時のイメージと今回の雰囲気がそこまで大きく変わっていないことが確認できました。

吉浦駅付近では沿線の建物の間に瀬戸内海を見ることができます。このあたりは向こうに江田島や、音戸の瀬戸で接している倉橋島も所々、目にすることもできました。

満員電車ですので写真が撮れなかったことが残念…

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13時少し前、呉駅に到着。

呉の街は、今から13年前に歩いて以来2回目。
この時は主に「大和ミュージアム」「てつのくじら館」を巡り、その様子を街歩きブログに記録しているのですが、掲載した写真が昔使っていたアップローダーからで、今はもう無くなっているため写真が参照できません。したがって、申し訳ございませんがリンクはあえて紹介しません。(ユーザー内検索ですぐにでてきます)

もう少し時間ができたら、昔の写真を掘り起こして再編集しようとは考えていますので、もしよろしければそれまでお待ちくださいませ…

「呉」の語源は諸説あるそうですが、その中の一つ「九嶺(9つの嶺)」から来ている、という説が、勝手ながら個人的にいちばん気に入っています。
確かに、海側部分を除いて周りはすべて山に囲まれていて陸地方向はどこを見ても標高数百mの山々が見えます。

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駅でいつものように市街地のガイドをいただき、久しぶりの呉の街に飛び出します。
東に進み、市内を流れる堺川に沿って走る蔵本通り沿いを歩きます。
片側2車線の大通りに緑豊かな幅の広い歩道が続きます。それぞれエリアごとに「出会いの広場」「水の広場」「集いの広場」と名付けられているように、歩道ではなく都市公園になっています。
ちなみに、福岡の中州と同じような感じで、夜にはこのあたりに名物の屋台も並ぶそう

その堺川にいくつも橋が架かっていますが、その橋の一つを渡って北上。
昼食がまだですので、まずは食事処を探します。それまでは、通常のガイドのほかに、呉のグルメ「海自カレー」のガイドブックも握りしめて歩くことに。

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アーケード商店街「れんが通り」へ。

ガイドで目星をつけていたお店へ。
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「海自カレー」

海軍の食事で思い浮かぶのは「カレー」でしょう。
横須賀、舞鶴、そしてこちらの呉など、古くから「軍港」のあった街はどこもカレーが名物です。

海上自衛隊では、毎週金曜日の食事メニューはカレーライスと決まっている、と聞きます。今日はまさに金曜日、ということで、それに倣って昼食は呉でカレーと決めていました。

銀のお皿にカレーというのはやはり定番ですね。そこまで辛くない、しかし深い味わいのカレーはどんどんとスプーンが進み、あっという間に完食です。

食事後は再び街歩きへ。微かに、しかし気のせいではなく確実に、潮の香りがしてきます。海がまだ見えない市街地ですので不思議な感覚ですが、港からの風が運んでくるのでしょうか。
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堺川のたもとにある戦艦「大和」の主錨。

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交通量の多いR31と呉線の鉄橋が交わる「めがね橋」交差点

古くから「めがね橋」と呼ばれていますが、本当のめがね橋は明治時代にできていたものの、戦前ですでに埋め立てられていたそう。
この先に旧鎮守府をはじめとする軍事施設があり、このあたりが、市街地と軍事拠点の境界だったそうです。

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「美術館通り」。その名の通りこの先に呉市立美術館があります。
左手の建物は「旧海軍下士官集会所」。旧海軍、そして海上自衛隊の厚生施設だった建物。

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落ち葉を踏みしめながら歩きます。
このあたりはすでに海上自衛隊のエリア。左手が入船山公園になります。そして、この先にあるのが、明治時代に建てられた旧呉鎮守府(現在は海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎)。赤レンガ造りの荘厳な建造物ですが、あいにくとこの日は公開日ではありません。

通りからも見ることはできず、そのまま入船公園の周りをぐるりと回るように歩いて、入船山記念館へ(トップ写真)

呉鎮守府の長官官舎がある場所に、資料館のほか、市内の歴史のある建造物が移築されてきています。
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東郷平八郎が、呉在任時に暮らしていた邸宅の離れも移築復元されています

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静かな緑の中に点在する建物群の中に一歩足を踏み入れると、一気に時間が巻き戻されるよう。トップ写真右手の「旧呉海軍工廠塔の時計」も、今から100年以上前の時を刻んでいるかのようです。

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入場券売り場のある郷土館、まずはこちらの展示で呉の歴史を学びます。
周囲の雰囲気に溶け込んだ建物で、最初はこちらも古い建築かと思っていましたが、ガイドブックによると戦後の建築だそうです。

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旧呉鎮守府司令長官官舎。こちらは明治時代の建築。
洋館と和館がつながっている構造です。

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こちらは和館

その奥にある「近代文書館」では、企画展が行われていました。
現在の企画は「呉の進水式」。
呉海軍工廠で完成した艦船を中心とした進水式の様子が、写真や資料などから知ることができます。
なかなか普段は考えたことのない「進水式」。船首からスロープを滑らせて浮かべる方法が普通と思っていたのですが、他にも様々な方法があるのですね。船を繋いでいる綱を切断する斧が展示されていたり、と、色んな学びが勉強になります。

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「近代文書館」からは呉の街並みが良く見えました。街内を囲うように「九嶺」の中のひとつの嶺も。

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「旧高鳥砲台火薬庫」の建物内。

以前も訪れましたが、別世界にいざなってくれる「入船山記念館」、静かな歴史散策を楽しむことができました。

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美術館通りから市街地へ戻ります。

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呉市と言えば、の大和ミュージアムは現在、改装のため長期休館中。こちらのサテライト施設で、一部の展示を見学することができます。

呉駅に戻ってきました。
ここからは再び呉線を東へと辿ります。

お土産を買い求めて、広行きの列車に。2駅先の広駅で三原行きの列車に乗り換えます。

広駅での接続時間は30分ほど。さきの呉駅で、もう1本後の列車に乗っても間に合いますが、お土産をゆっくり買っていても、先の列車の発車時刻に十分間に合いました。
広駅のホームで待つこと15分ほどで、三原方面からの列車が到着、そのまま折り返します。
車内で待っていると発車3分前に後の列車が到着。こちらからは多くの乗客がそのまま乗り込んできて、車内はほぼ満席になりました。

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呉線の愛称は「瀬戸内さざなみ線」。その名の通り、瀬戸内の穏やかな海のすぐ傍を走る箇所も多くあります。海側のBOX席から、さざなみの海を照らす傾きかけの陽を眺めながら過ごすことができました。
車内も駅に着くたびに1人降り2人降り、いつの間にか空席も目立つようになりました。
空席のシートを、陽の光がぼんやりと照らしています。昨日まで続いた日常の慌ただしさがすーっ、と消えていくよう・・・

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風早駅で、福山~呉~広島間を走る観光列車「etSETOra」とすれ違い
窓越しに、ラウンジのような車内でくつろぐ乗客と目が合います。

竹原駅から、再び多くの乗客が乗り込んできました。
その多くを占める通学帰りの中高生で、再び車内は賑やかになります。

忠海駅から先は、沿線でも最も海に近い区間を走ります。まるで海をそのまま渡っているかのよう・・・まあ、日常モードの学生さんで一杯の中では写真に残すことはできませんでしたが・・・

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17時少し前、三原駅に到着。
降り立った乗客でホームが一瞬埋まります。

山陽線上り列車に乗り換えて終点の糸崎まで。
糸崎で乗り継ぎます。乗り継ぎ列車が来るまでの間、糸崎駅ホームは乗客で一杯に。
行きの、静かな糸崎駅と同じ駅とは思えないくらい。
そして、あの時はポカポカと暖かったのですが、こちらも対照的に、日が暮れて空気に冷たさを感じます。

乗り継いだ岡山方面行列車も満員。

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夕暮れ時の瀬戸内海をじっくりと眺め、福山駅で新幹線に乗り換えることに。

福山駅は通勤通学帰りの乗客で大にぎわい。新幹線の特急券売り場も長蛇の列ができていました。
私もここで少し並んで特急券を買い求め、いよいよ帰路へ。

その前に夕飯で駅前へ。
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以前、訪れて美味しかった鉄板焼きのお店を再訪。
今回も広島焼の豚玉です。優しい味のオタフクソースと、カリッの部分とモチッの部分が混在するそば、フワッとした野菜や生地、そして豚肉の旨味と甘みが絶妙です。

少しのんびりしていたので最初予定していた新幹線には乗れず、後にやってくる「のぞみ」を待ちます。

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駅のホームからは、夜に浮かぶ福山城がくっきりと見えました。

自由席は混雑。何とか空席を見つけ、離籍の方に声をかけて腰を下ろします。
この日1日歩き回った「心地良い疲れ」が、心の落ち着きを取り戻す特効薬となってじんわりと効いてくるのを実感できる帰路でした。

Posted at 2025/12/07 00:00:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | 街歩き | 日記
2025年11月14日 イイね!

【秋の1day街歩き 前編】東広島西条散歩

【秋の1day街歩き 前編】東広島西条散歩

下り博多行き「ひかり」は、伊吹山ろくのトンネルを抜けると、刈り取りの終わった田園に一面の靄がかかる幻想的な光景が広がっていました。「おっ!」…思わず身を乗り出してしまいます。

夏の東北遠征以来の数か月、主に公的なスケジュールが目白押しで、ゆっくりできる時間がなかなか取れずに過ぎていきました。
心身ともに疲弊が取れず、どことなく煮詰まった気持ちを少しでも解消したくて、今月になって少しだけできた余裕を狙い、1日有休を取得。
日帰りですがプチ遠征に行ってきました。

11月14日、また暗い朝5時過ぎに出発。日帰りなので荷物はショルダーポーチのみの身軽ないでたち。しかし、さすがにこの時期の朝は空気が冷たく、上着は薄手のコートだけ羽織ってきたことを後悔しながら向かいます。

自由席は結構な乗車率。京都、新大阪と乗客の入れ替えが続きますが満席なのは変わらず、姫路・岡山あたりでようやく少し空席が現れます。

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通勤客が多く行きかう福山駅で下車。素晴らしい良い天気!

新幹線の中は暖かったのですが、外から暖めただけでは冷え切った身体を完全に元に戻すことはできず…たまらずに駅構内のうどん屋さんに飛び込み、七味を多めに振った熱々のうどんをつゆまで飲み干して、ようやく身体の中から暖まって来るのを実感。
ここから山陽線下り普通列車へと乗り込みます。

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尾道駅を通過。
私の街歩き趣味の原点となった尾道。かつては頻繁に訪れていましたが、さすがに最近は訪問頻度が少なくなり、このように素通りしてしまうことも多くなってきました。それでも何年かに1回はゆっくり歩いて見たくなる街です。尾道ラーメンは大好きなので、そのためだけなら毎回でも降りたいのですが(笑)

列車は2駅先の三原駅行きですが、この後の乗り継ぐ列車は次の糸崎駅が始発ですので、糸崎駅で下車。

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糸崎駅ホーム
同じく、乗り継ぎ目的で降車したわずかな乗客とともに佇みます。
晩秋の穏やかな陽光が降り注ぐ駅のホームは静かで、時折駅前の国道を行きかうクルマの音が僅かに聞こえるだけ…。「旅先で何も考えずに過ごす」ことが、今の自分には一番の薬です。

ホームをゆっくりと行ったり来たりしていると、やがてアナウンスが流れ、これから乗る広島方面行の列車が入線してきました。

糸崎の次の三原駅を発車した列車は海と別れて山あいへ。
近く山の色は緑の中に茶色、そしてわずかに赤色の紅葉も混じる秋の装い。
そして、山里の集落には、時折はっとするくらい鮮やかに黄色く色づいたイチョウが現れます。

最近の気候は四季から夏、冬の二季に変わってきているとも言われますが、まだまだ秋の風景は健在。個人的には旅の車窓から見る風景は秋、とくに晩秋の風景が一番好きです。

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糸崎駅を出発して40分ほどで、最初の目的地、西条駅に到着します。

東広島市の中心地である西条の街、別名「酒都」とも呼ばれるくらい酒造りが盛んな街で、白壁の酒蔵を備えた多くの酒造会社が並んでいます。ここから「酒倉通り」として七つの酒蔵を巡る街歩きに出発。

初訪の街を降り立つときのワクワク感はいつもながらたまりません。この感覚を味わうために街歩きを続けているようなものです…。

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駅前広場をすぐ左に入ると、いきなり赤レンガの煙突、そして白壁の蔵がお出迎えしてくれます。こちらは「白牡丹酒造」

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江戸~昭和までの各時代ごとの蔵が並んでいるそうです。

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「賀茂鶴酒造」の見学直売所入り口。

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賀茂鶴酒造の一角に本陣跡(お茶屋)があります。
その昔、このあたりは「西条四日市」と呼ばれ、関西~下関・九州方面を結ぶ西国街道の宿場町でした。今もこうして、本陣の正門が復元されて残されています。

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その反対側を振り返ると、亀齢(キレイ)酒造を裏から望むことができます。

再び元の方向を向くと、有名な作家たちによる、お酒にちなんだエッセイが並んでいました。読んでいると、こちらも日本酒が飲みたくなってきます。

「酒蔵通り」をさらに歩みを進めます。

福美人酒造の酒蔵横を通ります。
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こちらは「かわら版」。お酒に関する歳時記や豆知識などが並んでいます。
このような「読み物」も多い街歩きもまた楽しいもの。

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「福美人酒造」の正面入り口。
酒蔵の白壁や赤レンガの煙突だけでなく、事務所の板張りの建物や門の石柱も時代を感じることができて魅入られてしまいます。

ここで右に折れると旧西国街道に辿り着きます。

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賀茂泉酒造
酒蔵には「杉玉」が。「杉玉」は、一般的に「新酒ができた」という合図のためのもので、最初は緑色ですが時間が経つにつれて茶色く変化していきます。

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賀茂泉酒造からまっすぐに続く旧西国街道

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隣接するのが「酒泉館」
昭和初期に建てられた旧県立醸造場の建物は、現在賀茂泉酒造が所有し、カフェとして利用されています。
カフェと言ってもお酒に関連したメニューもあり、飲み比べや酒饅頭などのデザートも用意されている、とのこと。

こちらに限らず、試飲や見学ができる酒蔵も多くあります。
鉄道の旅とはいえ、ここで試飲するとこの先の行程が危うくなりそうなのでここはガマンし、酒蔵からほのかに漂う香りを楽しむにとどめました(今思うと、ちょっと勿体ないことをした…と反省です)

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街道をさらに西へと進むと、市街地では珍しい路地を跨ぐ「くぐり門」。
門の両側は観光案内所とカフェになっている、酒蔵通りの中心です。

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先ほど裏から見た亀齢酒造の正面玄関。
こちらも板張りの事務所と門の石柱。ちょうど中から団体の見学客がガイドさんの案内で出てきて、私もその中に紛れ込んだような格好に。少し心苦しいのでその場から離れます

その離れた先にあったのが、
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「万年亀井戸」。
各酒蔵はそれぞれ、独自の仕込み用の水をくみ上げる井戸を持っています。
西条周辺の地形と地層が程よく合わさり合って、酒造りに丁度いい水質の地下水が汲めるそうです。

さらに西へ数十m
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白牡丹酒造さん(左)と西條鶴酒造(右)さんが向かい合っています。
白牡丹酒造の屋根は、この地方特有の西条瓦という赤瓦が使用されているのがわかります。

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西條鶴酒造の仕込み井戸は「天保井水」。

各酒蔵は近いエリアに集まっていますが、汲み上げている地層が複雑なため、水質に微妙な違いがあり、お酒にしたときの味わいにも酒蔵ごとの違いが出てくる、とのことです。

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酒蔵に囲まれた小さい広場。こちらも酒造会社があった跡だそうです。

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西条の酒造の歴史や、原料となる酒米の精米機の展示、さらには西条瓦の説明なども充実していて、さながら屋外の博物館のようです。
こういう所で佇みながら、街の歴史を知ることができるのはいいですね。

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西条駅を見ながら、駅前の通りを横切ります。
通り沿いの街路樹も赤く染まっています。

飲食店が並ぶ繁華街を抜けると
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酒蔵巡りのトリを飾る、山陽鶴酒造を巡り、こうして酒蔵巡りの街歩きは終了。

普通に歩いて回れる範囲に大きな酒蔵が集中している西条の街は、まさに「酒都」。歩いていても、お酒の香りがどこからともなく流れてきそうな…それはまた、お酒造りとともに歩み続けてきた時の流れを見ることのできた街歩きでした。

駅に戻り、次の街へと向かいます。

後編に続きます。

※1 12月7日註 テーマを改訂しました
※2 12月7日註 写真が一部表示されなくなりましたので、アップローダーを変えて差し替えました

Posted at 2025/11/16 23:52:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | 街歩き | 日記
2025年08月13日 イイね!

【2025年夏 遠征記その7】再び奥羽本線から…鈍行(快速?)旅

【2025年夏 遠征記その7】再び奥羽本線から…鈍行(快速?)旅その6 からの続きです。

少し長くなりますが、東北西部周遊の鉄旅もこちらで最終章になります。

<再び、奥羽本線を行く>
午前5時30分、山形の宿で気持ちよく目が覚めました。

この日は昨日の弘前よりさらに早い列車に乗る予定ですので、目覚ましも30分早くセットしています。

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朝の山形市街地をのぞみます。空はあいにくと曇り模様。

ゆっくり朝シャワーを浴びてチェックアウト。まだ人通りもほとんどない連絡通路を通って駅へ。

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山形駅。
今回の宿泊で、東北地方の県庁所在地都市すべてに宿泊することができました。

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昨日に引き続き、18きっぷを改札に通してホームへ。
この日最初の列車は、6時28分発の奥羽本線(山形線)経由の福島行き各駅停車です。

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隣のホームには山形新幹線「つばさ」が発車待ち中。こちらの方が全然早いのですが、まあ、今日中に帰宅できれば…何なら明日になってもまったく問題ありませんから、のんびりのんびりと向かいます。

定刻になると、「花笠おどり」の音頭がホームに流れて発車。車内は5割くらいの乗車率でしょうか。BOX席の進行方向に向かって座り、車窓を楽しみます。

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山形市の隣、上山市に。温泉と上山城の城下町として知られています。お城が見えないかな?と思っていると希望通りに車窓に上山城が見えてきました。

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「かみのやま温泉駅」に到着。山形新幹線の停車駅でもあります。

乗客の乗り降りはほとんどなく発車。
朝日連峰の山並みも今は雲の中で見えず、低い山並みと田畑、その中に住宅地が点在する車窓風景が続きます。

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赤湯駅。
南陽市の中心駅で、ここからは米坂線の今泉駅をつなぐ「フラワー長井線」が分岐します。
米坂線、一度乗りたいと常々思っているのですが、あいにくと災害のためバス運行が続いています。いつか復旧してほしいと祈るばかりです。

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米沢駅に到着。ホームに鎮座する、でっかい米沢牛の像が目を引きました。
僅かな停車時間でホームに降りれず、米沢牛も駅名標も写すことがで着なかったのが心残り。

米沢駅を発車すると、一気に山の中に分け入ります。いよいよ奥羽本線一の難所、奥羽山脈を越える板谷峠に分け入りますが、列車は勾配をものともせず、グイグイと登り始めました。

ここから福島県の庭坂駅までは、鉄道ファンには有名な箇所。
かつては米沢から2つ先の駅である大沢駅から、峠駅、板谷駅、赤岩駅と4駅連続でスイッチバックの駅が連続していました。

山形新幹線開通でスイッチバックはなくなり、その後、赤岩駅は廃止、そして大沢駅も全列車が通過する休止駅となり、普通列車が停車するのは峠駅と板谷駅(こちらも冬期間は通過)となってしまいました。

スノーシェルターで覆われた大沢駅を通過し、峠駅に到着(トップ写真)
ホームにはカメラを持った人もいます。私もホームに降りたいのですが停車時間が短く、残念ながら降りることができませんでした。無人駅ですが、有名駅弁「峠の力餅」が今でもホームで購入できるそう…到着時に目を凝らして探しましたが、朝早い時間だからか、売られている様子はありませんでした。

駅前にある「峠の茶屋」というお店で作られていますので、クルマで訪れたら入手しやすいかもしれません。でも、折角ですからホームで列車の停車中に買いたいものです。

次の板谷駅もスノーシェルターの中。

トンネルを抜け、高い鉄橋を渡り…やがて下り基調になり、眼下に福島盆地(信達平野)が見えてきました。

列車は最初は右に、次に左にと大きくカーブを描きながら下ります。峠を越えると青空が見えるようになり、林や畑、原野からなる緑の丘がずっと先まで続き、その向こうに見える山は吾妻連峰、でしょうか。
素晴らしい風景で、写真に収めたかったのですが、沿線の木々や建物に邪魔されない一瞬一瞬の風景を撮るのが難しく、紹介できる写真が取れなかったのが残念。

下りきった先の庭坂駅では、お盆期間でも多くの通勤通学客が待っていました。そう、ここはもう福島市の近郊、しかも時刻はまだ8時前でちょうど今がピークの時間帯でしょう。
立ち客も目立つようになった中、8時01分、終点の福島駅に到着しました。

<東北本線 鈍行列車の旅>
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ここでは8分の接続で、東北本線上り、郡山行きに乗り換えます。

気候は暑いけど空気は爽やかさを感じます。

乗り込むと、乗客は皆、不自然なくらいに進行方向右側に座っています。
空いている左側に座ってみて、その理由がわかりました。朝の陽射しがもろにあたり、JR東日本の近郊型の車両なのでブラインドもありません。前席の左側に座った若い男性も、必死にブラインドを探しています。
しかし、右側は満席なので、暑さは我慢し、陽射しは手で避けながら車窓を眺めることにします。

古関裕而さん作曲「栄冠は君に輝く」のメロディーが流れて発車。JR東日本は、このように発車メロディーが多彩なのが良いですね。

陽射しを我慢しながら車窓を眺めます。右側には安達太良山の山容が見えますが、写真も撮れません。

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郡山に到着、ここからは5分の接続時間で新白河行きに接続します。

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新白河駅の一つ手間、白河は以前街歩きした街、その時に訪れた白河城を車窓右側に見ます。

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新白河からは、11分の連絡で黒磯行きに連絡。

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新白河を発車して23分で、黒磯駅に到着。

山形駅からここまで、僅かな接続時間で、非常にテンポよく黒磯まで来ることができました。ここまで、普通列車の本数は1~2時間に1本ほどと、決して多くありません。山形駅を40分後に出る次の列車から乗り始めると、途中の接続が非常に悪く、黒磯駅着だと3時間近く遅くなってしまいます。
それもあって、朝早い列車に乗ってきた次第。

黒磯駅からも6分の接続で宇都宮行きに接続します。
これまで乗ってきた中でこの列車が一番混雑していて、ロングシートの車内は黒磯発車時で満席。この先もどんどん乗客が乗りこんできて、ラッシュ時並みの混雑で宇都宮駅に到着しました。

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駅舎改装中の宇都宮駅。

ここまでこれば本数も格段に多くなり、選択肢も増えますのでちょっとゆっくりできます。
時刻はちょうど11時過ぎ、ということでここで昼食に。

宇都宮と言えば…これはもう餃子でしょう!
リサーチしていた駅構内の人気店に並びます。
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餃子定食。羽根つきの餃子は外はカリカリ、中は旨味がジュワッと…

その後は駅前を少し散策。
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開通して2年目を迎える宇都宮LRT。渋滞対策と環境対策で今後も地方の中心都市では公共交通の主役となってくるのでしょうか。ドライブ好きではありますが、移動に便利で、街の様子をじっくり眺められる街歩き好きな私にとって、期待大な交通機関です。

<ゆったり静かな湘南新宿ライン>
ここから乗るのは、湘南新宿ライン 逗子行き快速。
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ここはもちろん、グリーン車に。

2階席に腰を落ち着けます。
ゆったりと、ある意味外界から少し隔てた雰囲気の中で寛ぐことができます。コスパも良く、東京駅の混雑の中で新幹線を乗り継ぐことも無いので、湘南新宿や、上野東京ラインのグリーン車は非常に使い勝手がいいと思います。

ラジオアプリ「ラジコ」で好きなラジオ番組をゆったりと聴きながら車窓を眺め続けます。

小山からは快速運転、このまま埼玉県を縦断し、都内へ

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都内に入り、新宿

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恵比寿

スクリーンでも見ているかのように、都内を一気に通過して
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横浜

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大船で下車。列車はここからは横須賀線へと別れていきます。

<すこしずつ日常へ…>
ここからは東海道線下りに乗り換え、熱海からは静岡方面島田行き各駅停車。
乗り慣れたJR東海の列車ですが、冷房が効きすぎて少々寒い中、静岡まで。

静岡からは、接続良く浜松行きのホームライナーに接続できます。
乗車整理券が別に必要ですが、18きっぷで乗車可能、特急型車両で快速運転ですので、今はありがたい存在。

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ホームライナーの車内。写真でわかるように皆、前席の背もたれのカバーに乗車整理券を挟んでいますが、前席の人が大きく動くと床に落ちてしまいます(笑)

掛川、袋井あたりでしょうか、長かった1日がようやく暮れようとしていました。
結局この日は、宇都宮での昼食時間以外はほぼ乗りっぱなしですが、おかげで、トータルで新青森からずっと、鈍行と快速列車でここまで戻ってきました!
目新しい奥羽本線だったのと、その後もグリーン車やホームライナーなどの快適な環境での移動が多かったせいか、疲れはそれほど感じません。

浜松から豊橋行き普通列車に。だんだんと日常が戻ってきています。

豊橋駅に到着。こちらで夕食にします。
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ちくわ屋さんがやっているおでんのお店。
やはり赤味噌が恋しくなり、味噌おでん、それに味噌串カツも付きます。

甘みとコクのある赤味噌が沁み沁みのおでん、これが美味しくて…あえてお酒は頼みませんでしたが、豊橋なら早く終わった会社帰りなどで、反対方向の列車で1本。帰りも1本で帰れますので、またいつでも行く機会があり、そのときの楽しみにします。

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本日11本目、そして本日最後となる列車は、新快速米原行きです。

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煌々と輝く駅名標。
お盆期間だからでしょうか、ホームに立つ人はそこまで多くありません。
いつも最後の1本の列車に乗るときには、どこか帰宅した時のような安心感を感じます。

街歩きにローカル線の旅に絶景にグルメに…色々と体験できた暑い夏の遠征は、期待以上に充実した時間でした。
そのせいでしょうか…いつもにも増して…清々しい遠征からの帰路となりました。

ということで、長きにわたった夏の遠征記、ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

Posted at 2025/09/07 21:35:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道旅 | 日記
2025年08月12日 イイね!

【2025年夏 遠征記その6】山形の夜

【2025年夏 遠征記その6】山形の夜その5 からの続きです。

新庄駅を発車した山形行き各駅停車列車、駅に停まるにつれて車内が賑やかになってきます。
観光客は、私のような乗り鉄客がごくわずかに見かける以外は見かけません。ほぼ、地元の人らしき買い物などのお出かけ客が大半でした。

お天気は曇り気味で、せっかくの出羽三山もその姿はまったく見ることができません。私も日常モードで、向かいの車窓や駅の様子を見るともなしに見ながら…で過ごします。

村山、東根、天童と、村山地域の各都市を巡りながら列車は進み、夕刻の山形駅に到着。
この日の宿泊地です。

山形県では、以前、米沢に宿泊したことがあるだけで、山形市に宿泊するのは初めて。まずは宿にチェックイン後、早速、夕食と夜の散策で街へ。

先ほどの列車の中で、山形駅周辺のグルメをリサーチしていました。その中で選んだのは、駅近くの人気中華料理店。
お店に赴くと、すでに長い列ができていました。

待つこと15分ほどで店内に通されます。

山形と言えば、ラーメン消費量日本一、さらには「冷たいラーメン」が名物、ということで惹かれますが、店員さんに聞いた所、スープには豚骨も入っている、とのこと。
非常に悩みましたが、明日は今日よりさらに出発時間が早く、乗り継ぎも分刻み、ということで諦めます。


(この記事中の写真は拡大いたしません)
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いただいたのは、定番の炒飯と餃子、これに水割り焼酎!
チャーシューの旨味が沁みこんだしっとり系の炒飯は評判通りです。

食事後は、夜の市内散策。山形市内の散策は、この時以来ですから13年ぶり。

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駅前公園から

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駅前通りへ

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1週間前まで、東北4大祭りのひとつ「花笠まつり」が開催されていました。

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七日町へ。
奥に見えるのが、5年前に閉店した「大沼百貨店」。江戸時代創業の「老舗」百貨店で県を代表する百貨店でした。
手前に見える商業施設「AZ七日町」は今も営業中です。
時刻は20時少し前。写真加工していますが、人通りもあってこの時間も賑やかです。

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「ほっとなる広場公園」付近(レンズ曇りの影響で見づらくなっていてすみません)
かつては商業施設でしたが、撤退後、商店街で「にぎわい創出拠点」として整備し、イベント等が開催されています。また、広場の周りも再開発されて魅力的なお店が集まっています。

山形市七日町の商店街は、「街づくり活性化」が成功したモデル地域、として全国から注目を集めているとか。

あちこち街歩きをしていると、活性化に苦心している商店街も少なくない、ということがよくわかります。
七日町商店街は、はやくから街の活性化に取り組んできました。危機感を持った地域の人が立ち上がり、行政に頼り切ることなく、自分たちでできることを模索、小さくても個性のあるお店を呼び込むところから始まり、さらにはまだそこまで注目されていなかったインバウンドにも注目、やがては行政とも協力した取り組みに発展させてきたそうです。


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水の町屋 七日町御殿堰
七日町の活性化の中心、江戸時代の山形藩政時代に築かれた水路「御殿堰」の一部を中心として、新たに食事処や服飾雑貨のお店が並んでいます。

七日町の街並みは、雑多な雰囲気を一切なくしたかのような、洗練されたモダンな街並みです。それもビルが乱立するわけではなく、低層階のテナントの入る建物が続いていて、どこかヨーロッパの小さな街の街並みを思わせます。そんな中でも和風の建物が並ぶ御殿堰が不思議と溶け込んでいて、これまであまり類を見ない街並みで、歩いていて非常に楽しいです。

七日町の通りを抜けた先はオフィスビルが立ち並び、街路灯の灯りが目立つようになってお店の灯りはぐっと少なくなります。その向こうに何やら煌々と光る看板が…何かと思って近づく
と…
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「花笠まつり」のネオン、その向こうにはライトアップされた「文翔館」が。
ここが、まつりパレードのゴール地点だったようです。看板の明るさが、1週間前の盛大なお祭りの賑わいぶりを、しっかりと残しているようでした。

文翔館を入り口から眺め、戻るときに振り返ると、消灯時間が来たのか看板の灯りが消え、街路灯だけが周りを照らしています。祭りが終わった後のような寂しさを感じつつ、後にします。


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駅前まで戻ります。
お土産屋さんでも…思うも既に閉店後、明日はまた朝早い出立ということでそのまま宿に戻ります。


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今回の宿は高層階。こちらは、チェックイン直後に夕刻の市内を撮ったもの。

こうして、山形の夜は更けていきました。

その7 に続きます。

Posted at 2025/08/31 17:35:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 街歩き | 日記
2025年08月12日 イイね!

【2025年夏 遠征記その5】奥羽本線を行く

【2025年夏 遠征記その5】奥羽本線を行く その4 からの続きです。

五能線の終点、東能代駅に降り立ちました。
ここから奥羽線を南下し、秋田方面に向かいます。

ちなみに、今回はひさしぶりに「青春18きっぷ」を利用。

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今回の旅の出発前、弘前までの片道分しか用意していませんでした。帰りのルートはほぼ決めていましたが、乗車券をどうするか、弘前に到着するまで迷った挙句、この先は鈍行(快速)列車を乗り通す!という覚悟(?)を決めて、3日間有効の青春18きっぷを、弘前駅で買い求めます。

<東能代駅から秋田駅へ>
東能代駅では、次の列車までに46分の待ち合わせ時間があります。
駅前はごく普通の住宅街で目ぼしいお店もなく…駅構内の待合室で待つことに。
最初は混んでいた待合室も、先に発車する秋田行きの特急が出た後は、一気に静かになりました。
売店で買ったジュースを飲みながら、待合室内のテレビで流れていた高校野球を1イニングほど見ていると、発車時間が近付いたので改札を通ってホームに。

※こちらの記事の写真もクリックで拡大できます
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ホームにはリゾートしらかみ「くまげら」編成を模した待合室がありました。

やってきた秋田行きは通勤列車のようなロングシート車両。乗客はそこまで多くありません。

八郎潟の東側を走ります。さすが米どころ、広大な水田が広がる風景に。
ロングシートで、かつ車内の乗客は日常モードなので写真は撮れませんでしたが、
地平線まで果てしなく稲穂が揺れる風景はなかなか見ることはなく、感動すら覚えます。
秋田市の市街地に入り、12時26分に秋田駅に到着。

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時刻はちょうどお昼時、ここで昼食にします(写真は昼食後です)

<秋田駅にて>
駅ビルの食堂街は帰省客や観光客で大混雑。
郷土料理のお店も満席で、少し待った後にテーブルに通されます。

比内地鶏に稲庭うどん…いろいろな秋田名物に目移りしながら選んだのは下記
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横手焼きそば

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たんぽの味噌焼き
「たんぽ」とはお米をすりつぶして棒に巻いて焼いたもので、その棒を抜いて切ったものがいわゆる「きりたんぽ」です。

食後は、これも秋田ならでは、のお漬物「いぶりがっこ」をお土産に購入、その後は駅前を少し散策と、1時間あまりの乗り換え時間を有効に使うことができました。

<秋田駅から、奥羽本線を新庄駅へ>
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13時45分発の院内行きはすでに入線していました。
こちらも2両編成のオールロングシート。秋田県内の奥羽線はロングシート車両が多いようです。

乗り込んだ時にはポツポツとしかいなかった乗客も、後から次々と乗客が乗り込んできて、発車間際になると満席で立ち客も出るくらいの混雑に。

先程ほど広くは無いのですが水田が広がり、その間に林や原野が続く中を走ります。

車内は混雑したまま、大曲駅に到着。
降車客も多いのですが、同じだけの乗車客もあって混雑ぶりはかわりません。
8分停車しますが、混雑しているのでそのまま車内で待ちます。

大曲駅から約20分で横手駅に到着。これまでで一番広い構内で、ホームも1面半あります。

当初は昼食をこの横手でご当地グルメ「横手焼きそば」とも考えていました。
秋田駅ですぐに乗り継げる横手行きの列車がありましたので、それでいけば横手で1時間ほどの時間ができて、今乗っている列車に乗ることができます。

ただ、横手駅の到着がちょうど14時というのが気になり…あらかじめリサーチしたところ、案の定、ほとんどのお店が営業時間外となる時刻。
ということで、秋田駅で乗る列車を1本後にして昼食時間をとり、横手焼きそばもいただいた、という次第です。

その横手駅で、ようやく車内が少し空きはじめ、その先の湯沢駅で5割くらいの乗車率に落ち着きました。

この列車は湯沢駅から4駅先の院内行きですが、この先に乗り継ぐ新庄行きの列車は院内駅の一つ手前、横堀駅が始発となります。

今は2両目にいますが、ワンマン列車のため、有人駅以外は降りる時は運転士すぐ横の扉からしか降りることができません。

横堀駅での停車時間はわずか。到着直前「前の車両から降りてください」という車内放送を確認して、そそくさと1両目に移動。同じように移動する乗客も多く、大部分の乗客は横堀駅で下車します。

跨線橋を渡り、向かい側のホームに停車中の新庄行列車に移動。

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横堀駅にて。
左側がこれまで乗ってきた秋田発院内行き。右側がこれから乗る横堀駅始発の新庄行き。

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横堀駅。
奥羽山脈と出羽山地の間、羽州街道沿いの山あいにある静かな駅です。特にこれといったものは無いのですが、それが逆に旅情を掻き立てられる雰囲気があります。なかなか降り立つ機会が無い駅ですが、印象に残る良い駅でした。

奥羽本線の電化区間は次の院内駅まで。
今年の4月まで、奥羽本線は豪雨の影響で院内駅から先が不通となっていましたが、復旧するときに、敢えて院内駅から新庄駅間は非電化にしています。今後、同様に災害があってもその方が復旧が早い、とのことですが、その関係で列車の運行形態も横堀、院内駅を境に別れています。

これまでのモーター音と違い、ディーゼル音を響かせて走る列車は院内駅を出ると次の及位(のぞき)駅に到着(トップ写真)代表的な難読駅名の一つです。4分ほどの停車時間がありましたので少しでも降りてみようか、と思ったのですが、他に興味を示す乗客が見当たらず、自重…車内から駅名標を撮るだけにとどめました。


ここからは真室川に沿って南下。ただ、そこまで川沿いに走ることは無いので川の風景はほとんどうかがえることが無く、田畑と小さな集落と山林と近くの山並みが混ざり合う風景の中を淡々と進んでいきます。

山形県に入り、沿線のあちこちで、野の中に群集している黄色い花を目にするようになりました。花には詳しくないので違っているかもしれませんが、この時期で山形ですと「べにばな」でしょうか???

羽前豊里駅を過ぎると、新庄盆地に。これまでの山林の続く山あいから、市街地へと車窓は移り変わります。

新庄駅構内に入ると、列車も徐行。
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煉瓦造りの車庫が見えたので、速度がゆっくりなのを幸い、スマホを取り出して撮ることに成功。
後で調べたら、旧国鉄新庄機関庫。明治時代の建築です。

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16時49分、新庄駅に到着。

<新庄駅にて>
山形新幹線の始発駅である新庄駅、接続時間は30分ほどですので、そのまま駅構内をブラブラしながら過ごします。

この駅のホームの構造は大変面白く、秋田方面と福島・山形方面、双方向に行き止まりの櫛型のホームが伸びています。

これまで乗ってきた列車は4番線の行き止まりホームに到着。こちらは在来線の線路幅(狭軌)の線路。
線路が行き止まった先のコンコース(?)を右に曲がると改札口。

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まっすぐ先の正面には別の櫛型ホーム(1・2番線)が福島・山形方向に延びていて、こちらが奥羽本線の山形方面在来線と、山形新幹線の乗り場になっています。線路幅はもちろん新幹線仕様(標準軌)。

唯一、その横のホーム(5番線)の線路だけが構内を貫通していますが、こちらはそのまま陸羽東線へと延びているので在来線の狭軌の線路です。
つまり、高架ではなく、地上の改札口からまっすぐ伸びるコンコースの両側にホームが伸びている構造。正面の改札口からは階段を一切使わずに、在来線も新幹線も乗車ができます。

新幹線も専用の改札口は無いので、そのまま乗車が可能な構造なのが、ちょっと不思議な違和感を覚えます。
もちろん、山形新幹線がある関係でこのような構造になっているもので、奥羽本線もこの先は在来線車両も標準軌です。

青森から秋田回りで山形~福島まで繋がる奥羽本線、電化の狭軌だったり、非電化区間があったり、そして標準軌の区間が続いたり…さらにはその先にスイッチバック駅も連続していたりしますので、興味がある人には非常に面白い路線です。

改札を出ると、吹き抜けフロアに物産館やお土産屋さんなどがあり、名産品などを冷かしているうちに発車時刻が近づいていきます。

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次に乗る山形行き普通列車は、標準軌の4番線ホームに、新幹線と並んで停車していました。

普通列車の車内はオールロングシート。
乗り込んで、少し経つと、先に隣の新幹線が静かに、しかし加速よく発車していきます。

私の乗る普通列車は、発車時刻になるとモーター音を響かせながら、ゆっくりと構内を動き出していきました。

その6 に続きます。

Posted at 2025/08/24 14:45:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道旅 | 日記

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