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シロ柴のブログ一覧

2022年08月12日 イイね!

ヌマジ交通ミュージアム・高橋徹展

ヌマジ交通ミュージアム・高橋徹展ヌマジ交通ミュージアム(広島市交通科学館)において、夭折の天才レーシングドライバー高橋徹選手のマーチ832が展示されているということで見に行って来ました。

高橋徹選手は広島県東広島市出身で、古くからのレースファンにとっては伝説として語り継がれている存在ですので、詳しい説明は不要でしょう。
個人的には、子供の頃の見た富士の最終コーナーで宙を舞う衝撃的な映像が記憶として残っています。
事故に巻き込まれ亡くなった観客が女性だったためか、当時センセーショナルな報じ方をされ、TVのワイドショーで事故の瞬間映像がスローモーションを交え何度も流されました。

大学の頃、東広島市に住んでいたので、徹選手の実家って何処だろうと常に頭の片隅にはありましたが、興味本位の詮索は失礼にあたると思い、それ以上の追求はしませんでした。

今年の春頃だったかレーシングオン誌でMCS-Vのカウルを被った中嶋悟車(ex.高橋徹車)のグラチャン(以下GC)マシンが誌面に載り、1983年鈴鹿BIG2&4で伝説を作ったマーチ832が現存していることを知りました。そのマシンが今回特別展示されるということで、矢も楯もたまらず広島に向かったという次第です。



前置きが長くなってしまいました。
BRZでは久々の遠出。広島市のヌマジ交通ミュージアムに着弾。
随分前にこちらの学芸員さんとお話ししたことがあるのですが、日本のモータースポーツ史にも造詣が深くていらっしゃって、過去にはコジマKE007やマキF101の復活展示などモタスポオタクにとっては垂涎の企画展を開催されています。



マーチ832のモノコック。
背後のレーシングスーツやヘルメット、ブルゾンは40年前のものとは思えないくらい綺麗な状態でした。ご遺族が大切に保管されていたことが伝わってきます。



1984年GCを戦った中嶋車のMCS-Vのカウル。
確か1984年のGCは星野が全戦優勝で、中嶋は全戦2位(過去のリザルトを調べるの面倒だったので記憶違いであればすみません)。
ヒーローズレーシングとしては、またしても打倒星野が果たせなかったシーズンということだったかな(但し全日本および鈴鹿F-2ではホンダパワーで中嶋が圧倒)。



高橋徹と中嶋悟の仕事場。
オタク的な視点で見ると、80年代前半の典型的なウイングカー構造で、F-1のウイリアムズFW-07Cを4/5サイズに縮小した感じ。モノコック上面は同じ年のスピリット201と異なりアルミハニカム材は使用されていない模様。
モノコック前面上部にMARCH832-8のプレートが残っており、間違いなく高橋車であることが確認できました。
ちなみに手元の資料によると1983年全日本F-2開幕戦時点のマーチ新型シャーシの割り当ては、清水正智832-5、内田審司832-6、松本恵二832-7、高橋徹832-8、高橋健二832-9、藤田直広832-11、星野一義832-13、E.エルグ832-14となっています。
現在はGC仕様に改造されていますが、今後、オリジナルのF-2の姿に戻す予定とのこと。GC化によりフロントセクションやその他多くのパーツが失われているので、復元は大変かと思いますが、是非UNI-PEXカラーの雄姿を見てみたい。



BMW M12/7ユニット。
'70~'80年代はF-2もGCも多くがBMW M12でした。
国内に大量に存在したM12エンジンですが、現在はほとんど残っていないとのことで、まともに回る個体は皆無なのでは?
この車両のエンジンはパーツもかなり残っているので、復活できそうですね。



展示全景。トロフィーやサイン色紙や写真など。
その中でも最期の瞬間に握っていたステアリングホイール、2時の方向が大きく歪んでおり、写真はあえて掲載しませんが、会場に行ける方は是非見ていただき何かを感じて欲しいです。



懐かしいマツダ・ファミリア。
何と徹選手の最後の愛車で、複数のオーナーを経て40年経った今も生き残っている奇跡!



このステッカーが廃車にならず生き残ることができた鍵だった模様。



本来はこちらがメイン企画。レストア完成となったマツダ737C。
由良さんのデザインなので、MCSグッピーと雰囲気が似ていますね。
30年くらい前、片山義美さんが現役を引退された直後くらいの時、テレビのクイズ番組にゲスト出演され、その番組内で炎上した車から命からがら脱出したという話をしておられましたが、その時燃えた車というのがこの737C・85号車だったようです。



787Bのル・マン優勝後に作られたと言われる787B(優勝車は永久保存で以後実戦投入されなかったため、もう1台レースカーを作った)。
マツダ787Bは人気なので、近年展示される787Bは757や767ベースのレプリカだったりするみたいですが、これはたぶん本物の787B。
ル・マン優勝後、レナウンチャージカラーを封印するとのことで、グリーンとオレンジの配色が逆になったんだったかな。
そのレナウンは昨年破綻しましたが、企業が消滅してもレーシングカーのカラーリングとして末永く語り継がれることを思うと、モータースポーツの力って偉大だなと思ってしまう。



会場で無料で配布されるパンフレット。
表紙を見ると一見地味な感じですが、内容はルマンの歴史、マツダのルマン挑戦史、737Cのレストア記録、787Bの解説、高橋徹の生涯と続き、全30頁、豊富なカラー写真と史実に沿った記述で、下手なモータースポーツ史よりよっぽど正確で、資料性の高い内容となっています。
これが入館料510円だけでもらえるとは、これだけでも行った価値があるというもの。
尚、印刷分の在庫が払底したら配布終了とのことです。


最後にオマケ

16年くらい前に出版された本。
驚異の新人・高橋徹。



映画「F-2グランプリ」のVHSと映画パンフ。



劇中では徹選手も少しだけ映っています。

Posted at 2022/08/12 23:31:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ関連 | クルマ
2021年11月20日 イイね!

スポーツカート体験

スポーツカート体験友人のおがりん.さんから、会社の人たちとカートやるんで遊びに来ない?とお誘いを受けたので、お言葉に甘えて行って来ました。
カートは8年くらい前にレンタルカートで少し走った程度で操縦経験は皆無。まともに運転できるか不安。



はるばるやってきましたスポーツランドTAMADA。
TAMADAは20年くらい前にジムカーナで走って以来(^^;



おがりん.さんの愛車。
2スト100㏄のレーシングカート。



精力的に走り込むおがりん.さん。



このコースでの自己ベストを出したとのこと。



私はおがりん.さんの会社の先輩が所有されている4スト200㏄のスポーツカートを代わりばんこで運転させてもらいました。何とおろしたての新車!



最初運転した時、ステアリングをフルに切ると巻き込むような動きをしてスピンしかけたので焦りましたが、走り終えて車を転がしているとき、ステアリングのアッカーマンに気付き、以降コーナリング時の車の動きのイメージが出来ました。
左足ブレーキは特に違和感なく、リヤが滑ってもスロットルで姿勢をコントロール出来るので楽しいです。2スト車はパワーがあるので、もっとシビアでしょうけど。



午後からタイム計測機を付けて走行。
おがりん.さんにタイムアタックしてもらい、4stカートの実力を確認。
この車両のオーナーさんによると、おがりん.さんはオーナーさんより1秒速いと聞いたので、自分はおがりん.さんの2秒落ちくらいで走れたら上出来かなと思いながらアタック。
パワーが限られているので失速しないよう、コーナーの脱出で車速を乗せるように意識して走って、何とか目標のタイムを出すことが出来ました。

走り終えると、首やら背中やらが痛く、スポーツカートと言えども体のダメージは結構あるものだなと感じました。シートが自分の体型に合ったものであれば、ダメージは少なかったかもしれません。

という訳で1日貴重な体験をさせてもらいました。声を掛けてくれたおがりん.さん、気前よく車両を貸してくださった先輩に感謝です。


Posted at 2021/11/20 22:55:41 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ関連 | クルマ
2020年06月21日 イイね!

ベテランレースファンと'70年代FISCO死傷事故の話

ベテランレースファンと'70年代FISCO死傷事故の話今年2月に転勤した職場に嘱託でお勤めの年配の方がいらっしゃるのですが、車がお好きだということで自然と車とかレースの話になりました。

「最近のF-1は音が悪いねえ、もうGTくらいしか見に行ってないよ。」と言われるので、よく聞いてみると、かつては海外にまでF-1観戦に行くほどだったとか。
近年は地元岡山でスーパーGTを見に行く程度だが、昨年はわざわざ富士スピードウェイ(FSW)にも出かけたそう。

「富士で最初にF-1が開催された時観に行きましたよ。雨が降っててねえ。」とのことだったので、てっきり2007年の話かと思ったら、何と1976年のレースの話でした。
聞けば当時、浜松の某オートバイメーカーで社員ライダーとして勤務されていたそうで、富士スピードウェイ(FISCO)のレースはよく観戦に行っていたとのこと。

「翌年(1977年)はストレートの終わりのところで見てたら、警備員が移動しろー、とうるさく言うので歩き出した数歩目のところでフェラーリが飛び込んできた。」「動きだすのが数秒遅かったら死んでいたかもしれない。」との話で、「まさかあの有名な事故の現場にいたのですか?」と聞くと「いましたよ。」と言われる。

個人的に昔のレースに興味深々で、当時の話を聞いてみましたので一部抜粋して載せます。

【1977年F-1日本グランプリ】



朝日新聞 昭和52年10月24日朝刊より
Q:「現場は立入禁止区域だったはずですが、当時それは知っていましたか?」
A:「わかってたよ。マシンが間近で見られるので、無視してたくさんの人が来て見てた。」
  「2人亡くなったんだけど、その人たちは即死状態で、ほかに事故に巻き込まれた人たちは口から血を吐いていたり、心臓マッサージを受けていたりしてた。」
Q:「(事故を起こした)ビルヌーヴはどんな様子でした?」
A:「車から飛び降りるとヘルメットを抱えて逃げるように走って行ったよ。」
Q:「どっちの方向に行きました?」
A:「スタンドの方向に行きましたね。」
Q:「伝説のドライバー、ジル・ビルヌーヴをナマで見たことのある日本人って少ないんじゃないですかね?」
A:「そうかもね。」

後日、1枚だけあったという当時の写真を持って来て下さったので、お借りしスキャンしました。


Q:「'77年はストレートエンドで見ていたとのことですが、’76年も同じ場所で見てたのですか?」
A:「'76年はメインスタンドで見てました。ニキ・ラウダが目当てだったけど、すぐ車降りちゃってねえ。」
Q:「翌年('77年)はラウダ自体日本に来なくて、結局(ラウダの)代走のビルヌーヴが事故を起こしたという因縁ですか…。」
「当時の映像を見るとバンクに続くストレートの横付近が現場だったみたいですね。」
A:「F-1の時はもうバンクは使ってなかったよ。」
Q:「えっ、30度バンクが使われていた時代も観戦したことがあるのですか?グラチャンとか…。」
A:「ありますよ。」
Q:「もしかして1974年6月2日のレース、観に行かれてました?」
A:「黒沢が幅寄せして大事故になったレース?観てましたよ。」
Q:「マジっすか!」


【1974年富士GC第2戦・富士グラン300キロレース】

朝日新聞 昭和49年6月3日朝刊より
Q:「当時はどこで観戦されてました?」
A:「メインスタンドで見てました。」
  「あっという間の出来事で、白い煙が立ち上って、ドライバーなんか助けられる状況じゃなかったよ。」
  「その後ヘリコプターがドライバーか誰かを運んで飛び立つ様子は鮮明に覚えている。」



後日、小生所蔵の事故を報じた当時の雑誌類を見てもらいました。中にはご遺体そのものの写真も。
感想を聞きましたが、ここでは触れないでおきます。



後年出版された事故に関する書籍類。



風戸選手に関する書籍。
'77年発行の「レクイエム」はプレミアがついて、結構な値段で取引されている様子。



左:当時の某少年マンガ雑誌にも事故の写真が…。
右:少年マガジンでは表紙モデル。撮影は篠山紀信氏。





当時の国内最高峰レース、富士グランチャンピオンシリーズ。
オイルショック前の好景気。‘73年あたりからメーカー系ワークスドライバーの相次ぐ参戦によりシリーズの盛り上がりが最高潮に。
打倒!黒沢…。事故の起きた遠因はこのあたりにもある。


【1973年富士GC最終戦・富士ビクトリー200キロレース】

朝日新聞 昭和48年11月24日朝刊より


'73年秋オイルショック勃発。そして直後に発生した炎上死亡事故。
聞くと、事故のあった'73年の最終戦も富士に観に行っていたそう…。
ただ事故発生現場のバンクから遠いところにいたので、事故があったことは覚えているが、詳しいことはほとんど記憶にないとのこと。



その'73年最終戦の表彰台。
1位鈴木、2位風戸は上記'74年第2戦の事故で死亡。
3位酒井正はこのレースをもってドライバーから引退したため難を逃れたかと思いきや、2001年に自宅の火災でお亡くなりになったという…。
表彰台3人全員焼死という事実。これは単なる偶然と言えるのだろうか?



最後に件のベテランレースファン氏。サーキットに行ってエンジン音を聞くのがお好きで、生涯で最高の音は「マトラV12」とのこと。
「2ストかと思うような乾いた甲高い音で最高でしたよ。」と仰っていた。
さすが50年近くナマでレースを見てきているだけあって納得。
Posted at 2020/06/21 10:31:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ関連 | クルマ
2020年01月25日 イイね!

映画「FORD VS FERRARI」を観に行ってきました。

映画「FORD VS FERRARI」を観に行ってきました。封切から少し時間が経ちましたが、映画「FORD VS FERRARI」観に行きました。
モータースポーツを題材にした映画って、過去、期待を裏切られることが多かったのですが、この映画は文句無しに良かったです!特にクリスチャン・ベイルの演技が素晴らしい!!
私のようなモタスポオタクはすぐに「史実と違う部分」とか「フェラーリがP3じゃなくてP4になっている」などと嫌なツッコミを入れがちなのですが、本作はそういう指摘をすること自体無粋に思えるほど良い脚本になっています。

主役車のフォードGT40と言えば、設計者であるローラのエリック・ブロードレイとかダン・ガーニー、ブルース・マクラーレン、クリス・エイモン、ジャッキー・イクスといったドライバー達が真っ先に思い浮かぶところですが、(ネタバレになるので詳しく書きませんが)劇中では、マークⅡ~Ⅳまでの期間開発を担当したキャロル・シェルビーと開発ドライバーのケン・マイルズの物語に絞って展開して行きます。

ところで、フォードGT40や昔のモータースポーツに詳しい人でも、シェルビーは知ってるけどケン・マイルズって誰?って感じなのではないでしょうか。
私はいちおう知ってました。何故かというと…、

小学から中学にかけてラジコンに熱中していた時期がありました。当時の愛読書?「ラジコンマガジン」の中のRCサロンというコーナーのトビラに、モノクロの精妙なタッチで描かれたクルマの画とそれにまつわるエピソードを綴ったページがあり、毎月楽しみにしていました。



’90年4月号で、ケン・マイルズの記述があったことがきっかけ。
何故“変わり身”がガーニーやハルムではなくマイルズなのか?
これはバンディーニとマイルズに共通するある運命に対して、筆者の榎本氏が一種のヒロイズムを感じていたからではないかと当時理解しました。



話は変わり、大量のプラモのストックの中から、劇中に出てきた車を引っ張り出してきました。
25年以上前、中学生の頃買って以来、手をつけていないフジミの名作キット。



マイルズ車は2箱ありました(^^;
映画の影響からか、ここのところヤフ○クで1万円とか信じられない価格がついているみたいですが、まあすぐ沈静化するでしょう。



最期に、レーシングカーが最もカッコ良かった時代、スポーツプロトタイプ黄金時代を題材としたとても良い映画だと思うので、興味がある人は是非見てみて!!


Posted at 2020/01/25 21:48:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ関連 | 音楽/映画/テレビ
2016年10月10日 イイね!

F-1日本グランプリ

F-1日本グランプリBSフジでのF-1中継が終了し、個人的には1987年第2戦サンマリノグランプリから続けてきたテレビ中継での連続視聴記録?が途絶えた今年…、昔、一緒の職場で働いていた先輩からの突然のお誘い(←命令とも言う)で、鈴鹿に行くこととなってしまいました(^^;
前回行ったのはM.シューマッハ最初の引退の年、2006年だったので、実に10年ぶりの観戦。





土曜日のフリー走行。我等がマクラーレン・ホンダの活躍を期待するが、どうも雲行きが怪しい。
(註)コンパクトデジカメでいい加減に撮った写真を適当にトリミングしているので、ピンボケ&画質が悪い点はご容赦願いますm(__)m



予選ではJ.バトンがQ1敗退。F.アロンソはQ2、15位に終わってしまいました。



ホンダブースでは新型NSXがあったけど、いまいちピンと来ず。



'87年鈴鹿優勝車フェラーリF187。翌年のF187/88C仕様かもしれないけど…。
デモランでマクラーレンMP4/5と共に走行。



迎えた決勝。セカンドローのL.ハミルトンのスタートでの脱落に助けられ、ポールのN.ロズベルグが独走で優勝。M.フェルスタッペンは終盤のハミルトンの猛追を抑えきり2位フィニッシュ。



現在、F-1ドライバー1番人気はライコネンなのだそう…。予選3番手タイムで期待が大きかったのだが、ギアボックス交換で決勝は5グリッドダウンが痛かった。
F-1引退表明のマッサは9位。淡々とペースを守ったペレスは7位入賞。



前戦マレーシアでは好調だったアロンソだが…、



終始苦戦のマクラーレン・ホンダ勢。16~19番手あたりをウロウロ。



前戦優勝のリカルドは今回精彩なく6位フィニッシュ。



各メディアで報じられていますが、観客の少なさがとても気になりました。
2コーナーの指定席。決勝スタート時点で我々の眼前はこんな状態…。



という訳で、日本からF-1の灯を消さないためにも、来年も積極的に観戦に行かなければならないと感じました。

Posted at 2016/10/10 13:23:52 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ関連 | クルマ

プロフィール

「ガソリンの暫定税率廃止が決まりそうですね。数か月ぶりにBRZ給油。満タン法で11.7km/l。過去の車の大雑把な記憶ではDC2インテが11km/l、S2000が10km/l、EP3シビックRが12km/lって感じでした。ZC33Sスイスポは16km/l(^^)」
何シテル?   08/02 11:45
春から秋はクルマいじりとドライブ、冬場はプラモを作って過ごしています。 自己流ですが車両のメンテナンスはできるだけ自分で行うようにしています。 乗用車に限ら...
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