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kumayuのブログ一覧

2024年02月16日 イイね!

茶わん坂とEXPO70、そして「ひのとり」 (その2)

茶わん坂とEXPO70、そして「ひのとり」 (その2) その1 からの続きです。

清水五条駅から乗った京阪電車は、次の七条駅を出ると地上に出て、家並みの中を縫うようにことことと走ります。

丹波橋駅で淀屋橋行特急に乗り換え。

先頭車両へ。
前面展望が開けていて、前部の座席は良い眺望なのですが埋まっているので、少し後ろの座席に腰を下ろします。

丹波橋駅を出発した特急電車はこれまでの電車とは段違いのスピード感。石清水八幡宮駅を通過すると、桂川、宇治川、木津川の三川が淀川となる合流地点沿いを快走します。
枚方市駅からは立ち客も多くなり、これまで遠めながら見えていた前面展望も見えなくなりました。

大阪市内に近づくにつれてマンションや住宅が密集し、小さな駅でもちょっとした商店街が並ぶ大都市近郊らしい風景に。
12時少し前に、淀屋橋駅地下ホームに到着しました。

時刻はちょうど昼食時。すでに行くお店は決めています。
淀屋橋駅近くの地下商業施設にある「インデアンカレー 淀屋橋店」へ。

実は、先日の年末遠征で東京駅、丸の内口近くでいただいたカレーがこの「インデアンカレー」(「インディアン」ではないです)でした。本場は大阪とのことで、市内に数店舗展開されています。
個人的にこちらのカレーライスがかなりツボにはまり、今回は京阪電車で行くことを幸い、淀屋橋のお店でいただけるように行程を組んだ次第。

オフィス街ということでお店はサラリーマンでほぼ満員。先にレジで注文と会計を済ませ、カウンター席に着くとほんの10秒ほどでカレーと付け合わせのキャベツのピクルスが運ばれてきました。

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最初の一口は「甘い?」と感じるもその後に強い辛味が一気にやってきます。しかし、この辛味が非常に「魅力的な辛味」とでも言ったらいいのか…かなり辛いはずなのに、口の中に広がる刺激がとても心地よいという不思議な辛さなのです。おかげでどんどんとスプーンが進んでいきます。
美味しいカレーライスに大満足してお店を出ると、回転が早いはずなのに、すでに長蛇の列ができていました。

ここからは地下鉄御堂筋線で北上。

千里中央駅で大阪モノレールに乗り換え。万博記念公園駅で下車。
歩いて10分弱で万博記念公園の入口に着きます。

「太陽の塔」(トップ写真)が象徴的な万博記念公園。いわずと知れた1970年の大阪万博の会場跡地です。
万博の記念館として、当時のパビリオンであった「鉄鋼館」に、昨年「別館」が増設され、開催時の太陽の塔「黄金の顔」や、開催当時の会場の雰囲気を体感できるギャラリーなどが新たに展示されるようになった、と聞き、前から訪れてみたかった施設です。

平日にも関わらず、園内は散策する人や遠足にきた生徒たちなどで賑わっています。
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その中に「EXPO70パビリオン」はありました。開催当時の写真そのままの外観がほぼ残されています。

館内は一部を除いて写真撮影はできますが、ここでは多くは載せません。
ごく一部のみ紹介します。

入場すると、まずは当時の映像とともに万博の開催決定から、開会式、開催中の映像が流れます。
当時の資料や各パビリオンの紹介などを興味深く見ているうちに、パビリオン鉄鋼館のメインである「スペースシアター」に。

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円形のステージで、当時の最新鋭の音響と照明技術を駆使した音楽ショーが開かれていました。
宙に浮かぶいくつもの球体のスピーカーなど、今見ても非常に斬新な空間です。

いよいよ別館へ。
別館のメイン展示「黄金の顔」が強烈な存在感を放っていました。
直径10mにも渡る大きな円形の顔がまさに黄金に輝いています。
「未来を象徴する」というその表情はどこかユーモラスで、明るい未来がやってくることを願っているようにも見えます。
まさにそれから50余年後の「未来」である今は、果たして「黄金の顔」が象徴していた未来と較べてどうだったのでしょう・・・。

ちなみに、今の「太陽の塔」にある黄金の顔は2代目で、こちらにあるのが万博開催時の黄金の顔だそうです。

その通り黄金に輝く「顔」を近くで見るのは大迫力ですが、見る角度によっていろいろな表情があり、ずっと見上げていても退屈しませんでした。

別館には外部に面した中庭もあります。
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現在の「黄金の顔」の横顔とEXPO70モニュメント。

他にも館内には、当時の会場のジオラマ模型や、会場で使われていた電気自動車や電動の自転車などの備品展示もあって、当時の雰囲気に引き込まれてしまいます。また、こちらのエントランスロビーなども開催当時の面影が色濃く残っているそう。

開催当時、私は2歳。アルバムに写真はありますので大阪万博に連れて行ってもらったことは確かなのですが、記憶はまったくありません。50年以上の時を経た今、新しい記憶として刻み込まれていきます。

鉄鋼館を辞し、公園内を散策します。
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太陽の塔のまわりをぐるっと一周。
塔の中も公開されていますが、あいにくと前日までの要予約、とのこと。
外から様子を窺っていると、見学者が次から次へと中に入っているのが見えました。

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公園内は「梅まつり」が始まっていました。雲が多く、少し肌寒いのですが季節は着実に春に近づいています。

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紅白の梅と太陽の塔。
前述の通り、今の塔にあるのは2代目「黄金の顔」。

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万博開催当時の遺構はまだほかにも残っています。こちらは太陽の塔を囲っていた大屋根の一部。

昭和史の1ページを華々しく彩った大阪万博の開催当時を、新鮮な気持ちで巡ることができました。
来年開催の関西万博はどんな催しになるのでしょう。

公園を辞し、大阪モノレールで千里中央に戻ります。こちらでも、昭和時代の名残を見ることにします。
「日本で一番最初のニュータウン」と言われた千里ニュータウン。
万博開催の直前に完成し、万博閉幕後も発展していった大規模ニュータウンの、その名の通り中央に、商業施設などが集中しています。

色々な街の形態が好きな私にとって、千里中央駅周辺は興味があるエリア。
その昔、街歩きを自分の趣味として認識し始めたばかりのころに訪れ、以来何回か訪れていたのですが、今回は少し久しぶりの訪問になりました。

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せんちゅうパル。オープンは1973年。
4階までのフロアに飲食店やファッション雑貨をはじめ、塾や教室、不動産仲介のお店などが集まっています。


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老朽化で2年前に閉店したもうひとつの商業施設「セルシー」の跡もそのまま残っています。

今でこそ、大規模なショッピングモールは当たり前のようにありますが、当時は時代の最先端を走る施設として、人々に多くの驚きやワクワク感を与えてくれたことでしょう。そんな、かつて華やかなりし時代に思いを馳せながらの散策でした。

地下鉄で「なんば」まで戻ります。

なんば駅周辺や心斎橋筋商店街を少し歩きます。
気が付くと万博記念公園ではほとんど見かけなかったインバウンド客が、また多くなっていました。

少し小腹が空いていたので、こういう時にちょうどいいグルメを・・・と探し周った結果、大阪発祥の「かすうどん」をいただくことに。
店内は、多言語が並ぶメニューがカウンターに立てかけられています。

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関西風の薄口しょうゆ出汁に、揚げた牛ホルモンが載っています。
香ばしさと旨味が凝縮された揚げホルモンともっちりとしたうどん、それに薄口出汁がよく合います。
身体も温まり、大阪グルメに満足です。

折角ですのでもう少しゆっくりと滞在したいところですが、あいにくとこの日は夜に名古屋で飲み会の予定が入っていましたので、ここで帰路につきます。

どうせ名古屋に行くのなら、ということで久しぶりに近鉄特急を利用。

大阪難波と名古屋を結ぶ特急として4年前にデビューした「ひのとり」。
前から一度乗ってみたかったのですが、今回ようやくその機会を得ることができました。

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チケットはこの日の朝、行きの車内でスマホから予約しています。
従って、この日は「ひのとり」の発車時刻から逆算しての行程となっていました。(写真は名古屋駅到着時に撮影)

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発車時刻数分前、大阪難波駅の地下ホームに「ひのとり」が滑り込みます。

乗り込むと、ホームの喧騒は完全に遮断されます。シートはゆったり、窓も大きくて見やすく、高さ調節が可能なフットレストもあり、自宅のソファのようにくつろぐことができます。乗り心地も非常に良く、レギュラーシートでこれですから、プレミアムシートですとどんな感じでしょう?

定刻、静かに発車。かつては大阪上本町、鶴橋に停車した後は名古屋までノンストップでしたが、今は大和八木と津にも停まります。乗車率は当初3割ほど、鶴橋駅を発車することには5割ほどででしょうか。
しばらくは大阪近郊の家並みや商店街の街の風景が流れ、生駒山地を抜けると奈良飛鳥路を疾走。
三重県に入り名張駅を通過。大阪難波を発車して50分あまり。このあたりはまだ関西の通勤圏内です。
伊勢中川の短絡線を通過し、やがて津駅に到着。
乗客の入れ替わりがあるものの津からはより多くの乗客が乗り込んできて、車内の乗車率も少し上昇します。

少しずつ日が傾いてきました。コンビナートの灯りが見え始めて、再びビルや商店が多く立ち並び始めたかと思うと四日市駅を通過。ちょうど帰宅ラッシュが始まり、ホームには多くの乗客の姿を見ることができます。

桑名駅を通過し、木曽三川を渡るころにはすっかり日が暮れていました。
やがて、名古屋の街並みがみえてきます。少し見慣れた風景になってきたところで地下に入り、大阪難波を発車して2時間7分後、近鉄名古屋駅に到着。

ホームに降りると、帰宅ラッシュ時の喧騒に包まれています。
静かな車内とは別世界でした。

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名古屋駅にて。ここまで乗ってきたひのとり
新幹線よりは時間がかかりますが、運賃は安くそしてゆったりとした車内は魅力です。久しぶりの近鉄特急でしたが、快適な鉄旅でした。

日帰りで駆け足気味でしたが、充実した街歩きとなりました。

Posted at 2024/02/25 12:39:57 | コメント(2) | トラックバック(0) | 小旅行 | 日記
2023年12月30日 イイね!

【2023年冬 遠征記その7】(一旦)帰路へ

その6 からの続きです。

仙石東北ライン仙台行きは、石巻駅のホーム端に静かに停まっていました。
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1番線になりますが、改札を入って真正面ではなく、ホームを少し歩いて行った先の端が行き止まりホームになっており、仙石線用(1,2番線)として設けられています。ちなみに改札真正面は3番線、跨線橋を渡った向かいは4、5番線で、主に小牛田駅や女川駅に向かう石巻線の列車が発着。
これは、石巻線が元から国鉄の路線として敷設されたのに対し、仙石線はもともとは私鉄だったことから、ということなのでしょうか。
往きは仙石線を辿っていきましたので、帰りはこちらで帰ることにします。

私が乗り込んだ当初はほとんどいなかった車内も、発車近くになると座席はほぼ7割がた埋まっています。

高城町までは往きと同じ車窓ですが、東名駅を過ぎると、車窓すぐ外に松島湾の絶景が見えます。進行方向左側に座っているので、車窓は満喫できますが、ボックス席の向かいにも乗客がいるので、写真を撮るのは少し憚られました…。

高城町からは東北線へ。
私もさすがに前日からの街歩きで疲れたのか、この頃から結構な時間、うつらうつらと…従って、このあたりの車窓はよく覚えていません。

仙台駅に近づくと、停車駅ごとに多くの乗客が乗り込んできて、仙台の2駅前の岩切駅を発車する頃には身動きできないくらいの混雑に。このあたりは前日、白石から乗ってきた列車とよく似ています。

時刻は15時。少し小腹が空いていますので、最後にもう一品、こちらの名物を味わってみたくなり、仙台駅に到着すると食堂街へ。

お目当ては
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「はらこめし」!

前夜に、コンビニで「はらこめし」のおにぎりを見つけたので、それで済ますつもりだったのですが、このおにぎりがかなり美味しく…お店でも食べてみたくなり、「2度目の昼食」としていただいた次第。
やはり、出汁で炊いたご飯がいいですね。食事としては、これでまずは満足!

その後、お土産の「ずんだ餅」もゲット。結局、中に餡が入っているタイプにしました。

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東京まで「やまびこ」で戻ります。
私が乗った「やまびこ」は各駅に停まります。自由席は1~2割ほどの乗車率。

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白石蔵王駅付近では、前日撮れなかった蔵王連峰をしっかり撮ることができました。
福島駅に到着する頃から少しずつ陽が傾き始め、郡山駅に到着する頃にはすっかり夜の帳がおりています。

外が暗くなったので、ここからはスマホ上でこれまでの旅の写真の整理をします。首都圏に近づくごとに、車窓にだんだんとビルや明かりが多くなってきました。

大宮駅に到着。隣の下りホームは乗客が一杯。折しも金沢行きがちょうど到着する頃でしたが、すでに車内は満席です。
翻ってこちらは、というと乗客は僅か。ずらりと並んだ空席のシートカバーで真っ白です、。

東京駅は、前日ほどではないにしろ、構内は混雑していました。

この年末年始は、東海道新幹線「のぞみ」は全列車が全車指定席になります。
こちらの指定席券も出発前に揃えていたのですが、念のため、なるべく遅めの時間帯のものにしていました。

その関係で、東京駅で3時間弱の時間があります。

この時間をどう過ごすか、東京駅に着くまでの車内で考えていました。どうせなら夕飯は久しぶりに新橋辺りまで出るかな…などと考えるうちに、なぜかカレーライス、それも立ち食い風の気軽に食べられるものが無性に食べたくなり、最後の方は写真整理そっちのけで、カレーライスの美味しそうなお店を検索したりしていました。

カレーライスは丸の内口すぐ近くによさげなお店があることがわかり、そちらでいただいたのですが、これが本当に美味しかった!!(写真は撮り忘れました)お値段もお手頃で、近くにあったらちょくちょく立ち寄りたいくらいです。

結局、夕食の後は丸の内のイルミネーションや、八重洲口に回って東京ミッドタウン八重洲などを少しひやかして過ごしました。

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東京駅周辺でも結構歩いたのですが、脚の疲れとマメで、いつもよりゆっくりペースでしか歩けません。周りの人たちにどんどん追い越されていきます。

21時、発車時間が近づいてホームへ。
東海道新幹線下り「のぞみ」の座席は5割くらいの埋まり具合。
座席では、できる範囲内で念入りに足を屈伸します。ということで、これまでにないくらい歩いた今回の街歩き遠征は一旦中断、続きは年が明けてから、と相成ります。

その8 に続きます。

Posted at 2024/01/06 01:06:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 小旅行 | 日記
2022年12月29日 イイね!

今はここにいます

今はここにいますいつもの遠征に出発!です。

こちらの「えきそは」、ということで、今回は西方面へ…
Posted at 2022/12/29 14:48:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | 小旅行 | 日記
2022年05月06日 イイね!

【2022年春 遠征記その4】北前船と福井の鉄道乗り歩き

【2022年春 遠征記その4】北前船と福井の鉄道乗り歩きその3 からの続きです。

四国の鉄旅から帰宅後、5月2日は休出で少し仕事。
3日〜5日は混雑を避けて遠出はせず、ブログの更新の他は近所の散策や妻との買い物などで過ごしました。

そして5月6日、日帰りのお出かけをすることに。

朝6時前に出発。ハスラーは妻が出勤で使うので、アルファードを連れ出して、東海北陸道を北上します。
荘川ICで下りて、五箇山ICまではR156を経由。

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久しぶりの合掌集落を通過。
良いお天気で、雪を抱いた白山連峰を見ながらの気持ち良いドライブです。

再び東海北陸道から北陸道、片山津ICで降ります。

加賀温泉郷の傍を通り、インターから20分ほどで到着したのは、加賀市橋立の伝統的建造物群保存地区。江戸時代から明治の初めにかけて、北前船の運航を担っていた船主たちの住居が今でも多く残っている街並みです。

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その中心に、「北前船の里資料館」があります。

北前船は、江戸時代、北海道から日本海〜関門海峡〜瀬戸内海を経由して大阪を結んだ西廻り航路を行き来した運搬船のことです。
単に運搬だけでなく、途中の寄港地で積載品の取り引きも行っていて、衣食住に係る様々な荷物を載せていました。

橋立は、そんな北前船の寄港地のひとつで、ここを根拠として自前の船を持つ船主も多くいました。
そんな船主屋敷の一軒を、こうして資料館として公開されています。
入場料を払い、さらに検温とアルコール消毒も入念にした上で中へ。

写真撮影はOKでしたので、一部だけ紹介。
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北前船の解説から、船内の装備品や携行品、帳面など、当時使われていたものが多数展示されていて興味深いです。

一度航海に出れば、現在の金額で数千万〜億近い売り上げがあったといわれ、高額な稼ぎが期待されたということで、屋敷自体も蔵も併設された立派なものです。
反面、海難事故のリスクも常に伴い、また船上の労働は過酷なもので、乗組員の苦労も展示物や解説から詳しく知ることができました。

資料館の係員の方と少しだけ談笑しながら、街並み散策の道順も教えていただき、資料館を後にします。

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家並みを散策します。左側には日向ぼっこ中のワンちゃんが。さっき教えてもらったにも関わらず、方向を間違えて戻って来た私を、見るともなく見ていました。

「展望の道」を歩きます。
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こちらでは、ネコものんびり散策しています。

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板壁の家が続き、その間を海からの風が吹き抜けます。

その海沿いの道へ。
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西出朝風という歌人の歌碑、その向こうに青い海が広がります。
日本海を行き来した北前船は、この海からここに立ち寄り、また発っていったのでしょう。今日はいいお天気で穏やかな海ですが、こんな日ばかりではなかったでしょう。

以前、小樽を訪れた時から、北前船の歴史には少し興味を持っていました。その関係で訪れた橋立の街ですが、かつての繁栄を偲ばせる家並みがしっかりと残っていて楽しい散策が出来ました。帰宅後に、ネットなどで再び北前船について色々と調べたのは言うまでもありません。

クルマに戻ります。
次に向かうは、福井県に入り坂井市の三国。ここからは1時間弱の道のりです。
R305へ。この日はここから先、しばらくこのR305を走ることになりますが、途中でいったん右に曲がり、海沿いをいくr7へと歩を進めます。

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海の見える良さげなスポットで1枚…

東尋坊のすぐ横を通りますが、有料の駐車場に停めて見物するほどの時間がなく…そのまま先にある、えちぜん鉄道の三国港駅に向かうことに。

三国港駅に到着。(トップ写真)

パーク&ライドができるように、電車利用者には駐車場が用意されています。クルマはここに停めて、この先は再び「乗り鉄」に…。

えちぜん鉄道は、この三国港と福井駅を結ぶ三国芦原線と、勝山から永平寺を経由して福井駅を結ぶ勝山永平寺線の2つの路線があります。今回は、三国芦原線で福井市に向かいます。

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ちょうど、折り返しの電車が到着する頃でした。
駅は無人駅なので、切符はどこで買うのか車内で運転士さんに聞いたところ、整理券を取って降りる時に駅で精算する、というような説明でした。運賃箱に入れて降りるのだろう、と思いこみ、あらかじめ1000円札を両替して小銭し、整理券と一緒に握りしめます。

ちょうど駅近くで写生をしていた小学生のグループも乗り込んで車内は賑やかになったところで発車。
すぐに海から別れ、芦原温泉の最寄り駅、あわら湯の街駅を過ぎると、広大な水田の中を疾走しています。途中、福井方面に東から南向きにカーブしたほかはほとんど線路は直線。水田の中をまっすぐに一本の線路が伸びています。さすが米どころ福井平野です。

小学生のグループは途中で降りましたが、それでも車内の座席はほぼ埋まるくらいの混雑の中、福井の市街地へ。福大前西福井駅からは、やはり学生らしき若い人も乗り込み、福井鉄道との乗換駅である田原町駅は福井市内の軌道を走る電車も停まるように高低が違う2種類のホームを見かけます。

そして、運賃の精算ですが、田原町駅からは女性の乗務員さんが乗り込んできたので、そこで精算することが出来ました。

福井駅に到着。
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恐竜もお出迎え…

時刻はお昼時。ここで昼食ですが、福井と言えば、の越前そばは食べられない体、他に何か、と駅近くのお店を回るものの、どこも混雑。
福井駅の構内に「今庄そば」の立ち食いそば店があり、前にも何回か利用したことがあったのですが、今回もそちらに向かいます。
やはり混雑していましたが、それでも注文したらすぐにいただけました。

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天玉そばではなく「天玉うどん」。そばとうどんを選ぶことが出来ます。
(見ていると、9割くらいのお客さんは「そば」を選んでいましたが)

美味しく戴きましたが、うどん1杯ではまだ腹5分目。しかし、少しお腹が落ち着いたので、そのままJR北陸線の列車に乗り込みます。

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敦賀行き普通列車。
先日乗ったJR西日本の新快速と同じ系統の車両で、座席に座り、JR西日本仕様の駅名標を見ると、なんか数日前の鉄旅の続きをしているようです。

しばらくして発車。建設中の北陸新幹線の高架から別れ、メガネの街鯖江を過ぎ、武生駅で下車。

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JR武生駅。

ここから線路沿いに少し戻ると、福井鉄道の越前武生駅があります。
せっかくなので少し遠回りして街の様子を眺めながら向かいました。

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越前武生駅。
帰りは福井鉄道で戻ることに。

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福井鉄道の田原町行きは1両。市内の軌道も走るので路面電車仕様です。
これとは別に、さきほど乗ったえちぜん鉄道の途中、鷲塚針原駅まで乗り入れる電車もあります。こちらは新型の2両編成で、しかも急行です。

越前武生駅を発車した電車は、ゴトゴトと福井市に向けて北上します。風情のある旧い駅舎が特徴の北府駅を過ぎ、鯖江の象徴的な公園、西山公園の横を通ります。鳥羽中駅の先からJRの南福井貨物駅に近い花堂駅まではほぼ線路は一直線。商工会議所駅からは路面電車となり、福井城址大名町駅で下車。
その名の通り福井城址の西側になります。

こちらで降りたのは、福井名物ソースカツ丼のお店「ヨーロッパ軒」総本店の最寄り駅だからです。

フェニックス通りの西側、飲食店街の先にお店はあります。いつもは敦賀駅前のお店に行くので、こちらの総本店は初めてです。

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ソースカツ、メンチカツ、それにエビカツの3種丼。ボリュームいっぱいなのでご飯は少なめにしました。
これで、お腹もいっぱい。

このままJR福井駅まで戻ります。

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福井駅。駅舎に大きく恐竜が描かれているのが特徴ですね。写真には写っていませんが、巨大な恐竜の像も見ることが出来ます。
今は、新幹線ホームの工事が急ピッチで進められていますが、まもなく開通する北陸新幹線の敦賀開業に備えてか、駅前は再開発の真っ最中。これからの街並みが楽しみな福井駅前を歩きます。

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コンコースを渡った反対側にあるのが、えちぜん鉄道の福井駅です。

帰りの三国港駅行きは、学校帰りの高校生で混雑していました。しかし途中駅で次々と降りていき、終点の三国港駅に到着する頃には車内は私1人です。

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三国港駅に戻ってきました。

クルマに戻り、R305で越前海岸を走ります。
時刻は16時過ぎ。よく通るR305ですが、やはりこの区間は夕暮れに近い時間帯に走るのが良いですね。

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大小さまざまな漁村を通過、呼鳥門に近いこの場所で休憩。少し傾いてきた太陽の光が海面にキラキラと輝いています。

R305の途中で日が暮れるのかと思っていましたが、敦賀近くでR8に合流してもまだ外は明るいままです。

ということで、このまま敦賀港に近い「金ヶ崎緑地」へ。
金ヶ崎緑地は、明治~昭和戦前まで、欧州へ向かう航路の出発、到着地だったところ。緑地内にある敦賀港駅まで列車が乗り入れ、乗客はここで船に乗り換えをしていました。
また、その旧敦賀港駅舎や「敦賀ムゼウム」など、歴史を学ぶことのできる資料館や、赤レンガ倉庫なども残っていて、歴史と旅情を感じるお気に入りの場所です。

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ちょうど、海の向こうの山に日が沈む頃になりました。

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今回の連休は、去年一昨年とはちょっと違って、少しだけ気兼ねなくお出かけができた連休でした。海に輝く夕陽を眺めながら、今回の遠征を振り返ります。

振り返るにはちょうど良い場所、ちょうど良い時間でした。

ということで、非常に長くなってしまいましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございました。
Posted at 2022/05/08 22:25:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | 小旅行 | 日記
2022年04月30日 イイね!

【2022年春 遠征記その1】四国鉄道紀行(短縮版) その1

今度の連休は、久々に行動自粛のないGW。
基本的な感染予防はとりつつも、以前よりは少しだけ、気を使わずにお出かけができる、ということで、今回は鉄道の旅に行くことに。

行き先は四国。当初は3日かけて四国を一周する予定でしたが、都合ができて1日短縮し、半周の行程に。という事で、いつか残りの半周も回れるように願いを込めて、タイトルに(短縮版)としています。

4月30日早朝、自宅を出発します。
天気は良いのですが、吹く風はことのほか冷たく…流石にこの時期に厚手のものを持っていくのも、ということで薄手のコートにしたのですが、これでは寒さに震えてしまいます。

大垣行きの始発列車に乗車。連休の中のこの列車は、今までいつも混んでいたのですが、今回は座席が1人ずつ埋まる程度。
大垣からの米原行きへの乗り換えも、普通に歩いて行っても座席が選べるくらいで、かつての「ムーンライトながら」が走っていた頃の大垣ダッシュほどではないものの、少し早歩き気味に行かないと座れなかった時を知っていると拍子抜けです。
おそらく、今が18きっぷのシーズンではないこともあるのでしょう。

そんな、ゆったりとした車内から、関ヶ原の古戦場を眺め、伊吹山の雄々しい山容を眺めているうちに、米原駅に到着。

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ここからは新快速姫路行きに乗換え。鉄路で西に行く時の定番列車です。

乗り込んだ車両は私1人だけ。
米原まで乗ってきた列車は暖房が入っていましたが、こちらは送風のみ。若干、寒さを感じます。(年を取って、冷え性気味になったのもあるかもしれません(笑))

寒さに震えながら発車を待っていると、やがて乗客が1人2人、乗り込んできましたが、そこまで。回送列車同然の雰囲気の中、米原を定刻通りに発車。

そのまま京都~大阪~神戸と一気に走り抜けます。この間の新快速列車に乗っていていつも面白いのは、これらの3大都市の風景が走馬灯のように移り変わっていくこと。今回も、車窓に釘付けになります。
途中駅からそれなりに乗客も乗り込み、京都を出る頃にはほぼ満席だった車内も大阪でどっと降りて、また空席の増えた中、列車は西に向かって快走します。

垂水~須磨あたりの海岸線を眺め、明石の天文台を過ぎるともう終点の姫路駅に到着。

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姫路駅でようやく本日の朝食。こちらでの私の定番である「えきそば」。

いつも同じパターンで申し訳ないのですが・・・今回は、結構冷え込んだ身体が、ここの駅そばで気持ちよく暖まるのを実感できました。

ここからさらに西に向かいます。6分の接続で次の播州赤穂行きに乗換えができるですが、えきそばの食の進み具合では次の列車でもいいかな、と考えていました。しかし、お店を出るとまだ発車前、ということでそのまま乗り込みます。

この列車に乗り込めた、ということは相生駅で岡山方面の新幹線に良い接続で間に合い、さらに岡山からも高松行きマリンライナーが1本早いのに間に合います。

これが次の列車になると、相生駅では、新幹線の乗り換えは少し待たないといけなくなります。山陽線の岡山行きはすぐの接続で乗り込めますので、結局岡山からの高松行きにはどちらで行っても、同じ列車になってしまいます。ですので、次の列車になったら新幹線を使わず、そのまま在来線で乗り通すつもりでした。(ただし、18きっぷの時期ですと、これでも相生~岡山は新幹線に乗ります。何しろこの時以来、この区間の混雑はどうも苦手で(笑))

まあ、結果的には1本早い列車に乗り込めたので、予定通り相生駅で新幹線に乗換え。

相生駅は、新幹線の駅がある割には小さな駅で、乗換口での特急券の購入も自販機が1台と、あとは駅員のいる窓口が1ヵ所のみです。
自販機で購入したのですが、隣駅までの特急券1枚購入するにも割といくつかの選択ボタン(というかタッチパネル)をおさないといけなく、慣れないと時間がかかりそうです。

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新幹線ホームから、海方向にある相生の街を眺めます。

まもなく、反対側の上り線ホームに、「ハローキティ」仕様の500系が入ってきました。
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ここで通過待ちをするらしく、しばらく停車しています。こちらもゆっくりと撮影ができました。
頑張って「えきそば」を早く食べたおかげで、珍しい車両を見ることが出来てよかったです。

やってきた新幹線に乗り込み、1駅先の岡山で降車。

これまでの行程は、どちらかというと人は少なめでしたが、岡山駅は賑わっていました。特に、瀬戸大橋線のホームは旅行や帰省らしき乗客で混み合っています。比較的、若い人が多い印象。

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駅ではこうして発車標をよく撮るのですが、昔の「フラップ(パタパタ)式」と違い、最近のLED式は写真に撮ると、よくこうしてしっかりと映らなくなってしまいます。もっとシャッター速度を遅くしないといけないのですね。

乗り込んだ高松行き「マリンライナー23号」は、満席で立ち客もいる中、岡山駅を発車。
途中の茶屋町駅では、接続する宇野行きに乗換える乗客が結構多く降りていきます。宇高連絡船はありませんが、宇野からは直島や小豆島などに向かう航路がありますが、そちらに向かうのでしょうか。
茶屋町駅を発車してほどなく、マリンライナーは瀬戸大橋を渡ります。

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私の大好きな瀬戸大橋からの風景。鉄道から見るのは何十年ぶり、です。
クルマだと、与島PAからゆっくり見えるのみで、運転中は見ることができないのですが、列車からだと橋桁はあるものの、景色の移り行くさまがしっかりと見えます。

1年半ぶりの四国上陸。坂出駅で乗り換え、正午過ぎ、本日最初の目的地である、丸亀駅に到着。そう、まずはこの地でアウェイのサッカー観戦…!!
結果は、我がFC岐阜は惜しくも敗戦…ということでこの間のレポートは省略(笑)

16時30分過ぎ、スタジアムから丸亀駅に戻ります。次の列車まで少し時間があるので、丸亀市内を軽く街歩き。
(以前の丸亀市内街歩きの様子はこちら

この時季らしく、アーケード通りには「こいのぼり」が掲げられて賑やかです。

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こいのぼりと丸亀城。

駅に戻り、高松岡山方面行のホームに。一緒にサッカー観戦をしていたFC岐阜のサポーターらしき人もちらほら見えますが、皆、先にやってきた岡山行きの特急に乗り込んでいきました。私はその後にやってくる高松行き快速列車を待ちます。

やがて、ホームに「♪瀬戸の花嫁」が流れ、高松行き列車が到着。
先程の坂出駅でも、そしてこれから訪れる高松駅でも、駅のホームの到着メロディーはこの「瀬戸の花嫁」でした。これを書いている今でも、頭にメロディーがずっと残ります。

快速列車は讃岐平野を快調に走ります。やがて、車掌さんが車内検札に回ってきました。
車内の座席は8割くらいは埋まっていてちらほら立っている乗客もいるくらいなのに、3両編成の車内を1人ずつ切符の検札していきます。終点までそんなに時間があるわけでもなく、途中に停車駅もあるので忙しいはずですが、それでもきちんと、高松に到着するまでに全乗客の検札を終えていました。

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これまた1年半ぶりの高松駅に到着。ここでも次の乗り換え列車に時間があるので、少しだけ駅前を散策。お土産屋さんをのぞいて「讃岐うどんセット」も買い求めます。
(ちなみにこの日の昼食は、サッカー観戦時に屋台でいただいた「讃岐うどん」でした)

まだ少し時間がありますが、さらに街歩きできるほどの時間はなく…そのまま改札を通って構内に戻ります。

高松駅は線路も完全に行き止まりになる「頭端式ホーム」。頭端式ホームと言えば上野や門司港などあちこちにありますが、やはり古い歴史のある駅が多い印象で、ひときわ旅情を感じます。

ここ高松駅も、かつては宇高連絡船との乗り換えで、列車が頭端式ホームに到着すると多くの人が連絡船乗り場に向かい、また連絡船から降り立った人を乗せた列車が、ここから四国各地に向けて出発していく、そんな光景が長年に渡って見られたのでしょう…。

今となっては、なかなかその痕跡を見つけることはできず、しかしこの頭端式ホームだけはしっかりと当時の面影を残しているように感じます。

ここから乗り込むのは徳島行き特急「うずしお」。しばらく待つと、やはり「瀬戸の花嫁」が流れ、頭端式ホームに入線してきました。車止めの前で静かに停車します。

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自由席に乗り込んだ乗客は私を含めて1車両10人程度でしょうか。
定刻になり、ディーゼル音を響かせながら高松駅を発車。

緑いっぱいの栗林公園の脇を通り、屋島の合戦で有名な屋島駅を発車した後は、田畑と住宅地が混在する中を走り抜けていきます。
讃岐津田駅を過ぎたころからでしょうか、だんだんと日が暮れて辺りは暗くなってきました。ぽつんと点いた通過駅のホームの灯りが高速で後ろに去っていきます。途中の停車駅で乗り降りする乗客はほとんどいなくて、空席の目立つ車内はディーゼルの走行音のほかはずっと静かです。

徳島県との県境に近い引田駅に到着。高松からやってくる普通列車はほとんどがこの引田までの運転で、反対に徳島からやってくる普通列車は香川県との県境近くの板野駅までの運転がほとんど。
つまり引田~板野間の県境を超える列車は、特急が1時間に1本ずつあるほかはほとんどありません。ちなみにこの区間内の、特急が通過する駅(讃岐相生、阿波大宮)の時刻表を見たら、上り下りそれぞれ朝2~3本、昼間1本、夕方~夜は2~4本のみでした。

そんな駅はどんな光景なのか興味があり、両駅を通過するときに注意深く見てみました。
すっかり暗くなった車窓を注意して眺めます。細いホーム一面しかないような小さい駅を想像していましたが、どちらの駅も、そう細くないホームに跨線橋もある、普通の駅のように見えました…ホームの灯りが見えたかと思うと、あっという間に後ろに消えていきます。

やがて、徳島の一つ手前の停車駅にとなる勝瑞駅に到着。隣には阿南行きの普通列車が止まっています。
2両編成ですが、明かりがついて乗客が乗っているのは1両だけで残りの1両は車内が真っ暗でした。ワンマン運転の場合は運転士がいる車両の他は締切されるとのことですが、乗っている列車の隣の車両が真っ暗というのも、ちょっと変わった感じがしそうです。

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徳島駅に到着。

1時間余りの「うずしお」の旅でしたが、こちらも楽しく過ごすことが出来ました。

長くなりますので、その2に続きます。


Posted at 2022/05/03 15:59:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小旅行 | 日記

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